
春の斑入りユキノシタ群生
拙著「夢は神様からの最高のシグナル」(コスモ21)は、大方夢辞典です。
今回はこの辞典をどう役立てるかをお話しましょう。
夢を理解するのに辞典を使うなんてと思われるでしょうが、
単語の意味を考え、
そこを足がかりにすると夢がわかりやすくなります。
その考えるプロセスをお話ししましょう。
夢は自分のものです。
そして夢は奇妙奇天烈です。
しかし自分が奇妙奇天烈だとは思えません。
夢が奇妙奇天烈なのであって、
自分の心の内が奇妙奇天烈だとは思えません。
そこで夢の辞典の単語を引いたところで、
何になると疑問を持たれるでしょう。
しかし単語だけにすると、
却ってこれが夢と自分の心とを繋ぐ役目をしてくれます。
夢が伝えたいことは案外シンプルですが、
自分の心がシンプルだと思える人はまずいません。
自分の心は深遠で、
計り知れない広がりと可能性を秘めながら、
一方で複雑怪奇だと思っています。
心は深遠です。
しかし夢が伝えたいことは、
今取り組むべきことなので単純です。
夢が伝えるメッセージは深いですが、
極めて個人的でシンプルです。
その個人的なところを掴むために、
一旦自分から離して、
夢に出て来た単語の意味を調べると、
夢の伝えたい芯のところがキャッチできます。
では例題の夢をご覧ください。
夢本体
【(人々が行き交う場所で)
トイレに行こうと廊下を歩いていると、
死にそうな赤ん坊が寝ている。
トイレに行くにはそこしか道がない。
他の人はその脇を行き交っている。
死にそうな赤ん坊の脇を通るのははばかれる。
しかしトイレを済ませ、
戻ってしばらくすると、
「赤ん坊置いてきちゃった、どうしよう」と、思う。】
さてこの夢をどう考えるか?
そう思っただけでとっかかりがない感じではありませんか。
「赤ん坊」といっても気分の良い夢ではありません。
普通「赤ん坊」と聞いたら可愛らしく楽しげで、
幸先の良い何かがはじまりそうな感じなのに、
この夢の「赤ん坊」は瀕死で、
「赤ん坊置いてきちゃった、どうしよう」で終わっています。
こんな風にどう考えて良いのかわからない時、
一番重要な単語を考えます。
どんなにたくさんの事物が登場しても、
それがなければこの夢は成り立たないと云う最重要要素です。
余計な単語をそぎ落とし、
最後にこれだけは外せないという単語です。
となると、考えるまでもなくこの夢では「赤ん坊」です。
では、「赤ん坊」とはどういうものかを考えてみましょう。
この世の「赤ん坊」は愛し愛された1組の男女が、
この世で最高の甘美を体験した末にこの世に生み出したものです。
二人の愛し合う気持ちなくして「赤ん坊」は生まれません。
愛し合う行為無くして「赤ん坊」は生まれません。
「赤ん坊」にはこの意味づけがどうしても必要です。
赤ちゃんは性行為がなくては、
この世に存在し得ないのです。
それ以上にその性行為が成り立つ
愛する意志を持った男性と、
愛を受け入れた女性の体が、
共に歓喜を体験した結果生み出された命です。
そして女性の子供をこの世に送り出し、
共にこの世を楽しみたいという願いが込められていなければ、
生み出されることもない命の宝です。
これがあなたの心の中で起きたことです。
あなたは人生を愛し、
その愛を心と体で体験しています。
実際美味しいものも食べられるし、
この世はどこかで悪くないと思っているでしょう。
それに実際自分には具体的な望みがあり、
それを形にできる微かな予感をもっています。
あなたの基準であなたは人生を愛し、
あなたの考えをこの世に何かの形で生み出したいと思っています。
それがあなたの夢に現れた「赤ん坊」です。
その「何かの形」とは何でしょう。
ここで自分の中の「赤ん坊」を考えます。
取り敢えず、瀕死だろうと世話する者がいなかろうと、
自分の「赤ん坊」とは何かを考えるのです。
「赤ん坊」とは、
私の心の中の新しい何かです。
自分のこれまでを振り返り、
ここにきて得たいと思っているもの、
新しく挑戦したいと思っていることです。
あるいはこれまでの自分では対処しきれないので、
新たな打開策や道(人としての在り方や手段)は何かを考えるのです。
そして表面意識では不満タラタラな毎日だろうと、
あなたは生きることを喜びたいと願っています。
それが「赤ん坊」です。
人によって何かは「人を愛すること」かもしれません。
でもこの愛はとても具体的なので、
漠とした人類愛ではなく、
人生の伴侶を求める愛や、
無償の愛を捧げることになる、
この世に子供を生み出すことかもしれません。
夢が指し示す「赤ん坊」は具体的です。
つまり前者は結婚相手を求めて具体的な行動に出ること。
後者は妊娠の準備に取り掛かることでしょう。
それを決めるのはあなたなので、
あなたは「赤ん坊」の夢で、
自分のこれまでを丁寧に振り替えざるを得ません。
もちろん「何かの形」とは、
人の接し方や特殊な才能を開拓するようにという場合もあります。
これが「赤ん坊」という単語から考えたメッセージです。
また、夢がこんなに具体的に指示してくるのですから、
「取り組むなら実現可能です」という意味もセットになっています。
夢はやってできることしか言ってきません。
しかしここで多くの人は足踏みします。
行動に踏み出せないのです。
プライドが邪魔をします。
「失敗したらみっともない」と。
そこで「良い人がいたら結婚でもして見ましょう」という言葉になります。
これは自分と周りを騙す言葉です。
それはトラウマです。
「失敗したら取り返しがつかない」と思うそれがトラウマです。
この二つは切り離せないのですが、
結果がはっきり出ないこと、
特に人との繋がりが問題となる「相手の気持ち」には怖気付きます。
また才能開拓にしても、
それにまともに挑めないのは、
成就した際に生じる責任への恐れです。
成功した際の自分がどんな態度をとるか恐ろしくて想像ができません。
多くの人はつるんだり競争をしたりは得意です。
しかし自分の気持ちひとつや、
相手の気持ちを聞かなければ成り立たない
プライベートな関係には臆病になります。
プライベートな関係にさえ比較や競争を入れたがります。
そこに安住する傾向があります。
社会的な基準を自分の気持ちにしてしまえば、
自分の気持ちを正直に見る必要がないからです。
話を夢の「赤ん坊」に戻すと、
折角赤ん坊の夢を見てもその前で逡巡してしまいます。
だから「赤ん坊」が心のどこを育てていくことを言っているのか、
正確に見届け難くなります。
その難しいところを見る勇気さえあれば、
「赤ん坊」の夢は自分の心を育てる好機だと納得できます。
ここまでが単語だけで夢のメッセージを考えるプロセスでした。
どんなに複雑な夢でも主になる単語を見定められれば、
夢が伝える意味を外すことはありません。
では夢のストーリーを追っていくとどうなるかを考えて見ましょう。
夢を丁寧に見ていってもメッセージは同じになるはずです。
より具体的に夢がわかるというだけで違いはありません。
これについてはまたの機会に。
ーつづくー