画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

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天の鳥船庵だより

2019年04月03日

魂の他流試合


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(坂内和則画)

魂の成長に挑みたいなら、結婚を勧めます。
家庭生活は魂の他流試合のようなもの。
自分の霊性を頼りに結婚相手に挑んでご覧なさい。
その主題は「自分が一番貴いとおもえる態度を相手に捧げつくすこと」
あなたの霊性の度合いは相手が教えてくれます。
互角に戦えれば、
人生の最高の喜びを味わえ、
人生の最悪の人間関係に泣きます。

これで魂が磨かれる訳です。
この経験無くして魂磨きはできません。

魂を磨くのに、宗教も哲学も役に立ちません。
宗教も哲学も修行道場という練習場でしかないのです。
力試しの他流試合は出来ないのです。
霊魂は結婚生活という実践の他流試合でしか磨かれません。

先日受講生からいただいたメールを、
本人の許可を頂いたのでお見せします。

    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

この2日間に私たち夫婦間で面白い事が起きたので、
感謝も込めてご報告させて頂きます。

余談から始めると講座でも話題になった夫婦関係について、
ここしばらく考えていました。具体的には、夫婦共に仕事と家庭の両立です。
特に夫は家庭をもっと優先したいとサラリーマンを辞めたのですが、
最近は、ありがたいことでもあるのですが、忙しくしていて、
以前より帰りが遅くなる日も多くなってきました。

そんな流れのなか、ふと数ヶ月前の事を思い出しました。
現実では、夫への不満を怒り任せに本人に告げようと思ったのですが、
一旦やめた日にみた夢です。

内容は、
正論を夫に突きつけていて、
それに対して、
夫は今はこうする以外にどうすることも出来ないと、
自分の考えをそのまま吐露するという夢で、
要は平行線のまま問題は解決せず、
お互い消化しきれない思いを抱えたまま終わる夢でした。
その夢をみて、夫に正論を突きつけるのは得策ではなかったと思い、一旦やめて良かったとおもうわけですが、
不満はそのままでした。

そして数日前に問題はおき、
夫は取引先の役員との飲み会で終電がなくなり、
1時間以上もかけてタクシーで帰ってきた後、トイレで吐いていました。
(頻繁に飲み会があるわけではなく、吐いたのも初めてです)
私もつい、「これがあなたのしたいことなのか?」と詰め寄り、
夫は「いや、違う。ごめん。」とだけ言いましたが、
その謝罪が「何がごめんなのか」と、私の怒りに油を注ぎ・・・・・

ただ、ここまできて私の頭に、
夫が帰ってくる直前に見ていた夢が浮かびブレーキをかけました。

夢の内容は、知り合いの夫婦が出てきて、
(今実際にパートナーが倒れて入院されている方が)病院にいる夫からの電話で、
「本当に迷惑をかけてごめんね」と、夫に言われたのに対して、
妻は、「謝らなくていいから早く治すことに専念して!」と強めに言っている。
夫はまた謝っている。
妻は、そういう事じゃない!というがイマイチ伝わっていない。
そこで私が電話を代わり、パートナーの方に、
彼女は強い口調の言い方はしてるけど、
それは本当に治すことに専念して早く回復してほしいと、
心から思っているからだと伝えると、
妻の優しさが夫に伝わり、
これを忘れないように書き留めておくという。
ただ相変わらず妻の口調は厳しく聴こえてしまう。
私はそれだと相手に伝わらないんだなと思ったという夢でした。

