[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

プロフィールに戻る

2022年10月30日

桃太郎伝説と4神獣(3)


11月12日と12月10日のオープンクラスに空席あります。
ご興味のおありの方はご連絡ください。


IMG_0228.jpeg
(1週間ほど前急に寒くなった日。前日まで富士山に冠雪は見られませんでした。)


この話は、大変遅くなりましたが、
「桃太郎伝説と4神獣(2)」http://dream-art.sblo.jp/category/4560672-1.html
の続きです。


では、昔話「桃太郎」の解説をはじめる前に、
何故「桃太郎」なのかを考えましょう。
「太郎」という男性名の前に「桃」が付いているその理由を考えないと、
考察は片手落ちだと気付きました。
そこでまずは「桃」の意味を考えます。

「桃」で日本人が最初に思い浮かべるのは「桃の節句」でしょうか。
「桃の節句」は「ひな祭り」の別名で、
今では女の子が3歳を迎えることができたお祝いです。
陰暦3月3日には桃の花が咲くことから「桃の節句」と名前がつけられました。
「節句」は古代中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦で、
その内の5つを江戸幕府が公的な行事・祝日として定めました。
それが人日(じんじつ)、上巳(じょうし)、端午(たんご)、
七夕(しちせき)、重陽(ちょうよう)の五節句です。
人日は1月7日の七草の節句、
上巳は3月3日の桃の節句、
端午は5月5日の菖蒲の節句、
七夕は7月7日の笹の節句・七夕(たなばた)、
重陽は9月9日の菊の節句となります。

後に、3月3日は女の子のお祝い日となり、
5月5日は男の子のお祝い日になりました。
ここで話題にする「桃太郎」という男の子の名前に、
「桃」が使われているのは何か深い意味があるはずです。
漢字「桃」の「兆」は象形文字で左右二つに離れるさまを表します。
つまり「木」+「兆」で実が2つに割れる木を意味します。
2つに割れることはめでたい兆しとされ、
「桃」の字が作られたようです。
正に桃の木のことで、
「桃太郎」は桃の木の実から生まれた人としての存在を表しています。
また「兆」は「きざし」です。
何かが起こるしるしです。
それは「吉兆」なのだという印です。
この地球の要素で造られた、
命の木、その実から生まれた人間が、
この人生で冒険をする。
その意味が「桃太郎」に込められています。
卑近な表現をすれば、
「人生の目的に沿って冒険をしなさい。
そのための人生なのだから叶えられないはずはない」。


IMG_0235.jpeg
(ススキ全盛)


では、ひな祭りが桃の節句と呼ばれるもう一つの理由を考えましょう。
桃の花の季節だから、「桃の節句」。
また桃には百歳(ももとせ)まで生きられるようにという
不老長寿の願いも込められていました。
しかしそれだけではなく、桃には邪気をはらう力があるといわれています。
鬼退治に行くのが「桃太郎」なのもそのためです。
もともと邪気を払う目的の上巳の節句が
「桃の節句」と呼ばれるようになったのも、自然な流れといえるでしょう。
邪気は鬼なのですから。
中国には長く「三柑の実」が吉兆を表すという考え方があります。
「桃・橘・柘榴」の三つの実が縁起の良いものという考え方です。
橘はみかん類を指すようで、橘に限ったものではないようです。
三柑の実である桃とみかんと柘榴の絵は陶磁器にも古くからあり、
女性の美と健康と多産を叶えるものの象徴として尊ばれてきました。
これは土の養分(土の気)を吸い上げ、
太陽の光(火の気)を浴びて、
雨(水の気)を受け、
木(木の気)が成長し、
その木に実った果実こそが豊かさ(金の気)となった証をいいます。
五行説そのものです。

更に「桃源郷」という言葉も中国にあります。
陶淵明(とうえんめい)の「桃花源記(とうかげんき)」に、
ひとりの漁師が桃林の奥に、
戦禍を逃れた者たちが肩寄あって暮らす村を見つけたというお話です。
ここから、「桃源郷=理想郷」という言葉になったという訳です。

