[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2018年04月29日

養成講座の初日

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昨日は天の鳥船庵夢療法家養成講座第14期の初日でした。

クローズクラスを短い人でも1年以上勉強し、
自己探求の長い年月を経て、
これまでの勉強の成果を他人の胸を借り、
奉仕の道を開拓していくその端緒についた受講生の皆さん。

セッションを終える前に初日の感想を伺ったところ、
「場違いなところに来てしまったと思いました」とのこと。

自己探求は時にやり切れなさを覚えるものです。
全ての原因は自分にあるのだと納得していく作業だからです。
過去の実際の場面を思い描き、
そこの自分を体験し直し、
感情を正直に浮かび上がらせると、
見たくない、感じたくない自分の心情が不意に見えて、
誰も何も言わないのに、
自分自身でおののくのです。

だから自己探求の年月はそれはそれなりにハードではありますが、
養成講座の初日のワークは、
擬似面談を体験しただけで、
クローズクラスでは気付けなかった、
自分の態度や姿勢に気づくことになります。

クローズクラスでやったこと、体験したことは、
まるでおままごとやお遊びだったと思えるくらい、
養成講座の初日は、
さらに深く等身大の自分と向き合うことになったのです。
これはこれまでの感覚とは違って、
純粋に力に変わっていました。

場違いとは思ったけれど、
それを払拭できるパワーを擬似面談を終えて、
受講生たちは体験できたようです。
夢療法家を養成する講座なので、
実際に面談をやってみるのです。
感じ切ってしまえば、
意識の光を当ててしまえば、
受容できた分だけ心は軽くなります。
心が軽くなるとそれが実践のパワーになってくれます。

今回の養成講座では、
講師見習い3人とスーパーバイザーが、
4人の受講生を世話できる態勢が整いました。
昨日の擬似面談の組み合わせでは、
またも面白いことに、
それぞれの夢がダイアドで同じテーマでした。
「母と娘」
「好きを仕事に」
「権威」
「自己表現を考える」
全体としては、変化の直前。
「明けない夜はない」とでもいうような。

これは醍醐味です。


posted by 天の鳥船庵 at 14:44 | グループセッション

2018年04月25日

がん治療と夢の役割

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先日ケイシーセンターから
「ケイシー療法によるがん治療の指針」の小冊子が送られてきました。

そこにケイシーが医療リーディングで示した治療法とは別に、
この小冊子の作者であるセンター会長光田秀氏は、
夢の活用ついて(P50)、
「ケイシーは『人生の重要な出来事で、
あらかじめ夢に知らされないものはないと述べ、
夢に対してもっと意識を向けることをわれわれに勧めています。」と、
夢の重要性を説いてくれました。
もちろんこの小冊子は、
がんについてのケイシー療法からの提言です。
その中に夢が加えられていることは、
いかに夢が人生において重要な指針になるかが知らされています。
またわたしの著書である「夢は神さまからの最高のシグナル」も
紹介されているのでこの場を借りて、
夢とがんとの関係をわたしなりに述べてみたいと思います。

まず夢は勇気づけです。
夢に取り組む前にそのことを自分に言い聞かせましょう。
夢は粗探しをしません。
夢はあなたを絶望の淵から救い出すことはあっても、
あなたをジャッジしません。
夢は、魂の願いを生きると決めた者には最強の人生の伴走者であり、
治療に向けてのヒントを指し示してくれるでしょう。

がんに限らず、
人生を左右するほどの難病奇病に侵された場合、
それはあなたの魂の合意でなされた、
取り組むべき課題を自分で附置したのだと理解しましょう。
そうはできないとしても、
この真実は知っておいて損はありません。
なぜこんなことを言うかといえば、
夢が言ってくることは、
がんをどのように霊性発達に役立てていくか、
そのことだけだからです。

あなたの魂が納得して病状に取り組むと決めたのなら、
あなたはここで立ち止まり、
内観的にならざるを得ません。

がんはほとんどがこの内省が目的です。
いつもと変わらない日常にあって、
体の不調があると知ったら歩を止めます。
歩を止めれば、
心の動きと体の状態に神経が行くようになります。
これこそが、
魂本来の生き方に軌道修正するようにとの神のご加護が働いた証です。
だからがんになる前には、
夢でかなり注意を受けています。
神は前々から注意を促してきましたが、
それに気づけなかったので
がん治療から軌道修正をはじめることは、
神の承知していることでもあり、
これから神はあなたとともに歩めることを喜んでいるでしょう。

