画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

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天の鳥船庵だより

2021年11月28日

天の鳥船庵夢療法家認定者に新たに5名が加わりました



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(11月19日部分月食が始まる5時前の稲村ヶ崎切り通しの夕景)


11月20日に終了を迎えた養成講座18期で、
新たに5名の認定者をお迎えできることが決まりました。
これは責任者である坂内慶子にとって誇り高い出来事です。
この講座は天の鳥船庵として提供している講座の中で最終段階の講座です。
その難しさはそれまでの夢療法講座の三倍は難しいと感じています。
みなさん、それに耐え研鑽を積まれた強者たちです。
認定証は、
「研鑽へのご褒美賞」と言えると思います。
夢療法家としてはここが出発点です。
どの分野でも同じですが、
今後は各自の活躍如何でこの認定証が生きてきます。


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(切り通しを抜けると夕日に染まった雲が桜の花びらの様に富士山を囲っていました)


ここに夢療法家として認定されている方々全員の名前をお知らせします。

天の鳥船庵夢療法家認定者名簿
1:うえだ央幸(カウンセラー)4期(2013/4-9)
2:長谷川雅江(医師・夢療法家)6期(2014/4-9)
3:石井優美(夢療法家・カルチャースクール講師)7期(2014/10-2015/3)
4:飯田佳恵(リフレクソロジー並びに整体セラピスト)7期(2014/10-2015/3)
5:横山ちなぎ(自営業)9期(2015/10-2016/3)
6:小林純子(会社員)10期(2016/4-9)
7:野口尚子(会社員・薬剤師)13期(2017/10-2018/3)
8:堀口歩(ステンドグラス作家・夢療法家)13期(2017/10-2018/3)
9:酒井景子(主婦)14期(2018/4-9)
10:宮本千鶴(コーチ・プランニング ディレクター)17期(2019/12-2020/5)
11:山アゆか裡(鍼灸師・てんげる治療院院長)17期(2019/12-2020/5)
12:奥津わこ(ヨガ講師)17期(2019/12-2020/5)
13:石川みつる(カウンセラー)18期(2021/6-2021/11)
14:大島とし江(看護師)18期(2021/6-2021/11)
15:佐々木瑞穂(塾経営者)18期(2021/6-2021/11)
16:水津奈央(会社員)18期(2021/6-2021/11)
17:瀬戸智司子(塾経営者)18期(2021/6-2021/11)

みなさまのお近くでこの者たちがご縁をいただくことでしょう。
彼女たちは夢を通して、
厳しい自己覚知をしてきました。
その大切さを知っている者です。
時に相談相手としてお役立ていただきますよう願っています。


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posted by バンナイ at 10:20 | あれこれ

2021年11月24日

養成講座18期を終えることができました。



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(養成講座のためのクライアントさんが2名Zoomでお茶会に参加してくれました)


この20日土曜日に養成講座18期の最終回を迎えることができました。

面談療法はリアルに行うのが当然と考えてきたので、
去年の4月以来1年間養成講座は休講を余儀なくされました。
しかし勉強中の受講生の熱気に押されて養成講座の必要性に気づき、
これが却ってリアルにお目にかかれない方をクライアントに迎える道を作ってくれました。


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(受講生にいただいた薔薇です)


最終回はクライアントを勤めてくださった方をお迎えして、
お茶会を開きます。
お一人がお礼のメールをくださったのでその一部をご覧いただきたいと思います。
無断転載ですがお許しください。
この内容は現在多くの人に当てはまる部分があります。

ー転載はじめー
4回のセッションもとても有意義で楽しかったですが、
昨日の最終面談やお茶会でのセラピストの卵さんたちとの雑談の中でも気付かされることや驚きなどたくさんあって、
ほんとに楽しかったです。
知ることの喜び、静かなる楽しさとでも言うのでしょうか。

最終面談で先生から頂いたアドバイス。

私は都会よりも田舎(自然)があっている。又は求めている。
プラスティックの中にいる蛇も、地下鉄にいる牛も本来居るべきとこの姿ではない。
それと、何か大きな仕事を成すと言うよりも自然と共に暮らす事の方があなたにはあってるみたい。
…と言うような内容のアドバイスだったと思います。

