[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2016年07月11日

結婚は修行だ!グリム童話「池にすむ水の精」5

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(昨日稲村の海岸で見た太陽のまわりの虹と鳳凰の雲たち)

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」5

政治に関して言及するのは勇気の要ることですが、
今回の参院選の相も変わらぬ投票率の低さに、
又その結果に、
これで民意が反映されているのかと疑いを持たざるを得ません。

市民が女性が選挙権を持つために、
どれほどの努力と犠牲が先人に必要であったのか思いを馳せて下さい。
自由という名の下に、
闇に牛耳られた自由を自由と勘違いするところに居ず、
しっかりと目を開き現状を見ていきましょう。

すべては一人一人の感性と想像力にかかっています。
そうした思いを込めて「池にすむ水の精」を解説しています。
立派な教義ではなく、
日々身近な人に自分がどんな態度を取っているかが、
霊性磨きであり修行です。
この原点に立ち返るのが女性性の時代の幕開けです。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」5
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【5: かれこれするうちに、粉ひきの家は、
またもや福の神のお宿になりました。
することなすことうまくいかないものはなく、
大小の箱るいは、ひとりでに物がいっぱいになるし、
金箱のなかのおかねは、一晩でめっきりふえるのです。
まもなく、財産は以前よりも余計になりましたが、
なに屈託なくよろこぶというわけにはいきません。
水の精にしてしまった約束のことが心をさいなむからです。
池のふちをとおるたんびに、
水の精がぽっかりうかびあがって、
おまえさん、
いつかの約束をわすれやしまいねと言いはしないかと思って、
内心びくびくしていました。
かんじんの男の子は、もとより池の近くへはやりません。】

ここの前半は水の精が予言した通り、
物事が順調に過ぎていくことを物語っています。
自己鍛錬の賜物です。
以前と同じように努力して、
以前と同じように経済は潤うのです。
努力に見合う成果が出ます。
目に見えた成果です。

しかし粉ひきはこの幸運で自分の心が満たされるとは考えていません。
「なに屈託なくよろこぶというわけにはいきません」という心情は、
水の精に約束したからというのですが、
ここまでの経過をもう一度振り返りながら、
ここのところを丁寧に見ていきましょう。

この物語は女性の成長プロセスの「死の結婚ー夫への従属(両手の獲得)」から、
「母ー子を産み育てるーグレートマザーとしての完成(女の自立)」への、
成長への提言として読み進めています。

つまり、それまでの娘としての人生を死に至らしめて、
伴侶を得て結婚生活をはじめます(=死の結婚)。
これは結婚で自分を生き始めることを意味します。
結婚することで自分の人生を、
自分の意志で生きると自分に約束する訳です。
心の中では自律を勝ち取れたと誇る気持ちになるでしょう。
しかしこれは同時に「夫への従属」となります。
字面を見ると何とも時代錯誤の言葉のようで納得できにくいですが、
男尊女卑とは違う意味で、
夫への従属の意味を考える必要があります。
親がすべてであった幼少期を終えて、
親への反発ののち親を切ったその反動で、
心の中は夫がすべてになります。
親に注いでいたエネルギーがすべて夫に注がれる訳です。
つまり結婚生活での夫との関係が自分の霊性のプロセスのすべてと思うのです。

こう考えると「夫への従属」の意味が良くお分かりと思います。
新婚時代夫も妻がすべて、
妻にとっても夫がすべて。
蜜月ではそうなりますが、
時間とともに相手に合わせていると、
自分が自分でなくなるむなしさに心が騒いできます。
蜜月を終えてこそ魂みがきへとプロセスは進みます。
結婚生活をはじめたときそのままの関係では、
結婚生活は生存のための日常になり、
魂みがきという本来の霊的目的からずれてきます。

夫は「恋する愛しい人で、
優しく自分の要求を受け入れてくれる善人」では、
共に闘う魂の戦士同士にはなりません。
共に激しくぶつかり合い、
互いの磨くべき点を指摘し合いながら、
一緒に磨いた分だけ高め合う、
そうした日々に結婚生活を変えていく必要があります。
この最も人生で大切な作業に取り組むには、
意識的な心構えが必要です。

しかし多くの夫婦はこの辺から本来の作業から外れるようになります。
粉ひきが水の精に訴えたのは経済的困窮でした。
だから水の精は経済的繁栄を約束しました。
加えて、【「わたしがね、先よりもお金持ちに、
また運もよくしてあげるわ。
そのお礼には、いましがたおまえのうちで産まれたものを、
わたしにくれると約束しさえすればいいのよ」】でした。

粉ひきの頭に、
結婚生活は霊性を発達させるための好機だという自覚がありません。
彼に取って霊性を磨くのは自分ひとりで取り組むことで、
霊性を磨けばその度合いに合わせて、
経済的繁栄は約束されると思っているようです。
自分の心さえ磨けばよい。
それは自分の仕事だと思っているのです。
だから、粉ひきはひとりで水の精に約束します。
水の精が願望成就の暁によこせと請求したものは、
結婚生活で得たものです。
夫婦の和合の結果もたらされたものです。
それを粉ひきは独断で差し出すと約束するのです。
何て浅はかで勝手な男でしょう。

