[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2017年06月30日

魂磨きの現実2

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そしてみた夢が、
「誰とは知らないひと組の男女が目の前にいる。
女性は大柄で色白。
女性は(何か)悪いことをしたらしい。
しかしその悪事についてふたりは触れられたくないとわたしは承知している。
なのにわたしはその言われたくないことを、
ふたりに向かってあけすけに言ってしまう。
すると、にわかにふたりは気色ばむ。
こうなってはじめて、ふたりはわたしの命を取るつもりだと察する。
そんな自分のバカさ加減に、
なんて学習能力のないわたしなのだと、
呆れながら慌てて逃げる。
幸い入り口は昭和の安物のガラスの入った玄関引き戸で、
細い木製の格子があるだけなので、
そのガラスに突っ込めば逃げおうせると踏む。
そこで身を翻してガラス戸に突っ込むと、
期待通りにやわな引き戸は壊れるが、ガラスも壊れる。
ここに来てやっとあのふたりは、
この鋭角に砕けたガラスがわたしに刺さって死ぬと予測して、
わたしを追いかけてこなかったのだと気付く。
あぁ、これで死ぬのだ。
(と、自分の動作をスローモーションで感じながら目を覚ます。)」

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夢を思い出し記録しながら愕然としました。
「なのにわたしはその言われたくないことを、
ふたりに向かってあけすけに言ってしまう。
すると、にわかにふたりは気色ばむ。
こうなってはじめて、ふたりはわたしの命を取るつもりだと察する。」
「ふたり」は夫を指しています。
夢の二人連れはノミの夫婦の感じです。
夫は今の状態で、
どこか彼の魂がバランスをとりながら、
悪いと思って居ることをやって居るのでしょう。
この辺をうまく説明できないのですが、
わたしはひとり現状の自分で対処して居ることがわかります。
この心理戦を夫と10年間接してきたと感じます。
わたしが生き方に関して何か言えば、
彼は気色ばみ、
挙句に怒り出します。
対話に乗ってこない彼を土俵に乗せるには、
何回かのやりとりが必要になります。
ここでわたしは失敗をする訳です。
挙句彼はどこでどうすれば怒りのスイッチが入るか理解しろと言います。
怒り始めた彼を目の前に、
わたしはいつも学習能力のない自分だなあと忸怩たる思いになるというわけです。

どんなに言葉を選んでも、
そのニュアンスは「あなたが悪い」となっているのだと思います。
正論は正論が故に相手を追い込むものです。
正論は時に人を傷つけます。
当たり前を夢は伝えているのですね。

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10年間、わたしは自分の正しさに酔っていたのでしょう。
良き妻でありたい。
賢い伴侶でありたい。
強く忍耐力のある伴走者でありたい。
役に立つ援助者でありたい。
真理はわたしの側にある。
この思いに囚われているのですから、
言葉にも力が入り緩めることを知りません。
この夫との間で繰り返したパターンについて、 
自分を弁護したい気持ちはいくらもありますが、
ここは夢の言う通り、
霊的に賢くない自分を受け入れなければらちがあきません。
これが夢の鋭さです。
自分の言い訳は置いといて、
夢の指摘する視点で物事を捉えなければ、
ここから抜けることはできないのでしょう。

10年間のはじめの頃は、
幼児に諭すように、
真理とはこういうものだと、
夫に言い聞かせて来たように思います。
女は結婚すると相手の母親になると、
バグワン・ラジニーシも言っていますが、
女が夫の母親になる理由を大まかに言ってしまえば、
男性は対局的な見方をし、
女性は大局的な見方が得意だということでしょうか。
男性はこの世的な対処を得意とし、
女性はあの世を含めて物事を捉えようとします。
でなければ魂の容れ物である子を子宮に向かい入れることはできないことで、
これを女は子宮で考えると古来表している様に思います。
だから男はこの世で能力的に有利に働き、
女性は大地を味方にすることで強さを発揮します。
(とは言え現代社会の女性像は、
この特性を生かしきれていないように思いますが。)
この短い説明で夫婦の特徴を表すのは不十分と思いますが、
この世に集中して自己表現をする男性(夫)に、
女性のわたしは説明のつかない戸惑いを感じています。
これまで夫に取って来た態度をこれで全て説明できるわけではありません。
しかしふたりだけの生活なので、
危機はいつもギリギリのところで回避するように、
どこか暗黙の了解事項となって、
夫教育は危ういバトルを切り抜けて来た様です。

