[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2021年12月31日

本年もありがとうございました。


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いろいろのことがありながら、
2021年を何とか無事に過ごせていることが一番なのだと思います。
20代の頃お茶とお華のお稽古を10年ほどしました。
お茶の先生は茶花が見事で、
いまでもその余分なもののない
それでいて華やかな技を思い出します。
言ってみれば、
万葉、古今、新古今のなかで新古今のように無駄がないのです。
昨今の茶花は万葉風とでも言いましょうか。
華やかです。
私の勝手ですが。

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その先生が作る門松を真似て私もやっています。
お正月用のお花を活けたその残りで門松を作ります。
今年は松竹梅に千両にしました。
庭の梅はいま蕾が沢山ついています。

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お部屋のお正月用には頂き物の花籠。

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写真では見えませんが、五葉松と千両が沢山活けてあります。

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来年のセッションルームに飾る月の運行が入ったカレンダーです。

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先ほど江ノ電の路面電車になる腰越あたりで、
電車を追いかける形で車を運転しました。

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都会でいて都会ともいえないゆったりした漁師町のような感じです。
両側にはひもの屋や食べ物屋や小ぶりのスーパーなど、
人の行き来が多いところです。

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コロナ禍で生活は変わりましたが、
幸いなことにより一層静かな生活ができるようになりました。
外に向いていた意識が内に向かうようになると、
その分当たり前のことが奇跡なのだと思えます。

本年中はお世話になり有り難うございました。

みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。



posted by 天の鳥船庵 at 20:40 | あれこれ

2021年12月25日

夢を造り替える



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(玄関ドアのクリスマス飾り)

自分の夢が何を伝えているのか、
それが分かり始めると、
初めの頃は萎えます。

自分の欠点ばかり指摘してくるようで、
叱られることのなかったこれまでと比べて、
「これほど私は欠点だらけなのか!」と、
怒りさえ覚えます。
仕方ありません。
これまで大抵は根拠のない自信で、
自分は他と比べてどこというわけでもないけれど、
「良い線行っている」と思っているので、
弱点や見るべきところを見ていないことを指摘されると、
自分の夢に腹が立ちます。

「自分のあるがまま」を知るには、
この腹立ちで踏ん張る必要があるのですが、
夢の指摘通りに修正点から自分を知って自己覚知していくのは、
教育法としても本末転倒だと多くの人は考えます。
メルヘンチックのひとかけらもない夢の実際に絶望する人がいます。
夢に大した意味はないと離れます。
残念なことです。

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(いただき物のあれこれ)

考えてみてください。
ここで生きているには意味があります。
何生にも渡って輪廻転生を繰り返してきた私たちは、
カルマやトラウマの修正点があって然るべきです。
生きる前に人生双六は決めてきています。
この人生双六には「上がり」が想定されています。
上りまで行く間に多くの難題が敷設されています。
その難問にどう対処するか、
それが毎夜見る夢の中にヒントが散りばめられているということです。

肉体を持って地球に生まれているのは修行に来ていることを表しています。
誰の意思でもなく自分の意思で人間をしています。
人生双六で上がるためです。
自分に課した難問をクリアすることでさらに美しい自分になるためです。
修正点は意識を向けると分かります。
辛いところひっかかるところが修正点です。

つまりこの人生を決めたのも自分だし、
難問も自分で敷設しています。
それなのに自分が自分に敷設した難問に、
「難しすぎる」と文句言っているので、
夢の前でUターンするという滑稽な態度をとることになっています。

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(何日か前の傘を被った富士山)

だから自分の夢に立ち向かうことです。
自分の夢が何を伝えているのか知る必要はないと結論を出すのは、
自分の魂に失礼な態度を取っていることになります。

自分の魂が決めたこの人生の筋書きに、
最も適切なアドバイスをしてくれるのは、
実は夢をおいては他にありません。
親は親の欲でモノを言い、
友人知人はその人のモノの考え方捉え方でアドバイスしてきます。
夢だけは、この人生を始めたあなたの心意気を知っているので、
そのあなたへの信頼から厳しいこと、
あなたならできることを言ってきます。

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(いつでしたかとても幻想的な富士山)

前回のオープンクラスでは、
夢が、
夢主に対して持っている信頼を知っている人たちの集まりでした。
だから出席者に言えたのです。
「この夢を作り替えたいところはどこですか?
どうこの夢を作り替えたいですか?」と。
その人たちが我欲で夢を作り替えたいと言わないと分かっていたからです。

