[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2021年09月27日

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」考 その2



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(坂内和則画)


では、夢主を差し置いてですが、夢本体です。
この話の展開は、
夢の解き方からお話ししないと訳がわからないと思うのです。
夢主さんご了承ください。

夢本体:
【「ぼくらの7日間戦争」という漫画の映画にでてきた廃工場が舞台で、
人がいっぱい(20人位)いて、
その中でわたしが「マドンナたちのララバイ」を勝手に歌う。
(人それぞれ好きなことをしている。)】

夢は背景が大事です。
場所は「ぼくらの7日間戦争」の廃工場。
この物語は中学生が大人の管理教育に反旗を翻す冒険ものですが、
原作は1985年4月に発行された宗田理の書き下ろし小説だそうです。
「60年安保」、「70年安保」に反対する若者の熱は、
形を変えて消えることなく、
今の社会に一石を投じるというのが
この夢の趣旨のように思います。
1980年代は平和運動も学園闘争も影を潜め、
以後今日まではっきりした政治体制への抗議は見ることがありません。
「そこで・・・」というのがこの夢の主旨です。
「そこであなたはどうする?」
「ここまで来た。もちろん自分の思いを歌うよね?」
夢の問いかけは私たちの主体性を問うています。
『勝手に歌う』ということがとても大切です。

これで夢の概略を語ってしまった気分ですが、
お読みくださっている方にはさっぱり訳がわからないでしょうか。

さて、夢の中で主体的に行動するのは、
相当にエネルギーがいるものです。
ましてや歌を思い切り歌うなんて普通はできません。
この夢主だって初めての経験でしょう。
だからこの夢がこの夢主を育てているのだと思います。
そればかりではなく多くの人にこの夢が必要だと思うのです。
誰の反応も気にせず自分が気持ち良いことをする。
この夢の真意が分からなくても
これからの時代を生きるにはぜひとも必要な心構えです。

ではここで「マドンナたちのララバイ」の背景を考えてみましょう。
ここからは私見です。
この夢を私の夢として解釈します。
元々の夢主からすると迷惑かもしれないし、
とんでも無いという内容になるかもしれません。
ということで、あらかじめお断りしておきます。
これからお話しすることはある意味ファンタジーや、
作り話としてお読みください。
けれど夢からメッセージを受け取るための基本は押さえています。
その辺は厳密に作業しているつもりです。

まず夢を思い出したら考え深くその意味を探索する必要があります。
その探索は科学的で無いといけません。
論理に矛盾があってはいけないのです。
最終的に出した結論が、
どの場面から見ても重層的に真理に光が当たっていると
思えなければいけません。
夢のメッセージは擬装工作にまみれその姿を容易に表してはくれません。
そこで隠された意図を見つけるためにこの歌の背景を考えます。
そこでウィキペディアで調べてみました。
作詞は山川啓介。作曲は木森敏之とjohn scottとのことです。
なぜ40年も前の日本の歌謡曲に作曲家がふたりなのでしょう。
そこには複雑な問題がありそうです。

1980年のアメリカ映画「ファイナル・カウントダウン」の
劇中音楽「ミスター&ミセスタイドマン」を作曲したJohn Scottから、
「聖母たちのララバイ」のメロディが
自作と酷似している旨の抗議が届き、
作曲者木森敏之もこれが盗用であったことを認め、
二人の名前を表記することとなったようです。
この歌は1981年9月に開始した
日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の
初代エンディングテーマだったとのことです。

つまり夢そのものの流れからすると
元歌の「ファイナル・カウントダウン」が意味を持つことになります。
そこで映画「ファイナル・カウントダウン」を調べてみました。
ウィキペディアからその粗筋を見てみましょう。

