[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2016年10月29日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」15

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(七里ケ浜のハロウィーンパレード)

今日はわたしの76回目の誕生日です。
たくさんの方にお祝いの言葉を戴きました。
ほんとうにうれしいです。
ありがとうございます。

これまで大病ばかりしていたので、
目の前の症状に対処しているうちに、
いつの間にかこの歳になり、
自分がシニアの域に達していると気付きませんでした(?!)が、
ここに来てやっと、
これは加齢症状による体力不足なのだと、
納得することが多々でてくるようになりました。

今年新年を迎えたころは、
もっと大胆に夢から教えてもらった内容を、
披露していきたいと考えていたのですが、
残り2ヶ月になって、
これが何も達成されていないと感じています。

夢からは肉体的心理的霊的(=body,mind,spirit)な面で、
大切なメッセージが送られてきます。
もし最初の段階で送られてくる霊的アドバイスに気付かず、
やり過ごしてしまえば、
次に心理面感情面への注意がやってきます。
これはかなりしつこく繰り返しますが、
それにも気付けなければ、
現実で肉体上の症状として体験することになります。
(注:これは「冷たい病気」に属します)
その病状が一段落した頃、
人間関係でどんな状態だったかを、
現状認識させるカタチで夢がやってきます。
これはつまるところ最終通告みたいなもので、
受け入れるしかないというくらいに夢は分かり易いものです。

そして更に症状になる前に葛藤を解決できたり、
葛藤から距離を置けるようになると症状が現れることがあります。
(注:これは「熱い病気」に属します)
あなたという魂が成長のために思慮深くなれる、
そのタイミングや状況を計って、
夢がbody,mind &spirit レベルでやってくることになります。
だからあなたを注意深く観察できている人にとっては、
夢の忠告やメッセージは当たり前のように思うことがあるでしょう。

これは病気と感情と霊性との関係がどのようにはたらくか、
夢から説明できることを言っているのですが、
これを公にできる症例の持ち合わせがありません。
症例はあっても公にできない事情があります。
という訳で未だに手つかずですが、
このつたない説明で夢のメカニズムをご理解いただき、
夢の実践に役立てていただきたいと願っています。

そこで
「自分を愛して」(リズ・ブルボー著ハート出版)の一部に、
符合する部分(P30L8)を見つけましたのでここに引用します。
「葛藤が遠ざけられた時、または解決された時に、
からだは脳の指令を受けて、治癒の過程に入るのですが、
その時に、(○○炎)という名前が現れる」とあります。
葛藤中は冷たい病気になり、解決すると熱い病気になると解説しています。
ちなみに冷たい病気は狭心症や胃潰瘍などを指すようです。

最早治療に取り組むしか方法はないという状況になって、
何だかほっとしたことはありませんか。
卑近には、風邪を引いて寝込んでしまったのだけれど、
それで毎日の忙殺からやっと離れることができたなど。
病気は気づきのために起こります。

この一連の流れは夢のメッセージの流れと見事に一致します。
こんなことをお伝えしようと、
今年の幕開けは楽しみにしていたのですが、
わたし自身の学びが螺旋階段を登るように、
症状としては軽く、
しかし学びとしては深くなっていたのでした。

それが一段落して誕生日を迎えることができました。
じんわりうれしい誕生日です。

このことについてはまたの機会に。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」15
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)
 

15: 【やるせない悲しみは、
また新しく胸いっぱいになりました。
けれども、夢に誘われて、これで三度目、
女はまたもやおなじみのおばあさんの家へ行くことにしました。
行ってみると、神通力の女はお嫁さんに金の糸車をやって、
 「まだ、するだけのことがしていないのだよ。
満月の出るまで待っておいで!
満月になったらね、この糸車を持って、
池の渕に座って、糸巻が捲ききれなくなるまで糸をとるのだよ、
仕事がすっかり済んだら、道具を池の近くに置く、
どうなるか、直ぐ分かるよ」と、慰めの言葉をかけました。】

夫を取り戻す方法を、
このお嫁さんは、
夢で知ったおばあさんを訪ねて教えてもらいます。
このシンプルな記述の中に夢の本当をこのおとぎ話は教えてくれます。
夢は信頼するに値する。
夢は現実とリンクさせてその威力を発揮する。
このお嫁さんの態度はそれを教えてくれます。