話を戻して、
この夢を見た三日後、
わたしは1メートルの高さの崖から、
頭を下に落ちてしまいました。
わずかな崖の上の空き地を畑にしようと、
ひとりで作業を始めたばかりでした。
落ちる瞬間意識ははっきりとあって、
「あら、落ちちゃった!」と思いながら、
「大事ない!大丈夫!」と自分に言い聞かせたものの、
ふと気づいたら頭から血を出していたので、
夫に救急車を呼んでもらうことにしました。

MRIの検査を受けるまでじっと動かずにいたのですが、
頭の左側面を打ったらしく、
左の額に大きなコブができ、
左の外耳は擦れて半開きになったようでした。
そこを洗浄してくれた医者と外科の医者の会話は、
「縫うことはできない」ということでした。
外耳は餃子の皮が二枚に剥がれたと同じ様子(?)らしく、
その厚みのないところに砂が入り縫えない様でした。

幸いMRI検査に異常はなく、
次の日からしばらくお岩さん様の顔になってしまいましたが、
外耳と頬の擦り傷だけで他に大事はありませんでした。
とは言え、あの世はひとまたぎだったと思います。

夢はきつい警告だった様です。
それを予知夢にしてしまったわたしでした。
つまり、夢で死んで、
現実でも臨死体験をしないとこの先はないと言う、
神意を汲まなければならない訳だったのです。
                               ーつづくー

posted by 天の鳥船庵 at 10:49 | Comment(1) | 夢の活用法

2017年06月26日

魂磨きの現実1


自分のことは良くわからない。
けれどひとのことは良くわかる。
わたしもその例に漏れず、
日々の生活は待った無しで苦戦を強いてきます。
その苦戦を強いる難問に、
この10年間どれほど無様な日々を送ってきたか。
そんな話をこれからしてみようと思っています。

結婚は魂磨き。
自分も勿論例外ではありません。
むしろ外に向かって言えば言うほど、
キツイ試練が自らの日常に起きてきます。
日々の何気ないシーンでさえ、
さらっとやり過ごせない自分。
なんて下手な生き方しかできないのだと自分が自分に呆れます。

ここ10年ほどわたしの大問題は、
夫に話が通じない。
特に生き方についてどうにも話が通じない。
わたしの特異な夢の仕事に関しては、
誰よりもの理解者なのに、です。

大事なところで話が通じない。
と、わたしは思っているので、
どうにも苦しいのです。
この未消化な思いからなんとか脱出することはできないものか。
悶々としながらこの10年を過ごしてきました。

こんな風にお話しすると、
「どの夫婦もおんなじですよ」と、
外から声が聞こえそうです。
多かれ少なかれ意に沿わないのが結婚生活で、
そうなると以後の生活は妥協の産物になりかねません。
そうはさせじと孤軍奮闘を強いることになります。
結婚生活は共同生活でありながら、
魂の芯のところでは個々の霊性育成。

さてそこででは、「どこがどう話が通じないか?」の話はまだできません。
なんでこんなにも話が通じないか、
その全体像がわたしに見えていないからです。
見えていないのかもしれないからです。
こちらの鬱憤かもしれない。
こちらの都合かもしれない。
ややこしい話ですよね。

講座の中でよく思うのは、
多くの人が自分の信念で人を図り、
それで苦しんでいる姿です。
それをわたし自身がやっている可能性があります。
これを考えることが「魂磨き」?
(分かったようで分からない?)

結婚して年月を重ねていくと、
その長さに倍加して、
相手に対する違和感が増えます。
違和感という言葉は便利ですが、
忸怩たる思いというか。。。。。
その忸怩の元、
自分が自分の何に恥じ入るかといえば、
見立ての違いに。
夫選びに。
あら、わたしってこの程度の眼識力しか持ち合わせなかったのね、と。
自分が自分にダメ出しをする羽目になります。

この自分へのダメ出しが、
魂磨きの元になる要素だとわたしは思っています。
とはいうものの誰もがこの形を取って、
魂磨きの原因に出会うのかどうかについてはなんともいえません。
しかし多くの人は多かれ少なかれ、
伴侶に飽き、結婚生活が予想と違うという思いを抱いて、
生きるテーマに出会って行くのだろうと思います。

そんな違和感の真ん中を行かなければ、
違和感の原因はわからないでしょう。
そしてその違和感を、
共感と協調という、
彼岸へ連れていってくれる道連れにすることはできない。

違和感を消化したい。
違和感を昇華したいのです。
本当は違和感を消火して、
変容につなげていきたいのです。

夫婦は元気で自分の仕事に夢中になっていられる間は、
その違和感に危機感はありません。
ところがわたしたち夫婦は神の覚えめでたく、
結婚生活15、6年を迎えて不均衡が生じて、
互いの魂磨きに突入となったのでした。
こうなると相手はきつい鋭利な研磨剤となり、
話が通じない部分が二人の間の全部と錯覚させるようになります。