引用始め―1980年、中部太平洋で行われる軍事演習に参加するべくハワイ沖を航行中原子力攻撃空母ニミッツは、突如奇妙な竜巻の襲来を受け、真珠湾へ引き返そうとするが、そのまま呑み込まれてしまう。
しばらくして嵐は収まったものの、「随伴していた駆逐艦が行方不明」「無線にどこからも応答がない」「奇妙な無線通信とラジオ番組の受信」などの異常な事態を認識した艦長は、緊急警戒態勢を発令すると共に、真珠湾への偵察機を発進させる。また、ニミッツに近づく飛行機をレーダーによって発見し、調査のためにF-14トムキャットを発進させる。パイロットが目視したその飛行機は、なんとプロペラ飛行する旧日本軍の零戦であった。
偵察機が持ち帰った真珠湾の写真に整然と写るかつての主力戦艦群、奇妙な無線とラジオ番組、そして零戦の出現。それらの情報から推理を重ねたニミッツの搭乗員たちは、タイムスリップしたことを悟り、今が1941年12月6日、つまり真珠湾攻撃の前日であることを理解して、歴史に介入して日本軍を撃退するか否かを迫られる(日本の作戦を失敗させればタイムパラドックスが起きてしまう)。―引用終わり

これを読んで、元歌が「廃工場」と繋がりがあるのがわかります。
二度の大戦と原子力爆弾に続く平和運動への布石があります。

「マドンナたちのララバイ」は、
映画「ファイナル・カウントダウン」で発表された
「ミスター&ミセスタイドマン」の盗作だということでしたが、
これがこの映画題名そのものの
「ファイナル・カウントダウン」という曲に繋げてくれます。
これは1980年代のハードロックグループ
「ヨーロッパ」の持ち歌ということでした。
その歌詞がこの夢に意味を持たせてくれます。
SNSから重要なところ
https://lmbeat.blog.fc2.com/blog-entry-70.html)を抜粋しました。
歌詞の部分は『 』で区別しました。

『We're leaving together
But still it's farewell
And maybe we'll come back
To earth, who can tell?
僕らは旅立つ
これでお別れだ
再び地球に戻るか
それは誰にもわからない』

そして更に重要なところは、

『We're heading for Venus
and still we stand tall
'Cause maybe they've seen us
and welcome us all, yea
僕らは金星へ向かう
確固たる信念を持って
金星人たちは
僕らを知っていて
歓迎してくれるだろう』

の部分です。
拙訳が贔屓目かもしれませんが。

『With so many light years to go
and things to be found
(To be found)
I'm sure that we all miss her so
何光年もの道のりを経て
いろいろと気づくのさ
(気づくのさ)
そのとき僕らは
地球を懐かしく思うだろう

It's the final countdown
これがファイナル・カウントダウン』


「ファイナル・カウントダウン」の歌詞を勝手に翻訳してみました。
最後の言葉ファイナル・カウントダウンは繰り返します。
つまりこの歌が言いたいのは、
今が飛び立ちの時だというのです。
今は決意の時です。
ことは終わりに近づいているのです。

この夢の始まりは映画「ぼくらの7日間戦争」の廃工場です。
夢主本人が書いているように、
「廃工場は今の社会そのもの、これまでの社会の在り方そのもの」。

この9月7日の夢が今日の現状と啓示を伝えています。
コロナ禍のこの最中、
ここから出ようとこの歌は言います。
そのための方法をここから読み取って欲しいようです。

ここで何故「金星」なのかを説明すると、
「ヴァリアント・ソーという金星人が、
1957年当時の国防長官であったニール・H・マッケロイと会い、
さらにアイゼンハワー大統領とニクソン副大統領と会談した。(https://tocana.jp/2020/12/post_188415_entry.html)」
というニュースがあります。

更に1950年代初期に
アダムスキーが空飛ぶ円盤に遭遇したという主張が、
マスコミを騒がせました。
彼が会った宇宙人は金星人で、
核実験への懸念をアダムスキーに伝えたということです。