これまでおばあさんが教えてくれた方法は、
「金の櫛」と「金の笛」を使うことでした。
今度は「金の糸車」です。
「金」は「最高の」という意味、
「これ以上はない」のです。
さて、それで「糸車」で糸を紡ぐようにと、
おばあさんに言われます。
それも「するだけのことをしていない」からと。
「櫛」も「笛」も夫を取り戻すには充分ではなかったということです。
「糸」を、「糸巻が捲ききれなくなるまでとるのだ」というのですから、
「精一杯やれ」という意味でしょう。

「神通力の女」というおばあさんの修飾語は、
女性性を見事に言い当てていると思います。
この文脈で男性性を言えば、
男性は「この世に具体的成果をだす者」となります。
男女の別があって、
その統合が生きる目標だとしたら、
女の「神の意を汲む」才を活かして、
男が「それを具現化する」こととなります。

いま私たちが生きている現状はそうなっていません。
男性も女性も男性性を生き、
「この世に生きた証しを残す」ことに夢中です。
この今の現状を、
「女は神を知り、
男はそれをこの世に現象として残す」という方向に持っていくことが、
これからの女性性の時代をつくることになるでしょう。
この根底には互いへの尊敬が根となります。
(この尊敬の気持ちを持ち続ける大事なところは、
最初に相手を伴侶と確信したその動機に戻れることです。
これについてはいつかお話ししたいと思っています。)

話を戻して、
「糸」は「意図」であり、
「意図」は「ブループリント(生まれる前の計画)」であり、
「ブループリント」を貫くものは「意図=糸」だという話をしましょう。

この「池にすむ水の精」はグリム童話です。
グリム童話はドイツの民話を集めたものです。
ヨーロッパ文明では、
タペストリーが文化の担い手となっています。
そこに織り出された物語や象徴が心の遺産になっています。
以前ドイツの詩人リルケの「淑女と一角獣」について書きました。
ある城のタペストリーを見てリルケが、
乳母に話しかけるように書いたものです。
詩人の心にこのタペストリーが触発したもの。
詩人がこのタペストリーに見たものは、
女性の生き方の本質(=魂の本質)だと思います。
ひとの人生もこうあって欲しいと。

この童話「池にすむ水の精」では「糸」を、
ひとつの人生(タペストリー)を織るための
根幹の材料(=一環した素材)だといっています。
英語のthread (原義は縒り糸を構成している糸のうちの一本や、
筋状の物体のうちの一本の筋などを意味する)も、
yarn (織物編み物に使う糸)も物語を作るだいじな素材です。
とすると、この一本の糸そのものが、
与えられたこの命ということになります。
それはつまりこの命は、
意図(糸)を持って存在するものだという証明になります。

わたしたちは人生を生き抜くことで、
自分の意図を人生に織り込んで神に捧げると約束したのでしょう。
糸そのものは、
糸(=意図)を持ってあるく一筋の道のようで、
これを物語にするには、
命を生きる体験を、物語を意図を持って織っていくことになります。

繰り返しになりますが、
日本語は同音異語が多く、
その関係にはおもしろいものがあります。
「いと」は「糸」であり、
「意図」であり、
「異図(=異志=普通の人とは違うすぐれた志)」です。
(注;「異図」を自分独自の志を持つことと考えましょう。)
巡り巡ってすべてが同じことを言っているところに落ち着きます。

「糸」は「意図」であり、
「ブループリント(生まれる前の計画)」であり、
だからこそ人生を貫くものは、
「意図=糸」だということになります。

結婚生活を霊的修練の場になし得るのは、
妻の側がその目指すところ、
結婚生活のプロセスにその意義を見つけて、
覚悟すること。
意図を明確にすることだと読めます。

それなくして夫の霊的態度は取り戻せないと、
この小節は言っているように思います。

ここまでくると、
この「池にすむ水の精」は、
正に「アモールとプシケー」そのものです。

真実はどこにあっても単純です。

                               ーつづくー

posted by 天の鳥船庵 at 21:27 | Comment(0) | 池にすむ水の精

2016年10月18日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」14

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(ケヤキ?の一枚板の門扉:丸太を真ん中から切り裂いた板の門扉)

