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夢辞典「夢は神さまからの最高のシグナル」(コスモ21)が来月3刷になります。
初版は2015年6月10日。
再販が2018年11月15日なので、
時代の目が夢に向いて来たようです。
外側の意見や情報ではない、
自分の中から湧き出るもの、
自分が信頼できるものに伴奏者になってもらいたいと、
多くの人が思うようになったからでしょう。
通販の書評を見ていたら、
「辞書で夢が分かるとは思えない・・・」と疑念を呈されているのを見て、
「ここに証人がいます」と手をあげたくなりました。
「夢は霊性への助言」というところに立てれば、
単語の意味を霊性から見た意味づけで夢を理解することができます。
わたしが夢に興味を持ったのは、
エドガー・ケイシーのリーディングに、
「自分を知るには夢と祈りと瞑想という道具がある」とあったからです。
祈りと瞑想はともかく、
自分を知るには自分の夢を知ることが何より大切と知らされました。
ケイシーが言う夢は、「霊性への助言」です。
自分の夢が自分の霊性のありようを教えてくれているというのです。
このケイシーが教えてくれる夢の意味に衝撃を受けました。
夢という漠としたものに、最高の意義づけをしてくれました。
いままで誰もそのように解説してくれた書物はありませんでした。
心理学で夢を扱ってもそこまでの信頼を置いているとは思えません。
そこでケイシーの夢に関するリーディングを基に書かれた
エリゼ・セクリスト著「夢予知の秘密」を頼りに自分の夢に取り組みました。
機を同じくベティ・ベサーズというケイシーと同じ考えを持つ瞑想の教師が
「ドリームブック」という本を出版していることを知り、この本を翻訳しました。
この翻訳作業をしているうちに自分の夢が少しずつわかるようになりました。
「ドリームブック」これ自体が夢辞典です。
様々な物や事に霊性から見た意味づけをしている辞書になっています。
拙著「夢は神様からの最高のシグナル」も「ドリームブック」を踏襲したものです。
「ドリームブック」の中に多少意味づけに納得できないところがあったので、
それを書き換えました。
しかし大まかに言えば、
全ての事象をこの世の価値観でなく、
あの世の価値観で捉えることができれば、
夢辞典そのものは必要ありません。
とはいえ夢に信を置いていない現代人は、
霊性を取り戻すためにこの手の夢辞典は必要でしょう。
話を戻して、
翻訳作業に取り掛かったときは、
夢のしつこいまでの「諦めを知らないコーチ」のような助言に、
ずいぶん助けられ、勇気付けられ、
わずか1年のうちに夢療法家として仕事を始めることができました。
また時を同じくして出会った男性と結婚をすることができました。
その内の半年、1991年の後半結婚するまでの夢日記を、
「ドリーム・ブック」の巻末に乗せることができました。
わずか1990年から1991年までの2年間に、
私の人生は大きく変わり、
翻訳本の出版と夢療法家としてのデビューと結婚の三つが、
立て続けに同時進行で叶えられたことになります。
この私の体験が夢辞典でも夢がわかるようになる証拠です。
なんども言いますが、
ここで重要なのは、
夢を霊的言葉と決めて取り組んでいることです。
例えを「逃げる」で挙げれば、
国語の辞書では、
「危険を避けて、相手の力の及ばない所へ去る、また身を隠す。
避けて、不利な情況におちいらないようにする。」ですが、
夢からの意味づけは、
「自分の課題から逃避していること。
逃げてもその課題が追いかけてくるだけ。」となります。
この夢の辛辣さにこちらも受けて立つ気概でいないと、
夢の意味が捉え難くなり、
自己を知る道具として使いこなせなくなります。
夢は「心の糞尿」ではありません。
心理状態そのものを教えてくれるものでもありません。
内在の神、夢の神さまが、
「自分の霊的態度に考え深くなるように示唆を与えてくれるもの」です。
ところで、通販の書評に、
「夢解釈を間違えたらどうする?!」というのもありました。
これもあまり心配しなくても良いとわたしは思っています。
夢は毎晩見るし、
大抵夢を解釈し間違えても、
多くの人は穏便なところで間違えます。
なにせ夢は霊的態度への忠告です。
霊性が発している忠告を習得していなければ、
夢の忠告が変わる訳はないからです。
人はそうそう際立って勇気のいる行動にはでたがらないので、
修正不可能な行動に出ることは考え難いのです。
