のっけから申し訳ありませんが、
夢には吉夢も正夢もありません。
ただただ霊性の状態がどうあるかを知らせてくるだけ。
その霊性に効く夢の治癒力があるだけです。
そこで例を挙げて夢の予知と治癒力についてお話しましょう。
ひとつは仕事がなくなるかもしれないという夢の話です。
仕事場が沈没するという夢が、去年ありました。
いえ、夢に出て来た船が沈没するので、
それは、仕事場がなくなるということだと、
受け取ってみたというのが本当のところです。
現実そのように仕事場はかしましく、
存続は危ぶまれ、責任者は経営をあきらめたかに見えました。
ところがここに来て、続けると宣う。
あら、それでは夢のいうことはどういうこと?
予知夢ではなかったの?
となりそうですが、予知夢であってしかるべき。
では、夢の内容のどこまでが予知なのでしょう。
ここが夢の予知力ではないかと思うのです。
夢主に「仕事上のあなたの立場がなくなるだろう」と前もって知らせる。
そのお節介な夢の神さまの本意は?
おどすだけ?
いえ、夢主の心の筋力を上げることだけ。
大事な仕事がなくなるかもしれないと予め教えておけば、
時間的猶予ができて、真剣に自分の将来設計を考えるでしょう。
そして夢主はあらゆる可能性をシミュレーションします。
それが狙いです。
いまのままで仕事を続けられるかもしれないけれど、
夢主さんはこの危機感を持つことで、
事業主と運命を共にする自分のこれからを吟味するでしょう。
これが心の筋力を上げ、成長しえる要素となります。
そして現実今の仕事があっても無くても、
どちらにも対処できる自分を作っておけます。
夢が予知を知らせる意味はこれだけです。
将来が断定的に結論として知らされることはありません。
次の夢はとても大きなドラマでした。
人生上の大事を予知夢として送り込んできました。
それは過去生がらみです。
過去と現在と未来が夢と現実で行きつ戻りつしながら、
今生のテーマに行き着き、
それを超えるように夢は促して数年を経ていったというのです。
具体的には人間不信の真っ只中、
夢でパートナーが現れるのです。
現実でもその人に会えました。
絶望の中に一条の光明を見る。
そんな気になります。
しかし夢のパートナーとの縁はここまでです。
縁はないけれど、この一連の夢と現実で、
この方大きなプレゼントをもらっています。
数年にわたる夢の連続で、
今生のテーマが見えて来ました。
結果的に夢を伴走者に、
過去生で「撒いた種を刈り取って」いるのでした。
撒いた種を刈り取ってしまえば、
負債を払ったことになり、
次のステージがはじまります。
この種の夢は案外にあるもので、
だからこそ夢は霊性への指摘という点では人気はないものの、
メルヘンチックなところでは多くの人の注意を喚起し続けて来たのでしょう。
夢の治癒力が最大限にはたらいた例と思われます。
またこの夢のように過去生がらみの人間関係は、
その人々の間で学びが終っていないから縁があるのであって、
学びが終ったら離れていくことが多いです。
次は大分前のことですが、
安定した職業を投げ打って、
自分の趣味でやって来たことを、
海外に躍り出て実力の程を試そうとした方の夢の話しをしましょう。
夢は、用意された海外の職場で歓迎されています。
それをその通りと受け取るには勇気が要ったでしょうが、
行ってみたら現実そうなりました。
これを正夢と取ってしまうとなんとも惜しい気になります。
やりたいと思ったことに立ち向かい続けた、
その心の筋力をほめてやりたい。
夢はそれを後押ししたのです。
望むことを前に実際に行動を起こせない夢主を勇気づける夢でした。
さて今年のわたしの初夢は、
「セッションルームでだらしなくくつろいでいる猫」でした。
この猫に成るようにと夢は言うのだと受け取りました。
この夢わたしに難題を突きつけています。
いつものように夢は厳しい。
セッションルームでワークをリードするのに、
わたしはくつろぐことを信条にはとてもできない相談です。
しかしそのわたしにだらしないくらいに寛げと言います。
一方夫の初夢は、
体調を崩して吐き気を覚える妻のわたしをトイレに連れて行く夢です。
吐くというわたしの状態を彼は承知するようにと、
夢が指示しているようにも受け取れます。
実際彼の毎日の言動を、
妻としてどのように受け取り、
それをどう魂磨きに活かすか。
毎瞬毎瞬が待ったなしの勝負で、
去年はもうこの状態を進歩に持っていけるかと思っていました。
だからこの夫の夢を聞いて、
どんなに妻のわたしはほっとしたでしょう。
わたしの心中を彼は情を持って受け取ることが今年の課題でした。
彼は自分ではもう充分妻のことを理解していると勘違いしています。
そこを突いて来た夢です。
そこまでわたしたち夫婦のやり取りは育って来たともいえます。
でもこれを読まれて、
わたしたち夫婦の有りようを想像することは難いことでしょう。
この一年わたしは寛いでセッションをリードすることを心がけました。
天の鳥船庵を開いて5年、
アシスタントと講師見習いを勉めて下さっているおふたりは、
ときにわたしがだらしなく寛ぐ猫であっても、
ちゃんとセッションに戻す注意をしてくれます。
一方夫のわたしへの理解は、
わたしの心中を慮る(おもんぱかる)態度が見えるようになりました。
それに加えて妻のわたしは自分が吐くという夫の夢で、
反省すべき点を知らされています。
夫の有りようで揺れるわたしの心を戒めています。
ここでも寛ぐ猫の態度が必要なのです。
これが人生最難の霊性磨き。
夫が機嫌が良くても悪くてもわたしの中は騒がない。
夫という他人の状態でわたしの精神状態が左右されてはならない。
そうあるようにと夫の夢を通してわたしを叱咤しています。
このように初夢は一年の計を知らせ、
それは霊性という生きる態度そのものを扱っています。
と言う訳で元旦の夜には、
「今年一年の心構えを教えて下さい」と、
夢の神さまにお願いをして寝てみてはどうでしょう。
霊性が高まれば自分の霊性が望むものを手に入れることができます。
それを実現できると言うことです。
夢は占いではないけれど、
魂が欲しいものを手にする方法を教えてくれます。
そこで夢は霊性を扱うと言う目で、
「一富士二鷹三なすび」を考えてみましょう。
「富士山」は自分の高みを目指すこと。
「鷹」は俯瞰して物事を見る力をつけること。
「なすび」は人生はもともと豊かで無駄はないということ。
富士山を夢に見る日本人は割といます。
その方はそこから自己探求の道に着きます。
日本の文化はどうやらセノイ族と同じに、
夢に親しみと尊敬を持っていたようです。
来年の初夢会が楽しみです。
みなさま今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。
みなさまも良いお年をお迎え下さいませ。