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天の鳥船庵だより

2016年09月27日

ゾンビの夢の勇気づけ

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(雲になって姿を見せるドラゴン親子)

ゾンビの夢の勇気づけ

今回はひとつの夢を足がかりに、
夢の持つダイナミズムと、
豊かなエモーションを感じるために、
それとは真逆の徹底分析に取り組んでみましょう。

見た夢がさっぱり分からないとしても、
夢が伝える真実を知りたければ、
どんな方向から取り組んでも、
行き着くところは同じです。

でもやってはいけないことは、
自分の都合の良いように受け取らない。
行動へのヒントを避けて通らない。
夢を前にして現状維持を決め込むのはもったいない。

夢は変容の種火です。
成長という変容のために夢に取り組むのでなければ、
夢に取り組む意味は無い。

では早速取りかかることにしましょう。
(但し今回もかなりの長文です)

夢にゾンビが出てきたらどうでしょう。
普通はびっくりして、
「悪夢だ?!」と見なかったことにするかもしれませんね。

夢の方はそれが狙いで、
ショック療法のつもりでいます。
「ゾンビの夢なんか見なかったことにしたいよね。
でも、忘れようったって忘れられないだろう?」と。

ゾンビは簡単に言えば、
魂をのっとられた人間のこと。
自分の本来の魂で生きていない人のことです。
今風にいえば、スピリチュアルな生き方をしていないこと。
こんな風に言うとものすごい人のことと思われますか。
普通の人間ではなくて、
地縛霊とか浮遊霊にのっとられた人のこと?と。
いえ。いえ。

一番ぴったりするのは、
嫌で嫌でしょうがないのに、
嫌でも辛くても仕方が無いからと、
現状維持で仕事をやっている人のことです。

今回このゾンビの夢を相談されて、
ご本人に、
いまの日本の社会を反映していると思うから、
記事にさせてねと頼み込んだのでした。

まるで映画を観ているような、
長い長いストーリーだったようですが、
ここでは本題のところだけご披露といきましょう。


「ゾンビの夢」本体
(話の都合上、6つの節に区分して番号を付けました)

1:デパートが職場で、みんながゾンビになっていく。
誰がゾンビかわからないが、繁殖しているのはわかる。

2:尊敬する先生に相談にいく。
先生のとなりに何人かいて、その人たちもゾンビ。
先生にどう伝えればいいのか困っていたら、
先生がその人たちにわからないように顆粒状の物が入ったボトルをみせる。
私は先生が私がゾンビにならないように、
私を殺そうとしているのではないかと思い、
先生に殺人をさせるくらないなら、
ちゃんと自分で死のうと思って、その場を逃げる。

3:途中で自動車を運転する。
ブレーキの効きが悪い。
信号で止まろうとして、
ギリギリのところで車に追突しないで止まったが、
「追突をしている」とその車の人に言われて、車を降りる。
「あ〜困ったな。追いかけられてしまうな」と思いつつ、
焦ってはいなくて、追突したことを謝って、修理しなきゃと思っている。
車の損傷は、ナンバープレートが取れかかったいて、
追突したつもりはなかったけど、
こんなに損傷しているんだと思っている。

4:でも車の持ち主が、
「あっこれは自分でやった傷で、追突はされていない」と言い出す。
良かったと思って車に乗ると、
その男性が私の車を見て、「いい車ですね」という。
私の車は傷ついていない。
そこでブレーキの故障がないか、見てもらい、故障はなさそうと思っている。

5:その後職場のデパートに出勤すると、
誰がゾンビかもうよくわからない。
確実にゾンビになっている上司から電話があって、
いまから出勤するという。
これは繁殖するということだ。
まずいと思っている間に、1人がゾンビになり、
自分はデパートを抜け出してにげる。
よく身体がうごくなと自分に感心する。

6:小高いところまで行くがすぐに迫ってくるので、
山の斜面に向かって、手すりがあったから、
それで滑り台みたいに下に向かって、
ものすごいスピードで降りたら、
のんびりとした田園風景。
田んぼのところに子ども。
幼稚園くらいの娘が歩いている。
すごくかわいいと思う。
懐かしさで癒される。       ー夢はここまでー

