画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite
天の鳥船庵だより

2017年07月03日

魂磨きの現実3

「あ〜ぁ、
言わないでよいことを言って自分で自分を追いつめているかな?」(4)
ではなく、
「言っても詮のないことを言って自滅している」訳です。

そこでこれを七五調の戯れ唄にしてみました。

「悪いのはあなたと言って追いつめる。
気づいてみれば自滅の末路。」(5)

魂磨きの現実3−1.jpg

夢の神様の言葉(=夢の意)はパンチが効いて言い訳を許しません。
事ここに及んで、
初めてわたしは、
一体何を孤軍奮闘ドン・キホーテをやっていたのだろうと、
腰を据えて考えなくてはなりませんでした。

腫れ上がった無様な顔を鏡に映しながら、
これまで自分が夫にとってきた態度は、
神の御前に自分を置かず、
自分が夫の先を行く者かの様な振る舞いをしてきた、
その無様な格好が「これなのだ」とつくづく眺めたものです。

6月に入って、
夢療法家認定者研究会で、
風景構成法の絵を全員で描きました。

魂磨きの現実3−2.jpg

描き終わってみるとわたしの絵は奇妙でした。
絵の設定は、
春の終わりと初夏の間。
陽は顔を半分出しすっかりあたりは明るいけれど、
朝食にはまだ早い時間です。
男の子と女の子が家の庭で無邪気に遊んでいます。

家の東側には大きくてなだらかな山が一つ聳え、
山裾の南側を太陽が登っている図です。
家のそばを流れる川には岩が三つあり、
太陽の右側をその川の先が流れています。
ここがなんとも奇妙なのです。
川には家の前の道路と交差するところに橋がかかっています。
橋を渡ったところで川と道は並行に並び、
道は川に沿った小さい道と、
南に逸れて行く太い道になります。
奇妙なのは、細い道が川の流れに沿っている部分です。
ここが遠近法で描いたこの絵の次元に合わないのです。

この先川は創造の海に流れて行くのですが、
そこはもはやこの風景構成法の絵の中には無いことになります。
右側近未来の方向は次元を変える必要があると言われているのです。

往生際悪く、
それを認められない葛藤を抱えながらも腹を決めて、
絵から見えた「次元を変えること」を、
「今までやってこなかったことに取り組む」と受け取って、
それを考えることにしました。
これまでも散々考えに考えた結論で日々を過ごしてきたので、
これはとてもきつい作業でした。

しかし、これまでやって功のなかった実績のなさ(?!)、
失敗の数々、
身を切り刻んで生きている実感(これこそが魂磨き!)が、
自分の背中を押したのだと思います。

今までやってこなかったことが、
ふと心の中に浮かんだのです。

オショウのバグワン・ラジニーシは言います。
女は結婚すると夫の母になる。
それならそれを、
更にグレードを上げてやってみようと思えたのです。
面と向かってわたしの考えを言うのではなく、
わたしが自分の背中を見せればいいと思えたのです。
これは一見夫婦は対等ではないように思えますが、
そうではなく、女は女の特性を生かして行くことが、
夫婦の対等性を保てることになるということでしょう。

わたしの心の中で、
平安で優しい女性性と、
勇気と強い心をもつ男性性にバランスを持たせるには、
これを実行することが男性性で、
そこに自分が穏やかにいられることがわたしの女性性になります。
これができて初めて結婚生活が魂磨きの場となし得るのだと思います。

死の淵まで行った怪我は大いなる光明でした。
病院に通い、怪我の手当てを毎日夫にしてもらいながら、
わたしの心は少しずつ平安を取り戻しています。

結婚生活は互いが互いを大切に思う高まりからはじまる異性との関係です。
この高まりは神が世界を愛するのと同じエネルギーを持ってはじまります。
このベースがしっかりあることで、
魂磨きの局面を迎えられる土壌が作られます。
結婚関係だけが顕在意識で納得し獲得できた関係です。
だからこそ、
結婚生活の霊性に及ぼす成長の成果は計り知れません。
この体験は他の人間関係では成し得ないものです。

これまで何度も二人の関係が風前の灯火の様に感じて、
この先は消えてしまうのではと思うことがありました。
そんなときわたしはどうして彼と結婚したか、
その動機を思い出しその場に戻って、
自分の決意を再確認してきました。

