先日、メールで年賀状を戴きました。
「メールで夢療法」を受けられた方からです。
ご本人には公にする許可を戴いておりませんので、
差し障りの無いところとなりますが、
ほぼ全文をお目にかけます。
この方は20年の長きを「ドリームブック」一冊を頼りに、
研鑽を積まれたようです。
今までは本を頼りに夢を日々に活かせてきたけれど、
今回はどうしてもひとりでは如何ともしがたいとご相談いただきました。
送られてきた内容から、
この方が自分流に夢を解釈していた様子は見えず、
努力を重ねておいでだったことが伝わってきました。
それだからこそ、
これまでの精一杯の生き方を転換するようにとの夢の知らせが、
読み取りにくかったようでした。
この年賀状の中には、
夢から知ることのできる内容がはっきり書かれていますので、
このブログを読まれる方々には勉強になるのではないかと思い、
無断で引用させていただきます。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
あけましておめでとうございます。
昨年、夢分析をしていただいた❍❍❍です。
あれからずいぶんと気が楽になりまして、
腰痛や神経痛も和らぎ普通の生活をしております。
気がかりな人からは11月、12月は呼び出しもなく、
何とか無事に過ごせています。
趣味が同じで行動を共にしていた友人は他県に引っ越しすることになり、
夢の通り、疎遠になりそうな状態です。
あれから金色のリボンで結ばれた3個の鍵の夢を見ました。
自分なりに解釈しまして、
魂と心と身体をひとつにするべく努力しております。
良い年でありますようお祈り申し上げます。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
いかがでしょう。
これが夢分析に対する礼状と受け取っていただけるでしょうか。
夢では、心の持ち方や心の癖ばかりではなく、
その結果身体が現在どういう状態となっているかについて、
詳細に知らせてきているのが分かります。
たった一度の夢の解説だけで、
身体が快方に向かっているという、
このことをお分かりいただけるでしょうか。
すべて症状になる前に心がその原因をつくります。
夢はその真実を知らせているだけです。
その原因を取り除けば、
症状を抱えていなくて済みます。
最後に夢「金色のリボンで結ばれた3個の鍵」を、
魂と心と身体の問題を解くそれぞれの鍵だとこの方は受け取られています。
日々を苦と捉えているときは、
それぞれを解き明かす鍵があるとすら思い至らないでしょう。
しかし、「メールで夢療法」を受けて、
それらの鍵を手中に収めました。
そのことが最大の宝です。
他人に決定を委ねたり、
お伺いを立てるのではなく、
自分の夢を精査し、
自由意志に依って自己決定して行く。
この方は最後に夢の話を報告しながら、
その宣言をして下さっています。
2月には新刊本をお届けできるでしょう。
今は亡きベティ・ベサーズ著「ドリームブック」が果たしてくれた役目を、
「夢療法〜人生が輝く夢の読み方活かし方」(コスモ21)が担えると思っています。
最後になりましたが、年賀状を下さった方に。
無断引用をお許し下さい。
こうしてささやかな仕事がお役に立てていることを知って幸せです。
天にも昇るくらいに幸せです。
ありがとうございました。
2015年01月18日
『メールで夢療法』の相談者から戴いたお年賀状
posted by 天の鳥船庵 at 18:13
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| あれこれ
2015年01月06日
グリム童話『いばら姫』を夢と解く13
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
今回はこれまで続けてきた「いばら姫」を解説します。
おとぎ話を夢解き風に解説し、
話のダイナミズムが夢と同じ効果を持っているという解説をしています。
では、「グリム童話『いばら姫』を夢と解く12」('14/12/30) の続きを。
13
王子はいばら姫のあまりの美しさに驚いて、
身をかがめると姫にキスをしました。
するとそのとたん、
姫は目をさましました。
そして王と妃も、
城じゅうの家来たちも、
馬や犬も、
屋根の鳩も、
壁の蝿も目をさましました。
かまどの火は起きて、
ぱちぱちと燃えて食べものを煮込みました。
焼き肉はまたじゅうじゅう音をたてはじめました。
料理番は小僧の横っつらをはたきました。
女中はニワトリの羽をむしり終えました。
それから王子といばら姫の結婚式が祝われました。
そしてふたりは死ぬまで楽しく暮らしました。
ー終わりー
とてもロマンチックな文章が続きます。
王子は姫の美しさに酔います。
美しい姫に心奪われる王子。
何と言うことの無い常の話と思われますか。
そしてキスをする。
ここに来て読み手、聞き手はちょっと鼻白む思いになりますか。
この2行はとても大切な情動のプロセスです。
これが無ければ半身の異性を目覚めさせることはできません。
両親の呪縛で眠りこけている姫に、
霊性の大切さを知るきっかけを提供するには、
この世の体験に身を呈してぶつかって行ける男性性が必要です。
姫の美しさは世間の評判でした。
ふたつある性のうちの男性を選んだ王子は、
更に自分が体験から得た老成した叡智の後押しを受けて、
美しさ、異性の美点を獲得する重要性を理解しました。
ここまで辿り着く王子の努力は、
進取の気質を持った彼の理性が先導して辿り着いた地点です。
眠りこけた異性の姫を前にして、
姫の秘めた美しさに感動を覚えます。
姫とのやり取りはまだありませんが、
美しさの存在を確信するのです。
異性は自分の美しさを表に出す道を造ってくれる存在とも言えます。
理性が教えてくれた半身に辿り着いたとき、
そこで体験できたのは自分の大きな感動です。
この感動には実感があります。
実感は王子に取って実体なのです。
見るとは認識すること、
認識するとは理解すること。