このあと夢はまだ続くのですが、
ちょっと雑夢っぽくて、
日常のちょっと軽めの場面に移るのでここでは省きます。

ご本人の感想は、
「特に怖いという気持ちもなくて、
逃げるといっても、恐くて逃げるという気持よりは、
ゾンビにならない、自分で死ぬと思う気持ちがあるから、
逃げる時も爽快に逃げる感じで」とのこと。

この感想、なんか変ですよね。
「きゃ〜!!!もないの?」と茶々を入れたくなる夢の専門家です。
ほんとうをいえば、
ゾンビにならないとすっかり覚悟を決めているなら、
この夢を見なかったと思います。
どこか「これで良いのだろうか」と揺れるので、
心を戒めるためにこの夢があります。
夢が背中を押してくるのです。
そこにいてはいけないと。

この夢主さんの現状ですが、
典型的ないまの日本の会社員です。
生活のほとんどが会社の仕事。
しかし身体に無理が利かなくなり、
健康あっての人生と、
上司に退職を願い出て渋々受理されたところでした。
無理に無理を重ね会社の意向に添うように寝食を忘れて、
滅私奉公を長年やってきたけれど、
もうこれ以上は意味が無いと大英断を決め込んでの退職願い。
それも次の職を決めての退職願ではないところに、
この方のきっぱりした性格が読み取れます。
それなのにこのゾンビの夢です。
「えっ!これでよかったの?!夢は何を言っているの?」と、
軽くパニックを感じたのだろうと思います。

辞めると決まった後の会社は、かなり嫌なムードで、
「役員は確実に怒っている」のだそうです。
「こういう時にはいろいろなものが見えるものだと思いました。
こういう人たちだったんだとがっかりできてよかった」。

ちゃんと「がっかりできた」ことが大切。
特にこの夢主さんのように、
自分の意志より、
周りの要求を優先する傾向のある方に取っては重要な心情です。

この方は、
「ゾンビにならないと決めているのは、どんな意味がありますか。」
と質問してきました。
この夢はゾンビにならないことが主題です。
これが日常の心の動きと繋げられれば、
夢が理解できたことになり、
強いては自分を理解できたことになり、
その後の自由意志による決定は納得できたものとなるでしょう。

しかしそうはいかない。
それで2節目、
「先生に殺人をさせるくらないなら、
ちゃんと自分で死のうと思って、その場を逃げる。」と、
訳の分からない思考回路にはまっています。
これがこの方の思い癖です。
退職願は出して、きちんと上司と話をして、
退職することに決めたのに逡巡しているのです。
これで良かったのか。
わたしがいなくなった後の部下の処遇はどうなるだろう、等等。
尊敬できる先生がゾンビを見抜けない訳が無い。
自分はゾンビになる前に死んでしまおう。
どうです。とても不思議です。
わたしは生き抜いてやろうと、思考力が働かないのです。
自分の存在が人の迷惑にならないように、
唯ひたすら人のお役に立つことだけを考えているのです。
「これは立派!」ですか?

夢の中で考えることや思いは、
日常そのままを伝えているので、
本人はそのことになかなか気付けませんが、
夢を反芻し味わい直しているうちに、
思考回路の不思議、
自分の思い癖が見えてきます。

3節目の、
「途中で自動車を運転する」は、
退職願が受理されたのを受けて、
就職活動をはじめたことを表しています。
自分の人生のハンドルを再び握ったのです。
しかし、
「ブレーキの効きが悪い」
これは、いまの職場を辞めると決めてはみたものの、
逡巡が軽くはじまったり、
待て待てこれで良いのだと奮い立たせているそこのところでしょう。

「焦ってはいなくて、
追突したことを謝って、修理しなきゃと思っている」
ここが思い癖。
あせらなくても急がなくては。
ゾンビに捕まってはいけないという決心がふと揺らぐのでしょう。
会社を辞める決心が揺らぐのでしょう。
ここは急ごうとすれば、理性がはたらきます。
無駄な時間を取られないように、
瞬時に対応の手順を考えます。
それへの気付きが薄いので、理不尽な要求にのりそうになります。
面倒を避けていれば、
その場の解決はしても根本的解決にならず、
予想できない面倒が残る可能性ができるでしょう。
追突してもいないのに、謝る。
揚げ句に修理費も払わなきゃと事なかれ主義。

