(七里ケ浜のハロウィーンパレード)
今日はわたしの76回目の誕生日です。
たくさんの方にお祝いの言葉を戴きました。
ほんとうにうれしいです。
ありがとうございます。
これまで大病ばかりしていたので、
目の前の症状に対処しているうちに、
いつの間にかこの歳になり、
自分がシニアの域に達していると気付きませんでした(?!)が、
ここに来てやっと、
これは加齢症状による体力不足なのだと、
納得することが多々でてくるようになりました。
今年新年を迎えたころは、
もっと大胆に夢から教えてもらった内容を、
披露していきたいと考えていたのですが、
残り2ヶ月になって、
これが何も達成されていないと感じています。
夢からは肉体的心理的霊的(=body,mind,spirit)な面で、
大切なメッセージが送られてきます。
もし最初の段階で送られてくる霊的アドバイスに気付かず、
やり過ごしてしまえば、
次に心理面感情面への注意がやってきます。
これはかなりしつこく繰り返しますが、
それにも気付けなければ、
現実で肉体上の症状として体験することになります。
(注:これは「冷たい病気」に属します)
その病状が一段落した頃、
人間関係でどんな状態だったかを、
現状認識させるカタチで夢がやってきます。
これはつまるところ最終通告みたいなもので、
受け入れるしかないというくらいに夢は分かり易いものです。
そして更に症状になる前に葛藤を解決できたり、
葛藤から距離を置けるようになると症状が現れることがあります。
(注:これは「熱い病気」に属します)
あなたという魂が成長のために思慮深くなれる、
そのタイミングや状況を計って、
夢がbody,mind &spirit レベルでやってくることになります。
だからあなたを注意深く観察できている人にとっては、
夢の忠告やメッセージは当たり前のように思うことがあるでしょう。
これは病気と感情と霊性との関係がどのようにはたらくか、
夢から説明できることを言っているのですが、
これを公にできる症例の持ち合わせがありません。
症例はあっても公にできない事情があります。
という訳で未だに手つかずですが、
このつたない説明で夢のメカニズムをご理解いただき、
夢の実践に役立てていただきたいと願っています。
そこで
「自分を愛して」(リズ・ブルボー著ハート出版)の一部に、
符合する部分(P30L8)を見つけましたのでここに引用します。
「葛藤が遠ざけられた時、または解決された時に、
からだは脳の指令を受けて、治癒の過程に入るのですが、
その時に、(○○炎)という名前が現れる」とあります。
葛藤中は冷たい病気になり、解決すると熱い病気になると解説しています。
ちなみに冷たい病気は狭心症や胃潰瘍などを指すようです。
最早治療に取り組むしか方法はないという状況になって、
何だかほっとしたことはありませんか。
卑近には、風邪を引いて寝込んでしまったのだけれど、
それで毎日の忙殺からやっと離れることができたなど。
病気は気づきのために起こります。
この一連の流れは夢のメッセージの流れと見事に一致します。
こんなことをお伝えしようと、
今年の幕開けは楽しみにしていたのですが、
わたし自身の学びが螺旋階段を登るように、
症状としては軽く、
しかし学びとしては深くなっていたのでした。
それが一段落して誕生日を迎えることができました。
じんわりうれしい誕生日です。
このことについてはまたの機会に。
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グリム童話「池にすむ水の精」15
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)
15: 【やるせない悲しみは、
また新しく胸いっぱいになりました。
けれども、夢に誘われて、これで三度目、
女はまたもやおなじみのおばあさんの家へ行くことにしました。
行ってみると、神通力の女はお嫁さんに金の糸車をやって、
「まだ、するだけのことがしていないのだよ。
満月の出るまで待っておいで!
