[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

プロフィールに戻る

2019年07月15日

「大麻糸ののし」に「いるかちゃん」と「ハッと君」



C3F86B09-6530-4D21-B1CD-99C988A50E94.jpg

13日に1年ぶりの認定者研究会を開きました。

午前中はいつものオープンクラス。
あの世とこの世を結ぶ夢の話。
夢を話すことが心と体の健康に役立つ話。
地震予知の夢の扱い。
いつものようにいろいろ話が出ました。

最後に受講生の石川恭子さんがオープンクラス101回目のお祝いにと、
大麻糸ののしを作って持ってきてくれました。
この美しさと力強さに圧倒されています。
早速セッションルームに飾らせていただきました。
これまで講座を支えてくださった有形無形の存在にお礼を込めて・・・・・。

DSC00483.jpg

清められ、守護をいただいている気分です。

褒めた話ではありませんが、
目立つのが嫌い、
自分のためにお祝いされるのが嫌いで、
「今日は101回目だ」といえば、
それで済むと思ったのです。
100回目ではないから。

恭子さんはそれをご存知ではなかったのですが、
わたしの言葉を受けて「101回目のお祝いです」と、
オープンクラスが終わってのしをさし出してくれました。

わたしをたしなめるように天の神様が
受講生を通してこの講座を承認しお祝いくださったようで震えました。
お祝い事っていいものですね。
素直にのしをいただけました。

DSC00485.jpg

午後は新しい認定者の酒井景子さんを迎えて、
認定証をお渡しするところから研究会をはじめました。

酒井景子さんは養成講座14期の受講生です。
認定者としては1年前に承認されています。
しかし研究会を開かなかったので、
昨日が承認日となってしまいました。
令和元年の一番目の認定者になります。

今回の研究会は認定者の実力試しとなりました。
認定者研究会は認定者の方から提案があって開くのが決まりです。
今回は認定者の腕試しをしたいと講師自らが提案しました。

講師の今までの教え方はどうだろうか、
認定者は認定者としてふさわしい実力を持っているだろうか。
そこのところを知りたかったのです。
それでひとつの夢をテストケースとして読み解くことにしました。

難しい問題だったと思います。
みなさん頑張ってくれました。
これで認定者も講師も共に反省材料を手にできました。
終わって、「良い勉強になりました」と全員が言ってくれました。
「自分は何ができて何が分からないか」は、
前進するために是非とも知る必要があります。
この作業で得た自分への理解が自分への信頼になります。

基本的に夢は夢主のもので、
夢主が自分の夢を理解し、
日々に役立てれば良いのですが、
そのお手伝いをするのがセラピストの役目です。
それを叶えるには、
夢は信頼できるもの、
夢は真理からくるものという基本に戻ることで、
セラピストとしての軸を強固にすることができます。

動じないくらいの信頼を夢に寄せることで、
夢の言わんとしていることが見えてきます。

認定者は認定者にふさわしく精進が求められます。
これからも実力試しの研究会をタマには開きたいと願っています。

さて最後にアートセラピーをやってみました。
自由な線描きで浮かび上がったふたつのイメージを選び出し対話させました。
その、わたしの「いるかちゃん」と「ハッと君」の会話をご覧ください。


ハッと:いるかちゃん。あなたはいるか?

いるか:そうよ。わたしはいるか。

ハッと:どこにいるの?

いるか:あなたの心の中に。

ハッと:どうしてわたしの心にいるの?