「車の持ち主が、
『あっこれは自分でやった傷で、追突はされていない』と言い出す」
ここの車の持ち主とのやり取りは、
ご本人の社会性と社会への対応がどうなされているかが見えます。
過剰な要求や待遇への正当な要求にも、
事なかれ主義でその場を過していることが分かります。
しかし車の持ち主が反省をしたのでしょう。
この辺りのなあなあな感じは、
問題を将来に残しているかもしれません。

「ブレーキの故障がないか、見てもらい」
前進するには絶対にブレーキが正常に働かなくてはいけません。
そこへの前準備の必要を念押しされているように感じます。
なんでも、変と思ったら立ち止まる。
嫌だと思ったらそこに立つ。
いままでは他人の要求や期待を受けて、
我慢することが美徳と思い違いをしていたので、
ここで心の機能の働かせ方を教えてもらっているようです。
最終的には、ブレーキは故障していないというのですから、
これまでの行動に自信を持つ必要があるようです。

「職場のデパートに出勤すると、誰がゾンビかもうよくわからない」
いまの職場はみんながみんなゾンビ。
次に就職することになる職場と、
いまの職場の人々の違いを知ることになるようです。

「それで滑り台みたいに下に向かって、
ものすごいスピードで降りたら、
のんびりとした田園風景。
田んぼのところに子ども、幼稚園くらいの娘が歩いている。
すごくかわいいと思うし、懐かしさと癒される気持ちになる。」
この滑り台を降りる感覚が、
退職願を出してからの変化をいっていますが、
その後に続く近未来の状況をも知らせています。
それはご本人の選択ですが、
夢の方で提案していると取れます。
つまり、あなたが離職し新しい職を求めるなら、
それも可能だという夢からの提案です。
それと同時に嘗て娘が幼稚園児だったとき、
あなたはこうして仕事も私生活も楽しんでいたでしょうと
振り返ることを提案していることにもなります。
きっと長じた娘も親の仕事ぶりに心を痛めていたのかもしれません。
昔みたいだったら良いのにと思っているのかもしれません。

「ゾンビにならないと決めている」のなら、
自分を生きると決めること。
わたしはどうしたいのか。
身体が持つかどうかではなく、
限られた時間の中で、自分を生きるにはどうしたら良いかを考え、
他を思いやるより、
自分が一番得意なこと楽しいことを率先してやったら、
それが一番ひとさまのお役に立てること。

この方はゾンビを振り切るように、
職探しをしたところ、あっという間に、
のんびりとした田園風景にある職場に就職が決まりました。
その仕事はご本人が望んでいた才能を活かしたもので、
労働条件もよいとのこと。

一見おどろおどろしく気味の悪い夢ですが、
視点を変えれば、
パワフルな夢です。
そのパワーに負けずに行動すると、
展開は早く望みを叶えることができます。
これが夢を指針に生きる醍醐味です。


posted by バンナイ at 15:27 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年09月26日

養成講座10期を終えました。

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(セッション中と修了式後)

天の鳥船庵夢療法家養成講座第10期を無事終えることができました。
みなさんかなりお疲れです。
大変ハードな半年を過ごされ、
認定試験をこの1ヶ月でまとめ仕上げたあとに、
自分の問題解決法をワークで出して行くという
どっしりと内容濃く盛り込んだ合間に、
ケース研究の為のクライアントを引き受けて下さった方々を、
お茶にお招きしたのです。

今回は4ケースで、
いつもより1ケース少なかったのですが、
クライアントの方々の正直さと熱心さに押されて、
受けて立つセラピストもかなり勉強をさせられました。
なかに大企業の中年男性社員がおられて、
生きて行く上の信条を大きく軌道修正されるお姿を目の当たりにし、
感慨深いものがあります。
夢を題材にして自分を見ていく強さを、
第一線で働いている男性が獲得していくのは並大抵ではありません。
日本も大きく変わりつつあると実感しました。

受講生のひとりが、
「人様の大事な人生の場面に立ち会わせていただきありがとうございます」と、
言ってくれましたが、
普通ではあり得ない心と心の交流ができたことを財産にしましょう。