アダムスキーの話もヴァリアント・ソーの話も
当時は眉唾物としか受け取られない風潮でした。

ここに記事の一部をコピペします
https://sunrise-country.blogspot.com/2017/05/blog-post_27.html
「1954年2月20日、カリフォルニアのエドワード空軍基地にてアイゼンハワー大統領はプレアディアン及びアシュターコマンドの代表と会見を行った。
アシュタール・コマンドはすべての核兵器の破棄を条件として先進技術と人類の霊的進化への協力を申し出た。
しかし、アイゼンハワーはネガティブ・ミリタリーによって圧力をかけられ、ポジティブETとの協約を拒否させられた。」

当時はETとの接触は早すぎて、
地球人にはそのための心の準備ができていないということもありますが、
闇の勢力の欲の前に屈したアイゼンハワーであり、
ニクソンであったのかもしれません。

この短い夢の背後には、
戦争の影があり、核の脅威があります。
原子力攻撃空母ニミッツという言葉は当時の日本人にとって、
どれほど神経を尖らす存在だったでしょう。
第二次世界大戦は広島と長崎の核爆撃で終わりました。
これがこの地球の核による戦争の終わりです。
核爆弾は以後使えないのです。
これは有機体にして霊格高い地球の意志だと私は考えています。
だから闇の勢力は核を使えずにウイルス兵器を持ち出して、
第三次世界大戦に打って出ました。

このウイルス作戦は私達庶民にとって、
却って組みし易いのかもしれません。
第二次世界大戦の死者数は8500万人だそうで、
コロナウイルスによる世界中の死者数は、
2021年7月1日現在455万人だそうです。
この計画を立てたものにとっては割りの合わない仕事になっています。
庶民は裏の計画に気付いています。

さて、この夢のお陰で1980年と1941年と2021年が一つになりました。
この時間のつながりと現状をバックに、
最早小さな地球の出来事の中に自分を埋没させるだけではなく、
金星に向かって飛び出そうとしている私たちの心の中には、
コロナにばかり心を奪われたままでいるのではなく、
量子力学的にこの現象を捉え、
自分の思いを大声で歌い上げたいという思いでいっぱいです。

いままでのように現状を動かしている者に戦いを挑んでも変わりません。
視点を上げ、視野を広げましょう。
宇宙にその姿を誇り高く活動している地球という聖霊に対し、
私たちはその優しさに気づくことも気遣うこともありませんでした。
この現状から一旦出ましょう。
金星人たちの提案を受け入れましょう。

ここまで「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の背景を考察してきて、
ここで歌詞に戻りましょう。
いまならこの歌を心置きなく歌える気分ではありませんか。
あなたがマドンナになって、
目の前の男性を全身全霊で受け止めるのではありません。
あなたは、
あなたがこれまで男性原理で出来上がった社会に、
果敢に適応してきた自分の男性性に批判の目を向けるのではなく、
それを抱きしめ、
その自分に優しく、
もう頑張ることはない、
この歌詞の最後にあるように、
『今は 心の痛みをぬぐって
小さな子供の昔に帰って
熱い胸に 甘えて』
と言えるのです。

今はその自分を飛び出し、
宇宙の仲間と協力して、
やがて美しい次元上昇した地球に戻りましょう。

その時は今までの知っている地球では無いかもしれません。
けれど今がその決意の時・飛び立ちの時です。

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の夢から
わたしが読んだ結論です。

この夢のメッセージの一貫性は見事だと思いました。

メッセージ性がある夢の奥は壮大です。
夢を通してわたしたちは一つに繋がっています。
そのわたしたちひとりひとりが個として壮大なのです。
それを教えてくれる夢でした。
夢の真価がこれで少しでもお分かりいただけるといいのですが。

最後に蛇足です。
この夢主さん。
企業戦士の過去をお持ちです。
企業戦士の過去があるから、
いまの気付きがあります。






posted by 天の鳥船庵 at 16:07 | 夢のメッセージの取り方

2021年09月20日

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」考 その1


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(屋根の上に珍しく磯ヒヨドリが!メスがオスにモーションをかけています。
左がメスで、右がオスです。美しい声で大事なことを告げてくれます。)