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(仲の良い磯ヒヨドリ)

【大きな魚に女性の右腕を食いちぎられてしまった】ら、
「魚の口の中に身を投げ出し、
胃袋の中から右腕を奪い返す」と書き換える。
その心は、果敢に難題に食らいつくという意思表明です。

【有名人のシンボルをバスの中でも持ち歩き、
高価なものかと思ったら2万7千円と値札がある】
「大した価値もないモノを後生大事に抱えている正気でない自分に気付き、
夫とバスに揺られ道中を楽しもう」と書き換える。
その心は、他人の業績や名声は自分には価値のないモノです。
自分の価値は自分の独自性を生きることでしか価値づけできません。
この夢主さん、
自分の独自性をあまり理解できていないようです。

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(右がオスで左がメス)

【寝室の窓枠にゴキブリがいるのに、いつも退治してくれる夫が不在】
「窓を開けてゴキブリを追い出す」と書き換える。
その心は、パートナーは難題の鏡でしかありません。
相手が心の虫を掃除してくれるなんてあり得ない!

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(鎌倉プリンスホテルの入り口です)

【金の龍が金の龍玉を5本爪の手で持っている】
「金の龍から金の龍玉を両手で受け取る」と書き換える。
その心は、金は黄色の第3チャクラを表し、
精一杯楽しい家庭作りに励みましょう。
5人家族の平安と繁栄は夢主の宝です。

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(天使の梯子と夕陽のダイナミズム)






posted by 天の鳥船庵 at 17:00 | 夢の活用法

2021年12月08日

わたしをからかう誕生日の夢



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(去年の傘寿に頂いた胡蝶蘭が花をつけてくれました)

年明けてすぐの養成講座ケース研究のためのクライアント、
及びオンライン講座受講生募集しています。

天の鳥船庵夢療法家養成講座第19期 ケース研究のためのクライアント募集
http://dream-info.sblo.jp/article/189119780.html

オンライン夢療法講座第3期[2021年1月6日〜6月16日]受講生募集
http://dream-info.sblo.jp/article/189122406.html?fbclid=IwAR2gssbX70_N1oKuqrqJGjvaDoCy1IOWTVuYQK7bOtM1mPZuVAHQaKxF5FU

初夢会も募集中です。
http://dream-info.sblo.jp/article/189152103.html


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「わたしをからかう誕生日の夢」

今年の誕生日の朝見た夢です。

夢の題:火種を水で消す
夢本体:
【日本家屋の座敷にいる。
壁から火が上がる。
あわてて水をかけて火を消す。
畳から火がでる。
また水をかけて消す。
最初に気づいたのは机の上だったか?
そばに夫がいる感じがする。】

この夢を、
まどろみから醒めながら思い出すのは、
ちょっと辛かったです。
これまで誕生日を毎年欠かすことなく祝ってこられたわけでもなく、
さりとて自慢できるほどの不幸に見舞われた訳でもありません。
とはいえ、ここらでちょっとほっとしたい気分になって、
穏やかな夢でも見られたらいいなと、
微かな望みもあったのに・・・・・
家の中で火の手が上がるとは!
火の手が上がっているとは、
「わたしは怒っている」と知らされているのですから。


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この人生、
ここに来るまで何かしら「炎」のつく症状に悩まされ続けてきたので、
自分では怒っていることに気づかなくても、
症状が怒りを抱えていることを知らせてくれます。

目覚めは良くなかったけれど、
この夢を思い出してふとあることに気付きました。
これまでも火が燃え上がる夢は何度か見ていましたが、
今回は火の手は上がっても、
それを一つ一つ消しているではありませんか。
「あらこれって、夢の神さまからのお誕生日祝いかもしれない」と思えたのです。
あぁ、これならもう「炎」のつく症状も軽くなるだろう。
悩みも遠のくだろうと気づいたのです。


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この2、3日前でした。
何気に夫と話をしていて、
「わたしイライラしている」と思ったのです。
へ〜と思いました。
自分がイラついているとはっきり意識できたのです。

