画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

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天の鳥船庵だより

2023年01月18日

第12回認定者研究会2023年初夢会



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(話し合いを始めたところ)

「第12回認定者研究会2023年初夢会」


14日(土)に認定者限定の初夢会を開催しました。

文字通り初夢を紐解く研究会で、

お祝いモードの集まりではありません。


主催者としては認定者のみなさんの夢に対する技量を上げていただき、

認定者に恥じない夢解きをまずは自分自身に活用し、

その上で他人さまの夢をお聞かせいただけるようであってほしい、

その思いを込めて開催しました。


そのためにこの会に先立ち出席者13名に

予め夢解きを夢解読法に沿ってレポートを作り提出していただきました。

そのレポートに添削した結果をみなさんにお知らせし、

その考察を終えて、

自分の夢の絵を持参した上で14日午前中3時間の間に、

13名全員の初夢のメッセージを拾い出すという作業をしました。

認定者のみなさんにとっても大変ハードな作業だったと思います。



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(途中のお茶の時間)


その様子を書いてくださった、

参加者のお一人てんげる治療院山アゆか裡さんのブログをお読みください。

https://ameblo.jp/mamehachi08/entry-12783883663.html?fbclid=IwAR0V4qGw8KiCuYeRJ_XneNfdk60-FMa4rsPoD_-f9k0crqC0WIA7oUE89a4


ゆか裡さんの初夢は瞑想の奨励というよりもっと実際を言っているようです。

彼女の治療の力は相当なものと私は感じています。

しかしゆか裡さんの治療が効果を発揮するのは

必ずしも全員ではない可能性があります。

その見極めが彼女の力となるでしょう。

そのためには学業も大切ですが、

現時点での治療者としての経験を更に積むことが大切と、

初夢は言っているようです。

この辺の読み込みは自分の夢の傾向を知っていないとたどり着けないかもしれません。



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(記念撮影にスタンバイ)



さて、初夢会に戻ると、

事前の作業のお陰もあって、

受講者も講師も気合ある夢解きを行うことができました。

13例全てをここに披露するわけには行きませんが、

中でもこの記事を読んでくださる方にお知らせしたい初夢は、

「娘の葬式に娘の友達二人が舞を奉納してくれても、

子供を亡くした私の心にはどれも響かないと感じている」という

びっくりするような夢でした。


初夢に葬式とは夢を知らない者には、

「縁起でもない」と受け取られかねません。

初夢のシンボルについては、

初夢のシンボル考察

http://dream-art.sblo.jp/article/181966425.html

をご覧ください。


「初夢のシンボル考察」では「一富士二鷹三茄子」に続いて、

「四扇(しおうぎ)五煙草(ごたばこ)六座頭(ろくざとう)」と続きますが、

それとは別に、

「四葬礼五雪隠(よんそうろうごせっちん)」という言い伝えがあります。

(注:初夢に込めた先人の思いはひとえに霊性のあり方を言っています。

例を挙げれば「富士」は高みを目指すことではありません。

むしろ自分を知ることです。)


