[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2016年06月29日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」3

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この記事は結婚の勧めです。
この世で最も尊いことは自分を知ること。
それを叶えるに最も相応しいチャレンジは結婚です。
そして男性原理の世から女性原理の世に移行させられるのは、
自分を知って魂磨きの経験に専心すること。
ここには宗教も軍隊も入り込む余地はありません。
結婚こそが魂が求めるチャレンジです。
そして追々分かってくることですが、
結婚生活は女性の対処の如何にかかっています。
だからこそ女性原理の世に移行できるのだと思います。
これが叶えばいままでの価値観も、
いまの成果主義も、
その影を消し、
自然豊かなビルのない地球に生まれ変わるでしょう。

さて、前回の話をまとめると、
新婚生活の蜜月を過ぎて、
いよいよ人生の本題に取りかかる結婚生活の緊張をなんとかしようと、
粉屋は精神世界つまり宗教や特定の教義や信条や、
あるいは宗教とはいえない心の探求に心奪われたという話をしました。
池から現れた水の精に心奪われたことをそう解説したのでした。
池とは、海の小型版。
結婚生活も長くなると、
生き生きした喜びに変わってだるさや緊張感を覚えます。
それを忘れさせ、夢中になれるもの全般が水の精です。
それは無意識の領域から表れ魅力を覚えるもの、
それを水の精としたのでした。

ここまでの話をいままでの社会に当てはめると容易に理解できます。
これまでの出版物を見ると多くこの形が見えます。
社会的に成功した人の著した本には、
ここ(結婚生活)は飛ばして、仕事の成功に話がすぐに移ります。

心の統合を成長とは考えないからでしょうか。

もっとあからさまな言い方をすれば、
宗教さえ押さえれば、
人としての高みに到達できると言うのがこれまでの社会通念です。
しかし僧門に入り独身で人の高みに到達できるとしたら、
それこそが肉体を持つ在り方を否定しているようなものです。
この辺のほころびはバチカンからも漏れ聞こえていますし、
同じくお坊さんによる性犯罪も後を絶ちません。
親鸞上人が妻帯し、独自の寺院を持たず、
各地に簡素な念仏道場を設けて教化したのは、
人の在り方そのものが神聖だと実感できていたからでしょう。
なかには僧籍にいて人のなし得る高みに登っている方々も散見します。
その方々への在り方を否定しているのではなく、
生きる目的を叶えるのに、
市井に居て実生活を送ることが本来なのだとお話ししています。

乱暴な言い方かも知れません。
ここでいう目的は、統合であり成長なので、
夫婦ともに手を携えて相手を鏡に自分を磨いていくことが、
人生の目的であり、
生きる目的だとお話しています。

この文章で意が伝わっているかどうか、
お分かりいただいているかどうか自信はありませんが、
この童話の解説の意図を再確認しておきましょう。
この「池にすむ水の精」の話は結婚生活の真の意味を伝えている物語です。
この物語から結婚生活をどのように本来の道をたどって進ませられるか、
その神髄を探っていくことにしています。
それが心の統合であり、
心の成長だという基盤でお話しています。

つまり、いままで社会的に認められた成功者のいう成功とは、
ひとりの鍛錬の結果、
精神の安定とともに、
経済的発展を遂げることが出来、
その上で人としても大成したということのようです。

その方々の考え方からすれば、
結婚生活とはプライベートな問題で、
心の大成とはつながらないとお考えなのかもしれません。
しかし、この物語では、
経済的発展や成功は生きる本来の目的とは違うと、
はっきり伝えているように思います。

では、今回の話に進みましょう。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」3
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【3: これは池の妖精だな、そう思うと、
怖くて怖くて、粉ひきは、逃げたらいいのか、
このままにしているほうがいいのか、わからなくなりました。
すると、水の精は優しい声をだして、粉ひきの名をよび、
なにをそんなにくよくよしているのかとたずねました。
こちらは、はじめのうちは黙り込んでいましたが、
向こうがいかにももの柔らかに口をきくのを聞いて、
気を取り直し、自分も以前は運がよく、金持ちであったが、
今ではすっかり貧乏になってしまって、
どうしたらいいのかわからないのだと、身の上ばなしをしたものです。
 「心配おしでない」と、水の精が返事をしました、
「わたしがね、先よりもお金持ちに、また運もよくしてあげるわ。
そのお礼には、いましがたおまえのうちで産まれたものを、
わたしにくれると約束しさえすればいいのよ」】