そこで最後に「桃」といえば古事記です。

イザナギが黄泉の国に旅立ったイザナミを慕って会いに行きます。
黄泉の国からいざ帰ろうという段になって、
イザナミに「決して振り返らないように」と頼まれたにもかかわらず、
イザナギは好奇心に駆られてイザナミの朽ちた姿を見てしまい、
怒ったイザナミはイザナギを追いかけます。
その時イザナギは桃をイザナミに投げかけ、
無事逃げおおせたという有名な話があります。
ここから桃という果物の栄養成分が、
肉体細胞を活性化するらしいという話を読んだことがあります。


IMG_0238.jpeg
(同じ日の日没)


「桃太郎」の「桃」をざっとみてきて、
一番考えさせられたことは、
「桃」という漢字の成り立ちでした。
桃太郎物語の絵本をみると、
どれも実が二つに割れて仁王立ちしている桃太郎の勇姿が描かれています。
解字そのものが絵になっています。
これは実を割って出てくるもの。
それが一番ということです。
つまり自分の内側から出てくるもの。
それが一番ということです。

さて、和尚(OSHO)の「秘教の心理学」に「夢の心理学」の章があります。
これは夢に取り掛かるととても魅惑的な説で、
理解するのも難しいのですが、
ここに来てやっと和尚を理解するとっかかりを掴めたように思います。
それで和尚にとっての夢を簡潔に言えば、
「私たちには七つの身体がある。
物質体(フィジカル)、精気体(エーテル)、星気体(アストラル)、
精神体(メンタル)、霊体(スピリチュアル)、宇宙体(コズミック)、
涅槃体(ニルヴァーナ)だ。
それぞれの身体には特定のタイプの夢がある。」と、解説しています。
これに沿って七つのボディの夢の解説が続くわけですが、
その中
で、第六の宇宙体の説明に、
「(ここには)真如がある。
いまやなにも実在しないが実在がある。
ものごとはないが、源がある。
木は存在しないが、種子はある。」とあります。
この和尚の言葉と「桃太郎」がわたしの中では結びついたのです。

わたしたちは神の分霊として存在していますが、
常に神と繋がっている存在証明が夢に存在すると和尚は言うのでしょう。
桃がここまで壮大な話になるとは予想しませんでしたが、
ここに辿り着いてみると不思議なことは何もありません。
一時期「桃太郎」は戦意高揚のプロパガンダに使われました。
敵は外にいたのです。
しかし桃太郎の真の戦いは、
自己を知ることの冒険物語です。
敵は外ではなく内にいます。
そこで使える武器は家来の犬と猿と雉子になります。


IMG_0241.jpeg
(伊豆半島の付け根に日が沈んでいきます。)


という訳で、やっとここで次回から物語の解説に入れます。
尚、和尚の「夢の心理学」についていつかわたしなりの解説をしたいと考えています。
ご期待ください。




posted by 天の鳥船庵 at 16:29 | 桃太郎伝説と4神獣

2022年10月17日

会社の同僚の死を乗り越えるための夢



IMG_0208.jpeg
(10日頃の夕日)

11月12日のオープンクラスに空席あります。
お早い申し込みをお待ちしています。


もう1週間も前の10月8日のオープンクラスでのお話です。

毎回オープンクラスでは、
その時集まってくださった方々が必要とされる話題になります。
この時は、
通信講座とオンライン講座のオプションとして参加された方々でしたので、
復習のように夢解き法をひとつひとつ実地に見ていくことになりました。
これが夢からメッセージをブレずに受け取る基本です。

その夢解き法のひとつ、「夢の構造五つの特色」の「感情」のところで、
「この夢を味わっても感情がないのです」と、
びっくりするような言葉が飛んできました。
みんなはその言葉の意味とその方の状態を知ろうと、
しばらくじっと黙って次の言葉を待っていました。
すると突然、泣き出したのです。
「感情がない」という自分の言葉に、
あふれる思いをのせることができたからでしょう、
次の言葉は衝撃的でした。
「同僚が自死して、まだ1週間です」と。

そしてこう言うのです。
「こんなに感情が自分の中にあるなんてと思うほどの感情を味わっている」と。

速記録をみると、
解釈法を丹念にたどりながらの会話なので、
こんなに簡単にこの方が思いを吐き出せてはいませんが、
短くお話しすればこうした経緯でした。

この夢を公にする許可をいただいていないのですが、
講師の一存でお話ししています。
人類は今次元上昇中です。
この夢の普遍性を考えると、
この記事を読まれる方々はこの夢で安心を覚えるでしょう。
自分の中には常に高次の自分とこの3次元に埋め込んだ自分がいます。
それを実感することで自分の枠を越えることができます。
そのための好事例の夢です。


