画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite
天の鳥船庵だより

2016年06月29日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」3

DSC00751.JPG

この記事は結婚の勧めです。
この世で最も尊いことは自分を知ること。
それを叶えるに最も相応しいチャレンジは結婚です。
そして男性原理の世から女性原理の世に移行させられるのは、
自分を知って魂磨きの経験に専心すること。
ここには宗教も軍隊も入り込む余地はありません。
結婚こそが魂が求めるチャレンジです。
そして追々分かってくることですが、
結婚生活は女性の対処の如何にかかっています。
だからこそ女性原理の世に移行できるのだと思います。
これが叶えばいままでの価値観も、
いまの成果主義も、
その影を消し、
自然豊かなビルのない地球に生まれ変わるでしょう。

さて、前回の話をまとめると、
新婚生活の蜜月を過ぎて、
いよいよ人生の本題に取りかかる結婚生活の緊張をなんとかしようと、
粉屋は精神世界つまり宗教や特定の教義や信条や、
あるいは宗教とはいえない心の探求に心奪われたという話をしました。
池から現れた水の精に心奪われたことをそう解説したのでした。
池とは、海の小型版。
結婚生活も長くなると、
生き生きした喜びに変わってだるさや緊張感を覚えます。
それを忘れさせ、夢中になれるもの全般が水の精です。
それは無意識の領域から表れ魅力を覚えるもの、
それを水の精としたのでした。

ここまでの話をいままでの社会に当てはめると容易に理解できます。
これまでの出版物を見ると多くこの形が見えます。
社会的に成功した人の著した本には、
ここ(結婚生活)は飛ばして、仕事の成功に話がすぐに移ります。

心の統合を成長とは考えないからでしょうか。

もっとあからさまな言い方をすれば、
宗教さえ押さえれば、
人としての高みに到達できると言うのがこれまでの社会通念です。
しかし僧門に入り独身で人の高みに到達できるとしたら、
それこそが肉体を持つ在り方を否定しているようなものです。
この辺のほころびはバチカンからも漏れ聞こえていますし、
同じくお坊さんによる性犯罪も後を絶ちません。
親鸞上人が妻帯し、独自の寺院を持たず、
各地に簡素な念仏道場を設けて教化したのは、
人の在り方そのものが神聖だと実感できていたからでしょう。
なかには僧籍にいて人のなし得る高みに登っている方々も散見します。
その方々への在り方を否定しているのではなく、
生きる目的を叶えるのに、
市井に居て実生活を送ることが本来なのだとお話ししています。

乱暴な言い方かも知れません。
ここでいう目的は、統合であり成長なので、
夫婦ともに手を携えて相手を鏡に自分を磨いていくことが、
人生の目的であり、
生きる目的だとお話しています。

この文章で意が伝わっているかどうか、
お分かりいただいているかどうか自信はありませんが、
この童話の解説の意図を再確認しておきましょう。
この「池にすむ水の精」の話は結婚生活の真の意味を伝えている物語です。
この物語から結婚生活をどのように本来の道をたどって進ませられるか、
その神髄を探っていくことにしています。
それが心の統合であり、
心の成長だという基盤でお話しています。

つまり、いままで社会的に認められた成功者のいう成功とは、
ひとりの鍛錬の結果、
精神の安定とともに、
経済的発展を遂げることが出来、
その上で人としても大成したということのようです。

その方々の考え方からすれば、
結婚生活とはプライベートな問題で、
心の大成とはつながらないとお考えなのかもしれません。
しかし、この物語では、
経済的発展や成功は生きる本来の目的とは違うと、
はっきり伝えているように思います。

では、今回の話に進みましょう。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」3
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【3: これは池の妖精だな、そう思うと、
怖くて怖くて、粉ひきは、逃げたらいいのか、
このままにしているほうがいいのか、わからなくなりました。
すると、水の精は優しい声をだして、粉ひきの名をよび、
なにをそんなにくよくよしているのかとたずねました。
こちらは、はじめのうちは黙り込んでいましたが、
向こうがいかにももの柔らかに口をきくのを聞いて、
気を取り直し、自分も以前は運がよく、金持ちであったが、
今ではすっかり貧乏になってしまって、
どうしたらいいのかわからないのだと、身の上ばなしをしたものです。
 「心配おしでない」と、水の精が返事をしました、
「わたしがね、先よりもお金持ちに、また運もよくしてあげるわ。
そのお礼には、いましがたおまえのうちで産まれたものを、
わたしにくれると約束しさえすればいいのよ」】

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

池の精に魅了されたのに、
それが怖いとは矛盾しているように思いますが、
精神世界(ここでは心を扱うすべての分野、
宗教も自己啓発も全部ひっくるめてお話しています。
かくいう夢だってそのひとつです)に足をちょっと入れた頃、
かじった頃、
知った頃、
体験してみたものの、
実は相当に疑心暗鬼が生じます。

こんなんで本当の道を進めるのだろうか。
こんなことが意味あることなのだろうか。
はたまたダマされていないだろうか。

このまま続けていくには、
背中を押してくれる何かが欲しいでしょう。
不安を消してくれる優しい声がけがあれば勇気百倍です。
安心して身の上話が出来るなんて、
願ってもいないことです。
その上、未来を保証してくれる甘い言葉にほっと安心。
なんと言ったって、小屋以外の財産無し。
以前も申し上げたように、
小屋だけ残ったということは、
結婚生活をとりあえずは維持していこうと思っていますが、
それだけでアイディアが無いのです。

【「わたしがね、先よりもお金持ちに、また運もよくしてあげるわ」】
池の精はこういいます。
精神世界に入ると、その成果は直ぐに経済面で表れるという訳です。
経済さえ心配なくなれば知恵も浮かぶというもの。
何だか納得します。

そんなことはお易い御用だ。
粉屋はそうほそく笑んだことでしょう。
日本もほんの5、60年前、
本当に貧しい国でした。
お金さえあれば、
自尊心だって買えると思っても仕方ない世の中でした。
いまでもお金で自尊心は買えるかもしれません。