面談をして頂いてる時は、
「この一連の夢からこんな切り口でこんな風に読み解くんだ」
「すごいな〜」「そ〜きますか」「そこですか?!」などなど、
魔法のメガネをかけてるかの様な先生の読み解きに、ただただ驚嘆で終わってました。
帰り道、先生に言われた事をもう一度思い返していると、
聖書のアブラハムのある箇所が突然心に浮かび「あ〜!そうか!そういうことか!」と理解出来ました。
それはそれはとても静寂な心の歓喜でした。
アブラハムとロトが二手に分かれ、それぞれの住処を選ぶ時、
ロトは華やかなソドムの街を選んだが、
アブラハムはどこかもっと都会から離れた田舎の地、
樫の木のそばに移り住んだ。
……………。

私は神を知りたいと思いながら、この世的な楽しみも同時に追い求めてる。
でもそれは同時に成し得ることは出来ない。そして私はアブラハムになりたいんだと。

蛇をプラスティックに入れ、牛を地下鉄に閉じ込めて肉を蝕んでたのは私だった。
自分の毎日の心のあり方、生活態度、思い当たります。
願っていながら別の方向を向いているのは非常にエネルギーを消耗させてるんだなと。

そして
「何か大きな事を成すよりも、今、目の前に置かれた状況を、自分のやるべきことを、
心を定めて一つ一つこなす事の方がよっぽど大きな奉仕なのだ」
と言う様なケイシーの言葉も思い出されました。
ー転載終わりー

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このメールを拝見して、
わたしの提案を超えて夢の流れを受け取られたように思いました。


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クライアントさんが提供してくださった夢と実生活は、
これからの社会に貴重な資料を提供してくださったのですが、
それをどのように消化し、
昇華した結果を、
多くの方々に参考としていただけるか、
これからのわたしたちに掛かっています。







posted by バンナイ at 09:59 | 夢の活用法

2021年11月21日

わたしの夢に登場した裸の大谷翔平選手



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(わたしの夢日記。実物です。)

大谷翔平選手、大リーグのアメリカンリーグMVP受賞おめでとうございます。

この受賞発表に日本中が沸き、
彼の活躍をどんなに誇りに思ったことでしょう。
今年の大谷選手の活躍は信じ難いほどで、
野球を知らないわたしもワクワクドキドキ楽しい思いをしました。

大谷選手がテレビ画面に登場するたびに「わたしの大谷選手」が活躍していると、
身内を眺めているような妙な気分になったものです。

その訳は大谷選手の夢を去年見たからです。
2020年1月23日大谷選手は真っ裸で夢に登場してくれました。

夢本体【A.まっ裸の大谷翔平が上半身を前に倒して立っている。
それを下から見上げている。
すごく綺麗。
わたしも裸。
何の目的もないがきれい。
B.のし紙を見ている。右紅左白だと思いながら。】

この夢を思い出してすぐに思ったものです。
「わたし元気になるんだ!なれるんだ!」と。

理由なんて後付けです。
けれど一応書いてみます。
2018年の1月にC型肝炎の新薬を戴き2ヶ月服用しました。
この副作用かどうかわかりませんが、
以後胃腸の調子が思わしくなく、
長期にわたって食が細くなり体重が減っていきました。
米食は消化できず、
粥やそうめんばかりの日々が1年以上続きました。
2019年4月には右手首骨折で手術し、
病院食に油を一切使わない調理をお願いしました。
幸いなことに24日間の入院中
毎日大量ににんじん料理をいただくことができました。
この大谷選手が夢に登場した2020年の年明けも、
胃腸の具合が思わしくなく弱気になっていたと思います。
それがこの夢で一気に気力を取り戻せたような感じです。
顔には出せないけれど、
静かに腹の底から湧き出る自信が全身をじんわり占めていったようです。

夢の中で大谷選手とわたしのいる次元は明らかに違います。

今生で大谷選手と接点があるとは思いませんが、
次元が違っても夢の中で一緒にいた経験は、
波動を共にできたということで、
互いが互いに影響し合えるという証でしょう。

今年2021年のいま彼の受賞の報を期に、
一気とは言えなくても、
静かに体の芯が丈夫になっているのを感じています。
彼もまた2019年には左肘の手術を受けています。
選手生命に関わるおおきな手術だったと思います。
この報を知ったのはMVPの受賞を知った後ですが、
大谷選手もまた大変な苦労を体験してのおめでただったようです。