つまり葬式は霊性にとって縁起の良いシンボルとなります。

7日のオープンクラスの初夢では「富士山」が登場しましたが、

14日には「葬式」が登場しています。

この二つのシンボルは、

先人の初夢に込めた知恵を活かして余りあるものがあると思います。


娘の「死」が意味するのは、

夢主が娘と同じ長所を活かしきれていないということになります。

娘は母親の長所を目の前で見せてくれていますが、

それを欠点と嫌っているか見えていないというのです。

だから自分も持っている長所をないものとして疎んじてしまうのです。

実はこの夢主が娘の死の夢を見るのは初めてではなく確か2度目です。

聞かされる方は、

それを知っているので驚きませんでした。

却って自分の娘を自分の夢で死なせてしまう

自己探究に覚悟のあるこの夢主のあり方に脱帽です。


けれどこの夢をこれ以上解説することに躊躇いを覚えました。

そこで、「これ以上は言えない」と本人に伝えました。

「これ以上は自分で感じ切るしか答えは見つからない」と言いました。

これが精一杯の講師としてのリードです。

そうするとどうでしょう。

しばらくして本人が言い出したのです。

「おともだちに『ありがとう』といえばいいのですね」と。


夢の中では泣けなかったのに、

大勢の前で夢の話をしているうちに、

緊張とそれとは裏腹の開放感の開き直りが、

夢の中の舞を舞っているお友達に思いを馳せることができたのでした。

それで思わず感謝の気持ちを自分でキャッチでき、

「ありがとう」を言葉にできたのですね。

「ありがとう」の言葉がこの状態で出てくれば、

感情が込み上げて「娘の死」を悲しむことができます。

みんな一緒に死者への想いを共有できます。

悲しみは感じることで癒しになります。

悲しみの感情は愛情表現だからです。

すると自然に「ありがとう」の言葉でみんなの気持ちがひとつになります。


夢は霊性への言葉なので、

霊的生き方を示唆してきます。

この夢の場面作りで最後の「ありがとう」が、

みんなを癒すのだからこれが霊的生き方なのだと教えてくれたようなものです。


彼女の長年の問題は「理性で物事を処理する」傾向です。

「感情を感じる」ことが難しいので、

感情豊かに動き回る娘を疎ましく思っていたのです。

それを終わらせるために、

夢の神さまは娘の死を体験させてくれました。

それでこの夢で自分が感情を感じていない自分に気付かされたのです。

それが「感情を感じる」扉を開いてくれたのです。


ここまで来て本人の目には涙が浮かんでいました。

わたしたちは明日をもしれない命をいただいて生きています。

その中で娘の死を夢に見るのは衝撃です。

この夢主の心の強さを讃えたいと思います。


理論や分析では到達できない夢の真の「言葉」を、

このワークでみんなが共有できました。



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(記念撮影)



この日認定者のみなさんはワーク中に何人かの方の目に涙を見ました。

初夢の本当の凄さは、

年を並べていくと分かります。

初夢という区切りは、

自分の自己探究を続けていく上で、

一つ一つが「関所」に成ってくれます。

当然トラウマにカルマの難問にどれだけの成果があったかを、

初夢は色濃く反映しているので、

初夢が今年の目標を知らせてくれると同時に、

魂の遍歴にどれだけの成果を出せたか、

それを知ることができます。


堀口歩さんのブログ記事です。

https://ameblo.jp/lifeseal/entry-12783183273.html?fbclid=IwAR0DtAROflH--vkaUo9a5EDRs1ENf9fc3JM6BWG6GwN57WWsu0tVMnPALLg

彼女の今年の初夢が意味するところは、

広げすぎた活動を整理し、

ライフシールのステンドグラス作家としての天職に邁進することでしょう。

これは「ライフシールのステンドグラス作家」として、

彼女のありようを夢が認めたことです。

数年前の状態がどうであったかに想いを馳せれば、

夢の優しい気遣いに頭が下がります。


看護学校の講師である大嶋としえさんの記事はこちら。

https://www.facebook.com/toshie.ooshima.1
グリーフケアを学ばれた看護師のとしえさんの感慨が心強いです。


当日のことを記事にしてくださった方はまだまだおありかもしれませんが、

私の目につく範囲でシェアさせていただいています。

最後は横山ちなぎさん https://chinagiii.exblog.jp/32777867/


ちなぎさんの夢のテーマは「夫婦が心の拠り所」でしょうか。

夢の「車のシートに見知らぬ老夫婦が座って」という部分に惹かれます。

この夢の伝えたいことを俳句で見つけました。


観梅や富貴に勝る共白髪/川村紫陽


このテーマはこれからわたしたちが探求していくところと感じています。






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(終えても余韻で立ち去り難いようです)


