[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2016年05月22日

17日の朝地震の夢をみたそうです

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(花材:りょうぶ・あじさい)

昨日のクラスで話し合われた夢に、
日常の何気ない夫婦の情景に、
焦点が当てられているものがありました。
毎日夫婦の間で行われているふたりだけの動作にです。
夢はこんなところに入り込んできます。
誰も夫婦の間のことは言わないし言えないことにです。
そんなタブーの夫婦の機微に入り込んで、
優しく諭すその夢の気遣いに震えます。
長いこと、夢をそんな夫婦の魂磨きの為に使っていきたいと願っていた
そのわたしの願いが実現しつつあります。

この記事の本題は、わたしたち夫婦のことです。
どうぞお楽しみ下さい。

16日の夜、関東では地震がありました。
正確には 21時23分頃茨城県南部を震源地とする震度5弱の地震です。
熊本地震から一ヶ月経っても、
現地ではいまだに大型の余震に警戒中のようです。
大変な心労でしょう。
それに加えて、
ネットでは何やら騒がしい地震予知情報らしきものが、
発信されていたようで、
地震の直後、
「これがそれなの?」みたいな記事も目にしました。

17日の朝布団を片付けながら夫が言いました。
「今朝地震の夢をみたよ」
それを聞いて、それはそれは良かったことと、
夢の専門家の妻は思ったことでした。
それなら現実に地震が起きる確率は低くなります(?!)

夫の夢日記に書かれた文章をお目にかけます。
「夜、家にいると震度3ぐらいの地震。
K子とふたり様子を見る。
すぐにおさまる。
しばらくすると又、地震。
今度は5ぐらいでけっこうゆれる。
外に出た方が良いと思い、
K子を外へ連れて行くが、
シャーリーズ・セロンに変わっていて、
そのセロンが恐いと言って抱きついてくる。
僕は、「エッ、こんな大きな体抱いた事ない。
どうすれば良いんだと思う」が、
取り敢えず玄関まで連れて行き、
外へ出す。
僕は石油ストーブがまだついているので、消しに戻る。
すでに布団が敷いてあって、
ストーブがゆれて、火が大きくなって、
掛け布団に飛び火しそうだ。
でも冷静に消す。
そしたら地震がおさまる。」

これを聞いて、
真っ先に、
「わたしがシャーリーズ・セロン!
これは光栄!
この話に乗ろう!」と思ったことでした。
わたしはわたしだけれど、
夫には、
わたしをシャーリーズ・セロンに対するように接して欲しい。
と同時に、
わたしを尊重し丁寧に接して欲しいと伝えました。
(この夢があったので、言えたことです。
この夢無しに私が四角四面に要求したら大変なことですよね(笑)

夢は魂の体験なので、
この夢の象徴としての全貌を文字にする事は難しいので、
「夫婦の間で夢を語る効用」と、
「地震の夢への対処」という2点で話を進めていきましょう。

わたしはシャーリーズ・セロンに特別な思いを持っています。
現在活躍中の女優さんの中で、
私にとってはだんトツにきれいで目を引く女性です。
そして彼女の幼少期の体験はあまりにあまり!
声もあげられない!11
ここではその内容を記しませんが、
わたしのこれまでを凌駕してなおあまりある、
そんな辛すぎる体験を、
彼女の魂はシャーリーズ・セロンとしての人生で受け入れられている。
それに値する魂の持ち主なのだと思います。
Dior のTVコマーシャルは、
いつも特別きれいだと思って見ています。

夫は人物像を描くので、
「シャーリーズ・セロンは参考になるの?」と訊いたら、
「もっと日本人体型が良い」とのこと。
シャープ過ぎるのだそうです。
そして映画好きの彼曰く、
シャーリーズ・セロンは出演作品選びに難があると。
出演作はシャーリーズ・セロンの特徴を生かしていないので、
女優としてはいまいちだとのこと。
勿体ないとも。
「勿体ない」。この言葉はわたしを評して良く言います。
彼はわたしの活動の大切さを理解してくれているひとりです。
遅々として進まない仕事の様子を評して、
いろいろな意味で「勿体ない」と言ってくれます。
シャーリーズ・セロンを通して、
わたしへの彼自身への魂の言葉と思って聞いています。
しかし、しばしば自分の不甲斐なさに腹が立つようで、
彼の怒りに火がついたときは、
そのとばっちりがわたしに来ます。
という訳で、わたしとしては、
彼がシャーリーズ・セロンに接するように、
丁重にわたしに接してくれたらと思っていたのです。