その代わり【「おまえのうちで産まれたものを、
わたしにくれると約束しさえすればいいのよ」】と、要求してきます。
ただ(無償)ではありません。

心の探究に乗り出したのに、
その決意で生まれた心意気をすべて差し出すようにと、
精神世界が要求しているように受け取れます。
それに引き換え、粉屋はお金さえあれば、
何でも出来ると、そう安直でした。
                           ーつづくー

posted by バンナイ at 18:43 | Comment(0) | 池にすむ水の精

2016年06月27日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」2

DSC00755.JPG
(マートルの花。花は柔らかいジャスミン、葉は優しいユーカリ似の香りと思えます。)

前回結婚生活のはじまりは、
相手に欠点を見つけたときという話をしました。
相手が素敵素敵に見える間は、
残念ながらまだ結婚という実践試合のウォーミングアップ中。
相手に欠点や、改善の必要や、理解し難い悪癖や、
どうにも我慢ができないあれやこれやが見えて、
どうしてこの人と結婚なんぞをしたのだろうかと、
心底思ったとき、
試合のゴングが鳴ります。
結婚相手は魂の戦士同士。
その約束が結婚と言う訳です。

なんて絶望的と思われますか。
これこそあなたが欲しい事態。
魂の戦士だからこその宣言で、
あなたは手に持つ剣を振りかざします。
相手の気に要らないところに命中するように、
持てる英知のすべてを動員して刀の切っ先に神経を込め、
一刀両断と行く訳です。

「一刀両断」これこそが目当てです。
相手に見た欠点もろもろは実はあなた自身のものだからです。
正確に相手の磨くべきところを狙えば、
それは自分の磨くべきところに刀の切っ先は届いて、
美事に磨くこととなります。
そのとき磨きのスイッチが入って、
相手はともかく自分の磨きがその部分だけ叶います。
なんとも不思議!

ここまで来るのに何年もかかるでしょう。
途中退場のカップルは数知れずです。
ラッキーなことに、
結婚生活は魂の戦士同士の一騎打ちだという合意があっても、
試合の土俵に立ち続けるのは至難の業です。
最終的に勝利を収めるのは、
相手か自分かではなく、
相手の刀の切っ先を、
自分の磨くべきところに当てることができたかどうかになるのですから。

おまけにこの試合に端からの評価はありません。
評価を下せるのは自分自身の魂だけで、
相手からさえも霊性での評価は一切ありません。

さてそんな厳しい結婚の本当を生きる上で、
一生の道案内のランタンになるものがあります。
それが結婚を決めた動機です。
この動機を忘れないようにしましょう。
この動機こそあなたが魂レベルでやり遂げたいと願った、
そのピンポイントの目標なのですから。
この動機はとても個人的なものです。
このピンポイントの目標が将来どういう意味を持つか、
追々説明していくことになると思います。
相手に好意を感じ、
一生愛していこうと思ったその動機を覚えておきましょう。
戦士同士の戦いが始まると、
この相手に見た美しいところをうっかり忘れます。
魂の目標を忘れるようなものです。
是非心して日々繰り返し自分に言い聞かせて下さい。
このあなたならではの動機が、
やがて暗闇にさしかかっても、
足許を照らす灯りになってくれます。

2節目の解説に入る前に、
結婚を霊性磨きの修行と捉える大まかなところをお話ししました。


グリム童話「池にすむ水の精」2
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【2: ある朝、粉ひきは夜の明けない内に起きて、外に出ました。こうやったらちっとは気が軽くなるだろうと思ったのです。水車場の土手を歩いているときに、初日が、さっと射しました。そして、なんだか、ざわざわいう音がきこえました。振り向いてみると、美しい女が一人、水の中からそろりそろりとせりあがってくるところで、そのとき、華奢な両手で肩ごしにつかんでいた長い髪の毛が、さらさらと、両脇へすべりおちて、まっ白なからだをおおいかくしました。】

粉屋に小屋は残ったとは、
結婚という形態、
夫婦でいるという気持ち、
そのものは失っていないのです。

相手に対する興味は最早失ってしまったけれど、
離婚までは考えなかったいうことのようです。

でも、関心を外に向けることで
夫婦間の緊張状態を打開したいと思ったのでしょう。
【水車場の土手】を歩くとは、
小屋を後にすることで、
楽しいこと興味をそそることを探す気持ちだったのでしょう。

そこにおあつらえの日の出の陽が差しました。
それまで考えたこともないアイディアがぱっと浮かんだようです。
【ざわざわいう音】は粉屋の心の内に起きた誘惑のざわめきに思えます。
振り向くと美女がいます。
振り向くとは邪な思い。
邪な思いを満足させる見てくれの良い女があらわれます。

結婚生活では浮気もあるでしょうか。
この池から現れる水の精は男に取っての女ばかりではないかもしれません。
ふたりの間の緊張状態の場から逃れられるのなら、
何でも良いのかもしれません。

粉屋は森に行ったのでも、
山に登ったのでもなく、
小屋の近くの土手を歩いているだけです。
彼は結婚生活の緊張状態を何とか乗り切ろうと願っています。
そこに池の中から現れた美女。
水の中からですから、
無意識から現れるものを指します。

この美女を非日常的な無意識の世界の誘惑と取ってみましょう。
精神世界の魅力が美女です。
精神を鍛えれば何とかなる。
精神世界はそうしたものでしょうか。
これでは肉体を持って生活することの具体的な意味が見えてきません。
でも粉屋はそう考えてそこに魅力を覚えたという訳です。

何だか話が見えてこない気分になられたお方もおいででしょう。

彼の考える精神世界はまだ幼く、
それまでの現世的物質的な人生理解の延長線上にあります。

                          ーつづくー
posted by バンナイ at 10:19 | Comment(2) | 池にすむ水の精

2016年06月23日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」1

DSC00752.JPG

さてこれからしばらく、
グリム童話「池にすむ水の精」の解説をしていきます。
これは「女性の成長プロセス」の4段階から5段階へ進むための童話と、
わたしは位置づけでいます。
ちなみに「女性の成長プロセス」は