ありがとう大谷選手。  

あなたの活躍でたくさんの人々が
あなたの人柄と、
あなたの業績に励まされています。
わたしもそのひとりです。
 



posted by バンナイ at 20:24 | 夢の活用法

2021年11月17日

コロナ禍と「ぼくらの七日間戦争」


12月11日のオープンクラスに空席あります。
オンライン講座も募集中です。
更に、養成講座のケース研究のためのクライアントも募集中です。


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ある晴れた日の散歩中に、
「僕ら七日間戦争」という児童小説を偶然見つけました。
民家のガレージに「ご自由にどうぞ」と張り紙がしてあって、
本が二冊と細々とした雑貨がテーブルに置いてありました。
人影もなかったので野次馬根性で覗いてみました。
雑貨には興味が湧きませんでしたが、
大きめの黄色い本が「ぼくらの七日間戦争」と読めました。
「へ〜っ?!」です。
ブログ記事にはしたもののこれを読む気はありませんでした。
それでもこれ見よがしに置かれてごらんなさい。
これこそ「読んでみたら?」の天のお誘いと思いました。
そこで遠慮なくこの本いただくことにしました。
この本を読むということは、
『聖母(マドンナ)たちのララバイ』考」から発して、
「その続きを書いたらどうか」と促されているようです。
そうは思うものの積極的にとは言い難い気分でした。
自分の過去を振り返ることになるからです。
いままでそんな暇もなかったし、
振り返るほどの過去があるわけでもありません。
とはいえ読みました。
読んで感じたこれからのことを書きます。

まずはあとがきから。
作者の宗田理(そうだ おさむ)氏曰く、
「1985年に角川文庫として発刊。
20年ほど前の大学闘争が東大安田講堂攻防戦にいたって頂点に登り詰めた。
親たちの青春時代はかっこうよかった。」というのです。
その世代を親に持つ子供たちに、
「あの親のように血気盛んであってほしい」という思いが、
この小説を書かせたようです。

となると、わたしの感想は少し違ってきます。
あのころの学生たちはかっこうよかったでしょうか。
わたしにはそうは思えないのです。
東大安田講堂攻防戦は、「全学共闘会議および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件」とウィキペディアにあります。

1970年私は原宿の表参道と青山通りの交差点近くに住んでいました。
このころ、
全学連というより「中核」と書かれたヘルメットを被った学生たち(?)が、
大通りを幅いっぱい占拠し、
隊列をなしてデモを行なっている姿を見たものです。
「全共闘」もあったと思いますがもう記憶は定かではありません。
表参道の歩道橋の上には、
野次馬が大勢登ってデモ隊を眺めていたのを思い出します。
(その頃表参道には桜の木がまだ2本ばかり残っていて、
花をつけていたようにも思うのですが。)
彼らに向かって催涙弾が投げられ、
デモ隊は夜にはいなくなるものの、
住民はそのおかげで涙が止まらない数時間(?)を過ごしたものです。
1960年、70年は安保闘争が盛んでした。
60年には樺美智子さんのデモ中の圧死事件がおきました。
安保闘争とは、日米安全保障条約批准反対運動のことです。
敗戦は日本人をとても神経質にしましたが、
それ以上に焼け野原の日本を復興させなくてはいけない必死の親たちに変わって、
若者たちは戦争につながる種火に敏感だったので、
安保闘争を起こしたのだというのがわたしの見解です。

とはいえ、あれだけの盛り上がりを見せたのに、
以後宗田理氏がいうように、
日本国民は体制に歯向かうことがないように見えます。
1945年に敗戦を迎え日本は核被爆国でありながら、
10年目の1955年(昭和30年)12月19日に早くも原子力基本法を成立させ、
原子炉作りに邁進していきました。
この速さは異様です。
大学闘争の前に安保闘争があったから、
大学闘争は盛り上がったのだとわたしは考えています。
戦争への危機感は大変なものでした。
それが被爆国でありながら、
原子炉の制御方法も見えないままに、
2011年3月11日東日本大震災を迎えて、
福島第一原子力発電所におけるメルトダウンで苦しむことになります。
(注:この時点で日本には54基の原発があり、稼働しているのは9基だそうです)

