
(梅が咲いたので)
2021年も1月は今日でお終いです。
明後日2月2日は立春です。
去年の師走から立春まで、
今年の流れはわたしたち人類に意識の上で大きな変化が起きています。
夢がそれを証明し始めています。
言葉にすると代わり映えがしないのですが、
いま人類の夢には、
夢を見るだけで啓発が起こっています。
これをどのように表現したら良いのかだいぶ苦しみましたが、
今朝NHKの「日曜美術館」で、
フランシスコ・デ・ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」を見て、
この絵を足がかりに、
多くの人の夢で起きていることをお話しします。
いま私たちの心に起きていること、
夢で教えられていること、
つまり現在進行形の夢の啓発は、
ゴヤが「我が子を食らうサトゥルヌス」を描いて自分を啓蒙したように、
わたしたちは自分の夢でゴヤのような啓発を受けています。
美しい夢を見て啓発されるのとは違って、
ギリギリ耐えうる夢の場面で、
わたしたちは自分の心の闇と光とを同時に体験しながら、
このコロナ禍を学びにしているところです。
以前、「女性の性体験 in Dream」という記事を書きました。
この世で愛情深い女性は夢で娼婦を演じるという内容です。
それも身持ちが良いことが夢では娼婦だという意味です。
優しい人は誰にでも優しいということを夢で表すと娼婦になります。
それだけではなく勿論創造性も加わってのことですが。
夢の象徴とこの世の常識は相入れないのです。
その辺の誤解が生じないようにと記事を書きました。
その後この記事を読まれた方からお礼のメールをいただきました。
伴侶以外の男性と夢で愛の行為に及んだという夢日記を、
伴侶がこっそり覗き見することはないとは思うものの、
文字にするのが躊躇われたというのです。
今回の夢による啓発は、
どちらかというと悪夢に近い内容の夢です。
それでこの記事を書こうと思いました。
恐らくこの時期人に話せない夢を見ている人は多いのではないかと思います。
悪夢は変容の際を教えてくれます。
それが本当は啓発の夢です。
夢の場面が隠微という場合も、
鬼気迫る場合もあるでしょう。
トラウマとカルマに直接関わる内容で、
その問題の核心に直に触れる感触があるはずです。
そしてときに夢の中で深い納得を得られ、
夢を見たことで、
心が成長しているのを感じられるでしょう。
ここでは個々の夢の事例をお話ししませんが、
その代わりスペインの宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤが描いた
「我が子を食らうサトゥルヌス」の話しをしましょう。
NHKの番組によると、
ゴヤは自分の息子に殺される夢を見たのだそうです。
それも70歳を過ぎた頃でしょうか。
それでギリシャ神話のクロノス神であり、
ローマ神話のサトゥルヌスを描こうと思ったようです。
サトゥルヌスつまりクロノスは、
両親から自分の息子によって殺される運命にあると聞いていたため、
妻が子供を出産するたびに呑み込んだという神話です。
ゴヤもまた6人の子宝に恵まれながら、
成人まで生き延びたのはたった一人で、
その子が自分を殺す夢を見たというのです。
親にとって子供は宝であり苦労の種でもあります。
ゴヤにとってたったひとりの子供がどんな存在だったか分かりませんが、
命を取られると思うほどの事情があったのかもしれません。
いまから200年ほど前のことです。
この作品は生前公にされなかったとのことです。
もともと自宅の壁を装飾するために描いた装飾壁画だったという説明ですが、
こんな心象風景を毎日目にする覚悟は尋常ではありません。
老いと病気と耳の不自由がゴヤを追い込んだという安直な想像は傍において、
命を掛けてこの絵を描き上げたのは、
夢の伝える意味を
身をもって体験し、
魂の昇華に成し遂げたいという彼の願いが成就したのだと思います。
もともとの絵画では、
サトゥルヌスのペニスは勃起して描かれていた跡があるそうです。
しかし一般に公開するにあたって他人に消された可能性があるということでした。
ゴヤの心中を考えるとこの修正は残念です。
いまのわたしたちは丁度この絵を描いたゴヤに匹敵する
不自由さと闇を体験していますが、
それと同時にこの先に自分の魂を昇華し得る希望が感じられています。
悪夢はその希望の星です。
イヤな夢を嫌わず、
少し距離を置きながら、
イヤな夢の中に潜む希望の光を見つけましょう。
想像もできなかった変容が叶いますから。

(1月30日の富士山)