[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2018年09月30日

夢のトマトと茄子のラタテューユ


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(写真は養成講座第14期9月22日最終回での記念撮影)

セッション中に二児の元気な母親が、
「実の母が、
トマトと茄子にしめじを入れたラタテューユを作ってくれる夢を見た」と、
話し始めました
これを聞いたわたしは、
ケイシーの食養生を長年ゆるーく実行してきたので、
「あら!ラッキー!」と、思ってしまいました。
「トマトと茄子」はラタテューユの材料で、イタリアンです。
「実母」の部分の和食でないイタリアンなところ、
ここから夢の言わんとするところが読めます。

わたし自身はナス科の食品がNGではありませんが、
この夢の場合は、
登場する食品をケイシーのいう食養生に照らし合わせると、
夢主さんまたは周りの方の状況がわかります。
「自分としては継承したくない実の母親の部分」と、
「トマトと茄子」を重ねあわせると、
どちらも「受け取れない」または、「消化(=昇華)」できないと、
予想が付きます。

つまり、ケイシーがリーディングでいう食品の是非を夢に重ねて考えると、
夢主かその家族の状態が見えます。
この夢主さんかその周りの方々にナス科の食品はN Gらしいと予想が付きます。
この夢主さんはすでに結婚されて2児の母親なので、
当然家族の食に対する責任を負っています。
それとなく訊いてみたら、
夢主さん自身はトマトも茄子もさわりはないけれど、
夫は皮膚が弱くて茄子はダメだということでした。
夫の遺伝子を継いだ子供達にも、
当分の間はナス科の食材は使わない方が良いかもしれません。

さて、一つの夢で健康状態(body)と心情(mind)を読み取っているのですが、
それに加えて、霊性(spirit)を知ることができます。
つまり一つの夢で、
健康状態(body)と心情(mind)と霊性(spirit)を同時に読み取ることができます。
この3方面から考察することで、
一つの夢を読み解いたことになります。
健康状態を身心両面で考察し、
その上で今の霊的課題を知ることができます。
これが夢を人生に活かす方法です。
昔から体と心は一つといいます。
夢ひとつでそのことを実証しているわけです。

では、この夢の夢主の心情から霊性のあり方を読み取って見ましょう。
お母さんは娘の家に来ると料理を作ってくれるそうです。
料理がお好きなのですね。
自分が作った料理をみんなが笑顔で食べてくれるってうれしいことです。
しかし後片付けは一切しないということでした。
それについて母親には直接言わないということでした。
角が立つからと。
この「角が立つから言わない」と言うところが、
自分の霊性の現状を教えてくれています。
そしてそれが見るべきところ考えるべきところなのです。
言うべきか言わざるべきかではなく、
それが夢主の超えるべき信条なのです。
霊性というのは一見とても難しい概念ですが、
自分の心模様のどこを指しているのかを考えてみるととても分かりやすい。
わたしの母親はこういう人。
それ以上でもそれ以下でもないとして、
「我が家では片付けもみんな一緒にやるというルールなので」と、
我が家のルールに従ってもらうか、
母親がどこまで理解できるかを考えて、
自分で考えた解決法を実行し自分の心に平安を取り戻せれば、
この件に関しては霊的課題をクリアしたことになります。
言うは易く行うは難しいことですが。
つまり、この件に関して心がざわつかなければ、
夢主にとってこの霊的課題はクリアになるのですが、
その微妙なところに今立っているということがこの夢でわかります。


これが一つの夢で Body mind &spirit を読み解く一つの例でした。

ところで夢に登場した「しめじ」について少しお話ししましょう。
「しめじ」は、きのこ類でその栄養的働きは地味ですが力強く、
大地の恵みのような印象を受けます。
この夢の食材をよく見ると、消化できにくいトマトとナスの問題を、
潜在意識にもぐりこませず、
意識化しましょうと優しく声をかけてくれているように思えませんか。