それほど夢のアドバイスは夢主にとっては、
「勇気のいること」や、
「やりたくないこと」で、
「やれないこと」なのです。
このように夢が提示してくる行動は、
実はとても衝撃的です。
やったこともないことをやれと命令してくるような、
とんでも無いことを提案して来ます。
それで大抵の人は怖気付き足踏みします。
しばらく放っておくとまた同じような結論に行き着く夢を見ます。
そんなことを繰り返し、
重い腰を上げて夢の提案に従って行動に出れば、
なんということなく、スムースとは言えなくても、
あれほど大変大変と思い込んでいたことがいとも簡単に実現していきます。
これが夢を人生に活かす醍醐味です。
清水寺の舞台から飛び降りた覚悟の結果が、
あまりにあっさりうまくいくものだから却って拍子抜けするでしょう。
勇気を出してとった行動の結果が出るまでは、
ハラハラドキドキですが、
長い時間待たされることはありません。
結果が思いの外うまくいくことに味を占めると、
夢の提案を受け入れたらどんなに心豊かな人生になるかを思い知らされます。
自分の能力に限界を設けたのは自分自身なのだと、
正確に自分を反省できます。
時間をかけて夢の忠告を吟味しているとわかることですが、
しつこく夢が同じことを言ってくると、
「自分にはとてもできない。」
「自分には難しすぎる。」
「今の自分は誰より難しい問題に直面させられている。」と、
一瞬自分を悲劇の主人公にしたくなります。
夢辞典を使って夢のことがわかってくると、
逆に勇気が出ない自分に直面させられて、
逃げ場のない状況に立たされていると勘違いします。
本当のところは「やってみればやれます。やってみましょう」と、
優しく言われているだけです。
そしてこの点がとても重要なのですが、
夢が言う問題点や提案の芯には、
人生で取り組む大事な設問が提示されています。
生まれる前に自分が作ったブループリントが、
夢が言う骨子だと分かってきます。
斯くいう私がその体験者です。
そのころわたしは切羽詰まっていました。
夢の言う通りにやってみなければ、
生きた実感もないまま人生が終わってしまう。
気分は戦々恐々でした。
この谷底から出るには、
やっぱり夢の言う通りやってみなければならないと自覚していました。
他人の助言は相手のフィルターによって発せられ、
わたしも気分によって素直になれたりなれなかったりします。
落ち着いて考えてみれば、
夢は闇雲に行動に出なさいと言っているわけではなく、
常に終始一貫したアドバイスを送ってきます。
これこそ夢を信じられる証拠ではないでしょうか。
日を改めて夢のアドバイスが一貫しているかどうかを精査するだけで、
夢のメッセージを間違える訳はないのです。
夢に興味を持つ人は多いですが、
「行動に出なければ何もはじまらない」という助言の前に、
立ち止まる人もまた多いです。
あげくに夢から離れていきます。
行動に出る勇気が出ないのです。
もったいないことです。
自分の課題に理性を働かせることができません。
こうした人は、
夢が言う提案の合理性を理解するまでの大人になりきれないのです。
トラウマに本心を引っかき回され、為す術なく立ち往生します。
多くの人は自分の人生を眺め遣る一人前に成れていないのに、
社会的には自立できているからでしょう。
自分を律する「自律」を得ることはとても難しいようです。
だからこそ夢に取り組む前に、
自分の問題点を洗い出し整理しておく冷静さを持って欲しいと願います。
人生は冒険のためにあり、
自分の責任で生きるために、
この人生を自分で選びました。
なぜ「こんなに苦しい人生なのか?」と言う疑念に、
夢は言います。
「あなたが率先して難しい問題のある人生を選んだだけです」と。
そうなのかと思えれば、
「自分で乗り越えられると生前予想したのだろう」と受け止められます。
ここに立てれば、
夢の提案を受け止められます。
それも夢に信頼されているという喜びを持ってです。
夢に取り組むといろいろなことがわかってきます。
知る必要のある過去生も分かります。
どうしてこの人が親なのかも分かります。
また症状が出る前に問題の衣食住が知らされます。
夢日記は魂の記録簿として自分の成長を振り返ることができ、
これからの自分を作るための資料として使えます。
そんな解説を「ドリーム・ブック」の巻末に乗せることができた夢の実例を、
次回からお見せしたいと思います。
今だから話せる内容もあります。
どうぞ楽しみにお待ちください。