  段階│  プロセスの体験内容
────────────────────────────
  1 │母への同一化 (受動的に娘として従う)
  2 │決別・母殺し (自立・自律への通過儀礼)
  3 │妻ー結婚・自立・自律 (異性との出会い)
  4 │死の結婚ー夫への従属 (両手の獲得)
  5 │母ー子を産み育てるーグレートマザーとしての完成(女の自立・自律)

とこんな風です。
この表現は心理学的なものです。
表にある「死の結婚」とは、
親との関係で生きてきたそれまでの自分を死に至らしめ、
あたらに生まれ変わった自分が夫と結婚すると言う意味です。
さらに「夫への従属」という言葉を見ると、
男尊女卑を思い浮かべて、
拒否反応を示す方もおいででしょう。
そんな方に「夫への従属」の意味を説明をしましょう。
(注:わたしは夢を霊的言葉と捉える立場なので、
基本的には学問的な考え方をあまりしませんが、
この「女性の成長プロセス」は霊的に大切な捉え方と思っています。)

母から自立・自律した娘は、
その満たされない心を異性に求めます。
これは成長の大きなプロセスです。
身も心も満たされた娘はそれも又一過性のものであったと気付きます。
真の自己に出会うには、これでは不十分だと気付きます。
ここまでの状態を「夫への従属」と表しています。
この異性を求め得られるもの全てを「夫への従属」とする訳です。
異性を愛することで、
求めるものはえられるだろうと思うことが、
「夫への従属」ということで、
夫の考えに従うということではありません。
このプロセスの中には男尊女卑の考え方はありません。

グリム童話「池にすむ水の精」を、
女性の自立から魂としての自律に向かうことを、
読んでいけたらと考えています。

この段階の童話や神話を見つけるのはなかなかでした。
この童話に出会って、
その完成度の高さと美しさに感動したことを思い出します。
その感慨から20年は過ぎてしまったのですが、
ここに来て人の心を揺り動かす、
神話と童話の持つ力強さを改めて痛感しています。
童話の残虐性を、
自分の心の中のドラマとして置き変えることができれば、
わたしたちは平和な世界を作ることができるでしょう。
このあたりを説明する必要が、
いまこのときこの社会にあるのだと思っています。

結婚後の夫婦の間に起きること。
それをどのように霊性みがきに役立てていくか、
自己完成への道・真我への道を読み取っていきましょう。
これこそがまさしく霊性の道です。
寺院にこもって修行することが修行ではなく、
待った無しの魂の実践試合の相手は結婚相手。
結婚相手に向って、
持てる霊性のあらん限りを尽くして、
相手に奉仕していく。
これこそが地球に生まれて得られる体験ではないでしょうか。
こんな当たり前のことを、
わたしたちの社会は数千年に渡って闇のベールで包んできました。
いまこそそんな欺瞞のベールを剥ぐときです。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」1
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【1: むかし昔、あるところに粉ひきがありました。粉ひきは、おかみさん相手になに不足ないくらしをしていました。夫婦はお金と地所をもっていて、一年増しに工面がよくなるばかりでした。けれども、不幸せというものは一晩でくるもので、夫婦の富は、増えたときとおんなじように、こんどは、一年一年にずんずん減っていって、お終いには、自分の財産と名のつくものは、いつも入っている粉ひき小屋ぐらいなことになってしまいました。粉ひきは心配で心配でたまりません。一日の仕事を仕舞って横になっても、さっぱり休息にならず、気がもめて気がもめて、寝床の中で寝返りばかり打っていました。】

のっけに「粉ひき」。
日本だったら差し詰め米屋に当たるでしょうか。
西洋では大麦小麦を粉にして売る粉屋のことでしょう。
夫婦の間に起きる問題に取り組むには、
この職業が象徴的に効いています。
「粉」はいのちの糧。
いのちの糧を食べられるように、
パンの材料の粉にして売る粉ひきは、
人生に持ち上がる問題を粉にするほどによく調べ、
その結果その問題に取り組みたいと願っているその表れです。
結婚生活そのものがいのちの糧を食べるところ、
つまりいのちの問題に取り組む場所なのですから。

その粉ひきが、
【おかみさん相手になに不足ないくらしをしていました】
は、二人が仲良く暮らせていたことを表します。
つまり蜜月状態がしばらく続いたと言っています。 
結婚して、しばらく天にも昇る気持ちです。
大抵の夫婦はそんなものです。

【夫婦はお金と地所をもっていて、
一年増しに工面がよくなるばかりでした。】
ここのところが表しているのは、
ふたりで生きていこうという熱意(=お金)も、
生活の基盤(=地所)も年々増していったと言っています。
この蜜月状態がしっかりあることで、次に移れます。

さて、そのあとの文章は、
結婚相手に投影していた好き好きと言う感情(=陽性転移)が、
予期せず突然に嫌い(=陰性転移)に変わることを伝えています。
ある日突然という位に、
相手への気持ちが「嫌い!」になります。
「食事の仕方が嫌だ」ぐらいの些細なことからはじまるかもしれません。
「そんな細かいことに文句を言うほどこちらは下等ではない」と、
自分を慰め納得させるかもしれませんが、
日を追う毎に「嫌い」の要素が増して、
心の中を占めるようになります。
中には、そんなことを思ったことは一度もない。
夫婦は仲良く、不足はないし、勿体ないくらいの相手だと思っている、
と、言われる方がいます。
そうかも知れませんが、
そもそもわたしたちは魂みがきのためにこの世に生まれています。
結婚は最高の魂みがきの場です。
磨くべき余計なものや傷が自分の心の中にないと思う方が、
思い上がっていないでしょうか。
心の中には幽かな要らぬ思いが巣食っています。
そこに意識の光を当てることが、
魂みがきです。
これからお話するのは、
その意識の光の当て方を童話に読んでいこうとしています。