IMG_0216.jpeg
(富士山と)


夢は、
【海岸の砂浜を海に向けて急いでいる自分の姿を上空から見ている】
というシンプルなものです。
講師見習いで参加されていた横山ちなぎさんが、
「海岸ですよね。
そこを急いで歩いていると。
感情がないと言っていたんですが、
海は感情ですよね。」と言った途端、
「すいません。泣くかも」と泣き出しました。

この日よくオープンクラスにきてくださったとホッとしました。
みんなでこの方の辛い思いを共有できて良かったと心の底から思いました。
なにせ天の鳥船庵は、
おいでくださる方にうんちとおしっこをしていただくところです。
過ぎたことを過ぎたこととして処理するところです。

このシンプルな夢には夢が示す霊的生き方がしっかり読み取れます。
「自分がやっていることを俯瞰しなさい」というのもそうですし、
「今の思いに駆られている自分とそれを俯瞰できる自分を認識する」というのも、
「3次元の自分と次元を超えて存在する自分を体感する」というのもそうです。

彼女の番を終えて、
次の方が、「折角なので」と、
こうした際の職場でのフォローを提案してくれました。
この方はベテランカウンセラーで、
職場で同僚の方が亡くなった場合の、
職場としての対応を決めておくと良いとのことでした。
この提案にはびっくりしました。
かねがね日本社会は近年情が薄く、
規律規範に則った対応がスマートと受け取られ、
社会生活に情を持ち込むことは疎んじられてきたと思います。
けれど、時に家族より密接な人間関係を結ぶこともある会社の同僚の死を、
会社の同僚として弔うことはあまりなかったと思います。
しかしこの方は同僚の死を共に悲しみ、
思いを共有する社会に変えていこうとされているのでした。
その思いがこの日本で芽生えているのだと知って感慨深いものがあります。
みんながこのメンバーのオープンクラスで良かったと思ったのです。

この方の提案の骨子は、
自分ひとりで同僚の死を悔恨の情で抱え込むのではなく、
共に社員がお互いを慰め労ることで、
亡くなった方の慰霊の思いを共有しようということだと思います。
同僚の自死は上司にとっても同僚にとっても受け入れ難いものでしょう。
精神的にもダメージは大きいものがあります。
仕事の質にも人間性にも影響します。
会社の中で慰霊ができれば、
そういう集いを持つことができれば、
社員同士の理解も深まり、
働きやすくなるでしょう。

今は激動の時代です。
終末思想を語る時代ではなく今が終末です。
これまでの情の通わない世界は終わりを迎えています。

多くの人々が先の見えない思いを抱えています。
周りを見れば先に希望を見出せない人もいます。
そんな人を思いとどまらせることもできず、
弔わなくてはいけない場合、
去っていく人の「生き急ぎ」を批判することなく、
その人の行為を受け入れましょう。
残された自分もまた「生き急ぐ」ことのないようにしましょう。
「急いでいる」自分の姿を夢で見ることで自分を戒め、
自分が自分に優しく接してあげましょう。

それを教えてくれる夢でした。

この日、講師見習いを務めてくださった横山ちなぎさんの夢は、

https://chinagiii.exblog.jp/d2022-10-13/

ご褒美のような夢でした。

魂磨きに取り組む夫婦の、
現在から未来に向けての心温まる姿を見せてもらいました。


IMG_0214.jpeg
(電車の上は富士山の頂上ですが、見えますか?)


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

ご本人に記事にする許可をいただきたく、メールしました。

お返事を一部紹介します。


メール有難うございました。わたしの方からお礼をと思っておりましたが、
1週間が経ってしまいました。

思い出して泣くことは少なくなりましたが、
昇華できてる訳でもなく、
物事が手につかないこともあります。

今回の夢のお話をブログに載せていただけるとのこと有り難く思います。
現代の感情を素直に吐露できない世の中で、
わたし達の出来事がカタルシスとなったら良いのかなと思います。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

自死についてはお話ししたいこと、
伝えたいことはたくさんありますが、
あまりにもデリケートな問題。
しかしこの問題を共有できる社会に変えていかなくてはいけません。
ワンネスを手に入れるために。

posted by 天の鳥船庵 at 08:05 | 夢の活用法