[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2016年11月28日

4年前のクラスの受講生が集まってくれました

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(お持ち下さったお菓子の数々)

昨日は、2012年のクローズクラスの受講生たちが、
1日だけのクラスを開いて欲しいとのことで、
この稲村ケ崎の天の鳥船庵に集まってくれました。

申し出を戴いたときはさしたる感慨はなかったのですが、
いつも通りにワークをはじめて、
受講生のお顔を拝見しているうちに、
この奇跡の恩寵にふるえるほどの幸せを感じました。
この仕事をしてきて、
受講生の方からこうして再び夢を介して自己確認を、
それもグループで申し出てくれるなんて講師冥利に尽きます。

4年前のクラスなので、
何人かはその後も天の鳥船庵に通って下さっている方があり、
ポツリポツリとブラッシュアップや個人セッションにおいでの方もあり、
どなたともクラスは終えても何となくつながっていますが、
クラスのときと同じメンバーでワークをしたいという
その気概に圧倒されました。

もちろん受講生たちにとって、
クラス後の4年間は激動の年月でした。
その後をみんなで分かち合いながら、
そこで話されたテーマは、
ひとつに夫婦間の問題をいかに魂磨きに為さしめていくか。
これが話題にできる人たちの集まりだと思うと、感無量です。

そして、幼児との閉ざされた時間をどのように学びとしていくか。
4年前にクラスで宣言して授かった我が子です。
その子にすべての時間を捧げざるを得ない母としての葛藤を、
感じ続けるのは全くの修行といえるでしょう。

面白かったのは、好きは見つかったのだけれど、
それが直ぐに大成しているビジョンに飛んでしまうという夢。
誰かの期待を重く思っているのでしょうか。

それから出色は、いまはそっとしていたいという夢からのメッセージ。
現実の世界の対応で一杯一杯。
こうした夢は直球ではきません。
夢の擬装は込み入っているのだけれど、
夢としてのストーリーはきちんとあり、
でもどこか曖昧なのです。
一番分かり易いのは、日常から離れた場面です。
自分を深く知るとか、
自分を深めるときではないという夢からの知らせとでもいいましょうか。
夢に取り組むのも時宜に合っていなければ、
反故になるかもしれないし、
刃物になるかもしれない。

戴いた感想をお目にかけます。

❖第2期は私にとって居心地が良かったとはいえない気がしていましたが、
坂内先生の教えを受けた事で、
みんながそれぞれに丸くなっているなあという印象を受けました。
そしてあの空間にいる事が心地良かったです。
また日常の生活に戻っても、それぞれが昨日の会を思い出し、
新しい人生に向かってすすんでいけそうな気がしています。
私も自分のエゴが出てしまいそうな時は、
昨日の自分の夢を思い出しイメージして深呼吸したいと思っています。
そして何年後かにまた2期のメンバーでお会いする事が出来たら嬉しいし、
もっともっと成長していたいって思いました。
本当にありがとうございました。
 
❖一足早く、Xmasプレゼントが届いたような
そんな1日だったのではないですか?
みなさん立ち位置はそれぞれだったけど、
ただ色々な体験の中にいるだけ、それを見せてもらったような。
あの場にいられたこと、本当に嬉しかったです。


posted by 天の鳥船庵 at 19:04 | Comment(0) | あれこれ

2016年11月16日

結婚相手は夢に訊く

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(画・坂内和則)

先日のオープンクラスで、
恋人との関係に将来性があるかを知りたいという人がいました。
これは夢の得意分野です。
もしあなたが結婚相手を決めようとしているのなら、
是非夢に訊いてみて下さい。
的確な答えが納得できるカタチで下されるでしょう。
但し夢は、相手があなたの今生の目的に叶っているかどうか、
という視点でのみ答えてきます。
それも経済的にとか、家柄がとか、閨閥学閥は問題にせず、
ただ霊性という観点でだけ答えてくれるので、
その意味で今生のあなたのテーマを提供できる相手であり、
又その問題に組し易い相手が知らされると考えて下さい。