聖母(マドンナ)たちのララバイ考」でも書きましたように、
あの歌の背後には「核」の存在があります。
「核」はこの社会を牛耳る恰好の餌です。

その「核」は平和利用という名で経済社会の中心に居座ったのです。
その「核」に否を唱えて、
若者は血気盛んでしたが、
催涙弾を浴びたわたしの頭の中には、
ここから何かが生まれるとは思えませんでした。
これは本能的なものです。
理性できちんと考えて選んだ結果ではありません。
けれど少なくともこのやり方はわたしの道ではないと思ったのです。
安保闘争の時には盛んに核搭載疑惑がある戦艦入港がニュースに載ったものです。
この時の有耶無耶は政治家への不振につながっています。
思想と思想を戦わせても生まれるものはない。
安田講堂の陥落が一体何を残したかといえば虚しさです。
これ以後若者たちは体制にデモという形では異議を表さなくなりました。

政治や体制に刃向かっても詮無いという態度は、
参政権が与えられていない時代の話です。
現在参政権はあります。
その参政権をどう使うかはわたしたちの責任です。
この権利と責任の行使は私たち一人一人に委ねられています。
「ぼくらの七日間戦争」がいう「かっこういい」は、
「生き生き生きている」は「かっこういい」だけではないと思いますが、
世情は政治に関心を示さなくなった、
このことを言っているのだと思います。
民衆の無関心はこの世をコントロールするものに好都合です。
あれほど先人が苦労して得た参政権を、
誰もが履行する責任があると理解している若者は少なくなりました。
若者の政治への無関心は、
政治に老成した者の独壇場になっています。
しかしこの傾向は時を経て、
「核」の嘘にはじまり、
「体制」の虚構が明らかになる起爆剤になりました。
それがここにきてコロナというウイルス戦略で表に見えるようになったのです。

さてこのコロナ禍は自分たちの無関心が作り出した舞台装置です。
自分たちの無関心がこのウイルスを生み出したと気づくまで、
この騒ぎは続くでしょう。

この三次元の世界は二極化が宿命として備えられています。
常に「正反合」の弁証法で解決するものと教えられました。
しかしこの「正反」は「合」をもって終わりではなく、
この「合」の「反」を持ち出して弁証法は延々と続きます。
これを辞める時が来たようです。
これを辞めるための知恵を生み出すために、
この舞台装置を人類あげて作り上げたというのがわたしの考えです。
全ての人がこの状況を作り上げるのに加担しました。

この舞台装置は見事です。
今生きている人全部がこのコロナ禍から逃れることはできないからです。

つまり私たちは自ら望んでこの罠を自分に仕掛けたわけです。
この罠の二元論から出るにはどうしたら良いでしょう。
「打った人」は「打たない人」を批判すれば、
ジャッジしたことになります。
これは「正反」の弁償法的解決策です。

「打った人」にはその人なりの考えがあります。
その考えを「打たない人」は受け入れることはできますか。
「打たない人」は自分の正しさに固執しないでいられますか。

人類は、この見事な舞台装置を作るのに数千年かけました。
それだけ長い年月をかけなければできあがらないほど、
精緻で見事な舞台装置です。

さて弁証法は役に立ちません。
互いの欠点をあげつらっていては元の木阿弥です。
ここからはわたしの考えですが、
唯々意識的でいましょう。
周りで何が起きているか意識していましょう。
意識できる自分でいましょう。
コロナ禍に引きずられて疑心暗鬼になっては元も子もありません。
恐れてはいけないのです。
「ある」、「いる」ことを知りながら、
それとの間に距離を置いて、
意識しながらその存在を脅かさず、
その場を離れ、日常に身を置きましょう。
日常の何気ない幸せに五感を移しましょう。
それがこの世に生を受けたそもそもの理由なのですから。

表参道で中核のデモを目撃したときは、
わたしはそれを意識的に捉えることはできませんでした。
わたしの日常とそのデモとを切り離しただけでした。
今は違います。
コロナ禍はむしろわたしが作り出した幻想ともいえます。
だからこの実態のない存在に恐れは感じないでいられます。

距離を置きながら意識的でいること

これがコロナ禍への心構えではないかと思っています。

「ぼくらの七日間戦争」は最後に戦闘を挑まず、
知恵を使って終止符を打ちます。
この子供たちは七日間の間常に自分たちから湧いてくる知恵を信じ、
一人一人の枠を超えてゆきました。

これからの私たちもそうありたいものです。


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(七里ヶ浜の神輿です)



posted by バンナイ at 14:22 | 夢の活用法
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