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

池の精に魅了されたのに、
それが怖いとは矛盾しているように思いますが、
精神世界(ここでは心を扱うすべての分野、
宗教も自己啓発も全部ひっくるめてお話しています。
かくいう夢だってそのひとつです)に足をちょっと入れた頃、
かじった頃、
知った頃、
体験してみたものの、
実は相当に疑心暗鬼が生じます。

こんなんで本当の道を進めるのだろうか。
こんなことが意味あることなのだろうか。
はたまたダマされていないだろうか。

このまま続けていくには、
背中を押してくれる何かが欲しいでしょう。
不安を消してくれる優しい声がけがあれば勇気百倍です。
安心して身の上話が出来るなんて、
願ってもいないことです。
その上、未来を保証してくれる甘い言葉にほっと安心。
なんと言ったって、小屋以外の財産無し。
以前も申し上げたように、
小屋だけ残ったということは、
結婚生活をとりあえずは維持していこうと思っていますが、
それだけでアイディアが無いのです。

【「わたしがね、先よりもお金持ちに、また運もよくしてあげるわ」】
池の精はこういいます。
精神世界に入ると、その成果は直ぐに経済面で表れるという訳です。
経済さえ心配なくなれば知恵も浮かぶというもの。
何だか納得します。

そんなことはお易い御用だ。
粉屋はそうほそく笑んだことでしょう。
日本もほんの5、60年前、
本当に貧しい国でした。
お金さえあれば、
自尊心だって買えると思っても仕方ない世の中でした。
いまでもお金で自尊心は買えるかもしれません。

その代わり【「おまえのうちで産まれたものを、
わたしにくれると約束しさえすればいいのよ」】と、要求してきます。
ただ(無償)ではありません。

心の探究に乗り出したのに、
その決意で生まれた心意気をすべて差し出すようにと、
精神世界が要求しているように受け取れます。
それに引き換え、粉屋はお金さえあれば、
何でも出来ると、そう安直でした。
                           ーつづくー

posted by 天の鳥船庵 at 18:43 | Comment(0) | 池にすむ水の精

2016年06月27日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」2

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(マートルの花。花は柔らかいジャスミン、葉は優しいユーカリ似の香りと思えます。)

前回結婚生活のはじまりは、
相手に欠点を見つけたときという話をしました。
相手が素敵素敵に見える間は、
残念ながらまだ結婚という実践試合のウォーミングアップ中。
相手に欠点や、改善の必要や、理解し難い悪癖や、
どうにも我慢ができないあれやこれやが見えて、
どうしてこの人と結婚なんぞをしたのだろうかと、
心底思ったとき、
試合のゴングが鳴ります。
結婚相手は魂の戦士同士。
その約束が結婚と言う訳です。

なんて絶望的と思われますか。
これこそあなたが欲しい事態。
魂の戦士だからこその宣言で、
あなたは手に持つ剣を振りかざします。
相手の気に要らないところに命中するように、
持てる英知のすべてを動員して刀の切っ先に神経を込め、
一刀両断と行く訳です。

「一刀両断」これこそが目当てです。
相手に見た欠点もろもろは実はあなた自身のものだからです。
正確に相手の磨くべきところを狙えば、
それは自分の磨くべきところに刀の切っ先は届いて、
美事に磨くこととなります。
そのとき磨きのスイッチが入って、
相手はともかく自分の磨きがその部分だけ叶います。
なんとも不思議!