人生の伴侶は彼でなくてはならない。
その理由や動機はただひとつ創造的でありたいと願ったからです。
その決意に戻ると、
「創造的」というわたしの願いと目標が、
わたしの努力を要求するのは当たり前と思える様になりました。

6月末大祓えの前日、
江ノ島神社の奥宮でお参りをしているとき、
珍しく賽銭箱の脇におみくじが置かれているのを見て、
多紀理毘売さまのお言葉をいただきたいとおみくじを引いてみました。
天の鳥船庵は多紀理毘売さまのご加護をいただいて開きました。
もちろんそれは10年前夢で知らされました。
おみくじの袋には弁財天の小さな像とおみくじが入っていました。
おみくじには「尽」とあり、
「夢に向かいありったけの力でベストを尽くそう
がむしゃらに努力すれば光が見えてくる
できるからやるのではない
やるから出来る」
とありました。
「夢」という字と弁財天の像は、
夢を仕事にしているわたしにとって特別な意味があります。
これこそ多紀理毘売さまがわたしに下さったお言葉と信じられました。

夫は夫ならではの歩幅と道筋とペースで人生に取り組みたいでしょう。
それを妻のわたしは目を離さず見守り続けること。
このことに忍耐が必要です。
そしてこの忍耐の中身をグレードアップさせることが、
魂磨きなのだと思います。
最終的に夫婦であっても魂は別なので、
彼のあり方はわたしを映す鏡です。
その像をどう理解するか、
やっとそれが見えた様に思います。

夫を鏡に自分を見て行くことについては、
別の機会に譲ることとしましょう。

長い話をここまでお読みいただきありがとうございました。
                   
                    ー終わりー

posted by バンナイ at 09:38 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年06月30日

魂磨きの現実2

DSC08948.jpg

そしてみた夢が、
「誰とは知らないひと組の男女が目の前にいる。
女性は大柄で色白。
女性は(何か)悪いことをしたらしい。
しかしその悪事についてふたりは触れられたくないとわたしは承知している。
なのにわたしはその言われたくないことを、
ふたりに向かってあけすけに言ってしまう。
すると、にわかにふたりは気色ばむ。
こうなってはじめて、ふたりはわたしの命を取るつもりだと察する。
そんな自分のバカさ加減に、
なんて学習能力のないわたしなのだと、
呆れながら慌てて逃げる。
幸い入り口は昭和の安物のガラスの入った玄関引き戸で、
細い木製の格子があるだけなので、
そのガラスに突っ込めば逃げおうせると踏む。
そこで身を翻してガラス戸に突っ込むと、
期待通りにやわな引き戸は壊れるが、ガラスも壊れる。
ここに来てやっとあのふたりは、
この鋭角に砕けたガラスがわたしに刺さって死ぬと予測して、
わたしを追いかけてこなかったのだと気付く。
あぁ、これで死ぬのだ。
(と、自分の動作をスローモーションで感じながら目を覚ます。)」

DSC08949.jpg

夢を思い出し記録しながら愕然としました。
「なのにわたしはその言われたくないことを、
ふたりに向かってあけすけに言ってしまう。
すると、にわかにふたりは気色ばむ。
こうなってはじめて、ふたりはわたしの命を取るつもりだと察する。」
「ふたり」は夫を指しています。
夢の二人連れはノミの夫婦の感じです。
夫は今の状態で、
どこか彼の魂がバランスをとりながら、
悪いと思って居ることをやって居るのでしょう。
この辺をうまく説明できないのですが、
わたしはひとり現状の自分で対処して居ることがわかります。
この心理戦を夫と10年間接してきたと感じます。
わたしが生き方に関して何か言えば、
彼は気色ばみ、
挙句に怒り出します。
対話に乗ってこない彼を土俵に乗せるには、
何回かのやりとりが必要になります。
ここでわたしは失敗をする訳です。
挙句彼はどこでどうすれば怒りのスイッチが入るか理解しろと言います。
怒り始めた彼を目の前に、
わたしはいつも学習能力のない自分だなあと忸怩たる思いになるというわけです。

どんなに言葉を選んでも、
そのニュアンスは「あなたが悪い」となっているのだと思います。
正論は正論が故に相手を追い込むものです。
正論は時に人を傷つけます。
当たり前を夢は伝えているのですね。