判断ではなく美しいと自分が感じるものが、
情動を教えてくれて自分の本質、
本質の在処、
霊が住むところを教えてくれました。
姫を美しいと思うのは、
王子の中に姫を美しいと思う基盤が必要です。
その基盤が霊性が住むところです。
そこに触れたいと王子は思ったのです。
自分の身体の中で繊細な部分。
それも理性に遠くないところにある鋭敏さで触れたいと思ったのです。
王子は自分の唇を姫の唇に触れさせたいと思いました。
これは理性ではなく魂と感情がひとつになって起こせた行動です。
もっと正確に言うなら、
霊性の望みを感動が教えてくれたので、
霊性が望む行動に出られたと言って良いでしょう。
このお話は講座では女の自立の第一移行段階と説明しています。
母と一体であった娘が母から自立し、
自己の自律を得て行くプロセスの一番はじめの段階です。
つまり異性への興味は、
親では埋められない空虚を知ることで起こります。
異性を求める気持ちは、
霊性の発達を望む自分のスピリットそのものの願いだと知る訳です。
王子のキスが無ければ、
自分の中に眠るもろもろは目を覚ましません。
ここに挙げられているものたちは、
ひとりの人間のあらゆる機動力であり、
エネルギーの現れです。
人間として生きて行くために使える技であり、
能力とも言えるでしょう。
『いばら姫』は心の成長の初期段階を表しているお話です。
それも女性の霊的成長であり、
男性の女性性の部分の成長を教えてくれるお話です。
わたしたちの心を掴んで離さない多くの遺産として残っている昔話は、
このように性的です。
言い古された言葉ですが、
性なるものが最も聖なるもの。
いにしえ人が残してくれた遺産です。
おいおい次の段階のお話も解説して行きたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
今回はこれまで続けてきた「いばら姫」を解説します。
おとぎ話を夢解き風に解説し、
話のダイナミズムが夢と同じ効果を持っているという解説をしています。
では、「グリム童話『いばら姫』を夢と解く12」('14/12/30) の続きを。
13
王子はいばら姫のあまりの美しさに驚いて、
身をかがめると姫にキスをしました。
するとそのとたん、
姫は目をさましました。
そして王と妃も、
城じゅうの家来たちも、
馬や犬も、
屋根の鳩も、
壁の蝿も目をさましました。
かまどの火は起きて、
ぱちぱちと燃えて食べものを煮込みました。
焼き肉はまたじゅうじゅう音をたてはじめました。
料理番は小僧の横っつらをはたきました。
女中はニワトリの羽をむしり終えました。
それから王子といばら姫の結婚式が祝われました。
そしてふたりは死ぬまで楽しく暮らしました。
ー終わりー
とてもロマンチックな文章が続きます。
王子は姫の美しさに酔います。
美しい姫に心奪われる王子。
何と言うことの無い常の話と思われますか。
そしてキスをする。
ここに来て読み手、聞き手はちょっと鼻白む思いになりますか。
この2行はとても大切な情動のプロセスです。
これが無ければ半身の異性を目覚めさせることはできません。
両親の呪縛で眠りこけている姫に、
霊性の大切さを知るきっかけを提供するには、
この世の体験に身を呈してぶつかって行ける男性性が必要です。
姫の美しさは世間の評判でした。
ふたつある性のうちの男性を選んだ王子は、
更に自分が体験から得た老成した叡智の後押しを受けて、
美しさ、異性の美点を獲得する重要性を理解しました。
ここまで辿り着く王子の努力は、
進取の気質を持った彼の理性が先導して辿り着いた地点です。
眠りこけた異性の姫を前にして、
姫の秘めた美しさに感動を覚えます。
姫とのやり取りはまだありませんが、
美しさの存在を確信するのです。
異性は自分の美しさを表に出す道を造ってくれる存在とも言えます。
理性が教えてくれた半身に辿り着いたとき、
そこで体験できたのは自分の大きな感動です。
この感動には実感があります。
実感は王子に取って実体なのです。
見るとは認識すること、
認識するとは理解すること。
判断ではなく美しいと自分が感じるものが、
情動を教えてくれて自分の本質、
本質の在処、
霊が住むところを教えてくれました。
姫を美しいと思うのは、
王子の中に姫を美しいと思う基盤が必要です。
その基盤が霊性が住むところです。
そこに触れたいと王子は思ったのです。
自分の身体の中で繊細な部分。
それも理性に遠くないところにある鋭敏さで触れたいと思ったのです。
王子は自分の唇を姫の唇に触れさせたいと思いました。
これは理性ではなく魂と感情がひとつになって起こせた行動です。
もっと正確に言うなら、
霊性の望みを感動が教えてくれたので、
霊性が望む行動に出られたと言って良いでしょう。
このお話は講座では女の自立の第一移行段階と説明しています。
母と一体であった娘が母から自立し、
自己の自律を得て行くプロセスの一番はじめの段階です。
つまり異性への興味は、
親では埋められない空虚を知ることで起こります。
異性を求める気持ちは、
霊性の発達を望む自分のスピリットそのものの願いだと知る訳です。
王子のキスが無ければ、
自分の中に眠るもろもろは目を覚ましません。
ここに挙げられているものたちは、
ひとりの人間のあらゆる機動力であり、
エネルギーの現れです。
人間として生きて行くために使える技であり、
能力とも言えるでしょう。
『いばら姫』は心の成長の初期段階を表しているお話です。
それも女性の霊的成長であり、
男性の女性性の部分の成長を教えてくれるお話です。
わたしたちの心を掴んで離さない多くの遺産として残っている昔話は、
このように性的です。
言い古された言葉ですが、
性なるものが最も聖なるもの。
いにしえ人が残してくれた遺産です。
おいおい次の段階のお話も解説して行きたいと思っています。
posted by 天の鳥船庵 at 11:32
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