オンライン夢療法講座
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オンライン夢の解き方講座(11月28日〜29日)
http://dream-info.sblo.jp/article/188089927.html
どちらも空席あります。
お問い合わせください。

先日のオープンクラスの話です。
長く個人セッションをさせていただいたお客さまが亡くなって、
その娘さんが参加してくださいました。

その方が発病される前、
個人セッションはうまく行かず断念しました。
どうしても話が噛み合いません。
この辺の忸怩たる思いを文字にするのは難しいのですが、
簡単に言って仕舞えば、
信念の違いです。

地方の名家の嫁として采配を振るい、
以後もご自分で独自の道を切り開き、
誰にも後ろ指を刺されることのない人生を立派に生きてこられた方です。
そのことへの自負と誇りがあるからこそ、
元気に生きてこられましたが、
悠々自適の楽しい旅行に出られるようになってから、
ちょっとした人とのすれ違いが心を占めるようになって、
個人面談においでになったのです。

激動の日本の戦後を毅然と生き抜くのは並大抵ではありません。
鉄のような硬い信念を持っていなければ、
百戦錬磨とはいきません。
物質的に豊かになった日本は、
時代が降るに従って多くの人が心の豊かさを求めるようになりました。
しかしそれまでは形から心を鍛えてきました。
その最たるものは戦争です。
戦争反対者であっても徴兵で駆り出されれば、
兵士として従わざるを得ません。
銃後を守る女子供の心のうちも、
同じく規約に縛られ、
無理難題を突きつけられても、
「嫌です」と本音を言うことはできなかったのです。
この本音を言えない心のあり方では、
心の豊かさや自分のあるがままを感知するセンサーはうまくはたらきません。
どうしても誤作動を起こします。
物質的には豊かになったけれど、
心を豊かにするにはそれまでの信念の拠り所さえ見直さないといけないのです。
その方との面談は挫折に終わりました。
程なく、娘さんから重い病を発症したことを知らされ、
お役に立てなかったことも神の意と考えられるようになりました。

何ヶ月か過ぎ夜遅くにメールが届きました。
いつもは開けることのない時間にパソコンを開けたので、
直ぐに返事をすることができました。
やむに止まれぬお気持ちだっただろうと察しました。
面談へのお礼でした。
「先生のご活躍、ますますの事とお喜び申し上げます。
私は今、静かです。
癌との闘病も打ち切りました。
やっと肩の力が抜けて自分の今を感じます。
今まで立てていたアンテナも外れました。
今までの全てが、
今の幸せへの試練だったのではないでしょうか。
長い間、坂内先生のセッションを受けさせて頂き肩を抱いていただきました。
今、極限状態ですが
遣りたい事をウキウキと実行しようと思っております。
本当に有難う御座いました。」
この文面をどのように理解できるか、
今度は私の人間性を試されているように思いました。
「今まで立てていたアンテナも外れ」という意味はどういうことでしょう。
私の勝手な解釈ではアンテナは、「信念」なのだと思うのですが。
お互いを尊敬し合う母と娘。
娘の要望で私を訪ねてくれた経緯があります。
最後に、娘の思いを理解できたと言う意思表示でしょうか。
娘さんがオープンクラスで披露してくれた夢は、
亡くなって10日もたたないものでした。
元気ででんぐり返しをして見せる夢です。
「放浪記」(菊田一夫作)の舞台で森光子が見せたあの姿そっくりに。
林芙美子の生涯を模して、
生き切ったと知らせたいのでしょう。
そしていまは元気でいるとも。
この方の個人セッションを始めて間もなく、
見知らぬ女性が夢に現れて、
「よろしくお願いいたします」と挨拶してくれました。
姿格好をお話ししたら、
亡くなられた妹さんとわかりました。
それでも夢による面談療法はうまく行かなかったのです。
わたしたちは双方で、
自分の我の強さに泣かされたのでしょう。
床に伏すようになってから、
この方は夢をよく見るようになったとのことでした。
その詳細は分かりませんが特筆すべき夢の一つが、
この世を去るときの光景だそうです。
寸分違わず現実の場面だったそうです。
ご本人はどんなに安心されたでしょう。
あちらの世界に先に行かれた妹さんの言葉がいまでは良くわかります。
これまでの経過を言葉にするのは難しいですが、
たくさんのプレゼントをこの方からいただきました。