ここまで来るのに何年もかかるでしょう。
途中退場のカップルは数知れずです。
ラッキーなことに、
結婚生活は魂の戦士同士の一騎打ちだという合意があっても、
試合の土俵に立ち続けるのは至難の業です。
最終的に勝利を収めるのは、
相手か自分かではなく、
相手の刀の切っ先を、
自分の磨くべきところに当てることができたかどうかになるのですから。

おまけにこの試合に端からの評価はありません。
評価を下せるのは自分自身の魂だけで、
相手からさえも霊性での評価は一切ありません。

さてそんな厳しい結婚の本当を生きる上で、
一生の道案内のランタンになるものがあります。
それが結婚を決めた動機です。
この動機を忘れないようにしましょう。
この動機こそあなたが魂レベルでやり遂げたいと願った、
そのピンポイントの目標なのですから。
この動機はとても個人的なものです。
このピンポイントの目標が将来どういう意味を持つか、
追々説明していくことになると思います。
相手に好意を感じ、
一生愛していこうと思ったその動機を覚えておきましょう。
戦士同士の戦いが始まると、
この相手に見た美しいところをうっかり忘れます。
魂の目標を忘れるようなものです。
是非心して日々繰り返し自分に言い聞かせて下さい。
このあなたならではの動機が、
やがて暗闇にさしかかっても、
足許を照らす灯りになってくれます。

2節目の解説に入る前に、
結婚を霊性磨きの修行と捉える大まかなところをお話ししました。


グリム童話「池にすむ水の精」2
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【2: ある朝、粉ひきは夜の明けない内に起きて、外に出ました。こうやったらちっとは気が軽くなるだろうと思ったのです。水車場の土手を歩いているときに、初日が、さっと射しました。そして、なんだか、ざわざわいう音がきこえました。振り向いてみると、美しい女が一人、水の中からそろりそろりとせりあがってくるところで、そのとき、華奢な両手で肩ごしにつかんでいた長い髪の毛が、さらさらと、両脇へすべりおちて、まっ白なからだをおおいかくしました。】

粉屋に小屋は残ったとは、
結婚という形態、
夫婦でいるという気持ち、
そのものは失っていないのです。

相手に対する興味は最早失ってしまったけれど、
離婚までは考えなかったいうことのようです。

でも、関心を外に向けることで
夫婦間の緊張状態を打開したいと思ったのでしょう。
【水車場の土手】を歩くとは、
小屋を後にすることで、
楽しいこと興味をそそることを探す気持ちだったのでしょう。

そこにおあつらえの日の出の陽が差しました。
それまで考えたこともないアイディアがぱっと浮かんだようです。
【ざわざわいう音】は粉屋の心の内に起きた誘惑のざわめきに思えます。
振り向くと美女がいます。
振り向くとは邪な思い。
邪な思いを満足させる見てくれの良い女があらわれます。

結婚生活では浮気もあるでしょうか。
この池から現れる水の精は男に取っての女ばかりではないかもしれません。
ふたりの間の緊張状態の場から逃れられるのなら、
何でも良いのかもしれません。

粉屋は森に行ったのでも、
山に登ったのでもなく、
小屋の近くの土手を歩いているだけです。
彼は結婚生活の緊張状態を何とか乗り切ろうと願っています。
そこに池の中から現れた美女。
水の中からですから、
無意識から現れるものを指します。

この美女を非日常的な無意識の世界の誘惑と取ってみましょう。
精神世界の魅力が美女です。
精神を鍛えれば何とかなる。
精神世界はそうしたものでしょうか。
これでは肉体を持って生活することの具体的な意味が見えてきません。
でも粉屋はそう考えてそこに魅力を覚えたという訳です。

何だか話が見えてこない気分になられたお方もおいででしょう。

彼の考える精神世界はまだ幼く、
それまでの現世的物質的な人生理解の延長線上にあります。

                          ーつづくー
posted by 天の鳥船庵 at 10:19 | Comment(2) | 池にすむ水の精

2016年06月23日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」1

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さてこれからしばらく、
グリム童話「池にすむ水の精」の解説をしていきます。
これは「女性の成長プロセス」の4段階から5段階へ進むための童話と、
わたしは位置づけでいます。
ちなみに「女性の成長プロセス」は