という訳で、いまの恋人が結婚相手に相応しいかを考えると、
いまいち覚悟が決まらない。
あるいは相手の態度がいまいち煮え切らない。
それでもわたしは結婚したいと思っている。
そんな方のためにとこの記事を書いています。

そしてこんなときの夢はとても分かり易い夢になるはずです。
相手に取ってあなたがどう映っているか、
あなたのことをどう考えているか、
そこの大事なところを夢の方が知らせたがっているからです。
これは長年多くの夢を見聞きした経験値から出した、
わたしなりの結論です。
どうして?
夢は結婚を聖なるものと位置づけているからでしょう。
だから誰と結婚するかの質問には分かり易く答えをくれます。

夢は結婚を軽んじていません。
むしろ結婚を歓迎しています。
わたしは夢にそんな傾向があるとは夢知らず、
夢に取り組んだのですが、
蓋を開けたらそんな結果になりました。
考えてみたら当たりまえで、
実にシンプルな夢の基本理念です。
そこで受講生たちにそのことを伝えているのですが、
どうもそこをご理解いただくのは大変な世の中になっています。
これは時代の寵児たちが、
受講生としてやってきてくれるからなのだと思います。
どういうことかというと、
みなさん優秀で社会的に成功している人が多く、
その生活力が満足を運んでこないと知っているけれど、
精神的に満足を覚えるものに出会えていない。
でもそれが満たされるのは、
異性からの愛情なのだとイメージが湧かないのです。
最も不確かなことは人の心を読むことで、
それへの対応を教えられていないことが原因ではないでしょうか。

過激なことを言えば、
神である自分の創造性を楽しむために、
神が寄り集まってこの世を作りました。
敢えて不自由な物質に魂を入れ込むという暴挙に出た訳です。
その暴挙がエゴを生み、
そのエゴが男尊女卑を生み出しました。
これを根付かせるために、
聖なる男女の営みを快楽と種の保存本能と位置づけ、
これが本当の悟りのエネルギーという真理を排斥したのです。

そして偉い男性が作ったこの世の栄華は、
高層ビルを造り、
地球ガイヤの体液である石油を我が物顔に掘り出しています。
そこへの反省はいまありませんが、
そのツケはいずれ払うことになるでしょう。
そのツケのひとつがこの社会では先がないと知った男性陣が、
徐々に元気を無くし、
丸投げで女性に助けを求めている姿がこの2016年の社会情勢です。
という訳で男性から丸投げされたこれからの地球を守るのは、
女性の役目と言いたいところですが、
これに目覚めた女性の存在が見えません。
男性原理で動く女性は多いけれど、
神の意を酌める女性が育っていません。
子宮で考える女性が子を生み育て、
その女性が神意を直接自分の身体に受ける。
その為には男女の営みのエクスタシーを体験できることが条件になります。

そんな男女を作るために、
夢は人間関係を大事にします。
生きるとは体験そのもの。
体験で肚からつき上がってくる心情が、
わたしたちが体験を学びにできたかを知る手立てになります。
人生で最も大事なことは結婚相手とどう接しているか。
それをとても大切に扱うのが夢です。

ですから、トラウマやカルマというその人の持つ人生テーマを、
この世の現実場面でどのように立ち向かっているか、
それをあなたの夢は知らせてきます。
その試合開始のゴングの前に準備に入るのが結婚だとしたら、
ゴングを鳴らしたい夢の神さまは。
それに対してはっきりした答えを差し出さない訳がありません。

かなり前置きが長くなりましたが、
夢が結婚相手に相応しいと伝えてきた夢の例を、
思い出せるとところで挙げてみましょう。

先ずわたしの例ですが、
【海の一角に囲いがあって、
その中は温泉の吹き出し口になっている。
又海水と混ざった温泉は程よい治療のための施設にもなっている。
吹き出し口の近くは潜っていくと宝が見つかるらしい。
剛の者がそれに挑戦すれば宝は見つけたもののものになる。
海とはいえ源泉の吹き出し口。
熱いに違いない。
わたしは彼とふたりとも挑戦したいと思っている。
けれど誰かやってみせてくれたら良いのになあとちょっと弱気。
そこに黒人の肝っ玉母ちゃんのようなでっぷりと太った女性がやってきて、
ダイブしたと思ったら苦もなく宝を高々と掲げて姿を現す。
あら、こんなに簡単なら是非やってみよう。】