DSC08950.jpg

10年間、わたしは自分の正しさに酔っていたのでしょう。
良き妻でありたい。
賢い伴侶でありたい。
強く忍耐力のある伴走者でありたい。
役に立つ援助者でありたい。
真理はわたしの側にある。
この思いに囚われているのですから、
言葉にも力が入り緩めることを知りません。
この夫との間で繰り返したパターンについて、 
自分を弁護したい気持ちはいくらもありますが、
ここは夢の言う通り、
霊的に賢くない自分を受け入れなければらちがあきません。
これが夢の鋭さです。
自分の言い訳は置いといて、
夢の指摘する視点で物事を捉えなければ、
ここから抜けることはできないのでしょう。

10年間のはじめの頃は、
幼児に諭すように、
真理とはこういうものだと、
夫に言い聞かせて来たように思います。
女は結婚すると相手の母親になると、
バグワン・ラジニーシも言っていますが、
女が夫の母親になる理由を大まかに言ってしまえば、
男性は対局的な見方をし、
女性は大局的な見方が得意だということでしょうか。
男性はこの世的な対処を得意とし、
女性はあの世を含めて物事を捉えようとします。
でなければ魂の容れ物である子を子宮に向かい入れることはできないことで、
これを女は子宮で考えると古来表している様に思います。
だから男はこの世で能力的に有利に働き、
女性は大地を味方にすることで強さを発揮します。
(とは言え現代社会の女性像は、
この特性を生かしきれていないように思いますが。)
この短い説明で夫婦の特徴を表すのは不十分と思いますが、
この世に集中して自己表現をする男性(夫)に、
女性のわたしは説明のつかない戸惑いを感じています。
これまで夫に取って来た態度をこれで全て説明できるわけではありません。
しかしふたりだけの生活なので、
危機はいつもギリギリのところで回避するように、
どこか暗黙の了解事項となって、
夫教育は危ういバトルを切り抜けて来た様です。

話を戻して、
この夢を見た三日後、
わたしは1メートルの高さの崖から、
頭を下に落ちてしまいました。
わずかな崖の上の空き地を畑にしようと、
ひとりで作業を始めたばかりでした。
落ちる瞬間意識ははっきりとあって、
「あら、落ちちゃった!」と思いながら、
「大事ない!大丈夫!」と自分に言い聞かせたものの、
ふと気づいたら頭から血を出していたので、
夫に救急車を呼んでもらうことにしました。

MRIの検査を受けるまでじっと動かずにいたのですが、
頭の左側面を打ったらしく、
左の額に大きなコブができ、
左の外耳は擦れて半開きになったようでした。
そこを洗浄してくれた医者と外科の医者の会話は、
「縫うことはできない」ということでした。
外耳は餃子の皮が二枚に剥がれたと同じ様子(?)らしく、
その厚みのないところに砂が入り縫えない様でした。

幸いMRI検査に異常はなく、
次の日からしばらくお岩さん様の顔になってしまいましたが、
外耳と頬の擦り傷だけで他に大事はありませんでした。
とは言え、あの世はひとまたぎだったと思います。

夢はきつい警告だった様です。
それを予知夢にしてしまったわたしでした。
つまり、夢で死んで、
現実でも臨死体験をしないとこの先はないと言う、
神意を汲まなければならない訳だったのです。
                               ーつづくー

posted by バンナイ at 10:49 | Comment(1) | 夢の活用法

2017年06月26日

魂磨きの現実1


自分のことは良くわからない。
けれどひとのことは良くわかる。
わたしもその例に漏れず、
日々の生活は待った無しで苦戦を強いてきます。
その苦戦を強いる難問に、
この10年間どれほど無様な日々を送ってきたか。
そんな話をこれからしてみようと思っています。

結婚は魂磨き。
自分も勿論例外ではありません。
むしろ外に向かって言えば言うほど、
キツイ試練が自らの日常に起きてきます。
日々の何気ないシーンでさえ、
さらっとやり過ごせない自分。
なんて下手な生き方しかできないのだと自分が自分に呆れます。

ここ10年ほどわたしの大問題は、
夫に話が通じない。
特に生き方についてどうにも話が通じない。
わたしの特異な夢の仕事に関しては、
誰よりもの理解者なのに、です。

大事なところで話が通じない。
と、わたしは思っているので、
どうにも苦しいのです。
この未消化な思いからなんとか脱出することはできないものか。
悶々としながらこの10年を過ごしてきました。

