[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

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2017年12月28日

初夢のシンボル考察

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日本には古来から初夢という風習があります。
ひとは夢という言葉に惹かれます。
新しい年は今までと違って、
夢のように幸せで苦のないものであって欲しい。
そんな願望を込めて初夢に宣託を求めたのでしょうか。

初夢の起源は良く分かりません。
文献を探すと中国伝来のものとあります。
果たしてそうでしょうか。
これからお話しするのは、
結局日本の初夢の起源はわからなかったけれど、
この美しい初夢の風習を後世に伝えるには、
ここで文化の見直しをし、
意義ある形で初夢を伝承したいという願いの話です。
お付き合いください。

中国伝来説に従っても、
インド発祥の仏教が中国経由で神道の我が国に入ってきて、
それに伴って中国の風習と
それまで日本人が持っていた夢に対する思いが、
初夢という風習になったと思えます。
吉兆の事象の最初が「富士」ですから、
中国に初夢という風習の起源があるとしても、
日本の地で育まれた風習に違いありません。
あるいはすでに倭の国には夢への特別な思いがあったように思えます。

聖徳太子(574年2月7日〜622年4月8日)ゆかりの地、
斑鳩に法隆寺の夢殿が建つのも、
仏教を広めた聖徳太子の業績を称えてのことかもしれません。
夢殿と呼ばれる法隆寺東院の中心の堂、上宮王院夢殿は、
「太子が瞑想にふけったときに
黄金でできた人が現れる夢を見たという故事に基づいている」とのことです。
太子は瞑想中に黄金でできた人を見たのでしょうか。
夢で見たのでしょうか。
ここでは夢と瞑想が同レベルで考えられています。

「夢殿は太子を供養する場であると同時に、
太子が見た夢の器でもある」と法隆寺の説明にあります。
「太子を供養する場」というのは、
もともと聖徳太子一族の住まいであった「斑鳩の宮」が、
7世紀戦乱で消失し、
その跡に聖徳太子のための供養堂として、
八角円堂が建てられた由来をいいます。
「太子が見た夢の器」という表現は、
聖徳太子とその業績を生み出した夢を見た場所への侵し難い思いと、
夢そのものが神威の現れとする理解があったと想像されます。

下って栂尾山高山寺(とがのおさんこうさんじ)の
明恵上人(1173年1月8日〜1232年1月19日)が
夢に真摯に向き合う「夢記」の姿勢は、
仏教の影響とも言えるし、
日本古来の風習に依るもの、
あるいはその合体したものと言えるかもしれません。

日本民族の習いとして、
古来のものと伝来のものをない交ぜにして、
古くて新しい独自の文化を作っていく特徴があります。
12世紀の明恵上人の夢への取り組みは突出しています。
中世の貴族文化は夢に関する記述を多く残していますが、
その解釈になると時代が下るにつれて曖昧になり、
占いの域を出なくなります。
死は明日の我が身という戦国時代が遠のくにつれ、
夢で一年を占うという民族的風習に
その面影を変えていったのではないかと思われます。
何を調べても、
初夢の風習はその起源もはっきりしませんでしたが、
「富士」にはじまる6つの事象の並びは日本的であり現代的です。

現在初夢の吉兆のシンボルで縁起がよいとされるのは、
「一富士二鷹三茄子」となっています。
次に四扇(しおうぎ)、五煙草(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)と続きます。
「一富士二鷹三茄子」のいかにもお目出度いシンボルと、
続く三つにどんな共通点があるのだろうかと考え込んでしまいます。

「扇」はその形から「末広がり」と縁起の良いものとされました。
しかし「煙草」の喫煙習慣は古くありません。
「タバコの伝来」によると、
「室町時代末期から安土桃山時代に
ポルトガルの宣教師たちによって持ち込まれた」とあります。
しかしこれも正確とはいえず、
日本へのたばこの伝来は、
「天文12年(1543年)の種子島への鉄砲伝来時、
慶長10年(1605年)前後の南蛮渡来などと諸説あり、
当時から煙管(キセル)による喫煙が主であり、
江戸時代初期には全国に普及したが、
非常に高価な薬品として普及しており、
喫煙できるのは裕福な武士か商人のみであった」ようです。
「座頭」に至っては、
「江戸期における盲人の階級の一つ。
転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけ」だったようです。
「社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、
幕府は障害者保護政策として
職能組合「座」(一種のギルド)を基に
身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、
障害者の経済的自立を図ろうとした」とのこと。
この制度は明治に入って直ぐ廃止になっています。
「座頭」が呼称として一般的だったのは、
江戸時代と言えるのでしょう。

