
そしてみた夢が、
「誰とは知らないひと組の男女が目の前にいる。
女性は大柄で色白。
女性は(何か)悪いことをしたらしい。
しかしその悪事についてふたりは触れられたくないとわたしは承知している。
なのにわたしはその言われたくないことを、
ふたりに向かってあけすけに言ってしまう。
すると、にわかにふたりは気色ばむ。
こうなってはじめて、ふたりはわたしの命を取るつもりだと察する。
そんな自分のバカさ加減に、
なんて学習能力のないわたしなのだと、
呆れながら慌てて逃げる。
幸い入り口は昭和の安物のガラスの入った玄関引き戸で、
細い木製の格子があるだけなので、
そのガラスに突っ込めば逃げおうせると踏む。
そこで身を翻してガラス戸に突っ込むと、
期待通りにやわな引き戸は壊れるが、ガラスも壊れる。
ここに来てやっとあのふたりは、
この鋭角に砕けたガラスがわたしに刺さって死ぬと予測して、
わたしを追いかけてこなかったのだと気付く。
あぁ、これで死ぬのだ。
(と、自分の動作をスローモーションで感じながら目を覚ます。)」

夢を思い出し記録しながら愕然としました。
「なのにわたしはその言われたくないことを、
ふたりに向かってあけすけに言ってしまう。
すると、にわかにふたりは気色ばむ。
こうなってはじめて、ふたりはわたしの命を取るつもりだと察する。」
「ふたり」は夫を指しています。
夢の二人連れはノミの夫婦の感じです。
夫は今の状態で、
どこか彼の魂がバランスをとりながら、
悪いと思って居ることをやって居るのでしょう。
この辺をうまく説明できないのですが、
わたしはひとり現状の自分で対処して居ることがわかります。
この心理戦を夫と10年間接してきたと感じます。
わたしが生き方に関して何か言えば、
彼は気色ばみ、
挙句に怒り出します。
対話に乗ってこない彼を土俵に乗せるには、
何回かのやりとりが必要になります。
ここでわたしは失敗をする訳です。
挙句彼はどこでどうすれば怒りのスイッチが入るか理解しろと言います。
怒り始めた彼を目の前に、
わたしはいつも学習能力のない自分だなあと忸怩たる思いになるというわけです。
どんなに言葉を選んでも、
そのニュアンスは「あなたが悪い」となっているのだと思います。
正論は正論が故に相手を追い込むものです。
正論は時に人を傷つけます。
当たり前を夢は伝えているのですね。

10年間、わたしは自分の正しさに酔っていたのでしょう。
良き妻でありたい。
賢い伴侶でありたい。
強く忍耐力のある伴走者でありたい。
役に立つ援助者でありたい。
真理はわたしの側にある。
この思いに囚われているのですから、
言葉にも力が入り緩めることを知りません。
この夫との間で繰り返したパターンについて、
自分を弁護したい気持ちはいくらもありますが、
ここは夢の言う通り、
霊的に賢くない自分を受け入れなければらちがあきません。
これが夢の鋭さです。
自分の言い訳は置いといて、
夢の指摘する視点で物事を捉えなければ、
ここから抜けることはできないのでしょう。
10年間のはじめの頃は、
幼児に諭すように、
真理とはこういうものだと、
夫に言い聞かせて来たように思います。
女は結婚すると相手の母親になると、
バグワン・ラジニーシも言っていますが、
女が夫の母親になる理由を大まかに言ってしまえば、
男性は対局的な見方をし、
女性は大局的な見方が得意だということでしょうか。
男性はこの世的な対処を得意とし、
女性はあの世を含めて物事を捉えようとします。
でなければ魂の容れ物である子を子宮に向かい入れることはできないことで、
これを女は子宮で考えると古来表している様に思います。
だから男はこの世で能力的に有利に働き、
女性は大地を味方にすることで強さを発揮します。
(とは言え現代社会の女性像は、
この特性を生かしきれていないように思いますが。)
この短い説明で夫婦の特徴を表すのは不十分と思いますが、
この世に集中して自己表現をする男性(夫)に、
女性のわたしは説明のつかない戸惑いを感じています。
これまで夫に取って来た態度をこれで全て説明できるわけではありません。
しかしふたりだけの生活なので、
危機はいつもギリギリのところで回避するように、
どこか暗黙の了解事項となって、
夫教育は危ういバトルを切り抜けて来た様です。
話を戻して、
この夢を見た三日後、
わたしは1メートルの高さの崖から、
頭を下に落ちてしまいました。
わずかな崖の上の空き地を畑にしようと、
ひとりで作業を始めたばかりでした。
落ちる瞬間意識ははっきりとあって、
「あら、落ちちゃった!」と思いながら、
「大事ない!大丈夫!」と自分に言い聞かせたものの、
ふと気づいたら頭から血を出していたので、
夫に救急車を呼んでもらうことにしました。
MRIの検査を受けるまでじっと動かずにいたのですが、
頭の左側面を打ったらしく、
左の額に大きなコブができ、
左の外耳は擦れて半開きになったようでした。
そこを洗浄してくれた医者と外科の医者の会話は、
「縫うことはできない」ということでした。
外耳は餃子の皮が二枚に剥がれたと同じ様子(?)らしく、
その厚みのないところに砂が入り縫えない様でした。
幸いMRI検査に異常はなく、
次の日からしばらくお岩さん様の顔になってしまいましたが、
外耳と頬の擦り傷だけで他に大事はありませんでした。
とは言え、あの世はひとまたぎだったと思います。
夢はきつい警告だった様です。
それを予知夢にしてしまったわたしでした。
つまり、夢で死んで、
現実でも臨死体験をしないとこの先はないと言う、
神意を汲まなければならない訳だったのです。
ーつづくー