(雲になって姿を見せるドラゴン親子)
ゾンビの夢の勇気づけ
今回はひとつの夢を足がかりに、
夢の持つダイナミズムと、
豊かなエモーションを感じるために、
それとは真逆の徹底分析に取り組んでみましょう。
見た夢がさっぱり分からないとしても、
夢が伝える真実を知りたければ、
どんな方向から取り組んでも、
行き着くところは同じです。
でもやってはいけないことは、
自分の都合の良いように受け取らない。
行動へのヒントを避けて通らない。
夢を前にして現状維持を決め込むのはもったいない。
夢は変容の種火です。
成長という変容のために夢に取り組むのでなければ、
夢に取り組む意味は無い。
では早速取りかかることにしましょう。
(但し今回もかなりの長文です)
夢にゾンビが出てきたらどうでしょう。
普通はびっくりして、
「悪夢だ?!」と見なかったことにするかもしれませんね。
夢の方はそれが狙いで、
ショック療法のつもりでいます。
「ゾンビの夢なんか見なかったことにしたいよね。
でも、忘れようったって忘れられないだろう?」と。
ゾンビは簡単に言えば、
魂をのっとられた人間のこと。
自分の本来の魂で生きていない人のことです。
今風にいえば、スピリチュアルな生き方をしていないこと。
こんな風に言うとものすごい人のことと思われますか。
普通の人間ではなくて、
地縛霊とか浮遊霊にのっとられた人のこと?と。
いえ。いえ。
一番ぴったりするのは、
嫌で嫌でしょうがないのに、
嫌でも辛くても仕方が無いからと、
現状維持で仕事をやっている人のことです。
今回このゾンビの夢を相談されて、
ご本人に、
いまの日本の社会を反映していると思うから、
記事にさせてねと頼み込んだのでした。
まるで映画を観ているような、
長い長いストーリーだったようですが、
ここでは本題のところだけご披露といきましょう。
「ゾンビの夢」本体
(話の都合上、6つの節に区分して番号を付けました)
1:デパートが職場で、みんながゾンビになっていく。
誰がゾンビかわからないが、繁殖しているのはわかる。
2:尊敬する先生に相談にいく。
先生のとなりに何人かいて、その人たちもゾンビ。
先生にどう伝えればいいのか困っていたら、
先生がその人たちにわからないように顆粒状の物が入ったボトルをみせる。
私は先生が私がゾンビにならないように、
私を殺そうとしているのではないかと思い、
先生に殺人をさせるくらないなら、
ちゃんと自分で死のうと思って、その場を逃げる。
3:途中で自動車を運転する。
ブレーキの効きが悪い。
信号で止まろうとして、
ギリギリのところで車に追突しないで止まったが、
「追突をしている」とその車の人に言われて、車を降りる。
「あ〜困ったな。追いかけられてしまうな」と思いつつ、
焦ってはいなくて、追突したことを謝って、修理しなきゃと思っている。
車の損傷は、ナンバープレートが取れかかったいて、
追突したつもりはなかったけど、
こんなに損傷しているんだと思っている。
4:でも車の持ち主が、
「あっこれは自分でやった傷で、追突はされていない」と言い出す。
良かったと思って車に乗ると、
その男性が私の車を見て、「いい車ですね」という。
私の車は傷ついていない。
そこでブレーキの故障がないか、見てもらい、故障はなさそうと思っている。
5:その後職場のデパートに出勤すると、
誰がゾンビかもうよくわからない。
確実にゾンビになっている上司から電話があって、
いまから出勤するという。
これは繁殖するということだ。
まずいと思っている間に、1人がゾンビになり、
自分はデパートを抜け出してにげる。
よく身体がうごくなと自分に感心する。
6:小高いところまで行くがすぐに迫ってくるので、
山の斜面に向かって、手すりがあったから、
それで滑り台みたいに下に向かって、
ものすごいスピードで降りたら、
のんびりとした田園風景。
田んぼのところに子ども。
幼稚園くらいの娘が歩いている。
すごくかわいいと思う。
懐かしさで癒される。 ー夢はここまでー
このあと夢はまだ続くのですが、
ちょっと雑夢っぽくて、
日常のちょっと軽めの場面に移るのでここでは省きます。
ご本人の感想は、
「特に怖いという気持ちもなくて、
逃げるといっても、恐くて逃げるという気持よりは、
ゾンビにならない、自分で死ぬと思う気持ちがあるから、
逃げる時も爽快に逃げる感じで」とのこと。
この感想、なんか変ですよね。
「きゃ〜!!!もないの?」と茶々を入れたくなる夢の専門家です。
ほんとうをいえば、
ゾンビにならないとすっかり覚悟を決めているなら、
この夢を見なかったと思います。
どこか「これで良いのだろうか」と揺れるので、
心を戒めるためにこの夢があります。
夢が背中を押してくるのです。
そこにいてはいけないと。
この夢主さんの現状ですが、
典型的ないまの日本の会社員です。
生活のほとんどが会社の仕事。
しかし身体に無理が利かなくなり、
健康あっての人生と、
上司に退職を願い出て渋々受理されたところでした。
無理に無理を重ね会社の意向に添うように寝食を忘れて、
滅私奉公を長年やってきたけれど、
もうこれ以上は意味が無いと大英断を決め込んでの退職願い。
それも次の職を決めての退職願ではないところに、
この方のきっぱりした性格が読み取れます。
それなのにこのゾンビの夢です。
「えっ!これでよかったの?!夢は何を言っているの?」と、
軽くパニックを感じたのだろうと思います。
辞めると決まった後の会社は、かなり嫌なムードで、
「役員は確実に怒っている」のだそうです。
「こういう時にはいろいろなものが見えるものだと思いました。
こういう人たちだったんだとがっかりできてよかった」。
ちゃんと「がっかりできた」ことが大切。
特にこの夢主さんのように、
自分の意志より、
周りの要求を優先する傾向のある方に取っては重要な心情です。
この方は、
「ゾンビにならないと決めているのは、どんな意味がありますか。」
と質問してきました。
この夢はゾンビにならないことが主題です。
これが日常の心の動きと繋げられれば、
夢が理解できたことになり、
強いては自分を理解できたことになり、
その後の自由意志による決定は納得できたものとなるでしょう。
しかしそうはいかない。
それで2節目、
「先生に殺人をさせるくらないなら、
ちゃんと自分で死のうと思って、その場を逃げる。」と、
訳の分からない思考回路にはまっています。
これがこの方の思い癖です。
退職願は出して、きちんと上司と話をして、
退職することに決めたのに逡巡しているのです。
これで良かったのか。
わたしがいなくなった後の部下の処遇はどうなるだろう、等等。
尊敬できる先生がゾンビを見抜けない訳が無い。
自分はゾンビになる前に死んでしまおう。
どうです。とても不思議です。
わたしは生き抜いてやろうと、思考力が働かないのです。
自分の存在が人の迷惑にならないように、
唯ひたすら人のお役に立つことだけを考えているのです。
「これは立派!」ですか?