そこで軌道修正は時間のかかることですから。
それまでに夢はどうだったのかを思い出せれば、
これからの治療に役立つはずです。

肉体の状態はいかようか。
自分の心を正直に感じ取っているか。
霊性に則った生き方をすくい出せているか。
この三つの視点でこれまでの夢を振り返ることができれば、
取り組むべき問題点に気づけるでしょう。

もう一度ここで再確認をしますが、
がんの宣告は戒めではありません。
がんによって内省は求められているけれど、
がんはお仕置きではありません。
恥ずべきことではなく、
むしろ勇気ある魂の決断と言えるでしょう。
この視点に立てるかどうか。
がんに取り組む際はこれが重要な基盤となります。

さて過去の夢を分析できてもできなくても、
これからがん治療に取り組む方は、
ぜひ夢日記をつけてください。
毎日ではなく、
できれば新月から上弦の月までの間に夢に問いかけをします。
夢に取り組むなら、
月一ぐらいの回数でいいのです。
霊性発達は時間がかかることを承知しておいてください。
一瞬の間に心の変容が起きることはありません。
時間を味方にゆっくり丁寧に自分の心を鍛え、
体の状態と体が伝えてくることを知るように心がけましょう。

そして夢が伝えることが分かれば、即実行です。
実行に移した成否判断は夢が得意とするところです。
夢は占いではないので、
「ひまし油パックは私に合いますか?」というような質問をしても、
埒が明きません。
「夢が良いといえばやってみよう」と思っていれば、
夢はその質問に永遠に答えることはないでしょう。
ひまし油湿布が自分に合うかどうか、
それについては理性を総動員して考え、
自分なりの結論を出して実行すれば、
その成否を夢は出してくれます。
夢に聞くまでもなく、
ひまし油パックが合うか合わないかは体が感じ取るでしょう。

繰り返すと、治療法について考え決断し、
その決断を実行すれば、
夢はその行為が適切か不適切かを教えてくれます。
この「実行があって夢に訊く」の関係は自由意志のあり方に関係し、
あなたの自由意志を退けて、
夢が何もかもを答えるわけではありません。
あなたの意思が何よりも優先します。
あなたは夢を使いこなす人でなくてはいけません。
夢は神と直結しています。
神と直結している夢を使いこなすと言うことは、
神を使いこなすと言うことと同じです。
神と共にがんに取り組むことを神はお喜びです。
神もまたわたしたちひとりひとりの思いと行動を通して、
日々成長しているらしいと言うのが、
いまのところの私の結論です。

さて、では人生の先達で、
がんを夢を通して克服した実例も、
治療半ばであちらの世界に帰られた実例も承知していますが、
残念ながら資料として公にできる事例はありません。
どちらであっても夢には相当個人的な内容が含まれ、
それぞれが選んだ治療法も様々です。
それで記事にできる程の症例は今の所ありません。

しかしがんを発症する方の傾向は見えています。
この狂ったような現実社会に無理やり自分を適合させた人が、
がんになっているようです。 
個人レベルの度合いもあるので、
どれくらい適合したらがんになるかはわかりません。
夢の一例を挙げれば、
チャーリー・チャップリンの「モダン・タイムス」を彷彿とさせる
処理された人々がベルトコンベアーに乗っているのもあります。

いま振り返れば、
おぞましいシーンだとわかりますが、
チャップリンの喜劇の一場面を見ているくらいにしか受け取れなかったでしょう。
がんを発症する何年か前の夢なので、
この時点で気付けば、
その後の人生も変わっていたかもしれないと思うところはあります。
しかし、夢には太い柱のような真実があるので、
その真実としてこのベルトコンベアーの夢があり、
その方はがんを体験するのが目的の人生だったのかもしれません。
(注:どうもわかりにくい文章ですが、ここではこのままに)

続いて、治療法というより、
体の弱点を経穴や経絡を通して知らせてきた夢もあります。
人には理解の分野があり、
理解しやすい象徴を通して症状の原因箇所を知らせてくる夢があります。
オーラソーマやフラワーエッセンス、鍼灸の知識を通して、
症状の原因を知らせてきます。
一般的には虹の七色を通して、
色が示す内分泌腺に問題があると知らせてくる夢もあります。
この場合は色の示す内分泌腺が関係する内臓に疾患が起きそうだいうことです。
例えば、くすんだ緑が心臓に問題があると知らせてきたり、
紫が女性器に症状が現れるだろうと知らせてきたりということです。
この段階ではほとんどの場合症状としては現れにくいです。
そこで夢の忠告を無視しがちです。
しかし、想いを正確に自分で感じ取れないで、
処理できなければ、
その思いを肉体の細胞が引き受けることになり、
細胞内で処理できなくなると症状として自覚するようになります。
これがどうやらやっかいながんの素になるようです。