先日のクラスでは結婚生活がいかに魂磨きに成るか、
その実例の夢の話に成りました。
結婚生活は魂磨きなので、
ふたりの仲が良い悪いの論議はありません。
魂磨きなんだと思えれば、
相手に対する見方が変わり、
対処の方法も違ってきます。

結婚生活では相手のトラウマとカルマをできるだけ正確に把握し、
自分のトラウマとカルマを小脇に抱えながら、
自分の魂磨きのために結婚相手に対処していきます。

人間関係の中で魂磨きをベースにできる人間関係は他にありません。
このように結婚生活は全くの修行です。
こんな高度な話を夢を通してできる時代がやってきました。
どの夫婦にとっても結婚生活はハードなはずです。
その厳しくデリケートな生活を送りながら、
ふたりで互いの夢を話し合えれば、
そこに互いへの理解が増していくでしょう。
潤滑油にさえなるでしょう。
それは夢に取り組む最大のメリットです。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」14
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

14:【 女はおばあさんの言った通りにしてみました。
すると、笛が砂の上へ横になったとたんに、
水の底がざわざわ鳴りだして、
波が一つ、むっくり持ち上がると、
それが岸に押し寄せてきて、笛をさらって行きました。
と、間もなく、水が分かれて、
今度は頭ばかりではなく、
夫が、胴の中の半分のところまで、
にゅうっと出てきました。
夫はたまりかねて、両腕をお嫁さんの方へ広げたのですが、
二番目の波が、ざわざわと押し寄せて来て、
狩人の頭へかぶさり、
それなりまた下の方へ引きずり込みました。
 「何て情けないこと!何にもなりはしないわ」と、
不幸せな女が言うのでした。
「大事な大事な人、
一目見るばかりで、直ぐまたいなくなっちまうんですもの」】  

「池にすむ水の精」の話も佳境に入って、
妻が池に沈んだ夫を「どのように取り戻すか」の方法論へ移っています。

前回は妻が金の櫛を使うことでしたが、
今回は笛です。
夫を取り戻すのに、
まず妻は考えを整理します。
それも最高に吟味に吟味を加えた叡智をひきだして、
それを元に行動を起こします。
それが金の櫛で髪を梳くことです。
その結果夫は頭だけ池から出てきました。
夫(男性性)は頭(第5、6、7チャクラ)での理解はできたことになります。
でもこれでは夫を取り戻せません。
これでは失敗です。
そこで次なる手を打つことになります。
それが言葉の表現を工夫しましょうというので、笛です。
その言葉も「何かおもしろい」言葉でないといけません。
夫が興を覚える言葉です。
理屈はダメです。
女の理論武装した言葉は男性を興ざめさせるでしょう。
「笛が砂の上へ横になったとたん」とは、
女性として、妻として夫にかける言葉を、
夫の心に興を覚える言葉を、
しみいるように言ってみたら、「とたんに」となります。
櫛よりは効果があり、
夫は、「胴の中の半分(第3チャクラ)」まで池から出すことができます。
これは、腹に言葉が落ちるということでしょう。
けれどこれも夫を取り戻すには充分ではありません。
夫は又乱心に戻ってしまいます。

この一連の方法を教えてくれるのはおばあさんです。
おばあさんはもう子供を産めません。
月のものが終った女性です。
この世に生命を産み出す機能を終えて、
更にその上の魂の創造をこの世に生み出す機能に取り組もうという訳です。
この世に聖なるものを産み出す機能を使える女性的側面です。
それも女性として長い経験を学びとして昇華し得た者が、
産み出せる特権的機能です。
夫への義務、子供を育てる責任、周りの人への奉仕は、
彼女が持つ生きるための技を育ててきました。
これまでは彼女の魂の創造性を発揮するための前哨戦だったのです。
彼女の魂が望む本当のところを為すための鍛錬の期間だったのです。

つまり、夫婦生活を魂磨きにするには、
妻が夫を助けたいと妻の側が決めたところからはじまります。
夫の側からは何もリアクションはありません。
そこで叡智を求めて、
おばあさんを尋ねるところから、
魂磨きがはじまります。