  段階│  プロセスの体験内容
────────────────────────────
  1 │母への同一化 (受動的に娘として従う)
  2 │決別・母殺し (自立・自律への通過儀礼)
  3 │妻ー結婚・自立・自律 (異性との出会い)
  4 │死の結婚ー夫への従属 (両手の獲得)
  5 │母ー子を産み育てるーグレートマザーとしての完成(女の自立・自律)

とこんな風です。
この表現は心理学的なものです。
表にある「死の結婚」とは、
親との関係で生きてきたそれまでの自分を死に至らしめ、
あたらに生まれ変わった自分が夫と結婚すると言う意味です。
さらに「夫への従属」という言葉を見ると、
男尊女卑を思い浮かべて、
拒否反応を示す方もおいででしょう。
そんな方に「夫への従属」の意味を説明をしましょう。
(注:わたしは夢を霊的言葉と捉える立場なので、
基本的には学問的な考え方をあまりしませんが、
この「女性の成長プロセス」は霊的に大切な捉え方と思っています。)

母から自立・自律した娘は、
その満たされない心を異性に求めます。
これは成長の大きなプロセスです。
身も心も満たされた娘はそれも又一過性のものであったと気付きます。
真の自己に出会うには、これでは不十分だと気付きます。
ここまでの状態を「夫への従属」と表しています。
この異性を求め得られるもの全てを「夫への従属」とする訳です。
異性を愛することで、
求めるものはえられるだろうと思うことが、
「夫への従属」ということで、
夫の考えに従うということではありません。
このプロセスの中には男尊女卑の考え方はありません。

グリム童話「池にすむ水の精」を、
女性の自立から魂としての自律に向かうことを、
読んでいけたらと考えています。

この段階の童話や神話を見つけるのはなかなかでした。
この童話に出会って、
その完成度の高さと美しさに感動したことを思い出します。
その感慨から20年は過ぎてしまったのですが、
ここに来て人の心を揺り動かす、
神話と童話の持つ力強さを改めて痛感しています。
童話の残虐性を、
自分の心の中のドラマとして置き変えることができれば、
わたしたちは平和な世界を作ることができるでしょう。
このあたりを説明する必要が、
いまこのときこの社会にあるのだと思っています。

結婚後の夫婦の間に起きること。
それをどのように霊性みがきに役立てていくか、
自己完成への道・真我への道を読み取っていきましょう。
これこそがまさしく霊性の道です。
寺院にこもって修行することが修行ではなく、
待った無しの魂の実践試合の相手は結婚相手。
結婚相手に向って、
持てる霊性のあらん限りを尽くして、
相手に奉仕していく。
これこそが地球に生まれて得られる体験ではないでしょうか。
こんな当たり前のことを、
わたしたちの社会は数千年に渡って闇のベールで包んできました。
いまこそそんな欺瞞のベールを剥ぐときです。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」1
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【1: むかし昔、あるところに粉ひきがありました。粉ひきは、おかみさん相手になに不足ないくらしをしていました。夫婦はお金と地所をもっていて、一年増しに工面がよくなるばかりでした。けれども、不幸せというものは一晩でくるもので、夫婦の富は、増えたときとおんなじように、こんどは、一年一年にずんずん減っていって、お終いには、自分の財産と名のつくものは、いつも入っている粉ひき小屋ぐらいなことになってしまいました。粉ひきは心配で心配でたまりません。一日の仕事を仕舞って横になっても、さっぱり休息にならず、気がもめて気がもめて、寝床の中で寝返りばかり打っていました。】

のっけに「粉ひき」。
日本だったら差し詰め米屋に当たるでしょうか。
西洋では大麦小麦を粉にして売る粉屋のことでしょう。
夫婦の間に起きる問題に取り組むには、
この職業が象徴的に効いています。
「粉」はいのちの糧。
いのちの糧を食べられるように、
パンの材料の粉にして売る粉ひきは、
人生に持ち上がる問題を粉にするほどによく調べ、
その結果その問題に取り組みたいと願っているその表れです。
結婚生活そのものがいのちの糧を食べるところ、
つまりいのちの問題に取り組む場所なのですから。