【お終いには、自分の財産と名のつくものは、いつも入っている粉ひき小屋ぐらいなことになってしまいました】
小屋は残ったというのですから、
いのちの問題に取り組むというその心意気だけは、
失わずに持てているということのようです。
結婚生活そのものを破棄しようと言う訳ではないことがこれで分かります。

相手に対して嫌いだの気に食わないだのがはじまると、
つまり相手の欠点や理解し難いところが目につきだすと、
気が休まらず睡眠も充分には取れなくなる時期を過ごします。
腹が立ち、
どうしてこうも考え方やり方がわたしとは反対なのかと相手を責めます。

このときが、
本当の結婚生活のはじまりです。
魂みがきがはじまる訳です。
結婚生活は戦いの場となります。
修行道場と言った生易しいものでは無く、
勝つか負けるかは、
相手をいかに活かせるかだけになります。
好きと愛しているが続いている間は、
魂の戦士同士が腕を磨く相手として不足はないという確認になります。
ですから蜜月がしっかりあることで、
お互いに体力気力が付くことになります。
嫌い、気に食わないは、人生の本番への移行です。
人生の舞台が変わって真剣さを要求されれば、
寝床の中でもんどりうつことでしょう。

そして現代社会では二重三重に女性に取って苦しい時を過ごします。
理論武装した女性の登場場面へと変わり易いのです。
嫌という感情は冷静さを失わせます。
夫もまた自分と同じに、
トラウマに牛耳られ、
自分とは違うトラウマに乗っ取られた部分を持っているという理解が、
妻の側ですっ飛んでしまうからです。

そこへ理知的な男性性で夫に向っていくと、
魂みがきの場から逸脱してしまいます。
理論で夫をがんじがらめにしようと躍起になります。
それが功を奏さないと、
現実には結婚生活を続ける意欲が無くなります。

さて、そうなると話は続きません。
粉屋に小屋は残りました。
わたしたちの話はここからはじまります。         ーつづくー

posted by バンナイ at 20:39 | Comment(2) | 池にすむ水の精

2016年06月21日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」全文

DSC00748.JPG
(今年もねじ花が咲きました)

先日の夢療法講座第9期のみなさんに、
嘗てメルマガで、
グリム童話「池にすむ水の精」の解説を試みたと話したところ、
読みたいと言ってくれましたので、
以前の記事をベースにブログに載せることにしました。
昨日は射手座の満月。
今日は夏至。
天体のメッセージはまるで背中を押すように、
これまでの生き方を足許に脱いで、
これからの一歩を果敢に歩み出すようにと伝えています。

これまでの男性原理の社会形態を、
これからは女性原理の社会に変えていく、
その転換点が今この時ですが、
では現実に何をするか、
女性性の時代とはどういうものかを考える上でヒント満載の話です。

男性原理の社会と女性原理の社会は対照的に論じられます。
しかし女性原理の社会は、
男性原理の社会の対極には構築できないと私は考えています。

女性原理の社会が構築できるのは、
男性原理を内包できたとき、
その暁の光を見ることができるでしょう。
これもまた抽象的すぎて実像が見え難い表現ですが。
そこで「池にすむ水の精」が
その内包の在り方を垣間見せてくれると思います。

では、解説をはじめる前に、
「池にすむ水の精」の全文をここに引用します。
本文に付けた番号はこれから随時解説をしていく方便に、
私が付けたものです。
全部で20に区切りました。
つまりこの解説は20回にわたります。
どうぞお楽しみ下さい。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
202 池にすむ水の精(KHM 181)

1: むかし昔、あるところに粉ひきがありました。
粉ひきは、おかみさん相手になに不足ないくらしをしていました。
夫婦はお金と地所をもっていて、
一年増しに工面がよくなるばかりでした。
けれども、不幸せというものは一晩でくるもので、
夫婦の富は、増えたときとおんなじように、
こんどは、一年一年にずんずん減っていって、
お終いには、自分の財産と名のつくものは、
いつも入っている粉ひき小屋ぐらいなことになってしまいました。
粉ひきは心配で心配でたまりません。
一日の仕事を仕舞って横になっても、
さっぱり休息にならず、気がもめて気がもめて、
寝床の中で寝返りばかり打っていました。

2: ある朝、粉ひきは夜の明けない内に起きて、
外に出ました。
こうやったらちっとは気が軽くなるだろうと思ったのです。
水車場の土手を歩いているときに、
初日が、さっと射しました。
そして、なんだか、ざわざわいう音がきこえました。
振り向いてみると、美しい女が一人、
水の中からそろりそろりとせりあがってくるところで、
そのとき、華奢な両手で肩ごしにつかんでいた長い髪の毛が、
さらさらと、両脇へすべりおちて、
まっ白なからだをおおいかくしました。

3: これは池の妖精だな、
そう思うと、怖くて怖くて、粉ひきは、
逃げたらいいのか、このままにしているほうがいいのか、
わからなくなりました。
すると、水の精は優しい声をだして、
粉ひきの名をよび、
なにをそんなにくよくよしているのかとたずねました。
こちらは、はじめのうちは黙り込んでいましたが、
向こうがいかにももの柔らかに口をきくのを聞いて、
気を取り直し、自分も以前は運がよく、
金持ちであったが、今ではすっかり貧乏になっていまって、
どうしたらいいのかわからないのだと、身の上ばなしをしたものです。
 「心配おしでない」と、水の精が返事をしました、
「わたしがね、先よりもお金持ちに、また運もよくしてあげるわ。
そのお礼には、いましがたおまえのうちで産まれたものを、
わたしにくれると約束しさえすればいいのよ」