こんな風にお話しすると、
「どの夫婦もおんなじですよ」と、
外から声が聞こえそうです。
多かれ少なかれ意に沿わないのが結婚生活で、
そうなると以後の生活は妥協の産物になりかねません。
そうはさせじと孤軍奮闘を強いることになります。
結婚生活は共同生活でありながら、
魂の芯のところでは個々の霊性育成。

さてそこででは、「どこがどう話が通じないか?」の話はまだできません。
なんでこんなにも話が通じないか、
その全体像がわたしに見えていないからです。
見えていないのかもしれないからです。
こちらの鬱憤かもしれない。
こちらの都合かもしれない。
ややこしい話ですよね。

講座の中でよく思うのは、
多くの人が自分の信念で人を図り、
それで苦しんでいる姿です。
それをわたし自身がやっている可能性があります。
これを考えることが「魂磨き」?
(分かったようで分からない?)

結婚して年月を重ねていくと、
その長さに倍加して、
相手に対する違和感が増えます。
違和感という言葉は便利ですが、
忸怩たる思いというか。。。。。
その忸怩の元、
自分が自分の何に恥じ入るかといえば、
見立ての違いに。
夫選びに。
あら、わたしってこの程度の眼識力しか持ち合わせなかったのね、と。
自分が自分にダメ出しをする羽目になります。

この自分へのダメ出しが、
魂磨きの元になる要素だとわたしは思っています。
とはいうものの誰もがこの形を取って、
魂磨きの原因に出会うのかどうかについてはなんともいえません。
しかし多くの人は多かれ少なかれ、
伴侶に飽き、結婚生活が予想と違うという思いを抱いて、
生きるテーマに出会って行くのだろうと思います。

そんな違和感の真ん中を行かなければ、
違和感の原因はわからないでしょう。
そしてその違和感を、
共感と協調という、
彼岸へ連れていってくれる道連れにすることはできない。

違和感を消化したい。
違和感を昇華したいのです。
本当は違和感を消火して、
変容につなげていきたいのです。

夫婦は元気で自分の仕事に夢中になっていられる間は、
その違和感に危機感はありません。
ところがわたしたち夫婦は神の覚えめでたく、
結婚生活15、6年を迎えて不均衡が生じて、
互いの魂磨きに突入となったのでした。
こうなると相手はきつい鋭利な研磨剤となり、
話が通じない部分が二人の間の全部と錯覚させるようになります。

この分岐点に来た時、 
それが自分の魂が求める本当の人生修行の目的なのだと、
わたしは気付いたのです。
しかし気づいてはみたもののその全貌というか、
核になるものが見えたわけではありません。
(そうはいうものの平たくいえば、
すべての魂の方向はこの人生で愛を創造することでしょう。
魂の独自性で愛を作って行くことなのだと思います。)
というわけで、核ははっきり言えないけれど、
目的というか方向性は見えて来ました。

夫婦は平行線。
電車のレールのようだと話してくれた方がいるのですが、
この慰めにも心は静まらないほど、
わたしの中では忸怩たる思いが夫との間にあります。
「あった」と言いたいところですが。

この相手に伝わらないもどかしい感じを離れて、
大局的観点からものが見えないものだろうかと願うのです。
心のうちにある、
相手に通じない思いを、
相手の生き方にその理由を探るのではなく、
自分の霊性のあり方に原因を求めなくては、
これを修行のテーマに成しえません。

そこで4月思い余って夢に訊いてみました。
「いま、夫に取るべき態度を正確に知りたい(教えてください)」(1)

DSC08946.jpg


                         ーつづくー





posted by バンナイ at 16:48 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年05月22日

夢で知る母が娘に与える影響

DSC08677.jpg

先日のクラスは、
3歳から8歳までの娘を持つ母親だけが受講生でした。
これはとても珍しいことで、
その上議論になった夢は、
母と娘の間で何が起きているか。
あるいは何が行われているかを知らせるものでした。