夢はここまでです。
結婚前に見たこの夢はいまでもわたしの宝物です。
結婚生活は一触即発。
離婚になりそうな場面は数々あります。
その度にこの夢が思いとどまらせてくれたと言えます。
だから夢が太鼓判を押したからと言って、
波風のない結婚生活は望めませんが、
本当の意味で魂磨きができる相手と結婚できているというのが、
わたしがみなさんにお伝えできることです。
まだ最終段階にいっていないふたりなので、
説得力に欠けるかもしれませんが、
そこのところはお許しを。

では他の例を。

【人里離れた山奥にある美しい湖をふたりで眺めている】
美しい景色をふたりで見ているとは縁のあるふたりです。
そしてふたりで人生の美しい景色を見るように工夫し努力するでしょう。

【ふたりで船を漕いで島に行く】
正にふたりで楽園を作ると言う意味です。

【ふたりでレストランでフルコースを賞味する】
人生の美味をふたりで堪能するというふたりの意志を感じます。

そして結婚に相応しくない相手を示す夢の例を。

【ふたりでピンク色の山を登っている】
夢も現実的な山でないとNGです。
この夢は一種の願望充足の面があり、
相手に自分が性的魅力があって欲しいという複雑な意味があります。

【彼の誘いを受けて寿司屋に入るところ】
この夢の意味は、寿司が「晴れ」の食べ物なので、
相手からは結婚相手とは見なされていないという夢です。
彼に取って彼女は日常の関係ではなく、
非日常なのです。
従って結婚を考える関係ではありません。
昔風にいえば、床の間に飾る女と見なされて、
勲章みたいにかっこいいけれど、
彼女に自分を曝け出して一生を生きるのはごめんと言う意味。

【ふたりともレシトランの入り口にある料理の見本を見て素通りする】
人生の問題にふたりで取り組む気がないのに、
それらしく見せているだけの関係。

まだまだ面白い例はありますが、
あまり長くならないようにこの辺で。
つづきはご自分の夢に訊いてお相手を決めて下さい。
夢が実用的で役に立つことを納得されるでしょう。


posted by 天の鳥船庵 at 09:47 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年11月01日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」16

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(伊豆半島にかかる天使の梯子群)

前回「糸」は「意図」だという話をしつこくしてきました。
夢からメッセージを引き出すには、
この「意図」が重要になります。
「意図」は「意志」であり、
これはまた「動機」と同義語です。
その「動機」を別の言葉で云うと「自由意志」になります。
これが魂が持つ原則です。

夢の擬装工作を解くには、
つまり訳の分からない夢を分けの分かるものと受け取るには、
夢の中の自分の言動に、
自分としての「意志」がどうあるかを見ます。
自分の意志はどこにあるか?
自分の動機は何か?
自分の意志のあり方を見ていくと夢の擬装工作は解けます。

自分の動機を自分で見つける作業は、
自分に正直にならざるをえません。
よく人は良い夢を見たと、
日頃願っていることが楽々と夢の中で実現しているのを見て、
これが予知夢だと捉えます。
しかし自分に正直になってみると、
自分が努力を避けて、
労なく願いが叶うことを願っているだけだと思い知らされます。
これを単に願望充足の夢と言います。