4: 粉ひきのほうは、
「どうせ、犬っころか、猫の子にきまっているだろ」と、
こう考えて、お望みのものをあげますと約束しました。
それで、水の精はまた水の中へ沈んでしまいましたし、
粉ひきのおじさんは、おお安心、
これで好い機嫌で粉ひき小屋へ急ぎました。
 ところが、小屋まで行かないうちに、
表口から女中がでてきて、おめでとうございます。
おかみさんがお産をなすって、
男の子さんがお生まれですよ、と呼びかけたものです。
粉ひきは、まるで稲妻に打たれでもしたように立ちすくみました。
あのずるい水の精は、
このことをちゃんと知っていて自分をだましたのだと、
はっきり分かったからです。
それで、頭を垂れて、おかみさんの寝台のところへ行きました。
それから、
「こんないい男の子が産まれたのに、
なぜよろこばないの?」と、おかみさんにきかれて、
粉ひきは、いましがたあったこと、
水の妖魔にとんでもない約束をしてしまったことを話してから、
「子どもがいなくなるときまっているのでは、
運がよくったって、かねがあったって、なんになるもんか、
おれの力でなにができる?」と、言い足しました。
お祝いを言いにきた親類の人たちも、
どうしていいか、途方にくれました。

5: かれこれするうちに、粉ひきの家は、
またもや福の神のお宿になりました。
することなすことうまくいかないものはなく、
大小の箱るいは、ひとりでに物がいっぱいになるし、
金箱のなかのおかねは、一晩でめっきりふえるのです。
まもなく、財産は以前よりも余計になりましたが、
なに屈託なくよろこぶというわけにはいきません。
水の精にしてしまった約束のことが心をさいなむからです。
池のふちをとおるたんびに、
水の精がぽっかりうかびあがって、おまえさん、
いつかの約束をわすれやしまいねと言いはしないかと思って、
内心びくびくしていました。
かんじんの男の子は、もとより池の近くへはやりません。

6: 「気をおつけよ、おまえがあのお池へさわると、
水の中からお手手がにゅうっと出て、おまえをつかんで、
お池のなかへずるずるっと引きずりこんじまうよ」
こう言って子どもに言いきかせておきましたが、
何年たっても、水の精はそれきり姿を見せなかったものですから、
こちらも、だんだん安心するようになりました。
男の子は、背丈が伸びていっぱしの若者になり、
狩人のとこに年季を入れました。やがて修業がすんで、
たいそう伎倆(うで)の良い狩人になったので、
村の庄屋さまがおかかえにしました。
村に、器量良しで誠実(じつ)のある娘がいて、
これを、狩人がかわいくおもっていたのですが、
ご主人がそれに気がついて、若者に小さな家を一軒やりました。
ふたりは結婚式を挙げて、心の底から愛し合い、
おちついた、幸せな日を送りむかえることになりました。

7: あるとき、狩人は、小柄の鹿を追いかけたことがありました。
鹿は森の中から、あけっぴろげの野原へ飛び出したので、
そのあとをつけて、とうとう、一発で倒しました。
そのとき、狩人は、自分が、
例のあぶない池の近くにいたことに気がつかず、
鹿の臓腑をぬいてから、
池へ、血だらけの手をあらいに行ったものです。
ところが、水の中へ手を突っ込むのが早いか、
水の精が、すうっと、まっすぐに出て来て、
あはははと笑いながら、ぐしょぬれの両腕で狩人をだきかかえ、
水の中へ引き入れましたが、そのはやいこと、わかれた波は、
あっという間に、狩人の頭の上で合わさってしまいました。

8: 日が暮れても狩人が帰ってこないので、
お嫁さんは心配して、探しに出かけました。
それに、狩人は、かねがね、
自分は水の妖精に狙われているから用心しなきゃならない、
あの池の近所へ行く訳にはいかないのだと、
よく話をしていましたので、
さてこそ、なんぞ起こったのだと感づいて、
急いで池のところへ行ってみると、
岸に夫の獲物袋がころがっていました。
これではもう、
とんでもないことのもちあがったのを疑う訳にはいきません。

9: 悲鳴を上げながら、
手をもみあわせながら、
命よりも大事な人の名を呼んでみましたが、
もとより何の役にも立ちません。
今度は、大急ぎで、池の向こう側へ廻って、
また改めて名を呼んでみたり、
水の精を口汚くののしったりしましたが、
何の受け答えもなく、鏡のような水のおもては、
しんと静まりかえって、半分になったお月さまの顔が、
じっと動かずに、お嫁さんを見上げているばかりでした。
 かわいそうに、お嫁さんは池を離れず、
早足で、息もつかずに池のまわりを、
なんべんもなんべんもぐるぐるまわるのですが、
黙っていることもあり、はげしい叫び声をあげることもあり、
すすり泣きの音(ね)をもらすこともありました。
そのうちに、とうとう精も根もつきはてて、
ばったりと地面にたおれると、ぐうぐう寝てしまいました。
すると、まもなく夢をみました。

10: お嫁さんは、大きな岩のごろごろした間を、
心配しながら上へ上へと登って行きました。
カラタチや葡萄のつるが足へひっかかりました。
雨が顔をうちました。
風が長い髪の毛をかきみだしました。
高みへ登り切ると、まるで違った景色が現れました。
空は青く空気はおだやかに、地面はだらだら下がりになっていて、
一面の緑草(あおぐさ)にまじって
いろいろな色の花が咲き乱れている草原に、
清らかな小屋が一軒建っていました。
まともにその小屋へ行って、戸を開けてみましたら、
白髪のおばあさんがいて、こちらへおいでと、
にこやかに目配せをしました。
そのとたん、誰一人寄る辺の無い女は、はっと目が覚めました。
 夜はもう明けています。
女は、すぐさま夢の通りのことをやってみようと心を決めました。
そして、えっちらおっちら、山を登りました。
辺りの様子は、何から何まで夜中に見た通りです。
おばあさんは、にこやかにお嫁さんを迎えて、
さあ、そこへおかけと、椅子を指差してくれました。