次回の養成講座は10月22日にはじまります。
クライアント役にご興味おありの方はお問い合わせください。


posted by バンナイ at 11:31 | Comment(0) | あれこれ

2016年09月11日

長年の夢が実現した日

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(うえだ央幸:カウンセラー)
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(長谷川雅江:医師)
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(石井優美:夢療法家として活動中 http://ameblo.jp/y-sleepingbeauty/
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(飯田佳恵:養護教諭)
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(横山ちなぎ:夢療法家として活動中 http://chinagiii.exblog.jp

夢を、生きるための指針に使う人たちを増やしたい。
そしてそれをリードできる人たちを増やしたい。
長年の夢でした。
天の鳥船庵を開いて5年。
遂にその人たちを生み出すことができました。
昨日はその方達と研究会を開きました。

寝てみる夢は現実生活へのアドバイスです。
夢はどうしたらあなたの夢が叶うかを知らせてきます。
夢が駄目出しをしてくることはありませんが、
叱咤激励はしてきます。
道にそれていれば、
ただす方法を提案してきます。
その辺の機微をいままで受講生に受け取っていただくのが、
とてもむずかしいと感じていました。

天の鳥船庵夢療法家養成講座はただいま10期が進行中です。
9期までの最終試験で優秀な成績を修めて、
夢療法家として認定を受けた面々をご覧ください。
認定者は6名。
昨日の出席者は5名でした。
夢は霊性へのアドバイスと理解されている方々です。
20年以上の長きに渡って夢に取り組んで来られた方がおふたり。
短い方でも5年は超えています。
決して易しい試験ではなかったと思いますが、
みなさんよく頑張ってくれました。

認定者研究会初回第1回目の検討議題は、
メンバーの個人的気付きの披露でした。
去年の秋と今年の初夢と春に見た夢の3つを、
現実生活の流れと夢のアドバイスがどのようにリンクし、
どのように気付きを深め、
そして現実ではそれをどのように行動に移していったかを語ってくれました。
体験としても下した決断も道をただすにはむずかしかったでしょう。
この勇気ある発表からこの研究会が開けたことを、
会の活動への天からの後押しと受け取っています。

又このように夢療法家認定者を輩出できた背景には、
養成講座をお手伝いいただいている石川千佳子講師の、
きめ細かいカウンセリング上のアドバイスに負うところが大です。
夢療法は面談療法なので、
夢の理解以上に言葉のやり取りから治癒を起こせることが必要です。
カウンセリングの専門家が感知した面談の実態と、
夢が伝えるアドバイスが美事にピタリと一致していく、
そんな石川千佳子講師のワークを体験すると高揚感で満たされます。
これが受講生たちをここまで研究熱心にしてくれたと思っています。

石川講師はカウンセリングへのアドバイスを、
そしてわたしは夢の捉え方を指導しながら、
互いが真実を見据える勇気さえあれば、
手法が違っても行き着く真実はひとつだと納得しています。

これから認定者研究会は随時開いていくことになりますが、
認定者全員で、
夢が極め付きの現実派で、
生きること行動することへのエールなのだということを、
多くのみなさんに知っていただく活動をしていくことになります。

昨日はさらに事例研究を2例話し合いました。
夢による面談療法がどのようなものか、
体験を重ね、
これから多くの方々が生きがいに辿り着くお手伝いをしていく所存です。
どうぞよろしくお願い致します。

養成講座ケース研究の為のクライアントを募集中です。
又10月から始めるクラスと養成講座も募集中です。
興味のある方はお問い合わせ下さい。

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posted by バンナイ at 15:40 | Comment(0) | あれこれ

2016年09月05日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」11

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(ご近所が種から育てた花たち。鶏頭は三色。花は10種を超えます。)

「池にすむ水の精」の話は、
狩人からそのお嫁さんに主が代わります。
その役割をひとつにしていえば、
「人知を尽くして天命を待つ」と同じだと思うのですが、
このことわざをもっと平易に表現したのがこの童話ともいえます。
何故平易に表現しなくてはいけないか。
それはやっぱり人生は心の成長にあるということ。
それをひとりで成すのはたいへんなので、
性の違う者同士が一組となって、
成し得ることだと言うのでしょう。