この夢が私の怒りを抑え、
冷静に相手に寄り添う行動に変えてくれました。
彼の肩をさすりながら、飲み水を渡しつつ、
「家族の為に頑張ってくれていることは分かっているし、感謝している。
ただ、これはあなたがやりたい事なのか?
家族のあり方と共によく考えてほしい」と夫に伝えました。
すると、不思議と私自身に怒りの感情がなくなって、
彼を思う気持ちだけが残っている事に気付きました。
そして、彼も一言
「もうやめにする!」とだけ言い、布団へ行きました。
私はその後、子供達が起きる前にトイレの除菌をしておこうと、
掃除用具と夫に気休めの栄養ドリンクを買いにコンビニまで行ったわけですが、
その間も怒りはなく、
むしろ清々しい感情で居られる自分に気づき、
このやり方は
わたしにも夫にもストレスフリーで夫婦関係も深めるんだなと思いながら、
1〜2年前に、
慶子先生とかずさんが出てくる夢で、
ケンカはしてもお互いを深く知り想い合っている先生たちの夫婦関係が
結婚の醍醐味だなと思った夢のことを思い出しました。

後日談ですが、その翌日からの週末、
夫は家族をより一層思っているように感じ、
私自身も普段当たり前と思っていた彼の優しい行動に目がいくようになり、
結局はあの出来事が円満に作用してくれたように思います。

そんな流れがあり、連絡させて頂きました。

夢をやっていて良かったと思う瞬間でした。

    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

それに対しわたしからのお礼の返事です。

「夢の醍醐味そのもののお話。
お知らせくださってうれしいです。
私たち夫婦はみなさんの見本には程遠いですが、
夫婦の微妙な関係に分け入って調整をしてくれるのは、
夢だけのように思います。」

自分の結婚生活が魂磨きなのだと声を張り上げ、
壇上から講話を垂れるような資格はわたしにはありません。
それでも、無様な自分の結婚生活があるから、
ここまで自分の魂を磨くことはできたと思います。
誰にも言えない感謝を夫に覚え、
他の誰にも言えない喜びの体験をし続けています。

もちろんこれ以上ない落胆も、
分かり合えない心情も抱えたままですけれど。


posted by バンナイ at 20:12 | 夢の活用法

2019年03月25日

梅仕事


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「梅仕事」という言葉をご存知ですか。

この歳までこんな美しい言葉を知りませんでした。

「梅仕事」
響きもいいし、
なにか懐かしい感じもあり、
丁寧な生活をイメージできます。

養成講座最終日の1昨日、
受講生は総仕上げのために自分の夢に取り組みました。

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そのなかで、目覚めの一瞬の光景が満開の梅だったという夢がありました。

目覚めの一瞬はとてもメッセージが濃いのです。

そこで、梅についてあれこれ話し合いましたが、
どれも夢主に合うものがなく、
無為に時が流れていきました。
もう案はないと諦めかけた時、
どなたかが「梅仕事」と言う言葉を教えてくれました。
梅ができたらそれに伴う一連の作業があります。
その全作業を呼ぶ言葉だそうです。
梅酒、梅シロップ、梅干し、梅ジャム・・・作りのための。
どれも専業主婦をしていた時はやりました。
今から考えたら至福のときです。
家族の人生丸ごとを感じながら作業をします。
小洒落た料理に取り掛かるのとは違った、
腹を据えた地味な作業が喜びでした。
女性の丁寧な暮らしには「梅仕事」は付いて回ります。

この夢主さんに向けた言葉としてぴったりです。
梅干しが良いの、梅ジュースはどうのというそういうのではなく、
「梅仕事」の心で日々を送ること。
それを的確に教えたくて、
夢は目覚めの一瞬に梅の満開を見せてくれました。

講座を終えておひとりそっと、
「梅仕事は青梅を洗って、
楊枝でヘタ取りをする、
この動作をいう」と教えてくれました。

たくさんの梅の前で、
淡々と梅の小さなヘタ取りをするなんて、まるで黙想。

女性の生き方を70年は見てきて、
今の女性は「何者かであること」に重きを置きすぎ、
男性から主権を取り戻せても、
女性としての本質を踏まえて、
自分を生きている人は少ないように思います。

結婚しても子育てに専念できない。
食事を油脂や添加物に問題を抱えた作り物を買って済ます。
スローフードは名ばかりで、
極端な知識に振り回される主体性のない食事内容になってしまう。

