(江島神社わだつみの神)
今年のわたしの初夢が、
この一年を通してどのように意味があったかをお話ししましょう。
毎年初夢を見るのを楽しみにしています。
初夢がその年の心構えを教えてくれるし、
方向性が見えるので、楽観的になれるからです。
しかし今年の初夢は、
見なかったことにしたいと思ったほど、
例年にないものでした。
夢は、
「まっ白なワンピースにシミがあるので、
そのシミを抜こうと、
溶剤を溶かしたバケツに入れたところ、
バケツの水を床にこぼしてしまう」というのです。
芳しい夢ではありません。
でもこの初夢を見なかったことにはできない。
深呼吸をしながら、
この夢を受け入れようと覚悟を決めました。
服にシミは、態度を改める必要をいいます。
その為の感情の浄化に失敗し、
床を汚すのですから、
下半身のどこかに症状が出るという予知的なメッセージもあります。
2月11日に車で1時間ほどの街に買い物に出ました。
穏やかでも底冷えのする日でした。
車を駐車場に置いて、
午前中の人影まばらな街を散策がてら歩いているうちに、
突然気分が悪くなり、
吐き気を覚え震えが来たのを覚えています。
ゆっくり歩きながら、
なんとかこの場をやり過ごし、ことなきを得たい。
そばにいる夫のオロオロした姿に、
いっそう自分を制したいと思ったことです。
吐いてしまえば、
落ち着きを取り戻し、
しばらく休憩をして運転に支障も無く家に帰り着きました。
軽い胃腸風邪だったようで大事にはなりませんでしたが、
これが初夢がいう身体から始まった浄化の第一弾でした。
以後、春遅く膀胱炎で2日入院したり、
夏は寒暖の差に必死のおもいで過していたように思います。
それが11月初めに又膀胱炎をぶり返し、
やっと12月も下旬になって、
症状に悩まされなくなり、
自分の身体を取り戻せているところです。
11月の膀胱炎のぶり返しの2日前、
最終試験を受けて答案にとりかかる夢を見ています。
作業は遅遅と進まない様子ですが、
答えは知っていると思っています。
私はこの一生を通じて、
身体を通して霊性を学ぶ道を選びました。
子供の頃大病をするたびに、
身体が甲冑と思えて、
その不自由さに難儀しました。
今年の学びは要らぬ思いが心を占拠するが否や、
身体の弱いところを集中攻撃する、
その心と身体のメカニズムを理解させられたような気がします。
子供の頃は何故病気になるのか分かりませんでしたが、
今年の経験は、
正にタイムラグのない心と身体の直結を体験したのです。
そのトリガーが夫のイライラをかわせない私の霊性の弱さにあります。
夫もわたしも、
どちらも発展途上の魂が互いを磨き砂に生活している訳ですから、
ときに痛みを伴うのは当たり前でも所詮は別の魂。
磨き合うのは自らの気付きでしかし得ない作業なのに、
相手のいらだちに不満があるので、
相手の問題と自分の問題を別にできない。
相手のいらだちを自分に向けられたものと受け取るのでそれがかわせない。
そんな霊性のありようを知らされる必要がわたしにあった訳です。
身体と心が直結しているのを、
無理にでも理解するようにと、
症状になるのを克明に見させられた一年でした。
症状が出ても取り立てて仕事に差し障りがないように、
仕事と仕事の合間を上手にすり抜けて病状が現れるのを、
神さまとわたしの魂が相談して、
わたしに気付きをもたらそうと画策していたように思えます。
今年の初夢を振り返ると、
シミはシミ程度の大きさで、
ワンピースを処分しなければならないほどのものでもありません。
床にこぼれた溶液も大量ではなく、
雑巾一枚で方がつくくらいのものです。
大事には至らないと初夢は教えてくれていました。
こうして今年の初夢が教えてくれたテーマの経緯を考えれば、
物事はそれほど大事ではありませんでした。
この初夢の楽観的なところを、
もっと仔細に検討しておけば良かったと反省しています。
さて、こうして2016年を、
ちょっと厳しかった、
身体と心の折り合いが付け難かった、
あるいはわたしのように心と身体のメカニズムを教えられた1年だったと、
納得されている方々には、
これに続く2017年は、
心と身体をひとつに活動できる年になっていくだろうと思っています。
これは、これ迄がどうあれ、
自分のペースを捉え、
自分の好きを本分に楽観的に行動できれば、
創造の年になるという展望を持ってのことです。
来年の初夢からメッセージを読み取る、
初夢ワークショップを開きます。
お問い合わせはこちらです。