満月になったらね、この糸車を持って、
池の渕に座って、糸巻が捲ききれなくなるまで糸をとるのだよ、
仕事がすっかり済んだら、道具を池の近くに置く、
どうなるか、直ぐ分かるよ」と、慰めの言葉をかけました。】
夫を取り戻す方法を、
このお嫁さんは、
夢で知ったおばあさんを訪ねて教えてもらいます。
このシンプルな記述の中に夢の本当をこのおとぎ話は教えてくれます。
夢は信頼するに値する。
夢は現実とリンクさせてその威力を発揮する。
このお嫁さんの態度はそれを教えてくれます。
これまでおばあさんが教えてくれた方法は、
「金の櫛」と「金の笛」を使うことでした。
今度は「金の糸車」です。
「金」は「最高の」という意味、
「これ以上はない」のです。
さて、それで「糸車」で糸を紡ぐようにと、
おばあさんに言われます。
それも「するだけのことをしていない」からと。
「櫛」も「笛」も夫を取り戻すには充分ではなかったということです。
「糸」を、「糸巻が捲ききれなくなるまでとるのだ」というのですから、
「精一杯やれ」という意味でしょう。
「神通力の女」というおばあさんの修飾語は、
女性性を見事に言い当てていると思います。
この文脈で男性性を言えば、
男性は「この世に具体的成果をだす者」となります。
男女の別があって、
その統合が生きる目標だとしたら、
女の「神の意を汲む」才を活かして、
男が「それを具現化する」こととなります。
いま私たちが生きている現状はそうなっていません。
男性も女性も男性性を生き、
「この世に生きた証しを残す」ことに夢中です。
この今の現状を、
「女は神を知り、
男はそれをこの世に現象として残す」という方向に持っていくことが、
これからの女性性の時代をつくることになるでしょう。
この根底には互いへの尊敬が根となります。
(この尊敬の気持ちを持ち続ける大事なところは、
最初に相手を伴侶と確信したその動機に戻れることです。
これについてはいつかお話ししたいと思っています。)
話を戻して、
「糸」は「意図」であり、
「意図」は「ブループリント(生まれる前の計画)」であり、
「ブループリント」を貫くものは「意図=糸」だという話をしましょう。
この「池にすむ水の精」はグリム童話です。
グリム童話はドイツの民話を集めたものです。
ヨーロッパ文明では、
タペストリーが文化の担い手となっています。
そこに織り出された物語や象徴が心の遺産になっています。
以前ドイツの詩人リルケの「淑女と一角獣」について書きました。
ある城のタペストリーを見てリルケが、
乳母に話しかけるように書いたものです。
詩人の心にこのタペストリーが触発したもの。
詩人がこのタペストリーに見たものは、
女性の生き方の本質(=魂の本質)だと思います。
ひとの人生もこうあって欲しいと。
この童話「池にすむ水の精」では「糸」を、
ひとつの人生(タペストリー)を織るための
根幹の材料(=一環した素材)だといっています。
英語のthread (原義は縒り糸を構成している糸のうちの一本や、
筋状の物体のうちの一本の筋などを意味する)も、
yarn (織物編み物に使う糸)も物語を作るだいじな素材です。
とすると、この一本の糸そのものが、
与えられたこの命ということになります。
それはつまりこの命は、
意図(糸)を持って存在するものだという証明になります。
わたしたちは人生を生き抜くことで、
自分の意図を人生に織り込んで神に捧げると約束したのでしょう。
糸そのものは、
糸(=意図)を持ってあるく一筋の道のようで、
これを物語にするには、
命を生きる体験を、物語を意図を持って織っていくことになります。
繰り返しになりますが、
日本語は同音異語が多く、
その関係にはおもしろいものがあります。
「いと」は「糸」であり、
「意図」であり、
「異図(=異志=普通の人とは違うすぐれた志)」です。
(注;「異図」を自分独自の志を持つことと考えましょう。)
巡り巡ってすべてが同じことを言っているところに落ち着きます。
「糸」は「意図」であり、
「ブループリント(生まれる前の計画)」であり、
だからこそ人生を貫くものは、
「意図=糸」だということになります。
結婚生活を霊的修練の場になし得るのは、
妻の側がその目指すところ、
結婚生活のプロセスにその意義を見つけて、
覚悟すること。
意図を明確にすることだと読めます。
それなくして夫の霊的態度は取り戻せないと、
この小節は言っているように思います。
ここまでくると、
この「池にすむ水の精」は、
正に「アモールとプシケー」そのものです。
真実はどこにあっても単純です。
ーつづくー