これらは経済を重視せざるを得ない
働くことが偉いことになっている価値観が要因なのでしょう。
「梅仕事」を良しとし得ない事情はありますが、
この夢主さんにとって、
丁寧に手塩にかけた食事作りと生活内容は何より大事な生きる姿勢です。

「梅仕事」
良い言葉です。

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4月13日のオープンクラスは空席あります。

posted by バンナイ at 14:48 | 夢の活用法

2019年03月18日

夢で自分を知る勇気が主体的な勉強姿勢を作る


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16日(土)は天の鳥船庵夢療法講座第13期の修了式でした。
受講生がたった4人の少人数だったので、
みなさん自分に直面せざるを得ないお得なクラスだったことでしょう。

受講生のお一人が、
この4人のメンバーにこれから月一で会えないと思うと寂しいというのです。
精神世界のこうした講座で出会う人と仲良くなるのは大変です。
それまでの経歴があまりに違うので、
クラスメートとは一期一会と割り切る必要があります。
それは表向き。
みなさんが仲良くしてくださると講師としては嬉しい限りです。

夢を通して自分を知って行くと、
そこには自分を客観視できる手立てとして、
系統だった心理学を学ぶ必要を感じます。
心理学を学ぶことで自分の現在位置が見えてきます。

この講座を学んだ人々がさらに自分の来し方行く末を視野に入れられるように、
率先して、勉強し続けて欲しいと願っています。

夢を理解することは決して易しいものではありません。
夢に関心を持ってもそのメッセージに行き着き、
そのメッセージを人生に行かせる人はほとんどいません。
どうぞその数少ない夢を人生に行かせる人になってください。
若くはない受講生たちを送り出しながら、
その思いを強くしました。

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posted by バンナイ at 09:44 | 夢の活用法

2019年03月13日

傲慢を戒められ気分は悪かったけれど。。。。。


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4月27日から始まる
養成講座ケース研究のためのクライアントさんを募集しています。
ご希望の方は、
4月13日のオープンクラス(体験講座)に申し込まれてください。
当日ご都合の悪い方は、個人セッションをお取りください。

   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆


原稿を作っていて、「これはすごい?!」と思ったのです。
その時浮かんだ自分のアイディアがすごいなと思ったのです。
自分が自分に酔いました。
いつもは自分にダメ出しオンパレードのわたしです。
自分のアイディアに酔い、
自分がすごいと思えるなんて奇跡です。

それで瞑想の中で、
神さまにお伺いを立てました。
結果、感触は良かったので、
「これで行こう!」とその時決心しました。

とはいうものの、
そのすごいアイディアを生かすには更に下調べが必要になり、
懸命に作業に取り掛かっているうちに、
なにやら競走馬のように「視野が狭くなっているのでは?」と、
チラと思ったのです。

後から考えて、この時こう思えたのは救いでした。

それで夢に訊くことにしました。
夢ノートにその質問を具体的に書き、
そして寝ました。

次の日の朝、
なんとも謂く言い難い気分で目が覚めました。
私のアイディアはことごとくダメだと夢は言っていました。
三つも夢を思い出したのにです。
そのどれもがどう贔屓目に見ても、
滑稽なほどNGでした。

ひとつは、大して意味のない講座に出ていて、
周りがうるさく行儀が悪いので、
大きな声で注意をするけれど、
みんなに無視されるという夢。

自分が主催している講座でもないのに、
余計なことをしているわたしです。

二つ目は、10代中頃のスケボー漬けの男の子と仲がいいという設定です。
彼の散らかった部屋にいるのです。

わたしの居場所じゃない。
分かり合うには無理がある。

三つ目は、更にひどくて、
昔の知り合いで自称神とつながっているという人が出てきました。
わたしの顔をじっと見るので、
「何か?」と訊いてしまいました。
(注:夢の中で他人の言うことには注意が必要です。
夢の中で自分は王様。
その王様は自分と神の間に何も仲介者は置いてはいけません。
それなのにこの夢の中で、
この方に「言いたいことがあるなら聞きましょう」と、
瞬間気が動いてしまったのです。
神とつながっていると自称する彼にです。
訊いてはいけない相手にです。)
案の定、
「病んでいる」という言葉が返ってきました。
彼の顔は能面のように白く表情がありません。