そのとき何がそうさせたか思い出せませんが、
長い結婚生活で夫に通じないことは山ほどあります。
それも生きる上でわたしが大切と思うことごとくが彼には通じません。
結婚生活が魂磨きというのはこのことだと重々承知していても、
わたしの考えや拠り所にしている信念信条を逆撫でしてきます。
彼には彼の考えがあり、
彼のペースがあるのだ、
そこを理解しなくてはいけない。
ここは忍耐だ!
よくよく自分に言い聞かせてきたつもりです。
でも、これは表向きで、
実際のわたしの我は、
想いの通じない夫に反発を繰り返してきたようです。
それで「炎」の付く症状に悩まされ、
自分の心の持ち様が忍耐や寛容ではなく、
怒りで対処していると、
その症状が教えてくれたのでした。


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それが誕生日の2、3日前、静かに、
わたし怒っているなと自分の心模様を眺めていられる自分に気づきました。
ここまでくるのに長い年月を費やしました。

さて、いま白洲正子の「明恵上人」を読み返している最中です。
白州正子の明恵解釈は秀逸です。
目についた部分を本から要約すると、
13にして、『すでに年老いたり』と考えた明恵は、
肉体があるから、煩悩や苦悩も生ずるのだ、
いっそのこと死んでしまった方がいいと、
ある日狼に喰われようと墓場に行って夜を明かしたそうです。
すぐに山犬は現れて傍に捨てられた死骸は喰ったが、
明恵の身体はかぎまわっただけで喰われなかったとのこと。

それで13歳の明恵は狼の餌になるのは諦めたようですが、
16歳の時の夢が、
【狼が二匹現れて、自分を喰いたそうにした。
これこそ望むところと思い、
「此方へ来て存分に食べるが良い」というと、
傍へよって自分の身体を喰べはじめた。
『苦痛タエガタケレドモ、我ガナスベキ所ノ所作ナリト思ヒテ』我慢している内に、全部喰べ終
えた】とみるや、全身汗にまみれて夢が醒めたとのこと。

この夢の話は上人の弟子が書き留めた行状記にあるようで、
そこには、
「上人後ニ語ツテ云ク、
此夢ハ覚時ニ好楽トコロ夢中ニテナシシ試也」とあります。
これをわたし流に言い換えれば、
「日夜自分の望むところを夢で試しにやってみた」ということのようです。
つまり願ったことを夢で実現したということです。

この明恵上人の解釈は、
願望充足の夢と自らを諭し、
述懐しているところはなんとも美事としか言いようがありません。
中世の仏教界には現代に劣らぬ確かな夢への理解があったようです。

白州正子に言わせると、
「フロイドのようなことをいっていますが、
一旦自分が志したことは、
たとえ夢の中ででも、
実現せずには置かなかったのです。」と、
この言葉も美事です。

一般的には願望充足の夢は「安易さ」を表します。
この明恵の夢も願望充足なので、
煩悩をなくすには死ねばいいと、
短絡的に考える安易さに気付いて得た戒めに話は行っているけれど、
夢の中でさえ生きて喰われる痛さを堪えながら、
肉体が狼の胃袋に消えて自分の身体が消滅していくのを、
意識に力を込めて見続けている意志力には感心します。

さて、わたしの火の夢も願望充足の一つですと言いたいところですが、
何故明恵上人の夢とここで並べたかの理由をお話ししましょう。
明恵上人は死しても意識は変わらないということを夢の中で体験しました。
肉体は切り刻まれ形がなくなって、
喰べ尽くされたことを感覚と目で確かめられています。
つまり夢の中で五感は働きます。
更に意識の目は健全で正確に機能していることを知りました。
この意識の目が大切なのだ、究極なのだと、
16歳の修行僧が覚ったかどうかはわかりませんが、
それに近い納得を得られただろうと思います。

だから生きることこそが大切だと覚ったのでしょう。
この夢があるから彼の常に言っていた、
「あるべきようは」という心情になったのだと思います。

つまりわたしが言いたいことは、
夢が霊性のあり方を教示してくるということです。
表面的な願望充足というところに目を向けるのではなく、
意思が意識を生み、
その意識が意志を決定し、
この意志が現象を起こすのだと、
この夢が示唆しているとしたら、
私たちの意思を持った情熱はなんと美しいことでしょう。

わたしの火の夢に戻ると、
この夢で教えられたことは、
自分の怒りに意識的であろうと心掛けるようにということです。
そして今それができるということです。
心に浮かぶ情動に意識的であれば、
そこには意思があり、
意思が感情を教えてくれて意志を向ける方向が分かります。

わたしたちは本来意識だけの存在だと、
この二つの夢が教えてくれているように思います。


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posted by 天の鳥船庵 at 17:07 | 夢のメッセージの取り方