夢の中で考えることや思いは、
日常そのままを伝えているので、
本人はそのことになかなか気付けませんが、
夢を反芻し味わい直しているうちに、
思考回路の不思議、
自分の思い癖が見えてきます。
3節目の、
「途中で自動車を運転する」は、
退職願が受理されたのを受けて、
就職活動をはじめたことを表しています。
自分の人生のハンドルを再び握ったのです。
しかし、
「ブレーキの効きが悪い」
これは、いまの職場を辞めると決めてはみたものの、
逡巡が軽くはじまったり、
待て待てこれで良いのだと奮い立たせているそこのところでしょう。
「焦ってはいなくて、
追突したことを謝って、修理しなきゃと思っている」
ここが思い癖。
あせらなくても急がなくては。
ゾンビに捕まってはいけないという決心がふと揺らぐのでしょう。
会社を辞める決心が揺らぐのでしょう。
ここは急ごうとすれば、理性がはたらきます。
無駄な時間を取られないように、
瞬時に対応の手順を考えます。
それへの気付きが薄いので、理不尽な要求にのりそうになります。
面倒を避けていれば、
その場の解決はしても根本的解決にならず、
予想できない面倒が残る可能性ができるでしょう。
追突してもいないのに、謝る。
揚げ句に修理費も払わなきゃと事なかれ主義。
「車の持ち主が、
『あっこれは自分でやった傷で、追突はされていない』と言い出す」
ここの車の持ち主とのやり取りは、
ご本人の社会性と社会への対応がどうなされているかが見えます。
過剰な要求や待遇への正当な要求にも、
事なかれ主義でその場を過していることが分かります。
しかし車の持ち主が反省をしたのでしょう。
この辺りのなあなあな感じは、
問題を将来に残しているかもしれません。
「ブレーキの故障がないか、見てもらい」
前進するには絶対にブレーキが正常に働かなくてはいけません。
そこへの前準備の必要を念押しされているように感じます。
なんでも、変と思ったら立ち止まる。
嫌だと思ったらそこに立つ。
いままでは他人の要求や期待を受けて、
我慢することが美徳と思い違いをしていたので、
ここで心の機能の働かせ方を教えてもらっているようです。
最終的には、ブレーキは故障していないというのですから、
これまでの行動に自信を持つ必要があるようです。
「職場のデパートに出勤すると、誰がゾンビかもうよくわからない」
いまの職場はみんながみんなゾンビ。
次に就職することになる職場と、
いまの職場の人々の違いを知ることになるようです。
「それで滑り台みたいに下に向かって、
ものすごいスピードで降りたら、
のんびりとした田園風景。
田んぼのところに子ども、幼稚園くらいの娘が歩いている。
すごくかわいいと思うし、懐かしさと癒される気持ちになる。」
この滑り台を降りる感覚が、
退職願を出してからの変化をいっていますが、
その後に続く近未来の状況をも知らせています。
それはご本人の選択ですが、
夢の方で提案していると取れます。
つまり、あなたが離職し新しい職を求めるなら、
それも可能だという夢からの提案です。
それと同時に嘗て娘が幼稚園児だったとき、
あなたはこうして仕事も私生活も楽しんでいたでしょうと
振り返ることを提案していることにもなります。
きっと長じた娘も親の仕事ぶりに心を痛めていたのかもしれません。
昔みたいだったら良いのにと思っているのかもしれません。
「ゾンビにならないと決めている」のなら、
自分を生きると決めること。
わたしはどうしたいのか。
身体が持つかどうかではなく、
限られた時間の中で、自分を生きるにはどうしたら良いかを考え、
他を思いやるより、
自分が一番得意なこと楽しいことを率先してやったら、
それが一番ひとさまのお役に立てること。
この方はゾンビを振り切るように、
職探しをしたところ、あっという間に、
のんびりとした田園風景にある職場に就職が決まりました。
その仕事はご本人が望んでいた才能を活かしたもので、
労働条件もよいとのこと。
一見おどろおどろしく気味の悪い夢ですが、
視点を変えれば、
パワフルな夢です。
そのパワーに負けずに行動すると、
展開は早く望みを叶えることができます。
これが夢を指針に生きる醍醐味です。