また、夢の建物は特に病状の原因を知るのに助けになります。
特に寺院や教会は、
その形から瞑想の時の体の形状と重ねることができるので、
部位を特定することが容易です。
例えば、教会のチャペルの土台に虫が這っていたら、
それは第5チャクラの甲状腺に原因を見ることができます。
(注:上記の例を直ぐに自分の夢に当てはめず、
参考にするだけにしてください。
ひとつの夢で大きな結論を出さず、
前後の夢も参考にし、アドバイスを引き出してください。)

さてざっと「夢とがん」について見てきましたが、
夢と症状との関係はまだ資料として整っていません。
これから事例を集めて、
この表題のように「がん治療と夢の役割」として世に出したいと考えています。
しかしその前に「夢と健康への指針」の方が先になるでしょうか。
それほど、夢は健康状態を知らせてきます。
わたしたち人間の方が夢の役割に鈍感なだけで、
夢の奥深さとその科学性に気がついてないだけのようです。

繰り返しますが、
「がんの宣告は戒めではありません。
がんによって内省は求められているけれど、
がんはお仕置きではありません。
恥ずべきことではなく、
むしろ勇気ある魂の決断と言えるでしょう」
この視点に立てるかどうか。
がんに取り組む際はこれが重要な基盤となります。

このことをしっかり心に刻んでもなお、
がんを不幸せと思うのだったら、
しばらくその気持ちのままでいてください。
自分の気持ちに正直でいるのは並大抵ではありません。
無理に楽観的である必要もありません。
むしろがん治療はここから始める必要があるでしょう。
それが霊的な生き方の第一歩なのですから。

この一文がお役に立てたら幸いです。



posted by 天の鳥船庵 at 14:05 | 夢の活用法

2018年04月23日

たま・しい・になる

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この往復書簡は、受講生の美奈子(仮名)さんがクローズクラスを終えて、
次の養成講座に来られる間に下さったお手紙と、
それに対する講師からの返答です。

講座では度々受講生に注意するのですが、
いわゆる精神世界の講座でどれほど高邁な話を聞こうとも、
はたまたそのワークで気づきを得ようとも、
日常に戻ってその気づきを実践できなければ、
得た気付きは雲散霧消してしまうものだと。
つまり得たと思った気付きも、
実行に移せなければ身につきません。

講座を開いている側からすれば、
受講するだけでも変容は起きると言いたいところですが、
それは真っ赤な嘘になります。
1年間夢から言われている忠告は同じなのに、
それを実行に移すことなく終える人も、
残念ながらいます。
そうなると精神世界を渡り歩くことになってしまいます。
そういう人を精神世界のサーファーと洩れ聞きましたが、
もったいないことです。

この美奈子さんは家族の一大事があって、
それが彼女に気づきをもたらしました。
その経緯を知らせてくれましたので、
みなさんにお目にかけます。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
{受講生の美奈子(仮名)さんから講師宛のメール}

クローズクラスも終わり日々の生活が戻ってきました。

今朝の夢は全く意味が分からず、メッセージ性も感じられないものでした。
それは、「山登りは、平坦に見えるところが坂で、坂に見えるところが平坦だ」というものでした。
そのあと、どういう意味があるのか(夢に)問いかけてみました。
ウトウトしていて見た夢は、
「ルーブル美術館のような強化ガラスの屋根を玉になった私が、
凄い勢いで突き破って入っていく。(気持ちがよかった)」というものでした。
キーワードを調べても分からず、全てが夢の変な所です。
他にやることがあるのですが、
夢を読み解く作業から離れられないでいましたので、
日々の振り返りをしてみることにしました。

昨日は高齢の義母の介護申請のために夫と一緒に病院に出掛けました。
杖をついてやっと歩ける母を病院まで連れて行く途中、
息子(夫)が体を支えたり手をつないだりしている姿を側で見ながら、
口では悪態をついているけど、
本心は母親を大切にしたいという気持ちが溢れているのをみていました。
そんな日々の事を思い出しながら、坂内先生の本を読み返していました。
その中で、「夢はトラウマの存在を教えその取り組みを教えてくれる」という一行に目が留まりました。
「夫の表に見える態度と心の中の2面性」それは、
正しく私の中にある二面性だと直感しました。
コルセットというトラウマの中で、縛られているのは苦しい、
でもそれを外すことで自由になる怖さにおびえ、
慣れ親しんだ世界に居た方が楽だとコルセットを身に着けるものの、
やっぱり縛りが苦しくて自由を求めて逃げ出したくなる私。
私も、表の顔と裏の顔で暮らしている。
そういう事だったのか!(講座で指摘を受けても腹落ちしていなかった)

