
12月14日のオープンクラスに空席あります。
養成講座のクライアントも引き続き募集しています。
来年4月から通信講座の2期をはじめます。
1年半の長丁場です。
ご希望の方はオープンクラスか個人セッションを前もって受講されてください。
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下記の記事は、
1992年に翻訳出版した「ドリームブック」の付録記事を再度解説しているものです。
実際のわたしの夢日記を半年に渡って解読しています。
いまは絶版なのでそれを再度みなさんにお見せしています。
全部で8回あります。今回は最終回です。
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【夢本体】7月19日
Kさんの家にいる感じ。
彼女は梅の古木を立ち活けで本手に活けてくれという。
それにもう一種、紫の花をつける木を逆手に活けてくれとYさんが言う。
彼女はもっとモダンな花も持っている。
床の間のある客間に両方を活けてしまおうと、わたしは思う。
【夢のメッセージ】
あなたが一番得意なやり方で、
いままでやってきたことを人の前に示しなさい。
自己流でいいですよ。
少しはファッショナブルだともっとよいにちがいないけれど。
「練習してから」なんて言わないこと。
ぶっつけ本番でいきましょう。
【雑感】
KさんもYさんも、わたしがチャレンジしたから会えた人たちです。
わたしはおふたりを尊敬しています。その方々の要望があるというのは、
わたしの才能や特技を社会に知らせるチャンスがあるということでしょう。
そこでもう一歩踏み込んで、
「自分が好きでワクワクすることを人の目につくところで発表」してはと、
夢が提案しているとわたしは受け取りました。
長いことわたしは引っ込み思案で、
このままではエゴを通しているだけかもしれないと気づくところにいました。
この日その第一歩としてワークショップのアシスタントをやることにしました。
わたしは人の成長をお手伝いすることで、自分も成長するところにいました。
夢はときに厳しいメッセージを伝えてきます。
しかしその厳しさにひるむこと無く夢に立ち向かうと、
深い愛情で生きるサポートをしてくれているのが分かります。
【今思うこと】
Kさんというのは、今住んでいる鎌倉の家の先先代の家主さんです。
病院に入院されていた時に家政婦としてお世話しました。
1990年 当時はそんなシステムも許されていたのです。
可愛らしいおばあさまで、
この方とのやりとりで他人と気楽にいられる自分を発見しました。
この体験は私の中を大きく変えることができた宝物です。
Kさんの退院後はお嫁さんが何かと声をかけてくれて、
お付き合いが長く続き、
その後、都落ちをしていた私たちを鎌倉に呼んでくれました。
そのお嫁さんは賃貸契約を交わした直後に事故で亡くなってしまいました。
13年前のことです。
Yさんとはこの仕事を始めてすぐに受講してくれた方で、
いまでもお付き合いがあります。
KさんもYさんもわたしに積極的に声をかけてくれました。
「なぜ?」と良く思います。
私が「困っているだろう」ことを察して、
そっと手を差し伸べてくれました。
鬱陶しくもなく、
的外れでもなく、
絶妙なタイミングで声がけをしてくれました。
「徳がある」とはこういうひとたちのことを言うのでしょう。
おふたりから受けた親切は、
わたしが他人に対してできることではありません。
残念ながらわたしは思いつきもしないと思います。
そしてもっと惜しいことに、
受けた親切にお返しはできません。
おふたりの「花を生けてほしい」という夢は、
この時のわたしに向けて「仕事をしなさい」という強い要望でした。
その当時のわたしからしてみれば、
清水寺の舞台から飛び降りるほどに覚悟が要ることでしたが、
この夢のKさんYさんの要望を受け入れ、
仕事の道を歩めたことで、
人生をガラリと変えることができました。
この夢を見たときは思いもしませんでしたが、
この夢の15年後Kさんの家作に住むようになって、
わたしらしい仕事ができるようになりました。
夢は何年にも渡ってその意味が効いてきます。
さて今回、「ドリームブック」の付録を読み返すことで、
大きなけじめをつけることができ、
これからを考えることができました。
「坂内慶子の夢解読法」(仮題)と題して本を書くことにしました。
知りたいこと、書いて欲しいことなどご要望がありましたらお知らせください。
よろしくお願いいたします。