6月12日(土)のオープンクラスは空席あります。
リアル参加もZoom参加も可能です。

(貴重な晴れ間で庭の草取り)
https://www.youtube.com/watch?v=vzhTpIIQR5I
2月3日に藤井風の「帰ろう」を教えてもらってから、
ほぼ毎日のように彼のYouTubeを聴いています。
今では瞑想中でも彼の曲が頭の中を駆け巡っています。
仕方ありません。
それで気づいたのです。
藤井風の「優しさ」は、
私のこれまでの瞑想体験を歌っていると。
その話をしようと思うのですが、
ちょっと怖気付いています。

(庭仕事の嫌いな夫と)
音楽については全くの素人だし、
カラオケにも行ったことはありません。
だから音楽について語る語彙の持ち合わせがありません。
そんなわたしが恐れ多くも、
天才の誉高い藤井風について、
話をするなんておこがましいとは思うのですが、
この時代そんなつまらないことをウジウジ思い続けるより、
思ったことを外に出してみようと、
重い腰を上げています。
とはいうものの更にもうひとつ
瞑想体験の話なので、
わたしに取っては二重に専門外の話です。
気が重いのは職人気質というか、
専門家には一目置く癖なのでしょう。

(体が動く幸せ)
わたしに大した瞑想体験がある訳ではありません。
けれど長年の経験から言えば、
瞑想は直接心を鎮める効果があります。
誰にも頼らず自分に慰撫をもたらせます。
こんなコロナ禍の時代、
この記事が少しでもお役に立ったら幸いです。
では、藤井風の「優しさ」の歌詞です。
【今何を見ていた
あなたの夢を見た
優しさに殺(や)られた
あの人の木陰で】(注:【】で囲ったのは歌詞です)
この出出し自体が瞑想だとわたしは思うのです。
ちなみに藤井風氏はこの歌を作ったきっかけについて語っています。
だから彼のインスピレーションの機があったのは知っています。
しかしわたしに取ってこれは瞑想に入った状態を描写していると思っています。
ここでいう瞑想とは、
背筋をまっすぐにして、
呼吸を整え、
体を動かさず、
一定時間そのままの姿勢を保つことを言っています。
いま瞑想法は世の中にたくさんあり、
それぞれに存在理由があるのだと思いますが、
ここでは上記の作業のことを指しています。

(まだ持てます)
この瞑想の中で起きることを、
藤井風は「優しさ」で描写しているというのがわたしの感想です。
「今何を見ていた」が瞑想に入った状態です。
しずまらない心をじっと覗き込むのです。
すると「あなたの夢を見た」と感じる微かな瞬間が訪れます。
「あなた」と呼べる微かな存在を感じるのです。
でもそれは「あなたの夢」としか呼べないものです。
それなのにあなたの「優しさに殺(や)られた」という
説明できない実感が伴います。
ここまで来るには少々の時間が必要と思いますが。
この歌詞で「あなたの夢」と「あの人の木陰」は、
瞑想の中で出会うもののことを言っていると思います。
その微かな存在と自分のあり方感じ方を、
このふたつの言い方で表していると思えます。
この二つの表現があるので、
「あなた」を神とも、
宇宙の真理とも、真我とも言えるのだと思います。
あなたの「優しさ」を感じられることで、
その存在を確かなものに捉えることができます。
【温もりに 触れたとき わたしは冷たくて
優しさに 触れたとき わたしは小さくて
この広い世界の中じゃ収まらない あなたの心 わたし泳ぐだけ
ちっぽけで からっぽで 何にも持ってない
優しさに 触れるたび わたしは恥ずかしい 】
瞑想なんぞをやろうと思うからには、
それなりに訳ありで、
いよいよ自省するしか道はないのだと覚悟は決めて座ったものの、
何で!何で!は果てしなく続くのでした。
けれど座っているうちに文句ばかりの自分にふと恥ずかしくなります。
小ささにおののきます。
そんな自分なのに温もりに触れる時があるのです。
こんな苦労がなければ気付くことはなかっただろう、と。
一見不遇に思えるこの状況が起きなければ、
自省すること、
気付くこと、
この世が成り立っている法則を理解することはなかっただろうと気付くのです。
【知らぬ間に 失くしちゃうから 心に深く刻み込んだ あなたの眼差し】
瞑想の中で瞼の向こうにある(神の)眼差しを、
忘れないようにと、
心に深く刻み込むこと、あります。
【置き去りにした愛情を 探しに帰って
温もり満ちた感情を いま呼び覚まして 】
ここの曲想がそれまでとガラッと変わります。
音楽の語彙の持ち合わせがないので、
私の持っている言葉で表現すれば、
ここは小唄端唄の世界。
呟く様に軽妙に粋に唄っているように聞こえます。
とくに「帰って」と「覚まして」の語尾の伸ばし方が、
お座敷歌のような感じです。
この歌詞と個人的な囁きのように聞こえるメロディーが、
瞑想で出会う自分の神との個人的関係を彷彿とさせます。
【凍えた心が愛に溶けてゆく
花の咲く季節が戻ってくる 】
ここに来ると明るく空の下に戻ったような気分です。
一定の時間座って、
瞑想で自分を取り戻して、
自分の神と出会って、
心が鎮まると瞑想はお終です。
【今何を見ていた あなたの目を見てた
優しさに殺られた あの人の木陰で
それだけで良かった 何より強かった
優しさでよかった ただそれだけで】
瞑想は「優しさ」を体験できる習慣です。
言葉足らずですが、
何とか言いたいことを文章にしてみました。
藤井風の「"何なんw"(Nan-Nan)」https://www.youtube.com/watch?v=fAuh0gBjjDI は
ハイヤーセルフを、
「帰ろう」 https://www.youtube.com/watch?v=goU1Ei8I8uk は
死生観を歌っています。

(今日の富士山)