「人知を尽くす」という役割と、
「天命を待つ」という特質を、
男性と女性に振り分け、
共に勤めをやり抜いたとき、
心の成長は叶えられるというのがこのお話です。

この前提があって、
異性を求めるのであれば、
恋を実らせ、
生涯の伴侶を得たいと願う者に、
夢は力強い味方です。

その為の「恋愛成就法」を、
これから折に触れてアップしていこうと考えています。

では、「池にすむ水の精」に話を進めましょう。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」11
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)


11:【「いずれ何か不幸な目にあったに違いないね」と、
おばあさんが言いました。
何しろ、こんな一軒家へ訪ねてくるくらいだから」
 お嫁さんは、涙ながらに身の上話をしました。
 「気を楽にお持ち!」と、おばあさんが言いました。
「あたしが手を貸してあげるよ、それ、ここに金の櫛がある。
満月の出るまで持っておいで!満月が出たらね、
あの池のところへ行って、岸辺にぺたりと座って、
おまえの長い黒髪を、この櫛で梳いてご覧。
梳いてしまったらね、櫛は、岸に置くのだよ。
どんなことになるか、すぐに分かるよ」】

いろいろな色の花が咲き乱れている草原に建つ清らかな小屋に住むおばあさん。
このおばあさんがこのお嫁さんに、
これから助け船を出してくれるのですが、
おばあさんを修飾するのが、
【いろいろな色の花が咲き乱れている草原に建つ清らかな小屋】です。
おばあさんの心境は清らか。
清らかとは純粋なさまですから、
欲も得も削ぎ落とされ磨かれた境地に達しているという意味でしょう。
これは女性として更年期を過ぎ、
最早子を産める体では無くなった女性が、
生産的であること、
人のお役に立つこと、
自他ともに創造的であるにはというそこのところを言っています。
そんな心境のおばあさんが住むところですから、
そこは龍安寺の石庭如きではなく、
いろいろな色の花が咲き乱れている草原です。
嘗てはおばあさんも人生の花を咲かせても来たでしょう。
しかしここではそこをもっと掘り下げてみましょう。

人は歳を取ります。
歳を取って枯れるという言葉もあります。
枯れるとは円熟するという意味。
しかしここでは色々な花が咲き乱れています。
円熟というよりいまを盛りに花をつけているという意味でしょう。
おばあさんになって花をつけているとは、いいですね。
それも人里離れた一軒家ですから、
誰に見せよと咲いている訳ではありません。
自分のために咲いているのです。
その花が、【いずれ何か不幸な目にあったに違いないね】という、
お嫁さんにかける言葉から読み取れます。
お嫁さんの不幸を、
何らかの形で受け止められる自分を知っているから出た言葉です。
自分への信頼の言葉です。

お嫁さんもこのおばあさんにならと身の上話をします。
もう涙を堪えなくて良いと、
身に起きていたことを、
耐えていたときには押し殺した感情を、
涙とともに解き放って、
自分の身の上を振り返りおばあさんに話すことで整理をします。
気持ちの整理と頭の整理を相次いで行い、
おばあさんはお嫁さんがしっかり心を正常に働かせられるときを待って、
【気を楽に】とまず返します。
その上で手を貸すと言います。
その内容が、
金の櫛を使って満月に池の岸辺で髪を梳き、
その岸辺に櫛を置いて、
何が起きるかを待つことというのでした。

おばあさんのアドバイスは奇妙奇天烈。

池の岸は、夫の獲物袋が見つかったところです。
お嫁さんが夫にとんでもないことが起きたと確信した、
その証拠品を見つけたところです。

では、今回はここまでにして「金の櫛」の解説は次回に致しましょう。

このお話の第1回目に、
【お終いには、自分の財産と名のつくものは、
いつも入っている粉ひき小屋ぐらいなことになってしまいました。
粉ひきは心配で心配でたまりません。】という、
粉ひきの心情から話が展開しています。
それを受けて、
お嫁さんはおばあさんに胸の内を聞いてもらうことで、
【気を楽にお持ち!】という心構えを持つことができます。

これは男性性と女性性の心の動きの特徴を表し、
自分で考え計画を立て実行する力と、
それが立ち行かなくなったとき、
つまり次のステージに誘導されるときは、
自分の思考、感情、理知さえ手放せ、
それを超えたものに指針をあおげる心の広さを、
示していると思えます。