先々週の土曜(11日)のオープンクラスで、
「マドンナたちのララバイ」を夢の中で歌うという話がでました。

この方の夢には節目節目で歌が出てきます。
いままでは歌詞そのものがメッセージだったので分かり易かったです。

今回はマドンナ(聖母)ですからちょっと緊張したようでした。
歌詞の出だしが、

【さあ 眠りなさい
疲れ切った体を投げ出して
青いそのまぶたを
唇でそっと ふさぎましょう】

これは、
女性が、自分の夫または恋人の男性に向けて、
「生き馬の目を抜く社会で頑張るあなた
いまは私の胸の中でゆっくりおやすみなさい」という意味でしょう。

しかし今の女性にとってこの歌詞を、
額面通りに受け取ったら辛いかもしれません。
現在男性も辛いでしょうが、
同じように女性だって辛いのです。
1982年にリリースされた当時の意味と今では大幅に違うはずです。
そしてもう一つどうしても考えなければならないのは、
女性の時代の女性のあり方です。
このマドンナ像がそれを示しているとはとても考えられません。
これでは男性原理のその反対側になってしまいます。
そうなると女性原理の時代が次元上昇に成って行きません。

それにコロナ禍も1年と9ヶ月になりました。
収束の兆しは見えません。
このウイルス騒ぎは諸説あるものの、
男性原理の最たる姿です。
利益を集中させて人減らしを図っています。
この説は今に始まったことではなく、
二度の大戦が起きた本当の理由です。
ここに大義名分は無いというのが私の考えです。

この影で女性は虐げられ、
女性たちは犠牲者としてなす術なかったと逃げるなら、
これが男性原理の反対側の女性原理になってしまいます。
そうではない視点がこの夢にあるというのがこの記事の趣旨です。
どうぞお付き合いください。

DSC01922.jpeg
(写真は9月11日の曼珠沙華です。今は満開を過ぎています。)

夢の専門家が考えると、
この夢主の夢も夢主の夢見を育てているはずです。
夢に取り組むことで夢が本人の人格を育てます。
今までの夢の通りに歌詞そのものを考えるだけでは足りなくなります。
どんな夢も擬装工作は微に入り細を穿つもので、
その核心に迫るには
この歌が夢の中でどのように歌われているか背景を考えないといけません。
夢主を育てようと、
視点を上げるように夢主に迫るわけです。
そこでこの夢について書いた本人の解説をここにコピペしましょう。