精神世界(講師注:心の内)は現実世界(講師注:実生活)に反映されているのもよく理解できました。
婿養子に行きたいという子供(講師注:やっと結婚したいと言ってきた一人息子が何代も続いた旧家の跡取り息子を返上し妻になる人の姓を名乗りたいとのこと)に、
家という縛りを押し付けながら、
自由に生きて欲しいと願う自分の二面性に、
息子は「母の本当の気持ちが見えない」と言っていましたが、
私のトラウマが彼を苦しめていたのか、
というのが十分過ぎるほど理解できました。

夢は現実世界で歩まなければ意味がありません。
自分のトラウマ克服に向けて、今日が一歩の記念日となりました。
夢を学んで本当に良かったと思います。

今日の夢の解釈がこれで良いのかは分かりません。
先生からのアドバイスが頂ければ嬉しです。
 
美奈子

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

{講師から受講生の美奈子さんに宛てたメール}

最初の夢、「山登りは、平坦に見えるところが坂で、坂に見えるところが平坦だ」
その後の白日夢では、「ルーブル美術館のような強化ガラスの屋根を玉になった私が、
凄い勢いで突き破って入っていく。(気持ちがよかった)」と言うのですね。
このメッセージの関連性と、
気付かれたエピソードとの関連性を見ていくことにいたしましょう。

辞書で「山」を引かれましたか。
「山登り」は自己探求を象徴します。
この夢の場所は山の中。山登りの最中です。
美奈子さんは自己探求の真っ只中にいます。

実際、山登りをすると、平坦なところに出た時ホッとします。
それまで集中して登っていますから、気は張り詰めているのでいつも油断ができません。
それが平坦なところに出て、足を上げ続けなくて良いところに来たので、
集中も溶け、気が緩みます。
つまりホッとして休憩に入った気分になります。
しかしこれはまだまだ続く山登り(=自己探求)に向けて、
いっとき体力気力温存の時です。
なのでこの気の緩みは過ごし方によってこの先に影響が出ます。
この休憩の取り方で山登りを続けられるかどうかがある意味決まります。
「山登りは、平坦に見えるところが坂で、坂に見えるところが平坦だ」の意味は、
自己探求に一心不乱の時(=坂)はそれに集中するので安全だし、
安心だけれども、平坦なところに来ると休みたくなって気も緩む。
この時をどう過ごすかが大切だと言われているように思います。

「クローズクラスも終わり日々の生活が戻ってきました。」
の書き出しで今回連絡をくださったのですから、
これから養成講座においでになるそれまでの時間の今をどう過ごすか、
まさにそれを指しているのでしょう。

そこで見えてきたのが、
「昨日は高齢の義母の介護申請のために夫と一緒に病院に出掛けました。
杖をついてやっと歩ける母を病院まで連れて行く途中、
息子(夫)が体を支えたり手をつないだりしている姿を側で見ながら、
口では悪態をついているけど、
本心は母親を大切にしたいという気持ちが溢れているのをみていました。 ー中略ー
 「夫の表に見える態度と心の中の2面性」
それは、正しく私の中にある二面性だと直感しました。
コルセットというトラウマの中で、縛られているのは苦しい、
でもそれを外すことで自由になる怖さにおびえ、
慣れ親しんだ世界に居た方が楽だとコルセットを身に着けるものの、
やっぱり縛りが苦しくて自由を求めて逃げ出したくなる私。
私も、表の顔と裏の顔で暮らしている。
そういう事だったのか!(講座で指摘を受けても腹落ちしていなかった)
精神世界は現実世界に反映されているのもよく理解できました。」

ここで繰り返しになりますが、
この「精神世界(心の内)」と「現実世界(実生活)」が、
夢の「坂」と「平坦」の対比と思われます。
実は精神世界(講師注:講座のこと)で学んだことを、
家に帰って実際に当てはめられなければ何にもなりません。
つまり山登り(自己探求)をしているのではなく、
山登りのガイドブックを読んだだけです。
つまり「平坦」に当たります。
反対に実際に当てはめて行動にうつした場合、
初めて坂道、つまり山登り(自己探求)のはじまりになります。