                      ーつづくー 

posted by バンナイ at 11:39 | Comment(0) | 池にすむ水の精

2016年09月03日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」10

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10月から1年間のクローズクラス(天の鳥船庵夢療法講座10期)と
夢療法家養成講座がはじまります。
それに伴いケース研究の為のクライアントも募集します。
興味のおありの方はお問い合わせ下さい。

受講生を見ていると、
夢からのメッセージを即行動に移せる人はまれです。
最善の手段は即実行なのですが、
夢のメッセージを頭で考えはじめます。
すると残念ながらメッセージの前で逡巡がはじまります。
自分はメッセージの前で逡巡していると理解できれば良いのですが、
逡巡が長くなると、
やりたくないのは真我の思いだと言い訳をはじめます。
はじめのうちは言い訳と気付いていますが、
実行したくないという思いは強くなり、
その思いは大きく心を占領しはじめます。
それを真我の意向と勘違いする訳です。
本当のところこの行動への抵抗は、
真我の思いではなく
トラウマに牛耳られたインナーチャイルドの叫びなのですが、
それを理解するのが難しくなります。

こうなると、セッション中この方の発言は、
傷のついたレコードのように同じことの繰り返しになります。
この状態から出るのは大変です。
精神世界を渡り歩いた兵(つわもの)たちが陥る罠です。

自分の脳は案外に愚かで新しいことを学習するのを嫌います。
それは恐れが原因です。
この恐れは子供心のはたらきではなく、
訳知りの大人心の成せる技。
だから知らない世界に踏み出す恐怖は真我の思い以上に強くなります。
知らないこと、経験したことの無い世界に踏み出すには、
トラウマを脇に置ける大人心が必要です。
いざという時、
インナーチャイルドを助ける知恵は大人心が持っています。
遊び心はインナーチャイルドが欲していることです。
やらないことで後悔はしても、
やったことで後悔をすることはありません。
冒険に乗り出せばすぐに気付くことが、
心配していたような危険は起こりません。
逆に行動に移した自分を世界中が誉め称えてくれることです。
この一歩前に踏み出す勇気は、
男性性の理性を捨てたときに入ってきます。
理性を捨てることで天の意向を知ることができます。
これをお嫁さんはこれから実行に移します。

「池にすむ水の精」に話を進めましょう。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」10
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

10:【 お嫁さんは、大きな岩のごろごろした間を、
心配しながら上へ上へと登って行きました。
カラタチや葡萄のつるが足へひっかかりました。
雨が顔をうちました。
風が長い髪の毛をかきみだしました。
高みへ登り切ると、まるで違った景色が現れました。
空は青く空気はおだやかに、
地面はだらだら下がりになっていて、
一面の緑草(あおぐさ)にまじって
いろいろな色の花が咲き乱れている草原に、
清らかな小屋が一軒建っていました。
まともにその小屋へ行って、
戸を開けてみましたら、
白髪のおばあさんがいて、
こちらへおいでと、にこやかに目配せをしました。
そのとたん、誰一人寄る辺の無い女は、はっと目が覚めました。
 夜はもう明けています。
女は、すぐさま夢の通りのことをやってみようと心を決めました。
そして、えっちらおっちら、山を登りました。
辺りの様子は、何から何まで夜中に見た通りです。
おばあさんは、にこやかにお嫁さんを迎えて、
さあ、そこへおかけと、椅子を指差してくれました。】

前々回(8号)で、
パートナーの呼称を「おかみさん」から「お嫁さん」に代えて、
結婚生活のステージが上がったことを表していると、
お話しました。
いよいよ魂みがきの大事な局面に移行して行きます。
これまでは「粉ひき」と「狩人」という夫が主役でした。
それが今回から妻が主役となって話が進みます。

実際結婚生活は女性が主役です。
夫はこれまで自分が考えたことを自分で実現してきました。
これは世間的な仕事のことを謂います。
そして女は家庭で家族の太陽です。

このことを、女性は家にあって、
男性は外の社会を生きると言っていると受け取らないで下さいね。
ここで言っている嫁のはたらきは、
「男は政(まつりごと)女は神ごと」という言い習わしのように、
男性と女性の特性を言っています。
平たい言葉でいえば、
男性はこの世に自分の存在を形にする特性があり、
女性は次元を超えたこの世以外の意志を知る特性があるということです。