擬装工作解除法の例をお話ししましょう。
「いつになったらわたしは動けますか?」と、
夢で誰かに訊いているとします。
あなたは自己決定権を他人に預けていないでしょうか。
自分のことは自分で決めるのが自由意志の鉄則です。
決定は自分が下せると思っていないのでしょう。
ここでも動機を見ることで、
自分に正直になる作業に取り組むことになります。
もうひとつ例を挙げると、
夢の中で誰かとツーショットを撮りたいとします。
あなたの意図はどこにあるのでしょう。
その意図がメッセージをはっきりさせてくれます。
自分の純粋な願いを知ることで、
改めて自信がつく体験をするはずです。
夢への取り組みは不安を消す作業と同じです。
揺るぎ無い自分への自信を深める行程です。

満月の糸巻きにはこうした意図の意味があります。
満月の光に照らして、
あなたの意図という動機をはっきりさせましょう。

その見極めを満月の下で糸車を回す作業だとおばあさんは言います。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」16
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)


16: 【お嫁さんは、おばあさんに言われた通りのことを、
少しも違わないようにやってみました。
満月が姿を見せるが早いか、
この金の糸車を池の岸辺に持ち出すと、
亜麻がおしまいになって、
糸巻が糸ですっかりふくれあがるまで、
せっせと糸取りをしたものです。
ところが、糸車が岸辺に置かれるが早いか、
池の底が、先よりも荒っぽく、
ざわざわ鳴りだして、恐ろしい波が一つ、
あたふたと駈けるように押し寄せて来て、
糸車をさらって行きました。
と思う内に水柱が立って、それと一緒に、
夫の頭が、夫の身体全体が、にょっきり出ました。
早業で、夫は岸へ飛び上がると、
お嫁さんの手を取って、とっとと逃げ出しました。
けれども、ほんのわずかばかり逃げ延びただけで、
ざわざわ、ごうごう、
びっくりするような恐ろしい音をたてながら、
ぐんぐん、広い野原へ流れ込んできました。】

亜麻は麻よりも柔らかくかつ強靭で上等とのこと。
亜麻は下着に用いられます。
ということで女性の役割と強靭さがこれで結びつきます。

それから亜麻が帆布の材料になるのを知って、
宗像三女神を連想しました。
海上の大荒れに逆らわず、
やり過ごせる強靭さは女性的側面です。
女性は忍耐を味方に揺るぎ無い強さを持っています。
このお嫁さんのように。

結婚生活では、
これほど妻の側に裏側の重要な役目があると知ってどう思われますか。
不平等ですか。
理不尽ですか。
納得がいきませんか。
女性は貧乏くじを引いていますか。

確かに、この世的には割に合わないかも。。。。。
けれど、そこを脇において、
視点を、魂を第一義とすれば、
女性の立場の方が、
男性の役目を負うより、
人生の本題に取り組み易いかもしれません。

わたしという考えではなく、
夢に登場したおばあさんの助言に従って行動するとは、
一見自分がないように思えますが、
知恵を尽くし、思いを尽くして、
天に委ねるところまで来なければ、
そして最初の目的夫を取り戻すという、
断固とした望みを打ち立てられなければ、
この天に任された仕事はやりきれません。

お嫁さんはこの大事な仕事を、
満月の夜中にします。
心の活動は昼よりも夜の方が活発で効力を発揮するというのでしょう。
その甲斐あって、
夫は全身を池から引き上げることができます。
そして彼は間髪入れず岸に飛び上がります。
精神世界(注:この表現は仮のものです。
外側の価値観や思い込みなどと緩く受け取って下さい)
の怖さを心底知ったからです。
頭でもハートでも肚でもそれを納得した夫は、
精神世界を遊び戯れるのをやめ、
妻の感性を借りて、
地に体験を根付かせる生き方に取り組もうと決意します。
それがこのくだりです。

池の精は夫を捕まえようと執拗に追いかけてきます。
人が決意をして、
それを実行に移す時、
完全に思いを決めて行動に出たとしても、
心の中の整理がつくのは、
行動して良かった、
これが自分の道だと確信できる時、
結果が見えてからです。
それまでは自分の心に油断してはならないと、
追っ手を逃れる足に力を入れ続けなければなりません。

                              ーつづくー


posted by 天の鳥船庵 at 14:46 | Comment(0) | 池にすむ水の精