11: 「いずれ何か不幸な目にあったに違いないね」と、
おばあさんが言いました。
何しろ、こんな一軒家へ訪ねてくるくらいだから」
 お嫁さんは、涙ながらに身の上話をしました。
 「気を楽にお持ち!」と、おばあさんが言いました。
「あたしが手を貸してあげるよ、それ、ここに金の櫛がある。
満月の出るまで持っておいで!満月が出たらね、
あの池のところへ行って、岸辺にぺたりと座って、
おまえの長い黒髪を、この櫛で梳いてご覧。梳いてしまったらね、
櫛は、岸に置くのだよ。
どんなことになるか、すぐに分かるよ」

12: 女は帰ってきました。
けれども、満月までの日の経つのは、
それはそれは待ち遠しいものでした。
それでも、やっとのことで、輝き渡る円い盤が大空にあらわれました。
それと見て、女は池の岸へ行くと、べったり座り込んで、
長い黒髪を、金の櫛で梳いて、梳いてしまうと、
その櫛を池の渕へ置きました。
すると、間もなく、池の底から、何だかざわざわ音がして、
波が一つ捲き挙ったと思うと、
それがむくむくと岸辺へ転がって来て、
櫛をすうっとさらっていきました。
それからまた間もなく、櫛が水の底へと届いた時分に、
鏡のような水の表が分かれて、狩人の頭がにゅうっと出ました。
狩人は口をきかず、悲しげな目つきでお嫁さんを眺めたばかりで、
出たと思ったとたんに、二つ目の波が押し寄せて来て、
夫の頭に覆い被さりました。
何もかも消えてなくなりました。
池は、先の通り、何食わぬ様子で、
満月の顔だけが水面にきらきら輝いています。

13: がっかりして、お嫁さんは戻ってきましたが、
夢が、いつかのおばあさんの小屋を教えてくれました。
女は、またもや、そのあくる朝出かけて行って、
神通力をもったこの女の人に、自分の悲しみを訴えました。
おばあさんは、お嫁さんに金の笛をやって、
 「また、満月のくるまで待っておいで!満月の夜がきたら、
この笛をもって、池の渕に座って、
何かおもしろい唄を吹いてご覧、
唄が済んだら、笛を砂の上に置くのだよ。
どういうことになるか、直ぐ分かる」と言いました。

14: 女はおばあさんの言った通りにしてみました。
すると、笛が砂の上へ横になったとたんに、
水の底がざわざわ鳴りだして、波が一つ、むっくり持ち上がると、
それが岸に押し寄せてきて、笛をさらって行きました。
と、間もなく、水が分かれて、今度は頭ばかりではなく、
夫が、胴の中の半分のところまで、にゅうっと出てきました。
夫はたまりかねて、両腕をお嫁さんの方へ広げたのですが、
二番目の波が、ざわざわと押し寄せて来て、狩人の頭へかぶさり、
それなりまた下の方へ引きずり込みました。
 「何て情けないこと!何にもなりはしないわ」と、
不幸せな女が言うのでした。
「大事な大事な人、一目見るばかりで、
直ぐまたいなくなっちまうんですもの」  

15: やるせない悲しみは、また新しく胸いっぱいになりました。
けれども、夢に誘われて、これで三度目、
女はまたもやおなじみのおばあさんの家へ行くことにしました。
行ってみると、神通力の女はお嫁さんに金の糸車をやって、
 「まだ、するだけのことがしていないのだよ。
満月の出るまで待っておいで!満月になったらね、
この糸車を持って、池の渕に座って、
糸巻が捲ききれなくなるまで糸をとるのだよ、
仕事がすっかり済んだら、道具を池の近くに置く、
どうなるか、直ぐ分かるよ」と、慰めの言葉をかけました。

16: お嫁さんは、おばあさんに言われた通りのことを、
少しも違わないようにやってみました。
満月が姿を見せるが早いか、
この金の糸車を池の岸辺に持ち出すと、
亜麻がおしまいになって、
糸巻が糸ですっかりふくれあがるまで、
せっせと糸取りをしたものです。
ところが、糸車が岸辺に置かれるが早いか、
池の底が、先よりも荒っぽく、ざわざわ鳴りだして、
恐ろしい波が一つ、あたふたと駈けるように押し寄せて来て、
糸車をさらって行きました。
と思う内に水柱が立って、それと一緒に、夫の頭が、
夫の身体全体が、にょっきり出ました。
早業で、夫は岸へ飛び上がると、お嫁さんの手を取って、
とっとと逃げ出しました。
けれども、ほんのわずかばかり逃げ延びただけで、
ざわざわ、ごうごう、びっくりするような恐ろしい音をたてながら、
ぐんぐん、広い野原へ流れ込んできました。

17: こちらはどんどん逃げましたが、
死は目の前に迫っています。
お嫁さんは、それこそ本当の死にもの狂いで、
声を限りにおばあさんの助けをお願いしましたら、
瞬きする間に、女はひきがえるに、
男はただの蛙に化けました。
そして、このときふたりに追いついた水は、
この人たちを殺すことはできませんでしたが、
ふたりを別れ別れに、遠く引き離してしまいました。

18: 水が引いて、ふたりの足がまた乾いた地面に着くと、
人間の形に戻りました。
けれども、相手がどこにいるのだか、どちらにも分かりません。
ふたりはまったく知らぬ他人のなかにいて、
その人たちはこのふたりの生まれ故郷を見も知らないのです。
高い山々、山間の深い谷のいくつかが、ふたりの間にありました。
命を繋ぐ為に、男も女も、止むを得ず羊飼いをしました。
ふたりは長の年月、羊の群れを追い立てて、
野原を歩き森を歩きました。
ふたりの胸は、悲しさ恋しさでいっぱいでした。

19: 幾巡りかの春が地を割って勢いよく出て来た頃、
男と女は、或る日のこと、
いつもの通り羊の群れを追い立てて外へ出たのですが、
どうかして、向かう前から行きあうことになりました。
男は、遠くに山坂に羊の群れのいるのを見つけて、
そっちの方へ自分の羊を追い立てて行きました。
ふたりは、とある山間で一緒になりましたが、
お互いに分かりませんでした。
それでも、これからはもう今までのように独りぼっちでないことを、
ふたりとも、うれしく思いました。
そのときから、毎日毎日、羊を追い立てるのに、
ふたりは、肩を並べて歩いて行きました。
これといって、格別口をきくこともないのですけれど、
何となく安心したような気持ちになりました。