もっと実生活に即して説明すると、
結婚してハニームーンが終るころ、
妻の心の内にこんなはずではなかったという思いが出てきます。
分かり合えると思って結婚したのに、
それが叶っていない。
言動が理解できない。
理念に差を感じる。
マナーが違う。
愛しいはずの夫に違和感を覚える訳です。

そこで多くの妻は、
夫を説得しようとします。
言えば分かってもらえる。
この段階では魂磨きになっていないのです。
最早何をしても通じないと覚悟を決めたとき、
夫婦生活はそれまでとは違う次元に入っていきます。

この思いは踏み絵みたいなものです。
結婚生活を魂磨きに移行させられるか、
この世の慣例を生きるか、
どちらかになります。
多くの人は慣例を生きます。
結婚生活を魂磨きに移行させるには、
生活を現実的に切り盛りする側面ではなく、
大所高所から事柄を見る力がなければなりません。
それができるおばあさんを、
女性の側が自分の中からいかに引き出せるかにかかっています。

この話のお嫁さんはそれができました。
そしてそのおばあさんの声に従う賢さを身につけたので、
何度も失敗しながら、
おばあさんのアイディアに従えたのです。
大抵、人は最初の段階で嫌になり、
努力をしなくなります。

何をするかと言えば、
夫の無理解を嘆き、
結婚生活を魂磨きではなく、
慣例と受け入れて、仲の良い夫婦となります。
魂磨きの切磋琢磨を彼岸において、
空気のような存在とお互いを認め合うことになります。
これはこれで一抹のさびしさは残っても、
幸せです。

この話では、
お嫁さんは自らアイディアを出しません。
出してもそのくらいの知恵なら魂磨きにはならないからです。
女性の女性たるところは、
先に説明した自分の中のおばあさんの側面、
自分の中の神性を汲み上げる能力、
自分のエゴでない知恵に従える感性を実行することで、
夫婦生活を魂磨きにしえるのだと言っているようです。

ため息がでますが。
お互い精進しましょう。
このお嫁さん。
努力が失敗に終って、
「何て情けないこと!何にもなりはしないわ」と嘆きます。
魂を磨くには、痛いヤスリ掛けが天文学的回数必要です。
わたしもこれまでこのためにならない言葉を、
何度自分に言いかけたことでしょう。

夫は妻の努力に対し、
何もできないけれど、
見てはいます。
これが大切な行程ではないでしょうか。
妻はいまいち自信がないけれど、
夫は見てくれている。
そこに変容の布石があるように思います。
常に一緒にいることが魂磨きには必要です。
結婚生活を魂磨きに為さしめるためには別居は勿体ない。
できるだけ昼夜をとわず一緒にいる時間が長い方が鍛錬に成ります。 

何と魂磨きは努力のいることでしょう。
これが最高の霊性へのチャレンジです。
魂磨きの途上であっても、
結婚相手を得て、
これに取り組める幸せ。
やりがいがあります。         
これ以外に魂を磨ける関係はありません。
これだけが人間にとっての最高の修行です。
この魂磨きの関係を築ける相手を得ることが、
今の社会では結婚です。

                               ーつづくー

posted by 天の鳥船庵 at 13:00 | Comment(0) | 池にすむ水の精

2016年10月14日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」13

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結婚は修行だ!「池にすむ水の精」13

このところの野菜の高騰にびっくりしています。
そこで放りっぱなしの猫の額の畑から、
ニラとモロヘイヤを重宝に食しています。
枯れ葉と雑草の間のニラは柔らかで優しい味。
モロヘイヤはやや枯れはじめていますが、
それでも刻んでしまえばいつもの味に。

畑仕事は頭を休めるのにとても良いのだけれど、
体力気力のない我ら夫婦には庭の手入れも荷が重い。
カタチばかりの畑ですが、
野菜の高騰で得した気分に。

いつも思うのですが、
行動とはこう云うもの。
いやいやながらやっても、
収穫は絶対あるはず。
夢も同じく行動したら思いがけない収穫があります。

問題を吟味し、
解決に向けて方法を選択し、
自由意志で自己決定し、
それに従って行動を起こす。

これを一連の流れとしてやり抜くと、
成果は思いがけずに大量で豊かです。
これが夢の効用です。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」13
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)