その粉ひきが、
【おかみさん相手になに不足ないくらしをしていました】
は、二人が仲良く暮らせていたことを表します。
つまり蜜月状態がしばらく続いたと言っています。 
結婚して、しばらく天にも昇る気持ちです。
大抵の夫婦はそんなものです。

【夫婦はお金と地所をもっていて、
一年増しに工面がよくなるばかりでした。】
ここのところが表しているのは、
ふたりで生きていこうという熱意(=お金)も、
生活の基盤(=地所)も年々増していったと言っています。
この蜜月状態がしっかりあることで、次に移れます。

さて、そのあとの文章は、
結婚相手に投影していた好き好きと言う感情(=陽性転移)が、
予期せず突然に嫌い(=陰性転移)に変わることを伝えています。
ある日突然という位に、
相手への気持ちが「嫌い!」になります。
「食事の仕方が嫌だ」ぐらいの些細なことからはじまるかもしれません。
「そんな細かいことに文句を言うほどこちらは下等ではない」と、
自分を慰め納得させるかもしれませんが、
日を追う毎に「嫌い」の要素が増して、
心の中を占めるようになります。
中には、そんなことを思ったことは一度もない。
夫婦は仲良く、不足はないし、勿体ないくらいの相手だと思っている、
と、言われる方がいます。
そうかも知れませんが、
そもそもわたしたちは魂みがきのためにこの世に生まれています。
結婚は最高の魂みがきの場です。
磨くべき余計なものや傷が自分の心の中にないと思う方が、
思い上がっていないでしょうか。
心の中には幽かな要らぬ思いが巣食っています。
そこに意識の光を当てることが、
魂みがきです。
これからお話するのは、
その意識の光の当て方を童話に読んでいこうとしています。

【お終いには、自分の財産と名のつくものは、いつも入っている粉ひき小屋ぐらいなことになってしまいました】
小屋は残ったというのですから、
いのちの問題に取り組むというその心意気だけは、
失わずに持てているということのようです。
結婚生活そのものを破棄しようと言う訳ではないことがこれで分かります。

相手に対して嫌いだの気に食わないだのがはじまると、
つまり相手の欠点や理解し難いところが目につきだすと、
気が休まらず睡眠も充分には取れなくなる時期を過ごします。
腹が立ち、
どうしてこうも考え方やり方がわたしとは反対なのかと相手を責めます。

このときが、
本当の結婚生活のはじまりです。
魂みがきがはじまる訳です。
結婚生活は戦いの場となります。
修行道場と言った生易しいものでは無く、
勝つか負けるかは、
相手をいかに活かせるかだけになります。
好きと愛しているが続いている間は、
魂の戦士同士が腕を磨く相手として不足はないという確認になります。
ですから蜜月がしっかりあることで、
お互いに体力気力が付くことになります。
嫌い、気に食わないは、人生の本番への移行です。
人生の舞台が変わって真剣さを要求されれば、
寝床の中でもんどりうつことでしょう。

そして現代社会では二重三重に女性に取って苦しい時を過ごします。
理論武装した女性の登場場面へと変わり易いのです。
嫌という感情は冷静さを失わせます。
夫もまた自分と同じに、
トラウマに牛耳られ、
自分とは違うトラウマに乗っ取られた部分を持っているという理解が、
妻の側ですっ飛んでしまうからです。

そこへ理知的な男性性で夫に向っていくと、
魂みがきの場から逸脱してしまいます。
理論で夫をがんじがらめにしようと躍起になります。
それが功を奏さないと、
現実には結婚生活を続ける意欲が無くなります。

さて、そうなると話は続きません。
粉屋に小屋は残りました。
わたしたちの話はここからはじまります。         ーつづくー

posted by 天の鳥船庵 at 20:39 | Comment(2) | 池にすむ水の精