20: 或る晩のこと、満月が大空に輝いて、
羊はもう寝ていました。
羊飼いの男は、隠しから笛を取り出して、
誰でも聞き惚れるような、
けれども、いかにも悲しい唄を吹きました。
笛を吹いてしまってから気がつくと、女が泣きいっています。
 「何故泣くの?」と羊飼いが訊いてみました。
 「どうもこうもないわ!」と、女が返事をしました、
「あたくしが、笛の吹き納めにこの唄を吹いて、
恋しい恋しいお方のおつむが水の中から出たときも、
こんな風に満月が照らしておりましたの」
 男は女の顔を眺めました。
すると、まるで目隠しの切れが目から取れでもしたように、
この女こそ、自分のかわいいかわいい妻だと分かりました。
それからまた、女の方も男を眺めているうちに、
お月さまがその顔をまともに照らすと、
これが自分の夫だと分かりました。
ふたりは、抱き合ってキスをしました。
 ご夫婦は天国にいるような気持ちだったかしらなんて、
そんなこと訊くのは野暮の骨頂ですよ。            ー完ー
DSC00745.JPG
(白のねじ花が真ん中に見えます)
posted by バンナイ at 14:17 | Comment(2) | 池にすむ水の精

2016年06月13日

デジャブはブループリントの一場面というお話・後半

無題.JPG

そこでデジャブを、
「バーチャルリアリティとしての
師との作戦会議で見た場面」と受け取り、
「過去生の体験」だけでは、
理由づけが弱いということを考えてみましょう。
デジャブを作戦会議と受け取ると、
デジャブ体験はゲーム(この人生を生きること)の攻略法だと分かります。
大抵は、生きることに深刻になり過ぎたり、
生きる意欲が萎えたとき、
自分を俯瞰できるようにとデジャブを体験します。
だからデジャブには危険も不安もありません。

良く訊かれる質問は、
「夢で出会った見知らぬ異性と、
後日ばったり出会ったら、
これには何か深い意味がありますか」と。
こうした場合深い意味はそれぞれにありますが、
そこにファンタジックな意味合いはないと思った方が堅実です。
滅多に無い確率で夢と現実で出会ったのだから、
普通はツインソールだのソールメイトだの、
過去生で約束したパートナーだのと思いがちです。
もしそうなら互いのカルマのやり残しを体験するきびしい関係となります。
お互いに取って発展的な関係を築けるかどうかは、
それぞれの気付きの度合いによります。
デジャブで会った異性が、
そのことだけで無条件に愛を捧げてくれる相手と思うことは危険です。
これがデジャブをファンタジーと受け取らないようにという意味です。

ではここに、この説を立証すると思える話を引用しましょう。
本の題名は「お母さんをえらぶ赤ちゃん」
〜ママ、またボクを生んでくれる?〜
(説話社 ジョナサン・ケイナー編竹内克明訳 2004年版) 
mail・12 自らの意志で地球にやってきた女性
 わたしの場合、両親を選んだ記憶はありません。
しかし、自分の意志で地球にやってきたような気がするのです。
まるで、自ら名乗り出て、今の人生を選んだような感じです。
 これまで私は、
多くのデジャブ体験をしています・・・といっても、
「あ、これをやった覚えがある」とか
「ここに来たことがある」といった記憶ではありません。
むしろ、「そういえば、この出来事は起こるべくして起こったのだ」と
いうようなことを、よく思い出すのですね。
ベル・ホールさん(アメリカ・ミズーリ州、50歳)
mail・1 子供は自分の運命を納得して生まれてくる
 (前略)白い服を着た人がこれから生まれる子供たちに対して、
一生の運命をすでに示し、
子供たちも納得の上で生まれてくるそうです。
これは流産や、
堕胎せざるをえなかったお母さん方への慰めにもなると思いますよ。
何もかもわかっていて受胎するのですから。
あまじんさん(50歳)
mail・10 神さまの国でお父さんと暮らしていた
 (前略)「生まれるときは神さまの前で
「こんなことをしてきます」と約束するんだ。
でも、生まれちゃうと忘れちゃうから
人は何をするためにうまれてきたのか思い出すために生きているんだ」
などと哲学的な(?)こともいっておりました。

この本はイギリスの占星術の権威ジョナサン・ケイナーのもとに寄せられた、
一通の投稿記事からはじまっています。
それは、「3歳の娘が、生まれる前にお空にいた」という話です。
その内容に感動した出版社説話社が、
「お母さんを選ぶ赤ちゃん」のフォーラムを開きました。
すると待っていたかのように多くの体験談が寄せられたそうです。
ここで最初に挙げた投稿は、
「デジャブはブループリントの一場面」を裏付けてくれるものです。
今までお話ししてきたように、
デジャブ体験はその意味で、
生まれる前に人生の過ごし方を師と相談済みなので、
苦しくても辛くても日々を遊び心で過すようにと奨励している体験だと思います。
近年この手の本が多く出版されています。
そこで、これまでの多くの夢を通して、
「子供も親を選び親も子供を選ぶ生前の約束がある」
というのが本当のところではないかと考えています。

ところで最後に夢を、
「バーチャルリアリティとしての
師との作戦会議で見た場面」としましたが、
本当は夢も現実もバーチャルです。
便宜上の例えと受け取っていただきますように。

posted by バンナイ at 16:29 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年06月11日

デジャブはブループリントの一場面というお話・前半

DSC00638.JPG

今回はデジャブについて、
私がこうだと思っていることをお話ししましょう。
人生を考える上で、
デジャブを理解するのは、
とても大切です。
とはいうものの、
これからお話しする私見のデジャブは、
その本当のところを証明できません。
しかし夢を霊的言葉と理解する上では、
とても大切な捉え方です。
ご参考までにお読み下さい。