13: 【がっかりして、お嫁さんは戻ってきましたが、
夢が、いつかのおばあさんの小屋を教えてくれました。
女は、またもや、そのあくる朝出かけて行って、
神通力をもったこの女の人に、自分の悲しみを訴えました。
おばあさんは、お嫁さんに金の笛をやって、
 「また、満月のくるまで待っておいで!
満月の夜がきたら、この笛をもって、池の渕に座って、
何かおもしろい唄を吹いてご覧、
唄が済んだら、笛を砂の上に置くのだよ。
どういうことになるか、直ぐ分かる」と言いました。】

前回、「精神世界を頭で理解しただけ」という表現を使いました。
池から表れた夫の姿は頭だけだったということを、
このように解説したのです。

この「精神世界」を、
「結婚生活」又は「妻」と入れ替えても良いと思いませんか。
結婚生活の実際はこの辺のことで悩みます。
「結婚生活」を頭で理解されても理解してもらったとは言えない。
「妻」を頭で理解されてもむなしいだけ。
妻の側の愚痴ですが、
愚痴と終らせて欲しくない。

実際の体験こそ価値があると言いたい!
結婚生活を全身で受け止めて欲しい。
この鬱々としたところが本当の結婚生活です。
しかしこうした内心の葛藤がなければ、
実は魂磨きにはなりません。
これ以上は打つ手がないと思う程に、
結婚相手との間に意志の疎通が困難を極めるとき、
そこではじめて要らぬ自分の汚れを自覚し、
痛いかんな掛けがはじまります。
こちらの汚れの大きさは、
かんな掛けが必要な程大きいと言う訳です。
結婚生活が辛い辛い痛い痛いと感じるほど、
自分の虚飾や理解不足や不完全さや至らなさの出っ張りが甚だしいのです。
他人のことではありません。
ひとえにわたしの体験から申し上げていることです。

戻りましょう。
妻の側の心は千々に乱れ断末魔の苦しみを抱え、
のたうち回り、
そこで今回の【がっかりして・・・】となります。

9節のところでお嫁さんは夢を見ます。
10節のところはその夢が語られています。
夢から覚めて、
『夜はもう明けています。
女は、すぐさま夢の通りのことをやってみようと心を決めました。』
夢から覚めてしっかり考えたということを、
夜は明けたといっています。
夢の内容をきちんと考えて、
夢のいうことを実行に移そうと決めたのです。

多くのひとに取ってはここが断崖絶壁になります。
夢を見て、それを冷静に考えて、
自分の霊性に照らし合わせて、
夢のいう手段と行動が今までとは違うと合点し、
だからこの提案を選択し実行しようというところに、
多くのひとは立てません。
夢のいうことは、
「嫌だ」「怖い」が心を占め、
頭を夜明けにできず、
従って夢の通りにやることが霊性発達だと承知できないのです。

夢を見て、
それを理性と霊性で捉え実行に移そうと思うだけ、
このお嫁さんには真我である夢への信頼がありました。
繰り返しますが、これは、
「アモールとプシケー」のプシケーが取った態度と同じです。
更に、「我が意が行われるのではなく、
神の意がわたしを通して行われますように」という祈りの言葉と同じです。
これがセルフ。
「嫌だ」「怖い」はエゴになります。

おばあさんは第5チャクラから助言したことになります。
第4チャクラのハートの承認を得てエゴを退けた行動の助言です。
そこでおばあさんは金の笛をお嫁さんに渡します。
満月という行動に全力を注ぐときになったら、
池の渕に行って金の笛を吹くように助言します。
これは命より大切な伴侶を助けるために、
これ以上ない工夫をして、
彼の心に訴える言動を取るということでしょう。

最初は櫛でした。
櫛のはたらきを実行に移せたので、
夫が頭で理解している姿を理解できたのです。

金の笛を吹いたらどうなるのでしょう。
この続きは次回に。


posted by 天の鳥船庵 at 20:01 | Comment(0) | 池にすむ水の精