いるか:あなたは信じないけれど
    
あなたはイルカのように人の心の思いを波長で捉える力を持っています。
    使いましょう。

ハッと:そんな力がわたしにあるのね。
    
ありがとう。
    使うね。


大麻糸ののしの効果でしょうか、
このヘンテコな会話が心に沁みます。
妙に素直になれます。

講師として技を磨かないといけませんね。
そのために心の中の「いるかちゃん」を使っていきましょう。

IMG_20190714_093209.jpg




posted by 天の鳥船庵 at 13:37 | 夢の活用法

2019年07月08日

「太町港(ふとまちこう)」


7月13日(土)のオープンクラスに空席があります。
お訊ねください。

DSC00356.jpg

通算10817番目のわたしの夢日記に、
「太町港(ふとまちこう)」と題があります。
つい2週間前のことでした。
「太町港」なんて知りません。
私の知らない固有名詞が出てきたときは厄介です。
これまでの経験から考えると、
この類はメッセージ性が濃く、
すぐにそれと答えが出るものではありません。
答えらしいものに行き着くのに何年もかかるでしょう。
それなのにこれを記事にしたのは、自分に気合を入れるためです。
それへの忘備録のようなものです。
結論は出ないけれど、方向性は見えているからです。
それも大事な夫婦のことです。
「夫とはぐれたので、彼を探す」という夢だからです。
夢の詳細についてはここではお話ししませんが、
現状と夢とを比べたとき、
そこに安堵を見つけたのでこんなことを話せます。

長い年月夫婦の間で大事なことで意思疎通が難しかったのは事実です。
負け惜しみじゃないけれどどの夫婦もそんなものかもしれません。
それでなければ「結婚生活は魂磨き」になりません。
結婚生活は修行です。
それも他流試合を相手に申し込んで、
毎日真剣勝負をしているようなものです。
「夫とはぐれた」という夢の指摘は、
あとは夫を探せば良いだけになり、
闇雲な努力を強いられているわけではありません。
彼はわたしたちの家に帰るだけなので、
最終的には自分も家に帰れば良いからです。
帰り道を彼と一緒になるには、
「太町港」がヒントという訳です。

夢で問題の指摘があるとき、
その問題は解決に向かえているとみます。
心に力がないときは夢から厳しい指摘はありません。
現状は、長年の「通じなさ」は次元が変わってきて、
光が見えてきた確かさがあります。

それもあって「夫とはぐれた」という夢の指摘は、
安心して受け取れました。

これまでの魂磨きは彼の中に磨くべき点を投影してきたけれど、
これからはそれで見えた自分の中の異性を
育てていくことになるのだろうかと思っています。
丁度シンガーさんの「男女両性具有」も読み終え、
自分の結婚生活に当てはめたとき、
道のりを考えるには具体性を思い描けず、
「夫とはぐれる」は却って現実的だと思ったのです。
これについては後で説明します。

今はネットで調べればなんでも答えが見つかります。
「太町」は大阪府和泉市太町(たいちょう)で出てきました。
夢では漢字が浮かんだので、漢字の方が正確で読みは後付けなのだと思います。
(ここら辺は夢の擬装工作で謎解きのようなたのしい作業が必要です。)
ここには貝吹山古墳(かいふきやまこふん)があります。
これで「太町」が地図上でそんざいすることが分かりました。
では「港」はどうして夢にあったのでしょう。
地図を見ると貝吹山古墳から大阪湾に向かう西側に
信太の森(しのだのもり)があります。
太町から港湾に向かって歩いたところを指すので「太町港」と夢は表現したのでしょう。
昔ここらへんは本当に港だったかもしれませんね。

という訳で、
どうやら夢が伝えたいことは「信太の森」にまつわることのように思えます。
しかしわたしは大阪を知りません。
10年以上前に一度、
大阪のデパートで夫の個展を画廊が開いてくれて行ったことがあるくらいです。

「信太の森」をネットで調べて見ると、
最初にヒットしたのはおもしろいことに、
枕草子の「づくしもの」で、「森」の項にあるという記述でした。
清少納言の好みと思考回路がよくわかる短い文章です。
このちょっと皮肉めいた清少納言は、
森の名前を列挙した後で、
「〜〜〜の森といふが耳とまるこそ、
まづあやしけれ。
森などといふべくもあらず、
ただ一木あるを、
何事につけたるぞ。」と言います。
「一本しかないのに森なんてどうして言えるのだろう」と批判しているのです。