言い訳ですけれど、この歳なので、
「病んでいる」はショックでした。

夢だけが信じるに足ると思っているわたしなのに、
神と自分の間に他人を入れてしまったのです。
してはいけないことをしてしまいました。

今年の初夢では、
見渡す限り緑の磨崖仏の観音像を見ているのに、
もしかしたらという疑念が浮かびました。
なんて弱いわたしでしょう?!
(緑には約束された治癒力という意味があります)

しかしここは踏ん張りどころと、
この夢に立ち向かうことにしました。
この夢のいうことをまっすぐ受け取ろうと決めたのです。

瞑想では自分に酔うことがあり、
瞑想体験を直ぐに信じてはいけないと人に言ってきました。
そのわたしがこんな風に体験するとはショックでした。

この夢は、
わたしが問題提起をしたから見たのです。
夢はわたしの質問に答えてくれただけです。
「この案を使いたいと思っています。
夢の神さまはそれに対しどのようにお考えでしょう?」と。

それに対し、
一つ目の
「余計なことをしているわたし」
二つ目の
「分かり合うには無理がある」
そして三つ目の、
自分のアイディアに酔ったわたしを、
自称神とつながっている彼の姿を借りて、
「病んでいる」と神さまが言わせ、
否を挟めない場面設定で答えてくれました。

問題提起をするまでもない。
わたしのアイディアは神の意志をキャッチしたものではないという暗喩です。
今考えたらあのまま突き進まないで良かったというくらい
大したアイディアではありませんでした。

先日、病院でC型肝炎が完治していること。
今までで一番綺麗な血液になっていると医者に言われました。
人生のほとんどを知らずして肝炎にかかり、
疲労困憊の日々を過ごしてきました。
終盤に差し掛かって健康をいま体験中です。

傲慢を夢で戒められ、
夢を信じ通せなかったわたしは夢に叱られ、
夢で試しに逢ってしまったという話でした。






posted by バンナイ at 14:56 | 夢の活用法

2019年02月19日

映画「ボヘミアンラプソディー」


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映画「ボヘミアンラプソディー」を見ました。
どうしてロックに無縁のわたしが見ようと思ったか。
いろいろありますが、
勘がはたらいたのです。

重い腰をあげる最終動機は、
受講生たちの「いいですよ」合唱。
そして監督が才人のブライアン・シンガーという名前。
去年の初夢の「シンガー(さん)」課題はずっと続いています。

ユング派心理学者ジューン・シンガーは「男女両性具有」を論じ、
ブライアン・シンガー監督は「ボヘミアンラプソディー」で、
フレディ・マーキュリーのゲイを語り、
自身の生き方とその信じるところを映像にしたのでしょう。
40年は昔、
人類はこの問題を強く突きつけられていたのだと改めて思いました。
エイズが死の病だったように、
性についてはとても神経質になっていたので、
全体像を知るには時間が必要でした。
とはいえまだまだ性を語るにはわたしたちは幼い魂です。

クイーンに興味のなかったわたしがここでお話することが、
偏見に満ちているのか、
言い古されたことなのかよくわかりません。
しかしわたしのブログなので書いておきたいと思います。
アーティストとしてのフレディ・マーキュリーに賛辞を惜しまない気持ちをです。

ボヘミアン・ラプソディの歌詞はとても衝撃的です。
特に「Mama」からはじまるところは、
1975年の発表を考えれば、
女性性の時代の幕開けを歌っているようにも思えます。

Mama, just killed a man
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he’s dead