これについてプライバシーもあり、
あまり具体的な話はできません。
しかし特に母親は子供の心に何が起きているか、
正確に知りたいでしょう。
トラウマという言葉は市民権を獲得して早何年というほど、
誰もが知り得る言葉になっていますが、
自分のトラウマについては自覚があっても、
子供のトラウマがどのように生じるものか、
また自分が親としてそのタネを蒔くとなったら、
心のうちも波立ちます。
それを真正面に受けて立ったとき、
家族の絆はしっかりしたものになるはずです。
もしそれが夢で分かればその後お互いへの理解が増して、
つまらぬ心配をしなくて済みます。
私たちは互いを理解し合うことで、
どんなに豊かな家族関係を作れるだろうかと、
そんな感動を覚えたので、
先日のことを記事にしたいと思ったのです。
話合われた夢では、
日頃母親が娘にとっている態度が、
どのように娘に受け取られているかが如実でした。
それは母親の夢だけでなく、
娘の夢にも表れていました。

まだ幼児と言えるこんな早い段階で、
親の影響を夢から知らされるのは、
人類の遺産ではないでしょうか。

どのお母さんも忙しい毎日を送っているので、
夢の勉強に月一丸一日を割くのはさぞや大変と思われます。
そこを押して勉強に通われるのですから、
親子お互い真に理解し合いたいという願望でおいでと思います。
それが見事に叶えられるのでした。

夢で見た場面を言葉にしてしまうと、
夢のニュアンスも含め全部をお伝えできませんが、
ほんの触りでもお伝えできたらと思います。

一つは夢に出てきた場面に似た状況が家の中で起きたのだそうです。
夢では見知らぬ子供が怪我をしていて、
自分とその子の間に男性がいるので、
その子のことは男性に任せて、
自分はその子の親を探そうとするのだそうです。

現実に起きたことは、
家事をしている自分の耳に、
幼稚園生の娘のかすかな泣き声が家の中のどこからか聞こえてきたのだそうです。
娘は姉と一緒で夫がそばにいるはずだからとおもいながら、
夢の場面に似ているなあと思ったそうです。

母親が夢で男性に怪我をしている子供の世話を任せたように、
実際の場面では、
大丈夫あの子は父親と姉のそばにいるのだからと思った、
その自分に重ね合わせることができました。
でも、ここで家事の手を止め、
理性(男性性)ではなく、
情動を持って母親としてその子の名を呼ぶ母であったら、
その子は母親をもっと身近に感じることができ、
親近感をより一層感じることができたのではないかというのが、
夢のメッセージではないでしょうか。
とても高度なメッセージの取り方だとは思いますが。

父親と母親が喧嘩をしていて、
父は母に暴力を振るうので、
小さな娘の夢主は果敢に父親に戦いを挑んでいくという勇ましい夢があります。

珍しい夢ではありますが、
反面どこにでもありそうな夢でもあります。
こういう夢を見る人は長じて人に対して好戦的です。
戦いを挑めば勝ち目があると踏むでしょう。
だから目に見えるところでは成果が出るはずです。
でも、心の成長を望むなら、
この夢に戻って、
両親の喧嘩の間に入るのではなく、
子供の気持ちそのままに泣き叫んだらどうでしょう。
親の喧嘩は怖いし悲しいものですから、
そのまま泣き叫んで怖い怖いと自分に言い聞かせるわけです。
そんなことをしたら両親はびっくりしてケンカどころではなくなるでしょう。
夢の中でも実際でもこの方法は効力があるはずです。
これもまた高度な夢の味わい方かもしれません。

この後まだまだこうした心のひだを教えてくれる夢が続きましたが、
またいつかお話しできればと思います。


posted by バンナイ at 20:07 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年05月01日

4月29日名古屋のN&K研究所で夢のワークショップを

DSC08541.jpg

10年は昔、ケイシーセンターの機関紙「ワンネス」で、
夢解釈の例題として使わせていただいた夢主さんのその後を、
知ることができました。

4月29日名古屋のN&K研究所で夢のワークショップを開いていただきました。
会場は東山公園の全貌を眺めることのできる高台にあり、
緑豊かな景色が眼下に広がる気持ちの良いお宅です。

到着するとすぐに、
初めてお目にかかる受講生が、
ワンネスの記事のコピーを見せてくださって、
「この例題は夫の夢です」とのこと。
その記事を読んで彼は、
女性への構えをとって、
のちにわたしの目の前に立つ女性と出会い、
結婚したとのこと。