下記を参考までに。
トマトを極める http://nmitsuda2.com/2013/06/07/0488/

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(養成講座第14期のクライアントを務めてくださった方の中に人生の集大成を見せていただきました。
いずれ記事にしたいと願っています。)


posted by 天の鳥船庵 at 16:39 | 夢の活用法

2018年09月18日

スマホで撮ると景色は眩しくキラキラしているのに目で見ると暗い

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次回10月13日(土)のオープンクラスは空席があります。
また10月27日からは養成講座が始まります。
そのケース研究のためのクライアントを募集します。
このクライアントにご興味がある方は、
13日のオープンクラスにお申し込みください。
クライアントになっていただいた方には、
養成講座の受講生がセラピストになって毎月一回の面談を4ヶ月に渡って行います。
自分の夢を実際に生活に役立てることに興味を持たれている方にとっては大変お得です。
オープンクラスは有料ですが、
ケース研究のクライアントは無料です。
詳細は追って告知します。

  ✩ ✩ ✩ ✩ ✩

「スマホで撮ると景色は眩しくキラキラしているのに目で見ると暗い」

先週のオープンクラスで話し合った夢のお話です。
この夢主さん、夢では憧れの北欧に旅行中なのだ、そうです。
物価が高いところだからとかなりの決心で出かけたようです。
教会のような美術館のようなところへ行って、
写真を撮ろうとスマホを覗くと、
実際は暗いのに写真は眩しいくらいに写る。
目で見るのと違う。
「どうして?」と何枚もとって確かめる。
すごいものを発見した。
宝物を手に入れたなと思う。

この夢主さん、夢に取り組んで長いけれど、
この夢の意味を測りかねていました。

こんなときみんなで話し合えば、
なんということなく夢が伝えたいことがわかってきます。

「写真って何?」
「感動。記録。」
「その瞬間に焦点を当てる。」
今その時に焦点を当てると恩寵(=美)が見える。
けれど流れ行く時間の中でいまを捉えるとつまらないものに映る。
「いまこの一瞬に生きる」。
夢で映像として見ることと字面はこうも違うのです。
瞑想もそうだけれど、
生きてこの時間軸の中で生活していると、
いまこの時に焦点を当てるのがなかなか難しい。
この夢主さん、その微妙な機微を実感されたのでしょう。
頭で理解したのではなく、
腹が納得したのだと思います。
すぐにその日の夢の話をしてくれました。
その夢の意味は「ここにとどまれ」ということなのだと。

続いて、昔々、ある人が語ってくれた夢の話をしましょう。
赤ちゃんが生まれるシーン。
最初の呼吸。
その人が死の床にいます。
最後の呼吸。

この夢を語ってくれた人の状態から、
「人生とは一呼吸の間」なんだと思いました。

今でも思うのです。
赤ちゃんは最初の呼吸を吸うことで始めるのでしょうか。
この世をおさらばする時、
人は息を吐いて呼吸を終えるのでしょうか。

「人生とは一呼吸の間」です。
それならあなたはどうします?

本当に人生は短い。
だから気負わず笑って過ごしましょう。
あんまり頑張らず。
あんまりマジに受けとらず。



posted by 天の鳥船庵 at 14:09 | 夢のメッセージの取り方

2018年09月05日

「地滑り」があったと思ったら「竜巻」の夢に襲われる


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地滑りの夢を見たのだそうです。
それも自分がいる建物ごとごっそり地滑りするのだそうです。
こういうときどうされます?

わたしもまだ夢に取り掛かったばかりの頃は、
地滑りなんてやり過ごしていたかなと思います。
「縁起でもない!」という気持ちと、
そんなこと起こるわけもない、と。
地滑りの夢を見たら必ず地滑りは起こります。
なんて言っても夢は、
「このままいったら地滑りだ」と知らせたいのですから。
いえ、「この先は地滑りが起きる」と伝えて、
あたかも地滑りが起きたらその方がめっけものと言わんばかり。
実は夢はそれが目的です。

一瞬悪夢に思える地滑り(の夢)も、
なぜ地滑りが起きるのかを仔細に検討すれば、
その夢の気遣いがよくわかります。

わたしたちはとかく変化を嫌います。
毎日が平穏であって欲しいのです。
だから地滑りは嫌なのです。
しかし元々わたしたちは変化を味方にして、
成長を期待する霊的存在です。