この歌詞を聞いて、
すぐにそれとはわかりませんでしたが、
これは懺悔なのだろうとよぎりました。
「Mama」が実の母親とは到底思えません。
日本人には馴染みはないけれど、
昔の映画では神父に懺悔をする場面はよく見たものです。
そこで「これはカミングアウトだ」と想像しました。
(きっとこの見方は多くの方と同意見なのだと思います)

それも「Mama」なる神に向けて。
そうなると、「Mama」がとてつもなくクリエイティブな言葉に思えました。
 
キリスト教では「主(=神)」は「Father」です。
フレディ・マーキュリーは「Mother」とは言わず、
「Mama」と神を呼んでいます。

苦悩が最高潮に達して苦悩の渦に逆らえないと気付いたとき、
ふと自分自身が何かに守られていると、
説明のつかない思いを抱くことがあります。
この世の汚濁まみれで反抗の真っ只中の自分であってさえ、
この世を超えた何かに守られていると。
苦悩が頂点に達すると、
神の存在が最も親しめる実在になります。
だからなんでも言える心境になります。
そこでこの歌詞ができたのでしょう。

説明のつかない、
弱いのか強いのかさえ定かでない境地にはいると、
守ってくれているその存在が、
イメージを超えた実在となって実感の対象になります。
それをフレディ・マーキュリーは「Mama」と呼んだのでしょう。

「父なる神」という畏怖の対象ではなく、
さわれる風のような存在。
さわってもらえる鼓動ある実在。
それを「Mama」と呼んだのでしょう。
心の中にどっかり居座ってふたりだけになっている存在。
それを「Mama」と呼んだのでしょう。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」で、
フレディ・マーキュリーは自分を「バイセクシュアル」だというのですが、
女性の恋人は「いいえ、あなたはゲイよ」と返します。
そして彼女が彼に別れを告げる決定的場面で、
彼女は自分が見た夢を語ります。

まるでその夢が神の意志をつげていると言わんばかりに堂々とです。

映画を見ていて、
その夢の一部始終を覚えられませんでした。
いつも夢と聞けば一遍に覚えられるのにです。
その理由は、「これは本当に寝て見た夢だろうか」と迷ったのです。
なんとなく作り物の夢に思えたのです。
とはいえ、夢は魂の修行にならないパートナーの場合は、
はっきりそうと言ってくるので、
本物の夢かどうかはわからないけれど、
夢を理解した人が台本を書いていると思ったのでした。

監督のブライアン・シンガーは、
映画仕上がりの2週間前に仕事を離れたそうで、
この逸話がわたしには何かとても暗示的に思えます。

魂としての完成を目指して、
ジューン・シンガーは男女両性具有を学問的に論じましたが、
映画「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディ・マーキュリーを題材に、
性における肉体と精神の苦悩を通して、
直接神に語りかける心情を得ました。

心の中で神が実在となって、
はじめてわたしたちは男女両性具有に向けて生きられるのだと思います。
それが「 Mama」への語りかけではじまります。

言葉足らずですが、
ボヘミアンラプソディーの感想です。




posted by バンナイ at 11:06 | あれこれ

2019年02月11日

「おっと」と「おっとさん」


4月から新しい1年の夢療法講座が始まります。
こちらにご希望の方は一度オープンクラスか個人セッションをお取りください。
また養成講座のクライアントを募集します。
こちらも一度オープンクラスか個人セッションをお取りください。
詳細は後日「お知らせ」で告知します。

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もう40年は昔。
犬養道子の本を読んでいて、
「日本の女性は自分の夫を『主人」』と呼ぶ」という文章を読んで、
「夫を主人とは決して言わない」を貫いて来ました。
犬養道子の言いたいのは、
日本人だけが自分の結婚相手を「主人」と呼ぶ。
世界のどの国を見てもそういう呼称はない。
だから日本女性は自主独立の精神が育っていない。
精神的にも経済的にも夫に依存しているというような内容だったと思います。
正確な言葉遣いは忘れましたが、
意味としてはこうしたものだと記憶しています。