彼本人とはお目にかかっていませんが、
結婚相手の彼女がこの朗報を携え、
講座を受講してくれたのでした。

今回は、ほとんど講義なしの、
自分で自分の夢からメッセージを取るワークをしました。
最初に解決したいことを書き出し、
夢とシンボルの描画ののち夢の話の分かち合い。
そして夢の感情を感じ、
それを元に短歌や詩にして、
感情の整理をするとともに、
自分が考えるメッセージの発表をしました。

初めて夢のワークショップに出席された方々が多かったのですが、
普段他人に言えない心の機微を吐露される方が多く、
夢の治癒力の確かさを覚えました。
たった一つの夢に現れた性向が病理に繋がっていくことを知ったのです。
みんなの前で話すこともまた治癒の力を呼びます。

DSC08545.jpg

DSC08547.jpg

DSC08553.jpg


posted by バンナイ at 17:37 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年04月25日

夢の近道

DSC08533.jpg

死んでいく夢を見ます。
死が迫っている夢を見ます。
かなりショッキングな夢です。
ドキドキしながら目を覚まします。
朝の忙しい時に夢をあれこれ考えている暇もない。
けれど、夢の後味は悪く、
夢の印象がまとわりつき、
振り払うことができません。

夢は真我から来ます。
これは夢に取り組む前提です。
実証科学の範疇を超えている夢を、
学問の中だけに収めるのはもったいない。
これを悪夢と退けては夢の恩寵をドブに捨てるようなものです。

さりとて、オカルト(神秘的超自然的)現象と片付けるのは、
さらにもったいない。
夢は日々に生かしてこそその本領を発揮します。
夢のメッセージを現実世界で実行することなく、
夢の真価を理解することはできません。

夢を思い出せたら、深刻にならず、
程よく平静を保ち、
思慮深く知恵を働かせましょう。
夢の恩寵の極みは、
夢見た者を考え込ませることなのですから。

夢が「死」を暗示するときは、
「生かせていない」という意味がおおかたです。
「生かせていない」は心と体が生きていないということ。
霊的に、心情的に、体そのものも今の状態では生かされていないのです。
自分の存在を「生かしていない」のです。

では、「生かしていない」状態とはどういう状態を言うのでしょう。
それは決意を生きていないということです。

多くの方が夢の大切さに気づき始めています。
それはとてもうれしいことなのですが、
自分の人生の夢を理解し始め、
寝てみる夢をそこに重ねることができると、
その前で逡巡し始めます。
この逡巡が「生かしていない」状態です。

わたしたちは情報の豊かさのおかげで、
この社会が必ずしも霊性に則った政治と経済で守られているのではないと、
気づき始めました。
これが葛藤を呼び、
その葛藤の前で決意を棚上げしている人が多くなっています。

会社勤めをやめようかどうしようか。
現状は奴隷のような時間のなさ。
考えることに制限があるような操作された情報。
これは人間の生活ではない気がする。
だからこの会社の構図の中にいるのをやめようと思うのだけれど、
この生活水準とステータスは捨てがたい。
そう思うとおいそれと会社勤めをやめられない。
結局、決断を下せないまま時をすごすことになる。

恋人と別れようかどうしようかその決意の前で逡巡する。
愛と呼べる気持ちなのかどうか、
今となっては自信がないのに、
慣れ親しんだ恋人の存在をきっぱり切るには勇気がいる。
他に好いてくれる人が現れたら、
そのとき別れればいい。
自分でも自分に嘘をついているかもしれないと、
自尊心のなさに呆れる。
けれど別れると決断はしない。
恋人がいる安心感は捨てがたい。
例えそれが虚構の関係であっても、
たった一人でこの砂漠のような都会に一人生きる自信はないから。
この関係に豊かさは見つからないかもしれないけれど、
この宙ぶらりんのまま時が過ぎていくのをやり過ごす。

愛する人が欲しい。
伴侶が欲しい。
もう独居生活は十分だ。
しかし伴侶は欲しいけれど、
出会いを求めて動くことができない。
他人の人生の責任を負うのかと思うと身がすくむ。

こうして選択をしないで宙ぶらりんでいる人が多いです。
これが自分を殺しているのだと気づけません。
こんな時は無理にでも理性で今までの自分の行動と、
それとは違う行動を書き出すことです。
この世的な考え方だと、
現状維持が最も安全だとなりますが、
夢が考えるように勧める霊的な基準は、
今までやってこなかった方法を選択するようにといいます。

