
死んでいく夢を見ます。
死が迫っている夢を見ます。
かなりショッキングな夢です。
ドキドキしながら目を覚まします。
朝の忙しい時に夢をあれこれ考えている暇もない。
けれど、夢の後味は悪く、
夢の印象がまとわりつき、
振り払うことができません。
夢は真我から来ます。
これは夢に取り組む前提です。
実証科学の範疇を超えている夢を、
学問の中だけに収めるのはもったいない。
これを悪夢と退けては夢の恩寵をドブに捨てるようなものです。
さりとて、オカルト(神秘的超自然的)現象と片付けるのは、
さらにもったいない。
夢は日々に生かしてこそその本領を発揮します。
夢のメッセージを現実世界で実行することなく、
夢の真価を理解することはできません。
夢を思い出せたら、深刻にならず、
程よく平静を保ち、
思慮深く知恵を働かせましょう。
夢の恩寵の極みは、
夢見た者を考え込ませることなのですから。
夢が「死」を暗示するときは、
「生かせていない」という意味がおおかたです。
「生かせていない」は心と体が生きていないということ。
霊的に、心情的に、体そのものも今の状態では生かされていないのです。
自分の存在を「生かしていない」のです。
では、「生かしていない」状態とはどういう状態を言うのでしょう。
それは決意を生きていないということです。
多くの方が夢の大切さに気づき始めています。
それはとてもうれしいことなのですが、
自分の人生の夢を理解し始め、
寝てみる夢をそこに重ねることができると、
その前で逡巡し始めます。
この逡巡が「生かしていない」状態です。
わたしたちは情報の豊かさのおかげで、
この社会が必ずしも霊性に則った政治と経済で守られているのではないと、
気づき始めました。
これが葛藤を呼び、
その葛藤の前で決意を棚上げしている人が多くなっています。
会社勤めをやめようかどうしようか。
現状は奴隷のような時間のなさ。
考えることに制限があるような操作された情報。
これは人間の生活ではない気がする。
だからこの会社の構図の中にいるのをやめようと思うのだけれど、
この生活水準とステータスは捨てがたい。
そう思うとおいそれと会社勤めをやめられない。
結局、決断を下せないまま時をすごすことになる。
恋人と別れようかどうしようかその決意の前で逡巡する。
愛と呼べる気持ちなのかどうか、
今となっては自信がないのに、
慣れ親しんだ恋人の存在をきっぱり切るには勇気がいる。
他に好いてくれる人が現れたら、
そのとき別れればいい。
自分でも自分に嘘をついているかもしれないと、
自尊心のなさに呆れる。
けれど別れると決断はしない。
恋人がいる安心感は捨てがたい。
例えそれが虚構の関係であっても、
たった一人でこの砂漠のような都会に一人生きる自信はないから。
この関係に豊かさは見つからないかもしれないけれど、
この宙ぶらりんのまま時が過ぎていくのをやり過ごす。
愛する人が欲しい。
伴侶が欲しい。
もう独居生活は十分だ。
しかし伴侶は欲しいけれど、
出会いを求めて動くことができない。
他人の人生の責任を負うのかと思うと身がすくむ。
こうして選択をしないで宙ぶらりんでいる人が多いです。
これが自分を殺しているのだと気づけません。
こんな時は無理にでも理性で今までの自分の行動と、
それとは違う行動を書き出すことです。
この世的な考え方だと、
現状維持が最も安全だとなりますが、
夢が考えるように勧める霊的な基準は、
今までやってこなかった方法を選択するようにといいます。
会社を辞めたいと思う人は、
今の会社以上に良い条件を今後に求めることはできないだろうと、
可能性を潰します。
しかし会社を辞めても、
自分が取り返しのつかない状況を生み出すことはないでしょう。
却って、夢の提案を推敲し実行に移せた時のプレゼントは、
計り知れない豊かさをもたらします。
恋人と別れられない人は、
これから新しい恋人ができる可能性はないかもしれないと、
霊的に喜びあえる出会いの可能性を潰します。
しかし、これまでの恋人との関係で得た成長を支えに、
別れることができたら、
その得た成長をベースに新しい恋人が現れます。
それは成長したあなたの霊性に見合った恋人のはずです。
出会いを求めても行動できない人は、
人と人との交流で湧き上がる創造性の意外性に心を開けません。
自分と人との間に恐怖を置くのを辞めましょう。
恐怖の壁を打ち破ってみましょう。
その堅固なハリボテの壁は突破してみると、
暖簾を払うほどに手応えがないはずです。
なんでこんなことに恐れを感じていたのかと、
自分の弱さに呆れるでしょう。
どんな場合も夢の提案はいっとき恐ろしく映るかもしれません。
しかし夢の提案はこれまでの枷を取り払うものです。
虚空に歩を踏み出す怖さにおののき、
無い恐怖をイメージで作り上げているその自分に気づくためのものです。
これはエゴの働きです。
このとき夢はその後、手を替え品を替えて、
行動するようにサポートします。
つまり行動を促す夢がずっと続くのです。
自分はどうありたいか、
そのイメージをしっかりサポートするのが夢です。
夢という一見馬鹿馬鹿しいものを信じて、
虚空に歩を踏み出してごらんなさい。
その豊かさは計り知れない!
夢を行動に移して、
その結果を知った時、
「こんなことならもっと早くに行動しておけばよかった?!」
そんな嘆きを口にする自分に気づくでしょう。
逡巡を続けていた時の砂を噛むような気持ちは消えて、
穏やかな中に力がみなぎるような不思議な安定感の中にいるはずです。
これが夢を理解し、
夢を生きるためのツールにする近道です。
この22日に養成講座12期が始まりました。
ケース研究のためのクライアントに応募下さったみなさん。
この夢の近道をご理解いただきますよう願っています。
これから4ヶ月間、
共に夢を歩んでまいりましょう。
次回の養成講座でもクライアントは募集します。
ご興味のおありの方は、
早めに個人セッションかオープンクラスにおいでください。
ご応募お待ちしています。