つまり初夢のお目出度い題材が
「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」となったのは江戸時代と思われます。
一方「一年の計は元旦にあり」ということわざは、
「月令広義・春令・授時」が出典のようで、
中国・明代の官僚が万暦年間(1573年 - 1620年7月)に、
中国の伝統的な年中行事・儀式・しきたりを解説した本ということです。
「タバコ」も「月令広義」も「座頭」も年代が近いというのも、
外来ものに目ざとく反応する日本人気質に合って、
これらが一緒になって、
初夢という風習が生まれたのではないかというのが私の推察です。

結論めいたことを言えば、
一年の計に浮ついた目標を立てるのではなく、
「気を引き締めて一年を生きていきましょう」という気概を込めて、
初夢の題材を選んだ先人先達がいたのではないでしょうか。
そこには魂を生きるという、
はっきりした人生目的を理解した人が、
思いを込めて作ったように思えます。

その目で改めて
「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」を眺めると、
その先達への尊敬の念は止みません。

それでは初夢の題材(シンボル)6つを、
霊性を重んじた生き方を表す夢のシンボルとして見てみましょう。

一『富士』
夢の登山は自己探求を表します。
自分を探求すること以上に尊いことはありません。
特に富士山は日本人が自分探しを始める時夢に見ます。
意外に多くの人が富士山を夢に見ています。
霊峰の富士山は、
自分探しと見立てる心意気と、
その決意の大きさを表すように思います。
私も夢を記録するようになった30数年前に、
富士登山を始める夢を見ました。
残念ながら初夢ではありませんでしたが、
これから自分をごまかさず自己探求に乗り出すのだと、
決意した思い出があります。
ですからこの富士山を初夢吉兆の最初のシンボルとして持って来た、
その先達の眼識力に圧倒される思いです。

二『鷹』
夢に現れる鷹は俯瞰した眼識力を持つようにと言われています。
現世に埋没し、
目先のことに捉われ過ぎて、
自分を見失わないようにという忠告です。
つまり、自分を生きるためにはこの世の価値観を脇において、
大所高所から自分自身を見るようにと戒めのシンボルです。

三『茄子』
ナスは野菜です。
食べ物です。
食べ物は貴重です。
夢に登場したナスの例は一つだけ記憶があります。
雪景色の藁囲いの中にナスが実をつけている夢です。
夢主にとっては、
身を置いた環境が厳しいと受け取っている心情が現れている夢です。
この夢主は後年がんを患い、
見事立ち直って20年、元気というツワモノです。
この話は、
「親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない」ということわざを、
思い起こさせます。
これは、ナスの花が結実する割合が高いことを言っていますが、
「親の小言」を脇に置いて、
「茄子は花をつければ実がなる」と考えて見ましょう。
花とは何か。
自分を主役にすることを言います。
封建制の縦社会の中にあって、
「茄子」を、
「人生は自分が主役。
自分の考えで生きなさい。
そうすればたくさんの実をつけることができる。
それには自分の力を出せる時期を見定め、
夏を過ごすように一気にやってごらんなさい」と、言っているようです。
「親の小言」を取り除くことで、
全体の意味が変わって見えるとしても、
自分の人生を自分の考えで生き抜く姿勢は時代を超えた真理です。

四『扇』
ここからいくらか厄介なシンボルが続きます。
「おうぎ」は風を起こして涼を取る道具です。
つまり「自分仕様の風を起こしなさい」と言うことです。
自分の方法でと言う意味と、
自分に当たる風を自分で作ると言う意味です。
「風」が問題なのは無風状態に甘んじること。
自分で自分に風を起こし、
膠着状態を抜け出すように言われています。
追い風にするか、
突風を起こすか、
何によらず変化を起こすことです。
言葉を変えれば、
変化を楽しむようにと促す時のしるしです。
自己探求は自分を掘り下げることですが、
風を起こして行動することと自己探求はセットです。

