
(ふるさと納税でいただいた啓翁桜です)
今年もお世話になりました。
このブログを読んでくださるみなさまに今年最後のご挨拶をさせていただきます。
いままで人生を振り返る習慣があまりありません。
しかし今年の初夢(http://dream-art.sblo.jp/archives/201901-1.html)は、
日を追うごとに考えさせられて、
後ろを振り替えざるを得ませんでした。

初夢に続いて1月3日に、
【薄雲がベールのように一面にかかった空に夕陽が映えている。
グレーの薄雲とピンクがかった丸い太陽が美しい。】
という夢を見ています。
これは、「仕事(=人生)のおしまいに入る前のプロセス」のメッセージと受け取ったのですが、
どうもそうではなく、
「セーブしながら仕事を続ける」に変えてはみたものの、
それも違って「一旦休む必要がある」と修正せざるを得なくなりました。
それが4月6日の事故による入院でした。

不思議なもので今年の初夢を思い出す時、
緑の山々や観音さまのお姿ではなく、
ピンクの地下足袋の足元のゴツゴツした急斜面の山道でした。
忘れもしない「梅仕事」(https://blog.sakura.ne.jp/cms/article/edit/input?id=185763785)に向かう電車の中で、
向かいに座った女子大生3人の民芸舞踊衣装の足元が、
ブーツのような白地の地下足袋でした。
イベント会場に向かうところなのでしょうか。
人生で最もエネルギッシュな時代を生きている女性たちの足元が、
地下足袋です。
これから民謡舞踊を踊る彼女たちの何もかもが輝いて見えました。
わたしもこれから彼女たちと同じく輝けるのだと思い込んだと言えば、
どう思われるでしょう。
けれど、実際そう思ったのです。
肝炎治療の薬は治癒はもたらしてくれたものの、
後遺症は1年以上にわたる下痢でした。
日に5、6回は水のごとき便に見舞われます。
それでも体の芯に絶望的疲労感は無くなっていました。
下痢による疲労感はあるのに、
肝炎による疲労感は無くなっています。
お陰さまでこの1、2ヶ月は下痢も2回ほどになりました。
いつの間にか初夢の注意は、
身体を注意深く使うこととメッセージの受け取り方が変わってきました。
(注:身体は地球の組成分でできています。)
それと同時に、
緑の観音様は「治癒を約束してくれている」象徴なのだと思えるようになりました。

身内の旅立ちは覚悟の上だったので、
却って自分勝手に生きて良いのだとお墨付きをもらったように思ったものです。
という訳で、新年のご挨拶は失礼します。
みなさま良いお年をお迎えくださいませ。