彼の反省の気持ちを夢の神さま掬い上げて、
夢でわたしをシャーリーズ・セロンにしたとも言えるでしょうか。

地震の夢をみたら、
それは夢を見た本人の心の中で、
いままで通りの対処では、
これからは立ち行かないと認めること。
もっといえば、これまで拠り所としていた考え方が、
役に立たないところまで来たこと。
或いはこれまでの思い込みを反省して、
あらたに実際的で霊的な目標を立てるようにいわれていることになります。

この世の事象はすべて、
生きている人間の心模様の総体が形となっているので、
夢で指摘された地震は、
追っ付け現実になると言われているようなものです。
だからその前に自分の心の状態を知って対処すれば、
現実化される前の対処なので、
地震にならない一助になることになります。

地震の夢を見たら、
予知と受け取るのではなく、
夢を見た本人の心のきしみに自省を加えれば、
地震が現実にならない一助になるという訳です。
(一助にはなるので、現実化しても軽く済むと考えます)

夫は長いこと生きる姿勢に苦しんできました。
改善すべきこと反省すべきことは彼なりに分かってはいても、
頭の理解は腑に落ちず、
従って行動が伴いません。
そこで天からの大英断は、
11月末の左手骨折。
単調な生活は病院通いで、
今まで会うことの無い人々にお目にかかり、
理解が現実的になってきました。

それが、不甲斐ない自分への怒りをコントロールして、
ストーブの火を消し止めたことにつながるでしょう。
これは仕上げの意味です。
骨折に伴う反省をさらに強くするための夢からの示唆です。
という訳で、心の中のきしみは、
彼の中でかなり自覚できていました。
どんな夢も思い当たらない課題が登場することはありません。
問題に対する考慮が熟れに熟れたとき、
夢はそれを確かなものにするようにと、
印象深い夢を送り込んできます。

熊本地震に前後して起こる、
環太平洋の地盤のきしみは、
地球ガイヤにとっては満を持した活動なのかもしれません。
その巨大な力をひとりひとりが心に引き受けて、
創造的であるようにというのが、
いまのプレートの動きなのでしょう。
いま難に会われて御苦労されている方々が、
前向きでいられることにこちらも励まされます。

さて、わたしたち夫婦の話に戻すと、
17日巨大地震がやってくるかもしれないと噂のあったその朝、
夫の夢を通して、
わたしたちはふたりの間のきしみについて話し合うことができました。
わたしは夢の中での夫のわたしへの気遣いを聞かされました。
何と言っても夫婦で良かった。
一歩夫への理解が進んだ、そう思えたことです。

「スノーホワイト/氷の王国」が、
27日から上映されるそうです。
楽しみにしています。


posted by 天の鳥船庵 at 20:26 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年05月17日

今年の変化の波に乗る

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今年の初夢会ははじめて天の鳥船庵で開きました。
今年の課題は概ね、
「トラウマは脇に置いて、
或いは、トラウマはともかく、
やりたい好きに専心すること」でした。
その心は、
「夢を持つ勇気」です。

言葉は重宝であって不自由でもあり、
これだけでは今年の課題の意味は伝わらないでしょう。
わたしにとってはとても具体的な内容ですが。
つまりいままではトラウマの掃除は不可欠でしたが、
今年はそれを放っておいても、
好きを貫き通す心構えでという意味です。

前進するには夢を抱きます。
目的地を計って一歩を踏み出します。
夢を持つことで手元にある課題を片付けられます。
熊本地震の災害に遭われている方々の姿に重ねてみましょう。
いまにつながる未来に希望を持つことで、
いま成すべきことが分かります。
この体験から夢を持つ効用が理解できます。

今年も早5月も半ばになりました。
先日のオープンクラスで話し合われた夢の数々にしても、
今年の課題は、
「自分のやりたいこと好きを貫き通すこと」に、
間違いはないと強く思えたので、
忘備録としても記事にしています。

自分の夢を時間で追っていけるようになると、
成すべきことが浄化であるトラウマの学びだと分かるようになります。
しかし心の情景は二次元ではありません。
善悪ではないのです。
清濁でもなく、学びのプロセスです。
ここがしっかり理解できないと、
夢は、
いつまでたってもトラウマに牛耳られた自分の姿を写していると、
夢を誤解してしまいます。

トラウマ(或いは浄化の必要なところ)は、
ふたつと同じがないほどに特異なことなので、
大切な自分の特徴と考えるのが、
今年の課題と受け取ってはいかがですか。

自己探求の道を歩み出して、
自分の心模様が少しずつ見えてくると、
夢自体は分からないとしても、
夢のあやふやさや、
場面がコロコロ変わったり、
一貫性に乏しいそれまでと違って、
場面そのものがすっきりしてきます。