この辺の心の動きは男性性の特徴ともいえます。
和を持って成し遂げるのではなく、
ひとりで成すもの。
人生をそう考えています。

親と子どもの関係と、
夫と妻の関係は明らかに違います。
そこへ思いを馳せることの出来ない夫は、
【水の精にしてしまった約束のことが心をさいなむから】、
心穏やかではいられません。

精神性の深みに対する底知れぬ恐怖を、
何かは知らなくても勘がはたらくのです。

この解説を続き物にしているので、
話が前後して分かりにくいかもしれません。
全部を検証してこの記事を書き上げている訳ではなく、
夢と同じに順を追って解説をしているだけなので、
物語の確かさに助けられながら解説しています。

不行き届きのところはご容赦を。
最後に話がすっきりご理解いただけるとよいと願っています。

                            ーつづくー

posted by 天の鳥船庵 at 10:07 | Comment(2) | 池にすむ水の精

2016年07月10日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」4

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結婚は魂磨きです。
だから結婚は修行です。
しかし残念ながらわたしたちにはその良き見本がほとんどありません。
両親を見て、ああなりたい、あんな結婚生活を送りたい、
と感じている人は数少ない幸せ者。

それを証明するような本「恋愛しない若者たち」(牛窪恵著)を読んでいます。
サブタイトルは、「コンビニ化する性とコスパ化する結婚」。
これでは経済至上主義と変わりがない。
性は処理するものではない。
そんなこと言っても、
「恋愛しない若者たち」には
空理空論としか聞こえない。
結婚にコストパフォーマンスを考えるなんて、
心がない。精神がない。霊性がない。
と、嘆いていてもはじまらない。
そのためのヒントにと、
「池にすむ水の精」を読み解いています。

さてそれでここまでのストーリーを。
結婚に憧れを持って気に入った人と結婚した粉屋(夫=男性性)は、
満足な新婚生活を送ります。
しかしそれに慣れて心が生き生きし無くなって、
そんなはずはないとアイディアを求めてさまよいます。
そこで行き着いたのが、
池に象徴される無意識の世界。
心を扱うところ。
言ってみれば宗教や当世はやりの精神世界。
恐いながらも行ってみると、
満足感を補償すると言うので、
お世話になることに。
ところが代償が必要だと言われて。。。。。

話の後半まで夫の粉屋とその息子が主人公です。
これが曲者。
結婚への知恵を考える心の中では男性性が働いているだけです。
結婚生活を魂磨きにするには、
女性性のはたらきが待たれます。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」4
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

【4: 粉ひきのほうは、「どうせ、犬っころか、
猫の子にきまっているだろう」と、こう考えて、
お望みのものをあげますと約束しました。
それで、水の精はまた水の中へ沈んでしまいましたし、
粉ひきのおじさんは、おお安心、
これで好い機嫌で粉ひき小屋へ急ぎました。
 ところが、小屋まで行かないうちに、
表口から女中がでてきて、おめでとうございます。
おかみさんがお産をなすって、
男の子さんがお生まれですよ、と呼びかけたものです。
粉ひきは、まるで稲妻に打たれでもしたように立ちすくみました。
あのずるい水の精は、
このことをちゃんと知っていて自分をだましたのだと、
はっきり分かったからです。
それで、頭を垂れて、おかみさんの寝台のところへ行きました。
それから、
「こんないい男の子が産まれたのに、なぜよろこばないの?」と、
おかみさんにきかれて、粉ひきは、いましがたあったこと、
水の妖魔にとんでもない約束をしてしまったことを話してから、
「子どもがいなくなるときまっているのでは、
運がよくったって、かねがあったって、なんになるもんか、
おれの力でなにができる?」と、言い足しました。
お祝いを言いにきた親類の人たちも、どうしていいか、
途方にくれました。】

代償とは、教義を持っている他者が心のすべてを差し出せということ。
或いは、無意識が表す心の世界は救いもあるが、
飲み込まれる恐さもある危険を言っています。
そのどちらであっても自分ではない他者の考えに従ってしまえば、
最早真理は自分に無いことになります。
ここに気付いたのは心の領域に触れたからですが、
それは自分に取っての真理を探すその自分は渡せないと粉屋は考えます。
これが息子の誕生です。
だから彼は自暴自棄になり、
おかみさんに事情を話します。
結婚を男性性で考えるのではなく、
女性性も総動員して考えようと言う訳です。
【親類の人たちも、どうしていいか、
途方にくれました】というところは、
これまでの慣れ親しんだ考え方や感じ方では、
結婚への魂磨きにできるだけの知恵が無いので、
途方に暮れているのが分かります。  
 

                            ーつづくー


posted by 天の鳥船庵 at 05:44 | Comment(2) | 池にすむ水の精