「主人」とはマスターであり、
わたしの主権は夫にありますと宣言しているようなもの。

犬養道子の論評はかなり厳しいものだったと記憶しています。
そのころ曽野綾子が三浦朱門を同居人と書いていた記憶があります。
さすがに文人。
夫の呼称には神経を使ったのでしょう。

それから時代はかなり変わりましたが、
夫を主人と呼ぶ女性はいまも少なくありません。

何年か前「つれがうつになりまして」という漫画本を読みました。
内容は忘れましたが、
この題名にひかれました。
この夫婦の関係がほんわかと見えるような題名です。
「夫」を「つれ」と呼ぶその「ともにある」感じが、
「うつ」をどう捉えどう二人で乗り越えようとしているのか、
題名だけで想像できるし、
読む方にとっても鼓舞される匂いがします。

養成講座ではケースを持って面談を行います。
セラピストは面談を逐語訳して、
ケースカンファレンスにかけるのですが、
そのときセラピストが「あなたのご主人」、
或いは「旦那さま」という言葉を使うことがあります。
その度に「申し訳ないけれど、
『主人』という言葉を使わないでほしい」と念を押します。

夢療法による面談です。
夢は霊性を扱うので、
霊的生き方の示唆を読みます。
霊的生き方は自主性と主体性を大切にします。
そこで、自分以外を「主(あるじ)」にすることを極力戒めます。

婚姻関係を結んでいるとはいえ、
夫は心を売り渡す主人ではありません。
夢の中の自分が自主性ある態度を取っているだろうか。
主体的に行動しているだろうか。
夢を理解するにはこの視点から自分の現状を精査する必要があります。

そこを含めて、
クライアントの夫を「ご主人」乃至「旦那さま」と呼んでは、
面談に一貫性を盛り込めません。

そこで考えた受講生は、
「夫」の代わりに「夫さん」を広めたいと言い出しました。
これが根付くかどうかはわかりません。
わたし自身は、
「あなたの夫」或いはその方のファーストネームを呼ぶようにしています。

犬養道子がいうには、
言葉には力があり、
夫を主人と言い続けていると、
意識しなくてもそこに言葉の力が働くのだと。
それを意識した方が良いということを言っていたと思います。
この論法にはグーの音も出ません。

DSC01983.jpg

さて、夢の中で誰かが言葉を掛けて来たとします。
そのときあなたはその言葉をどう処理しますか。
夢の中で「あなたはこうですね。ああですね」と言われたらどうしますか。

自主性を持って、主体性を持って考えてください。
大抵夢の中で形ある者が言うときは注意します。
あなたがその人に助言を求め、
それに納得している場合はその助言を生かそうとするでしょう。

しかし形ある者は意外と余計なことを言います。
人の意見に依存していると言うのが夢が伝えたいことです。

先日それとは真反対の夢の声の話を聞きました。
夢では声だけ聞いたのだそうです。
その言葉です。

【この自分を完璧に演じることだ】

真我の声はこのようなものです。
この夢主さん若くはありません。
しかし、これから新しい人生をはじめるには、
まだまだ十分な時間も体力も気力も備えた人です。

その方はその後、

【真我の森を探検する】夢を見たそうです。

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このわたしのブログ記事はまだまだ「真我」「シンガーさん」が続きます。




posted by バンナイ at 18:30 | 夢の活用法

2019年01月28日

続々・初夢とステンドグラスのライフシール



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(13日初夢1day ワークショップの光景)

1昨日は養成講座で、ここでも初夢を話し合いました。
やはり今年の初夢は「潔い」が特徴でしょうか。
夢が伝える心意気は、
振り返りの時ではなく、前進すること。

12日のオープンクラスで大いに盛り上がったのは、
「今の関係は過去のものにして他の道を」という、
ちょっと考えたら、
緊張してしまいそうな内容でしたが、
受け取った方は納得していました。
その深いところは現状を正確にとらえることです。
シビアな夢が示される時、
夢はその奥の楽観的展望を約束してくれます。
これが理解できると夢にさらに注意が行きます。
動かなければ、
将来も今とは変わりませんが、
その代わり心の中はいつも小さな錘(おもり)を持ち続けることになります。