[引用開始]
【またまた夢の話】
私の夢(の神様)が全集中で語りかけてくる時、必ず「音楽」を使います。
私の夢(の神様)の十八番であり、私の夢の真骨頂でもあります。
自分で言うのも何ですが。
まさに数日前(9月7日)、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」を熱唱する、という夢を見ました。
ドラマ好きな団塊世代の親を持つ方は、よくよくご存知でありましょう。「火曜サスペンス劇場」の初代エンディングテーマで、日本のトップシンガーとも言える岩崎宏美さんの持ち歌です。
私が見る音楽の夢は、歌の歌詞そのものが夢からのメッセージになっています。
とにかくパワフルな夢なので、内容を忘れることがありません。
この手の夢のシチュエーションの多くは、歌手のご本人が歌っている音声だけが流れてくるか、私がライブ会場で観客として見聞きしているかの、どちらかなのですが、今回は、私自身が歌っています。
歌う夢はこれまでに何度も見ていますが、私自身が歌うことで、メッセージを身体中に叩き込まれているのだなと、改めて気づきました。尚且つ、それが、私の未来への宣言でもある、ということだったりします。
・・・いや、しかし。今回。
目覚めた直後は「あー、気持ちよかった〜。私、歌ってたわ〜。めっちゃうまく歌えたわ〜。『さあ、眠りなさい。疲れ切った身体を〜♪』の『を』の音程気持ちいいわ〜」と快楽の嵐で大満足していたんですけども。
落ち着いて、静かな気持ちになった途端、鳥肌が立ちました。
だって、この歌、スゲー壮大なんですよ!!!
ぜひ、歌ってみてください。特に女性の方。
ていうか、曲のタイトルから既に神!
この歌、子供の頃から知っていたし、歌えるし。
でも、こんなにしっかり歌詞を読んだのは初めてで。
しかも、私が歌っている場所は、映画化された「僕らの七日間戦争」の舞台のような廃工場。
で。
この夢をどう解釈したかというと。
廃工場は今の社会そのもの、これまでの社会の在り方そのものと表現すべきでしょうか。
もう、コロナ前の生活様式や価値観は戻ってこないって事でしょうね。(これはまあ、どこでも言われていることですね。)
そして、この夢を見た私はもちろん、全ての女性が、聖母(マドンナ)として、この歌の歌詞にあるように愛する必要がある。命を差し出せるくらいの器?気概?を持って。家族・友人・知人・隣人を、自然を、生きとし生けるものを、ウィルスさえも、愛する器を持つ。何かの本で「光で抱き参らせる」という表現があったのを思い出して、そういうイメージがピッタリです。
女性が、本来の器の大きさを取り戻して、新しい社会を作っていくのでしょうか。願わくば、私もその一助となりたい。ウキウキワクワク楽しいと感じる方法で。
聖母(マドンナ)たちのララバイの旋律は、元になった曲があるそうです。アメリカのとある映画のために作られました。その映画は、原子力空母関連のもの。そんなバックボーンを持つこの歌、原発や核についても、何か意味を持つのでしょうか。

更に自己満足雑感。
人にはそれぞれのペースがあって、それぞれに成長する。誰かが簡単にできることが、私には難問だったり、その逆も然り。だから、誰かと比べて優劣をつけることは全く無意味だし、人の感情や気持ちは一般化してはならない。
夢の研究は、それを徹底的に教えてくれました。
幼少期からずっと私の隣で寄り添ってくれる色濃い夢を、2011年から学び研究し、ちょっとした年月が経ちました。研究の始まりは「クマのぬいぐるみに綿を詰める夢」で、母性のボの字も持ち合わせていなかった私が、こんな歌を夢の中で歌うようになったのだと感慨深い(自己満足)。
道中、特に忘れられないのは「長い水の道を、3歳くらいの小さなの女の子が、私に向かって真っ直ぐに、あっぷあっぷしながら泳いでくる夢」。この夢がなかったら、私は娘を腕に抱くことはなかっただろうと思います。出産を決めた夢。と言っても、この夢を見た時点では妊活すらしていなかったのですが。
娘の乳児時期の、なんだかよく分からない焦燥感の中では(いやあれは、産後うつだね)、「80歳の老婆は現役サーファー」と言う夢に大きく救われました。今改めてこの夢を考えるに、これからの時代は本当に80代が現役と呼ばれる時代になるのかもしれない。娘も何かと「120歳まで生きようね」と言ってくるし。
娘が夢の話を語れる年齢になり、娘の夢を聞けば聞くほど「魂を磨く同士」であることを感じ、お母さんだけれど、先に生まれただけのリーダーのような気持ち。でも、私に「愛すること」を教えてくれた娘の存在のお陰で、今はちょっとわかる気がしている。
[引用終わり]

夢というものは誰のものであっても、
その夢が気に入れば自分の夢にして構いません。
この夢を私は相当に気に入っているので、
自分の夢として解釈しようと思っています。
昔北条政子は妹の夢を反物二反で買いましたが・・・・・・・
いまどき夢の本質が分かれば代金は無用と思っています。
それでこの記事を書いています。
どうぞみなさまも同じようにされてください。
共に女性の時代を作って行きましょう。
そういう話をしたいのです。