デジャブは日本語で既視感と言います。
もともとはフランス語で、
その意味は、はじめて経験したことなのに、
以前に経験したような気がすることを言います。
つまり実際の出来事に、
「あ!これ、知ってる!」とか
「前にもこれ体験している!」とか
「夢で見た!」と思うことを言います。
不確かではあるけれど、
すでに体験していると思える時に発生する、
感覚や感慨のことです。

さて現在の学問的見解でデジャブは、
下記のように説明されているようです。
【ノーベル生理学・医学賞受賞者でもある利根川進さんの脳科学の研究では、
海馬の歯状回(しじょうかい)という部位がエピソード的な記憶を扱っており、
そこがデジャヴと関係があるのでは?という見方が最近では通説にあるよう
  出典「あっ、この感じどこかで…」デジャヴはなぜ起こりますか? | ニコニコニュース】
【デジャヴとは記憶障害であり、
われわれの脳がきわめて似ている二つの状況を
上手く区別できなくなったときに起こる、と利根川氏
  出典 デジャヴ(既視感)が起こる理由は、脳内組織の損傷 | PALOX − 世界の科学系雑学ニュース】
【人によって起こりやすいシチュエーションがあるようですが、
どちらかといえば切迫した場面より、
何気ない日常の最中に生じるようです。 出典「あっ、この感じどこかで…」デジャヴはなぜ起こりますか? | ニコニコニュース】
【デジャヴを経験した時の感情についても調べました。「びっくりする」「懐かしい」「怪しい」といった感情が多かったそうです。デジャヴは懐かしさを特徴としますが、不思議な気持ちも強い 京都大大学院教育学研究科教授楠見孝氏の研究】

ということらしく、
学問的にも曖昧模糊として結論が出せない現状のようです。

そこで学問的アプローチを取らない夢の専門家として、
夢を知る手助けにデジャブを解説しようと思います。
根拠となるのはたくさんの夢です。
そこからの印象をまとめたものです。
これも又曖昧模糊とはしていますが、
「夢は霊性への気付きを促す
真我からの生きるためのアドバイスである」と言う、
その確信を根底においての話です。
これを根拠にしています。

デジャブについてお話しする前に、
夢見の状態と死は同じだというところから話をはじめましょう。
わたしたちは死を迎えると霊魂は4次元に行きます。
そこでまたこの世の修行というか、
遊びというか、
ゲームに加わりたくなったら、
サポーターである師と相談の上、
この世に戻ります。
この師との話し合いで決めたのがブループリントです。
つまり人生の青写真です。
このブループリントで作った場面がデジャブの基になります。
誰でも生まれる前に勇猛果敢なブループリントを携え、
夢と希望に燃えてこの世に参戦します。

それが誕生です。
こうしてこの世に生を受けた後、
ブループリントは忘却の彼方へと姿を消しますが、
師はあなたに気付かれない形でサポートを送り続けてくれます。
そのひとつが夢です。
つまりあなたは毎夜数回に渡って夢見の状態にいますから、
4次元の師にその都度会って教えを請うている訳です。
このときあなたと師は課題の攻略法に、
シミュレーションをします。
つまりバーチャルリアリティを作って体験しておきます。
これが夢の場面です。
(注:死はシルバーコードが切れた状態で、
夢はシルバーコードがつながっている状態で起こるといわれています。
霊魂は3次元と4次元を行き来出来、肉体は3次元に留まります。)

そしてこのバーチャルリアリティの場面をこの世で体験すると、
あなたはデジャブとして認識します。
既視感がはたらく訳です。
ほんの短いシーンや特定の人や場所を垣間みて、
懐かしさややるせなさや寛いだような気分が湧いてきて、
そこだけ日常とかけ離れた気分を一瞬にして味わいます。

そこでデジャブの場面を、
過去生の出来事と繋げて考えがちですが、
バーチャルリアリティとしての
師との作戦会議で見た場面と受け取った方が、
夢と生きていることの理解が深まるのではないでしょうか。
それで、人によっては「夢で見た!」と思い出し、
デジャヴに、
懐かしさと怪しさと不思議な気持ちを覚えるのではないでしょうか。

ーつづくー

posted by バンナイ at 06:58 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年06月05日

天の鳥船庵夢療法講座第8期修了式

DSC00675.JPG

月一とは言え
一年間きっちりと
夢を通して自己探究の道を歩んでいくことは
相応の覚悟が必要でしょう。
仲間を得て
講座と言う形での自己探求も、
過ぎてみれば
相応な覚悟をしたその分、
ダイナミックで確かな手応えを残してくれます。

何せ自分の夢です。
受講仲間を観察しながら、
その仲間の変化を頼りに、
自分を考え直す作業が続く訳です。

8期のみなさんは大人の集まりでした。
時間的に言えば人生の折り返し地点にいる方々。
すでに自分なりの生き方を構築されています。
だからこそ夢を通した自己探求に取り組める
強さと度量を持ち合わせた方々でした。

昨日修了式を迎えられた受講生4名は、
おふたりが2回目の受講で、
養成講座を先月から受講中。
残りのおふたりも夢への取り組みはこれからも続いていきます。

時空間というこの世の約束の中で、
夢を叶えていく実際の方法を探し続けた結果は、
それぞれに違う手応えとなったはずです。
そんなみなさんの姿を愛おしく思いながら最終日、
わたしたち夫婦は夢の絵を描きました。
ご覧ください。
「白無垢姿の花嫁」と「やさぐれた職人」
「気持ちを新たに結婚生活をはじめる」と、
「地道に励む」がふたりの課題です。
受講生の胸を借りて、
より鮮明になったわたしたちふたりへの夢のメッセージです。

DSC00677.JPG

次回の夢療法講座は9月に開講にします。
受講をご希望の方はお問い合わせください。
お待ちしています。
posted by バンナイ at 15:18 | Comment(0) | あれこれ
  • (c) Kazunori Keiko Bannai All Rights Reserved
  • Home