夫と自分の二面性に気づかれたこと、
気づくことが学びに必須なのだとこの夢は教えてくれています。

次の、「ルーブル美術館のような強化ガラスの屋根を玉になった私が、
凄い勢いで突き破って入っていく。(気持ちがよかった)」というところは、
精神世界(講師注:精神世界業界?)で言う「ブレークスルー」(=難関突破)ではないかと思います。
「気持ちがよかった」とのことなので。
「ルーブル美術館のような」は、
「ような」を省いて、「ルーブル美術館(=封建制社会)」と受け取ってみてはいかがでしょう。
ルーブル宮殿と、
(強化ガラス製)ルーブルピラミッド(=魂の自由を目指す社会)の収まる
クール・カレ(方形中庭)からの眺めはこの夢の背景としてぴったりに思います。
「ルーブル城」はかつてコルセット姿が闊歩したところです。
そこでのカルマが今生のトラウマとなり、
「強化ガラスの屋根(=現代の粋を集めた思考形態=物質主義的価値観)を玉になった私が、
凄い勢いで突き破って入っていく」ことで、
原因(封建制社会)と結果(物質主義的価値観)が、
夢の「ルーブル美術館」に見られるということのようです。

クラスで話し合われた過去生はイギリスでしたが、
おそらくフランスルーブル城での過去生もおありで、
課題は同様なのだと思われます。
そうなると美奈子さんが抱える自由への希求と、
厳格なものへのある種の安心感の間で、
揺れ動く心理状態が今生の大きなテーマであったことが理解できると思います。

「玉になった私」という表現は一生ものになるでしょう。
「玉になった私」だからできるということですから。
わたしたちは魂が肉体に入った存在です。
「たましい」は「玉」に「しい」という接尾語をつけた言葉で、
玉と同じ完全なさま、様子、感じを表します。
ということはもともとの完全な玉としての自分を取り戻し、
そのたましいの視点で理解すれば、
現状をブレークスルーすることが可能だということになります。
これは人生で時に起きる大切なイニシエーションを表し、
これ自体が両性具有の状態を得ることができたことを表しているのだと思います。
言葉を代えると、両性具有的展望に立てたことで、
人生の意義づけを換えられたのでしょう。

母親に接する夫の姿を通して、
クラスで取り上げたコルセットの夢と、
ご自分のこれまでの状態とを心の中に並べることができて、
たましい(=魂≒陰陽の合体≒両性具有性)としての自分を取り戻し、
そこで大きな気づきを得ることができたということと受け取りました。

クローズクラスの中で学んだことを、
実生活に持ち帰って結婚相手を見たら、
そこに自分と同じ問題を抱えている夫の姿を確認できたのでしょう。
この気付きは大きなものです。
誰もがこれを認められず悩み苦しみます。
ここまで来るとある種、夢が承認してくれた成長の証なのだと思います。
夢がバックアップしてくれたのでしょう。
「玉になった私」という表現は、
これこそが真実と言えるでしょう。

更に気付きは、
自分を振り返ることができたからこそ、
息子との間の問題にも踏み込めたようです。
「婿養子に行きたいという子供に、
家という縛りを押し付けながら、
自由に生きて欲しいと願う自分の二面性に、
息子は『母の本当の気持ちが見えない』と言っていましたが、
私のトラウマが彼を苦しめていたのか、
というのが十分過ぎるほど理解できました。」とのこと。
潔く自分の矛盾を認められた美奈子さんをこれから息子さんは誇りに思うことでしょう。
夫の姿と息子の生き方が美奈子さんの心を丸くしてくれました。

「夢は現実世界で歩まなければ意味がありません、
自分のトラウマ克服に向けて、
今日が一歩の記念日となりました。
夢を学んで本当に良かったと思います。」

まさにこのことを二つの夢が教えてくれたのですね。

「今日の夢の解釈がこれで良いのかは分かりません。
先生からのアドバイスが頂ければ嬉しです。」とのことなので、
講師として思うところと、
夢からメッセージを読み取る実際的方法をお知らせするためにこの文章をしたためました。
現実と夢の象徴を重ね合わせる、その道筋を示したつもりです。

2018年3月吉日 
天の鳥船庵 夢療法家
坂内慶子

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美奈子さんは「玉」になれたことで、
現状の難関である強化ガラスをものともせず、
心のこれまでの次元を突破できました。
だからこそ現代の価値観の中で玉を体験した彼女は、
これから活躍できる場を手に入れるでしょう。

心の成長は自分で確認していく作業が必要です。
自分を認めるために。
自分を愛おしむ(いとおしむ)ために。






posted by 天の鳥船庵 at 20:54 | 夢の活用法