擬装工作の度合いが薄くなります。
これが成長を示すひとつの表れです。

今年の課題、好きにフォーカスしていくと、
思いがけず立ち止まらざるを得ない状況になり、
浄化の必要が突然浮上します。
しかしこの時も将来への夢を心の真ん中に据えて下さい。
勇気が出てきます。

これが今年の特徴です。
大きな変化はこの夢を見続ける勇気に連動して起こります。
一歩一歩心の次元をあげて行くことで到達する心境です。
自分を戒めの目で見ず、
心の弱さや意気地のなさに添い続けましょう。
本人自らが自分に優しくすることでしか、
夢を見続けることはできないでしょう。
その優しいまなざしを具体的にいえば、
自分は以前と変わらず同じところにいるなあと思うなら、
そこにいる自分を受け入れましょう。
それではまだまだだなぁ、
だからなんとかしなくてはいけないと思わず、
まだまだの自分だなあと、自分の現状に添っていること。
そんな自分に添いながら、
将来への夢を中心に据え続けましょう。
その優しい自分がまだまだな自分を救えるでしょう。
仕上げは神さまの仕事で、
自分の独力では仕上げられないのですから。

それが今年のテーマ、
「トラウマはともかく、
やりたい好きに専心すること」となります。

それからもうひとつ、
好きでやりたいと考えていることと、
霊魂が求める方向と違うことがあります。
その場合も、取り敢えずいま思う好きを目指します。

夢を勉強しても、
ときに夢の伝えたいことを、
今まで通りの自己承認に読み取ってしまうことがあります。
トラウマの大声を真我の知らせと取ってしまうようなものです。

そんな時の夢の受け取り方を、
先日のオープンクラスで披露してくれた方がいます。
人生の一大事に何を成すべきか?
夢は動かずじっと内省することと伝えたいのに、
足を動かすのもむずかしく危険な状況なのに、
社会の大勢を知ろうと行動しようとするのです。

やりたいことと好きを判断することも、
情報過多のいまの世の中ではむずかしくなっています。
それでも、一旦は自分がキャッチした好きを貫きましょう。
間違いなら、
直ぐに立ち行かなくなります。
今年はそんな方向転換は軽やかにできるはずです。

posted by 天の鳥船庵 at 15:43 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年05月13日

ネギ坊主を食べる

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もう一ヶ月は前、
鎌倉野菜の直売所に、
ネギ坊主が並んでいました。
いままで「ネギ坊主は食べられるもの」とはつゆ知らず、
詳しそうな売り子さんに食べ方を訊いてみました。
その方は静かに丁寧に数種類の料理法を教えてくれました。
そこで敬意を表して、
サラダに入れるというのをやってみました。

ネギ坊主を坊主がりのようにハサミで刈って、
小さな棘のようになったつぼみをサラダに振りかけるのです。
食べてみてあまりに味が優しくて、
ちょっと勿体ない。
数回でやめました。

ところが、素麺の薬味にちょうど良い。
普通のネギやワケギでは素麺の舌触りを超えてしまいます。
ネギ坊主の薬味は、
その小ささと細かさが素麺の細さに添ってくれて、
そこはかとないネギの風味を添えてくれ、
邪魔にならず、主張しすぎない薬味として楽しめます。

他には、直火で焼く。
もうひとつは、塩麹に浸けてネギの風味を塩麹に移し、
ネギ風味の塩麹として使うのだそうです。
この場合は1週間後に使って下さいとのこと。
ネギ醤油もありだそうです。
わたしは塩麹も醤油もまだ試していないのでコメントはできませんが。

先ほど「ネギ坊主の料理法」をネット検索してみました。
天ぷらがほとんどで、
急遽記事にしようと思い立ち直売所で買ってきました。
(写真の真ん中にあるものが、ネギ坊主です。)
ひところより小さく旬は逃しているのでしょう。

ネギ坊主は袋を破ってしまっても、
まだまだ美味です。
これはわたしの個人的な意見ですが。

我が家の菜園のネギ坊主は、
わずかに2本となってしまいました。
ネギ坊主の時機は過ぎてしまったかもしれませんが、
ご参考までに。

それにしても、食べ方を教えて下さった方は、
天ぷらとは一言もおっしゃらず、そこがなんとも。

posted by 天の鳥船庵 at 20:05 | Comment(2) | あれこれ