この分岐点に来た時、 
それが自分の魂が求める本当の人生修行の目的なのだと、
わたしは気付いたのです。
しかし気づいてはみたもののその全貌というか、
核になるものが見えたわけではありません。
(そうはいうものの平たくいえば、
すべての魂の方向はこの人生で愛を創造することでしょう。
魂の独自性で愛を作って行くことなのだと思います。)
というわけで、核ははっきり言えないけれど、
目的というか方向性は見えて来ました。

夫婦は平行線。
電車のレールのようだと話してくれた方がいるのですが、
この慰めにも心は静まらないほど、
わたしの中では忸怩たる思いが夫との間にあります。
「あった」と言いたいところですが。

この相手に伝わらないもどかしい感じを離れて、
大局的観点からものが見えないものだろうかと願うのです。
心のうちにある、
相手に通じない思いを、
相手の生き方にその理由を探るのではなく、
自分の霊性のあり方に原因を求めなくては、
これを修行のテーマに成しえません。

そこで4月思い余って夢に訊いてみました。
「いま、夫に取るべき態度を正確に知りたい(教えてください)」(1)

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                         ーつづくー





posted by 天の鳥船庵 at 16:48 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年06月13日

感謝の言葉

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自慢話になりますが、
天の鳥船庵が提供している講座の成果の話です。

どうやら今政府の存続が怪しくなってきました。
昔に比べ、不都合も人目に付かない活動も、
多くが白日の元にさらされるようになってきました。

その流れるエネルギーに善悪はないので、
地球規模とひとりひとりの内面に力動がはたらいて、
気づきの連鎖がさらに大きく広がっています。

そんななか認定者のおひとりが、
天の鳥船庵で勉強した3年の成果を、
感謝として報告してくれました。
自分の心の内が周りの人に波及していったというお話です。

ー引用始めー

昨日先生にお話しした
「夢を学んできて良かったと思えた話」ですが
先生への感謝の気持ちと自分の振り返りとしてまとめてみました。

今回遭遇した事件は、
私に責任がないとは言え、
私の行動が
関係する人々の人生に影響を与えるかと思うと足のすくむ出来事でした。

そんな中
「私はどうありたいのか?そのためにはどうしたら良いのか?」を
繰り返し自分に問いかけ
「私は誠実でありたい」という思いを確認した上で、
行動する事が出来ました。
それが自分の軸になり自信となり、
私がぶれずにいることで共に行動する仲間を支える力にもなりました。

これは夢を学んできた3年間、
毎月自分の思いや歪みや自分の行動パターンを
その時その時振り返って自分を見つめてきたからだと思います。
夢の指摘は厳しく生かし切れずもどかしいと思ってきましたが 、
ほんの少しずつ、私は強くなっていました。

クローズクラスや養成講座で
他人の様々な人生を垣間見た事も どれだけ私を豊かにしていたのかと思います。
魂を磨くために、
自分を生きるために、
今それぞれの人はどうしたら良いのか?
また他人の人生に私は立ち入れない事(その人のカルマはその人の課題である)、
そんな事を知っている事が私の力になっていたのです。

ー引用終わりー

自慢話1.jpg

この方は、
「夢の指摘は厳しく生かし切れず」と正直に語ってくれました。
わたしも夢に取り組むたびに何度その厳しさに萎えたことでしょう。

しかしそれはこちらの誤解で、
夢は、「You can do it」といつも側にいて励ましてくれる証拠です。
夢は、いつも「人生諦めることはない」と助言をくれます。
夢は、夢主の人生を諦めることがないのです。
だからこちらが萎えて夢に立ち向かえない時があっても、
しっかり寄り添ってくれます。

養成講座では実践練習として、
クライアントに4ヶ月間夢療法を体験してもらいます。
この時、最初の夢ひとつでその方の大方が窺えます。
それを受けて、こちらは人生の妙と神聖さを覚えます。
その感動は他人を善悪で考えることなく、
「ぶれずに支えになれる自分」を養ってくれます。
このことが「私は誠実でありたい」という言葉に表れています。

この感謝の言葉の主は、
養成講座のクライアントから夢の取り組みを始めました。

わたしも養成講座のクライアントをやってみたいと、
ご興味の湧いた方は、
まずはオープンクラスまたは個人セッションを申し込まれてください。


posted by 天の鳥船庵 at 09:55 | Comment(0) | あれこれ