
(坂内和則画)
今年はコロナウイルス上陸からはじまりました。
日本の厚生労働省が国内で感染者を初確認したのは1月16日でした。
感染者は神奈川県在住の30代中国人男性で、
武漢市滞在中の3日から発熱し、6日に帰国。
10日から入院し15日に退院したとのことです。
天の鳥船庵の講座は3月からはほぼ全てZoomによるオンライン講座となりました。
中国に転勤になった夫と彼の地で生活していた受講生が、
春節に合わせて帰国していたのに、
コロナ騒ぎ浮上で中国に帰れなくなったりもあって、
4月7日の緊急事態宣言を待つまでもなく、
あっという間に全ての講座がZoomという形になりました。
コロナウイルス以降外来語がさらに増えました。
外来語がいけないと言っているわけではありませんが、
ソーシャルディスタンスもステイホームも日本語になりました。
アベノマスクは6月に入って我が家にも届きました。
製品の出来を確かめてみましたが、
戦後にガーゼで作ったものと姿形に変わりがありません。
この梅雨空の下こんな地の厚いマスクをする気にはとてもなれません。
すぐにでも必要とされている方々に差し上げたいくらいです。
これまで79年の人生を生きてきて、
過去を振り返ること、
昔話をすることはほとんどありませんでした。
けれどこのコロナ騒ぎからわたしの心はちょっとざわついています。
政治的な発言はしないことと、
ブログに載せる記事にはだいぶ注意を払ってきましたが、
政治に携わる人も国民もポストコロナで軌道修正を迫られています。
マスクなんて自分で作ればいい。
作れない人には作れる人が差し出せばいい。
政府が国民に配るようなものではない。
アベノマスクを国がくださった我が家の宝と、
大切に保管する人もいるようですが、
物の命を大切に思うのなら、
使用した方が浮ばれるとわたしは思います。
あるときネットで新品の靴下をマスクに作り直しているのを見ました。
その靴下は靴下として使われることなく、
つまり使命を全うせず、
マスクとなって命を全うするのでしょうか。
戦後の物の無かった時の作り直しはこうはしませんでした。
一つの役目を終えたら、使えるものは作り直して使ったものです。
浴衣は、おむつに。
おむつは雑巾に拵え直したものです。
月経帯も寝巻きの拵え直しだったはずです。
手作りマスクがどうして工場の生産品に変わったのか。
お馬鹿なわたしは性能が良いからなのだと思い込んでいたのですが、
コロナ騒ぎでそうではなかったことがわかりました。
コロナウイルス騒ぎは人々の心をさらに閉ざしもしましたが、
これは表裏一体自然回帰への良いきっかけになると思います。
赤ちゃんを育てている方々の中に、
さらしの布おむつを使っている方はどれほどいるのでしょうか。
月経帯を市販のものに頼らず、
工夫されている方はどれだけいるのでしょう。
マスクもナプキンも今や市販が主流でしょう。
おむつも然り。
この生活を見直しませんか。
月経血の下血を感じたら、
畑に行って肥料にするという考え方が好きです。
これはとても理に叶った自然との共存形態です。
しかしあまりにとっぴで受け入れがたいと思いますが、
あえてこういう考えもあるのだと書いておきます。
普通に考えればとてもとても無理な現状ですが、
ナプキンは戦後男尊女卑を抜けていく一つの象徴として脚光を浴びたものです。
「今や月経帯(=ナプキン)がTVコマーシャルに流れる時代になった」と。
現在放映されているナプキンのコマーシャルは、
その初期女性解放の象徴と受け取られたものです。
いま、コロナマスクとおむつとナプキンを並べて考えてみると、
家事を楽にするための製品が女性の人権擁護にもならず、
消費世界に踊らされたわたしたちの愚かさが見えてきます。
「戦後強くなったものは女と靴下」とはよく聞かされたものです。
耐えがたい男尊女卑に耐え抜いた女性に育てられた今の女性が、
自然回帰するのはこれもまた楽なことではありませんが、
少なくとも第二次世界大戦の悲惨さに比べれば、
情報を自分で選べる自由があります。
この情報を選ぶ自由は自己の尊厳を守る屈強の武器になります。
そしてまだ食べるものがあります。
だから、生活基盤になるところを工業製品に任せない工夫をしませんか。
少なくとも尿もれには、
タオル地のハンカチを使うくらいの工夫から始めませんか。
まだまだ書きたいことはたくさんありますが、追々に。