とはいえ、この話長くなりそうなので次回に続けます。
仕上がりがいつになるか約束できませんが。

DSC01926.jpeg
(これも11日の写真です。
先月いただいたホーリーバジルを長雨のなかさし芽しました。
今はもっと大きく育っています。)



posted by 天の鳥船庵 at 15:05 | 夢のメッセージの取り方

2021年09月11日

通信講座2期を終えました


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(坂内和則画)

昨日、通信講座の2期を終えることができました。
この人類始まって以来の激動の時を過ごすわたしたちは、
究極自分の中へ中へとその原因を求める衝動に駆られ、
それを通して多くの方々が解決に向けた道を見つけつつあります。

この講座に関わってくださった方々も手がかりを見つけた求道者です。
講師を務めたわたしの感想をお見せします。

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天の鳥船庵夢療法通信講座第2期を終えるに当たって 坂内慶子         

最後にこの講座の責任者としてご挨拶申し上げます。
受講生のみなさま、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
この講座の真価が2期にしてしっかり証明されたように思います。
手応えを感じています。
それはコロナ禍の最中
この講座を講座として認めてくださった
受講者みなさんの強さと勇気に支えられて終えることができたからです。
感謝でいっぱいです。

1期を受講された方で2期も受けてくださった方の安定感は
どれほど添削講師の励みになったか計り知れません。
この講座は次の3期へと続けますが、
夢の真価を知る人は世に少なく、
この講座をどのように次世代に繋げていくか模索中です。
恐らくこうした形の夢講座は世に無く、
また定期的に個人の夢をグループとして共有し、
互いに刺激し合える道具として夢を使った実例はないと思います。
誰もが夢を通して自分の声に耳傾けることで、
互いを助け合えるという究極のあり方は、
真に隣人への奉仕の在り方を学ぶものとなりました。
今後のみなさんの行動に期待いたします。

霊性をメインに心と体の状態を読み取る天の鳥船庵の方式は、
エドガー・ケイシーの勧めによる自己を知るための三つの道具として、
夢と祈りと瞑想の習得を基盤としています。
それは、生活態度そのものを祈りとし、
生活の中に瞑想の時間を設け習慣化すること。
夢に取り組むにはこの二つの態度が必要になります。
日常と瞑想だけでは、自我が尊大になる危険があります。
尊大になった時この世の価値観が頭をもたげることになります。
それを阻止してくれるのが夢です。
いまみなさんの風景構成法の絵を見ています。
ここには願いと戒めが読めます。
夢は真我という超意識からきますが、
預かり知らない無意識下にあります。
風景構成法はそれを一歩顕在意識に近づけて、
前意識下されたものです。
どちらも自分の真我から出てきたものです。
自分が描いた絵は、
自分の願いとそれを現実化するための課題を示してくれています。
今後自分の夢が何を言っているのか皆目わからないという経験をするでしょう。
そのときクレヨン画を描いてみてください。
ヒントになるはずです。

Aさんの風景構成法の絵は夫婦和合を示しています。
Bさんの絵は光り輝くように人生を生きることでしょうか。
Cさんの絵は、身近な人々と心静かに日々を過ごすことのようです。
Dさんの絵は、いまこの時を逃さず子供たちといっぱい遊ぶこと。
Eさんの絵は、自分を含め家族全員の健康管理を天職にすること。
それぞれの絵がポイントを定めて知らせています。

これまでこの講座で習った方法だけで夢のメッセージが分かるとは言い切れません。
全ての方法をこの講座で網羅できているかは自信がありません。
お心広く考え、自分なりの夢の受け取り方も考えられてください。
その際、自我(エゴ)のささやきには充分注意されてください。
それにしてもみなさん自分を知ることに貪欲でした。
その勇気に圧倒されます。
今後もその勢いで自己探究を進めてください。
ありがとうございました。  

   - 終 - 



posted by 天の鳥船庵 at 07:13 | あれこれ