清少納言は21の森を挙げていますが、
どうやら「信太の森」だけが残っているようです。
それも信太の森は有名らしく、
歴史上の人物が大挙して歌に読んでいます。
その中に大好きな和泉式部の名も見つけ、
その和歌を目にしてびっくりしました。
「秋風はすごく吹けども葛の葉のうらみ顔には見えじとぞ思ふ」

これは、
「夫はひどい仕打ちをするけれど、
それだからといって恨みがましい顔で他の人に思いを寄せているのではありません」
とでもいうのでしょうか。
この辺の解釈は複雑で自分と夫を逆転させているかもしれません。
夫を恨みに思っていないとも取れるし、
恋人のいる私を夫は恨みに思わないだろうとも取れるし、
なんだか複雑怪奇です。

「すごく」という言葉に良い意味はないようで、
「秋=飽き」も「うらみ顔」も人間的すぎて、
なんとも和泉式部らしい歌です。
ついでに言えば、小倉百人一首 56 に、
「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」という歌があります。
「死ぬまでに一度でいいからあなたに会いたい」という、
なんとも直截的な言い方です。
この思いを飾らない言い方が好きです。
俳句には到底ない歌い方です。
一見技無しのようでいて、かなりな技巧なのでしょうね。
和泉式部の「秋風は〜〜〜」は赤染衛門の歌
「うつろはでしばし信太の森を見よ かへりもぞする葛の裏風」への返歌でした。
ここに「信太の森」が出てくるのは、
夫が和泉の守だったので彼を指しています。
「心移りしないで夫和泉の守の帰ってくるのを待ったらいかが」と、
赤染衛門は諭しているのでしょう。

残念ながら私たち夫婦にこんな華やかな話はありませんが、
心のすれ違いは数々ありまして、
赤染衛門の落ち着いた物言いは心に響きます。

しかし調べはここで終わりませんで、
信太の森には信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)と
聖神社(ひじりじんじゃ)が鎮座ましましていることがわかりました。
特に稲荷神社には、
樹齢2000年といわれている根本から二つに分かれている夫婦楠があるそうです。
そしてここには「葛の葉伝説」という
「鶴の恩返し」に似た物語が伝承されているようです。
こちらは鶴ではなく白狐ですが。

そしてもっとすごいのはこの子供が陰陽師の安倍晴明だそうです。
なんだかここまでくると却って迷路に迷い込んだかもと思ってしまいますが、
「待て待て伝承物語なので夢と同じに解釈してみよう」と、
考え直したところです。

去年の初夢では、シンガーさんの赤ちゃんを産んだ私なので、
安倍晴明は産んではいませんが、
安倍晴明の「見えないエネルギーを見えるエネルギーとして使っていく能力」を、
生み出したものと考えたいと思いました。
私の場合は具体的に、夢を勉強してくださった受講生達です。
受講生達を生み出しましたが、
この方達を営営育てることはしなくて良いことになります。
「葛の葉伝説」で言えば、
童子丸を母(=白狐)がこの世に置いて自分の世界に帰る話につながります。

今回の「夫とはぐれる」という夢の意味は、
結婚生活の修行のステージが変わったという覚悟を言われているのだなと思いました。

やれやれ。
ここまでくるのは大変でした。
 
「恋しくば尋ねても見よ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉」

白狐「葛の葉」が別れの時に歌った和歌です。
「信太の森の葛を見て
わたしも一緒にいられないのを残念に思っていることを
分かってください」とでもいっているようです。

シンガーさんの「男女両性具有」を読み終えて考えた今の所の結論です。

自分の心の異性を投影できる人が結婚相手で、
自分の磨くべき点を相手から読み取り、
その作業が一段落したら、
今度はその獲得した技術を、
心のうちで統合を図って完成を目指していきます。

いま私が理解した人の成長のプロセスを、
自分の夢の流れに触発されながら、
読み解いてみました。





posted by 天の鳥船庵 at 09:46 | 夢の活用法