平穏は成長をもたらしません。

そこでこの地滑りの夢を見た人は、
ここは変化を受け入れる踏ん張り時と覚悟して、
相談してきたという訳です。
潔い心がけです。

なぜ踏ん張りどきと思ったかといえば、
つい最近プロジェクトを立ち上げたのだそうです。
そのメンバーと一緒の建物が地滑りにあうのです。
そうなるとこのプロジェクトお先真っ暗と思いたくなります。
さてそこで、
この地滑りの夢で、
このプロジェクトはお釈迦と早合点しないでくださいね。
夢は必ず反省点を指摘してきます。
お釈迦と受け取ってしまえば、
そこでおしまいです。
気が合わない仲間だったのだと早急な結論に走って、
明確な振り返りをしないで済ませてしまいます。
反省点をこの夢から引き出さないと、
夢を見た甲斐がありません。

こういう時は厳に「地滑り」だけを考えます。
地滑りの象徴的意味は、
「自分の立っている地盤そのものが崩れ去る」ということです。

それは、自分の信念信条がこの先は役に立たないという知らせです。
「自分の信念信条って?何?」と思いますよね。
例えば、人に会ったらにっこり挨拶をするとか、
自分の家の前の雑草は抜いて道路を綺麗にするとか。
こと改めて常識とも思わない自分の中のルールです。
知った人が知らん顔して挨拶もせず通り抜けていったらどう思います?
家の前の雑草をそのままにする地位ある人に出会ったら、
その人の常識を疑い人格を疑います。
挨拶はするけど、
内心あの人はこのことに自覚はあるのだろうかと思ってしまいます。
その人にはその人特有の常識や信念があり、
事情もあるでしょう。
それをおいて自分の常識を事に当てはめると、
二人の間に疑心暗鬼は生まれても、
理解は生まれません。

地滑りの夢を見た人に戻ると、
プロジェクトを立ち上げて活動に着手すると、
メンバーの行動にびっくりして、
どう考えたら良いのか分からない状態になったようです。
自分には当たり前が相手にとっては当たり前ではないのです。
こういう時、とかく私たちは自分の常識を振りかざしたくなります。
そして相手に非を見る間違いを犯します。
私は正しく、相手が悪いのだと。
これだと地滑りの夢を見た意味がなくなります。
夢がいうのは、これは地滑りなんだという知らせです。
自分の常識や信念信条と相手のそれとは違うのです。
それを常識がないと断じるのではなく、
これまでの自分の土壌(=事物が生成・発展する基盤のたとえ)や立ち位置を、
頼りにするのではなく、
このプロジェクトを発展させるには、
自分自らが、
考え方や処理の仕方を全く新しいものに変えていく必要があるというのが、
地滑りの夢です。

相手の考え方や思考回路を承知して、
根気よく話し合って改善するべきを改善したらどうかというのです。
これが、これまでの土壌は使い物にならない。
新しい考え方、信念信条に変えていってはどうかと、
提案しているのが地滑りの夢です。

さて、そこまでわかって、
仲間と密に話し合って誤解を解き理解を深めあう
この地滑りの夢の恩恵を実践できたら、
ほど無くしてこの夢主さん
竜巻の夢を見たのだそうです。
一難去ってまた一難。

バスに乗っていて、窓から竜巻が迫ってくるのを見、
その竜巻がバスの右側を通って、
後ろに回り込んだと思ったら、
竜巻は消えたのだそうです。

バスはそれなりに小さい社会的グループの中の折り合い。
この小さなプロジェクトグループは、
バスの乗客になれたのですから、
形ばかりとしても出発できたという証です。
或いは、夢主のプロジェクトは、
この活動に社会的承認が得られたと受け取ってはどうでしょうか。

と、そこで、風向きが急に変わって、
身の危険を覚えるまでの旋風に見舞われるという事でしょうか。
プロジェクトを立ち上げ、
世間の知られるところとなれば、
その分野に興味のある人たちは、
「なになに?!」と覗き込んだり、
「あそこでこんなことをしているようだけど」と噂の種になったり、
「あちらとこちらの特徴はいかが?」と、
同じような業者を比較して見たり。
それがこちらの予想をはるかに超えて、
一時は噂が噂を呼びひと騒動でも始まりそうな気配だったのに、
あっという間に沈静化。
これが夢の竜巻です。

そんな世間の世評は、
恐れるものでも、騒ぐほどのことでもありません。

と、このふたつの夢の流れは教えたいのでしょう。

慌てず騒がず。

はて、ではこちらとしてはどうすべきか?
その芯のところを夢は問いかけています。


posted by 天の鳥船庵 at 09:59 | 夢の活用法