綺麗さっぱり過去とおさらばできれば、
新しい体験がその小さな錘を取り除いてくれます。
夢はいつも行動をとアドバイスしてきます。
夢のアドバイスを考慮して行動すると、
その恩恵は多大なもので、
心はそれに比例して軽くなっていきます。
わたしたちに役立つ姿勢は軽さとオープンさです。

前進の行動をとることで必要な自省は自然と付いてきます。
気持ちを入れ替える勇気を持ちましょう。

では、わたしの初夢をご参考までにおはなしします。

【長野?の山中にある宿にリトリートに来ているらしい。
朝7時ごろ。
大きなガラス窓の向こうに、
何もかもが緑の山々の景色と、
中央に緑色に見える岩でできた観音像の右顔が見える。
仲間?と下山するために履物を探す。
下駄箱にピンクの地下足袋を見つける。
履いてみると少し大きめだがこれに決める。
夫はウエスタンブーツを袋に入れているので、
わたしの靴をその中に入れる。
とても得した気分。
素晴らしい景色の中でのリトリート。
その体験を持って帰れるのだから。
さぁ帰って仕事!】

DSC02898.jpg
(前列中央のわたしが持っている絵が夢の絵です)

非常に感動的でこの世の景色とは思えない美しい夢でしたが、
この夢には場面があり、
流れがあるので神秘夢ではありません。
ちゃんと偽装工作はされていて、
その偽装工作を解かないとこの夢の意味は解けません。

夢の偽装工作解除法には、
凝縮されたメッセージを連想で解いていく方法があります。
わたしがこの夢で連想したのは、
これまでの人生がこの夢で見た美しい緑の観音像を含む
景色全体と同じだということです。

子供の時の輸血が原因で、
知らずして肝炎を患い、
その治療に去年新薬を服用でき、
肝炎は治癒したと医者に言われました。
60年以上肝炎を患い、
その間わたしの自覚では、
どうにもならない絶望的疲労感を感じながら生きて来ました。
自分の体はこういうもので、
それを受け入れなければ生きてはいけないのだと、
病気のデパートと言われて来たことが、
却って自分の人生を受け入れさせてくれたのだと思います。

緑は「約束された治癒力」という意味があります。
夢の中でさえその意味を受け取り、
今後は仕事をするのに体は支障がないのだと感じました。
夢の緑はわたしの心も体も精神力さえ癒してくれました。
寄る年波もあって全てが健康ではありませんが、
長年のどうにもならない疲労感は抜けています。

緑もピンクもハートチャクラの色です。
信じるところを仕事に込めて行きましょう。
それが今年の計画です。
初夢はそれに答えてくれました。

3日に
【薄雲がベールのように一面にかかった空に夕陽が映えている。
グレーの薄雲とピンクがかった丸い太陽が美しい。】
という夢を見ました。
初夢の傍証になってくれる夢です。

4時過ぎの太陽です。
夕日の茜色が薄いベールの雲に遮られ、
柔らかなベージュピンクの円を見せてくれています。
「はい、元気になりました」とはいえ、
この先長く仕事ができるはずもなく、
日本人の平均寿命は84歳なのだそうで、
仕事は夕方5時までとすれば、
猶予はあと1時間の3年半です。
初夢とステンドグラスのライフシール」で披露した
受講生の量子力学的な夢と重なって感じられます。

わたしのライフシールには竹があります。
生命力のある植物で60年に1度花をつけて枯れるのだそうです。

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それもまた今年のわたしを後押ししてくれます。



posted by バンナイ at 11:56 | 夢の活用法
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