9月14日のオープンクラスは空席あります。
ご興味のある方はお問い合わせください。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
この記事は、翻訳した「ドリームブック」の付録記事を再度解説しているものです。
実際の夢日記を半年に渡って解読しています。
いまは絶版なのでそれを再度みなさんにお見せしています。
全部で8回あります。今回は2回目です。



【夢本体】6月18日
母のために弁当を買う。
ご飯ものがひとつしかないので、それを母に。
わたし自身にはサンドウィッチを買う。
【夢のメッセージ】
お母さんの栄養になる行動を、今のあなただからとれるのです。
実行したらどうですか。
【雑感】
前日母の代わりに買い物をしました。
その買い物は取るに足らないことでしたが、夢はもっと深いレベルで、
母とわたしの力関係の変化を示してくれました。
絵からは、
ふたりでよく芝居を観に行ったときに買ったお弁当が思い出されます。
また母が、この頃のわたしに安心しているらしいと、
逆に夢から母の気持ちを教えてもらいました。
ふたりで芝居を観に行ったときのように、
母はわたしと一緒にいることを楽しんでくれています。
【今思うこと】
母との関係を教えてくれる夢は、
人生の大方がこの関係で学ばれることを思えば万感の思いがあります。
この30年近くも前の夢が、
いまのわたしに突きつけてくるものは、
懐かしい思い出もあり、
手放す必要のある悔恨もあります。
夢は最終的に味わうもの。
夢を味わうと、
時に心が波立ち、
荒波が来ても、
その荒波が凪いでいくのを感じるでしょう。
では夢解きの手法をこの夢を使って解説してみましょう。
まず、夢に取り組むのがはじめての方なら、
キーワードを探し、
そのキーワードの霊的意味を探し並べることを勧めます。
キーワードの霊的意味を横並びにして、
そこから夢の意を探り当てることができたら、
夢が伝えたいおおよそがわかります。
とはいえ、ときに夢が伝えたいことがわからない夢もあります。
そんな時は夢の「変なところ」を探します。
これをフロイトは Something strange と言いました。
日本語では「象徴的表現」と訳されています。
日本語に訳すと皆目意味がわからなくなるので、
「Something strange」のままにして、
夢のストーリーのおかしなところを探します。
それが夢の「サムシングストレンジ」です。
今回の夢のおかしなところは、
別々のお弁当を買うところです。
母とは娘の頃歌舞伎座にも、演舞場にも、明治座にも良く行きました。
多分1960年代観劇は晴れがましく贅沢なことだったと思います。
夢のお弁当は劇場で食べた経木箱を思い出させます。
だから大抵は同じお弁当を食べたのだと思います。
という訳で、
「Something strange=おかしなところ」は「別々のお弁当」となります。
ここに大切なメッセージがあると当たりをつけることができます。
もう一度繰り返すと、
キーワードで夢の意味がわからない時は、
このサムシングストレンジを探して、
メッセージを推察します。
今回の場合は「別々のお弁当」がそれに当たります。
母とわたしでは食べるものが違うので、
人生の課題が違うと分かります。
わたしはサンドウィッチを普段食べません。
この夢を食養生への示唆と取るといくらか分かり難くなってしまいますが、
母とわたしでは人生の課題が違うと承知すると、
わたしがお弁当を買うことと合わせて、すんなりと受け取れます。
「買う」は「決意」を表すので、
ふたりの課題は違うのだとわたしが理解し、
そこから自分の人生に取り組まないといけないことがわかります。
ところで「Something strange」の話をしているのに、
「母」と「お弁当」で「連想」が次々に浮かびました。
これもフロイトの夢分析法にあるのですが、
「夢の擬装工作解除法」の最初に「連想」を働かせることで、
夢を解読していく方法があります。
「お弁当」が「観劇」に繋がるなら、
実家の稼業は芝居関係だったので、
観劇は母のテリトリーです。
経木箱に入っていないサンドウィッチは、
母のテリトリーには属しません。
母と娘という極めて濃い人間関係にあって、
ふたりは別々の課題を学んでいるという夢の示唆は、
わたしの心をかなり軽くしてくれました。