会社を辞めたいと思う人は、
今の会社以上に良い条件を今後に求めることはできないだろうと、
可能性を潰します。
しかし会社を辞めても、
自分が取り返しのつかない状況を生み出すことはないでしょう。
却って、夢の提案を推敲し実行に移せた時のプレゼントは、
計り知れない豊かさをもたらします。

恋人と別れられない人は、
これから新しい恋人ができる可能性はないかもしれないと、
霊的に喜びあえる出会いの可能性を潰します。
しかし、これまでの恋人との関係で得た成長を支えに、
別れることができたら、
その得た成長をベースに新しい恋人が現れます。
それは成長したあなたの霊性に見合った恋人のはずです。

出会いを求めても行動できない人は、
人と人との交流で湧き上がる創造性の意外性に心を開けません。
自分と人との間に恐怖を置くのを辞めましょう。
恐怖の壁を打ち破ってみましょう。
その堅固なハリボテの壁は突破してみると、
暖簾を払うほどに手応えがないはずです。
なんでこんなことに恐れを感じていたのかと、
自分の弱さに呆れるでしょう。
どんな場合も夢の提案はいっとき恐ろしく映るかもしれません。
しかし夢の提案はこれまでの枷を取り払うものです。
虚空に歩を踏み出す怖さにおののき、
無い恐怖をイメージで作り上げているその自分に気づくためのものです。

これはエゴの働きです。
このとき夢はその後、手を替え品を替えて、
行動するようにサポートします。
つまり行動を促す夢がずっと続くのです。

自分はどうありたいか、
そのイメージをしっかりサポートするのが夢です。

夢という一見馬鹿馬鹿しいものを信じて、
虚空に歩を踏み出してごらんなさい。

その豊かさは計り知れない!
夢を行動に移して、
その結果を知った時、
「こんなことならもっと早くに行動しておけばよかった?!」

そんな嘆きを口にする自分に気づくでしょう。

逡巡を続けていた時の砂を噛むような気持ちは消えて、
穏やかな中に力がみなぎるような不思議な安定感の中にいるはずです。

これが夢を理解し、
夢を生きるためのツールにする近道です。

この22日に養成講座12期が始まりました。
ケース研究のためのクライアントに応募下さったみなさん。
この夢の近道をご理解いただきますよう願っています。
これから4ヶ月間、
共に夢を歩んでまいりましょう。

次回の養成講座でもクライアントは募集します。
ご興味のおありの方は、
早めに個人セッションかオープンクラスにおいでください。
ご応募お待ちしています。


posted by バンナイ at 14:23 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年04月20日

娘に、どんな母親と思われているのだろうか?  私はどう娘に接しているのだろうか?

DSC07413.JPG

先日「女の心の成長」というテーマで夢を話し合っていたところ、
母親の自分が娘にどう接しているか、
象徴的に知らせてきた夢に出会いました。

また、小さな子供の夢に、
母親の自分がどんな風に見えているか考えさせられる場面がありました。

こうした心の機微を子供が小さいうちに、
親がキャッチできたら、
どんなに日々が豊かになるでしょう。

もちろん反省させられる点が多いので、
親としては避けて通りたい課題ではあるけれど、
真正面に取り組んだら、
その成果は計り知れない。

子供が夢を話してくれると、
子供の心が案外に強いことを知らされます。
親の自分より強いし、
考え方もちゃんとしていると思えます。

けれど子供の夢を話してもらうメリットは、
子供はとてもデリケートで、
その心のひだにいま親の意識という光を当てたら、
瞬時に子供の心は癒されるだろうと思える点です。
夢を親に話すことで、
子供心に、親が大事なところを見て、知って、
それを共有してくれるのだと、
子供の心に親への信頼が増していくように思えます。

一方、親が子供の夢を見た場合も、
基本的には子供への対応を知らされるので、
接し方の大事な要点を夢に教えてもらうような感じです。

子育ての教科書は外にはありません。
親の心の中にしか自分の子供の子育て本はないのです。

夢の子育て本が教えてくれることが、
親の自分が考えることと違うだろうことは、
心の隅においておいてください。
夢の伝えることを考える段階で、
自分を客観的に見る力をつけることになるでしょう。



posted by バンナイ at 07:35 | Comment(0) | 夢の活用法
  • (c) Kazunori Keiko Bannai All Rights Reserved
  • Home