追記:石井優美さんのブログ記事です。




優美さんセッションではロールプレイをしました。
この日の圧巻でした。
認定者研究会として出席された認定者全員の今年の課題でも有ります。
手中には全てが揃っている。
立ち上がり行動するだけ。
2023年のテーマです。









posted by バンナイ at 14:54 | 夢のメッセージの取り方

2023年01月12日

やっと始まった夫婦の魂磨き講座の2023年



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(1月10日の江ノ電)


1月5日にオンライン講座5期を始めました。

今年はオンライン講座も通信講座も1月始まりになりました。

オンライン講座受講者は長く夢の勉強をしている方が多く、

夢の勉強の仕上げのような体です。

そこで何と夫婦の話がのっけから出てきました。

長く夢の講座をやってはきたものの、

そして結婚生活は魂磨きだとは言ってはきたものの、

講座の中で結婚生活をテーマに夢からその霊性の実態を見ていくような話は、

今までできませんでした。

それがどうやら今年は、

堂々とそこを焦点に話し合えそうな兆しがでてきたのです。

すごいことです。


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加えて7日は今年初めてのオープンクラスで、

最初に予約をいただいた方がご夫婦での申し込みでした。

そこで去年まで東京で開催していた初夢会に

出席いただいていたご夫婦にも声をかけました。

これでオープンクラスの定員5名の内4名が決まってしまいました。

面白いことです。

それに加えて古くからのおひとりがこの日しか空いていないからと、

都合よく申し込まれ、

早々と定員に達してしまったのです。



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7日のその講座に出席された方からお礼状をいただきました。


―引用はじめー

1/7のオープンクラスでは、夫婦でお世話になりました。

今回の先生の試みは新しく、たまたま一緒の講座を受け、たまたま前に座った方の夢に、自分の見た夢の答えやメッセージがある、紐解けば、それはたまたまなのではなく、元々繋がっているエネルギーのなせる必然なのかも…そんな不思議な体験をいたしました。

あの日、そんな繋がりを感じるもう一つの体験がありました。


夫の描いた初夢のピンクの富士山です。講座では、夫は「この富士山は、朝なのか、夕方なのか分からない」と言っていましたが。1/7は少し早く着き、講座前に稲村ヶ崎の海岸から青空に映えるさわやかな富士山を眺める事ができました。終わってから江ノ島まで歩き、夕方になって雲に隠れていた富士山が姿を現しました。その時に、私が気づいたのです。夕方の富士山はシルエットになってピンクにはならない、夫の富士山は夕方ではない…その時、ふと、夫の絵の富士山ととても似ている富士山を最近見た気がして、思い出したのです!慶子先生のブログの初日の出の富士山です!急いで夫に先生のブログの富士山を見せました。

夫も夢に出て来た富士山だと驚きました。初日の出が昇る直前の、うっすらピンクになった富士山は、夫の富士山のように稜線がはっきりしていないところも良く似ていました。夫の初夢の富士山は、朝日が昇る直前に見られる富士山の姿だったのかも…。この夢は承認の夢、と先生がおっしゃった言葉と繋がったようで、何か、言葉で語る必要のないメッセージを、その時、私たちは受け取った気がいたしました。帰ってきて、先生のメッセージカードを開き、先生には、夫の今までの痛み、今、一番望んでいるもの、なんだか全て見えているようで…言葉が心に響き、癒されました。