この違いは現実の結婚生活で実感します。
男性は意志を目に見える形にする特性が働き、
従ってその視野は鋭角的で業績を重んじがちです。
女性は生活を全方向的に捉える傾向があり、
五感の満足を重んじ、
揚げ句に論理としての飛躍が可能で、
次元を超え易い心の状態にあります。
これをもっと分かり易くいえば、
男性は自分が何をしたかが重要ですが、
女性はなにを感じて楽しんだかが重要になります。
なんとも説明不足な表現ですけれど、
謂わんとするところは受け取っていただけるでしょうか。

では話を戻して、
ここからさき妻は自分の感情を拠り所に、
自分でないもの、
自分の中にあって自分とは違うものを大切にしながら、
問題の解決策を練って行きます。

この回の冒頭の場面はお嫁さんが見た夢の記述です。
正に夢そのものです。
夢の本当の役割が見えてきます。
(著者のつぶやき:近年多くの作家が夢を記述しています。
夢そのものを記述している場合は問題ないのですが、
夢を創作して物語の重要な鍵に使っている場合、
違和感を覚えることがあります。
本当の夢なら、
この展開やこの人物は登場しないだろうと思うのです。
さすがこのグリム童話は夢としてしっくりきます。)

【大きな岩のごろごろした間を、
心配しながら上へ上へと登って行きました。】
というお嫁さん。
誰かが通った道を登るのではなく、
誰も通ったことの無い道を行かなくてはならないのです。
これは現状認識で夢がはじまっているのが分かります。
岩がゴロゴロしている急な坂道を上れば、
やがて平らなところへ辿り着く。
しかしそこまでに何があるかが語られています。

岩は意志でもあり、
意志を通して歩く道は困難な行程となります。
意志を貫き通しなさい。
夢は言います。
意志を貫き通そうと思って歩を緩めずにいても、
【カラタチや葡萄のつる】で傷を負います。
カラタチには棘があります。
ぶどうの蔓は絡んできます。
自分の疑念やそれにまつわる雑念(=カラタチや葡萄のつる)は、
意志を通そうとする自分を揶揄し批判します。
そうすると足は遅くなり、前進を阻みます。
さらに雨と風という感情と気分の流れが足許を捉え惑わします。
そうなると頭の中が混乱します。
そんな思いを経験しながら、
それでも歩を進めていると、
つまりやり抜こうという気持ちを持ち続けると、
高みに辿り着きます。
迷いを払えるところに到達します。
つまりさまざまな思いを通り抜けると、
そこは静寂以上の美しい景色が表れます。
なだらかな丘の上に立って、
穏やかな心境に到達します。
岩だらけの、
意志を通さなければこのさき生きて行けないと思っていたのに、
疑いを知らない花たちが咲き乱れる心境にいるのです。
意志を通すばかりではない、
存在自体を喜べる花たちにお嫁さんは感動していると、
そこに住むものの意志ある証し(=人の存在)を見つけます。
【清らかな小屋】がそれです。
主は【清らか】さの持ち主です。
その戸を開けるとは、清らかさを自分のものにしようとする行為です。
お嫁さんは清らかでいようと決めたのです。
そこには【白髪のおばあさん】がいます。
同性の長年月をへて叡智を獲得できた存在に出合うのです。
【こちらへおいで】という誘いに素直な気持ちのまま、
夢から覚めます。
夢の中で迷いは消えて、取り組むことだけ、
やるべきことだけに思いを馳せることので来たお嫁さん。
だから直ぐに夢の通り実行すると決めることができました。

夢で予行練習をしているので、
道中の大変さはどこ吹く風、
道中の変化を楽しめる余裕があります。
そして白髪のおばあさんに迎入れられ、
おばあさんに助けを求めるように気持ちも整い、
おばあさんもその為にと椅子を勧めてくれます。

はて、わたしたちは実際に夢を見ることで、
この世に起きることは前もってシミュレーションしています。
ですから、この世でどんなに辛いことが起きても、
その結果の安全は体験済みです。
そして何故その体験するのかという理解は夢で得ています。

わたしたちはこのお嫁さんに倣い、
もっと夢の効用に心を開き、
心配を大げさに大きくしないで、
楽しみのうちにチャレンジャーでいましょう。

                      ーつづくー

posted by バンナイ at 11:52 | Comment(0) | 池にすむ水の精
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