五『煙草』
タバコは、
これも25年ほど前に見た記憶があります。
老成した農家の主人があぜ道に座ってキセルタバコをふかしている夢です。
筋肉質で細身の体は隙がないのに、
畑仕事を一旦休んで、一服のタバコを楽しんでいます。
これは心を緩める大切さを言われているとすぐ気づきました。
リラックスとは違う、緊張と弛緩を仕事中に行えることを言うのです。
良い仕事は緊張と緩みが自在に交換できて成し得るのでは。
紙巻きたばこの喫煙習慣は奴隷を作りますが、
江戸時代タバコは緊張を緩める薬だったのでしょうか。
主体的でいるには心を一点に集中できることと同じく、
その集中を緩められる心でいる必要があります。
生きる上では大切な心のはたらきです。

六『座頭』
「座頭」と言う言葉は馴染みがないので、
却ってこの言葉が入っていることで、
初夢全体のシンボルの意味が分かりやすくなるように思います。
座頭を「盲人の按摩、鍼灸、琵琶法師の呼称」と受け取ると、
盲人ならではの仕事を持った人の呼び名だと分かります。
これは盲人が磨く感性を、
同じように磨くことだと言っているように思います。
味覚、聴覚、触覚、嗅覚を磨きなさいというのです。
何故視覚が入っていないかを考えると、
自分の体の声を耳をすまして聴き分けることとなります。
見ることは対象物を観察することになりますが、
それ以外の感覚は全て自分の体からのサインを読み取ることです。
聴覚も耳鳴りや心臓の鼓動や臓器の音を聴きます。
それで自分の体の調子を測れます。
それを「座頭」で表しているのではないかと思います。
按摩も鍼灸も琵琶法師さえ、
自分の体を手入れする大切さと実際的方法を伝えているように思います。
按摩はマッサージ。
鍼灸も気の流れを図ること。
琵琶は音への感性を磨くこと。
雑音からは遠ざかること。
嗅覚は大小便の匂いを嗅ぎ分けること。
体のサインを読み取る大切さを座頭で表しているのです。

初夢6つの吉兆のシンボルは、
一富士・自己探求
二鷹・俯瞰したものの見方をする
三茄子・自分を主体に生きる
四扇・自ら行動を起こす
五煙草・心の緊張を解く能力を磨く
六座頭・体からのサインを読み取り手入れをする

初夢の縁起がよいという風習のシンボルは、
生きる上での心がけの順番というのがわたしの見解です。

おまけですが、
山梨県立図書館ウェブサイトの「レファレンス事例集」によると、
「四葬礼五雪隠(よんそうろうごせっちん)」があるとのこと。
ここまでくると、
日本人の中には夢の本当を理解している
集合的無意識が脈々と流れているように思えて心強く感じました。
「四葬礼」とは葬式のことで、
心の中の死と再生を表す大切なイニシエーションです。
更に親の葬式は親を超える大事な選択を意味しています。
「五雪隠」とはトイレのことで、
心の中の学び終えたことを終わりにできること。
どちらも大切な心の機能や技量を言います。

初夢の縁起が良いシンボルについてまだまだお話はつきませんが、
民間伝承の意味づけについては、
頷けないものが多くここでは触れません。
しかしダジャレの域を出ないとしてもひとつ面白いことに気づきましたので、
そのことをここでお話します。

山を数えるときその個数を「座」で表します。
最初の富士が表す富士山は1座です。
6番目の座頭は「ざとう」とよみますが、
組合の長を表すときは「ざがしら」と読みます。
この民間伝承の初夢の吉兆のシンボルを選んだひとは、
生きる上で何が大切かをよく理解されて、
その上でシンボルを表すものを選んだのではないかと思えたのです。

山は坐禅を組むときのひとの姿です。
坐禅の坐は座る動作をいい、
座は場所を表すそうで、
その違いはあるものの、
奇しくも初夢のシンボルを調べているうちに、
この世にある間、
ひとは自分が思う自分を形にしていくことを教えられたように思います。
初夢は座で始まり座で終えていると思ったので。
それに夢と瞑想とを絡めたちょっとしたお遊びでした。

次回は、初夢を見るときの準備についてお話ししましょう。

初夢ワークショップ開催はまだ告知できませんが、
1月28日都内の予定です。
万障繰り合わせてご出席ください。



posted by 天の鳥船庵 at 12:45 | Comment(0) | 夢の活用法
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