夫は早速毎日見える場所に飾っております。

すべて引き合わせていただいたものなのでしょう。

実は、私は悩みながら出口を探している夫を、それとなく先生のいる鎌倉に連れて行きたかったのです。

おかげさまで、良い年の始まり、幕開けを予感させるような、素敵な1日になりました。

きっと大丈夫!そう思えた1日でした。   ―引用終わりー



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講座ではいつも車座に座っていただきます。

受講者5名が車座に座ると、

お隣の二人を除く向かいに座った方がおおよそ正面になります。

最初にみなさんの夢をぐるりと披露していただいた時点で、

それぞれの正面に座った方の夢が、

その答えを示していると気がついたのです。

そこで「正面の人の夢が答えを示している」と

考えてみるようにと提案しました。

このとき夢と謎解き遊びをしているような楽しい気分になったものです。


お礼状にあるピンクの富士山を描かれた方の真向かいには、

蝋燭3本に火を灯した絵を描かれた方が座っていたのですが、

この方にとっての富士山は(細かいことは省きますが)、

「堂々と揺るがないこと」

「泰然自若」の意味を持ちます。


そして蝋燭3本に火を灯した絵を描かれた方へのメッセージは、

富士山を描かれた方の隣に座った、

自分のことより他人のことに目が行く方が描いた場面で、

瑣末な心配は傍において、

「積極的にポジティブな状況変化を起こす行動を取る」

というメッセージが答えとなりました。

蝋燭3本の方にとっては、

向かいに座るお二人の夢を合わせて、

「余計なことは考えずドーンとしている」がメッセージとなりました。



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(10日昼間の富士山)



「目」を描いた方もいました。   

この方は毎年初夢に目を描かれます。

今年の「目」は「見る」を卒業するようにという示唆とわたしは受け取りました。

その方の真正面に座った方は、

自分の夢を「目」にからめて、

「今年は自分のストーリーを作ることだと思いました」と言われたのです。

「目」の御本人も「見る」を終えて、

「自分のストーリー創り」に取り組まれてはと言われていることになります。


更に面白かったのは、

「目」の夢に登場した食べ物が、

お二人にとって注意を促していたことです。

これは身体に意識を向けること、

聖なる身体の発する言葉に耳傾けること、という意味と思います。


当日の様子を、

雰囲気だけでもこの文章でお分かりいただければ良いのですが。


初日の出の富士山は、

空も富士山自体も全てがピンクに染まる時間があります。

初夢に縁起の良いとされる富士山の意味は、

座禅(瞑想)の勧めが本当のところと考えていますが、

穏やかな心、平安の心は座ることで得られます。


当日出席してくださったご夫婦はお二人で座ることもあるでしょう。

今年は夫婦単位で動くことが楽しみを運んできてくれるように思います。



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(富士山の隣で太陽が燦々)








posted by バンナイ at 12:49 | 夢のメッセージの取り方

2022年12月21日

擬装工作解除法の「移動」の捉え方



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(12月20日の夕陽)

来年年明け5日から始まるオンライン夢療法講座第5期に空席1名あります。
ご興味のある方はご連絡ください。


17日にオンライン夢療法講座第4期は終了しました。
しかし関係者全てに余韻が残っているようでメールが続きました。
それをお目にかけます。
要は、講座内で消化できなかった質疑応答があったということです。

受講者のお一人から質問を戴きました。


第4期のまとめのレジメを拝受いたしました。
ありがとうございました。
この まとめ を熟読して、今後の学びと実践に活かしていきたいと思います。

そして、この半年間、オンライン講座に参加させていただき、たいへんお世話になり、ありがとうございました。

2週に1回というのは、かなり速くて濃密な時間だった、と感じています。2週に1回、課題にフォーカスして夢を見て、絵を描いて、レポートして、オンラインの講座に参加して‥‥
あっという間にまた2週間が過ぎ‥‥目まぐるしくもあり、自分と向き合う中で落ち込んだりもしましたが、それも含めて、贅沢な遊びをさせていただいているような気持ちにもなったり‥‥。

今日の最終日は、終わってしまうのが残念で呆然としながら終わってしまいました(笑)。
この2〜3日、職場の受付スタッフの感染による欠勤、友人2人のご家族が感染したり、ご危篤になられたりして、そのサポートなどが深夜まで続き、睡眠不足だったせいもあるかもしれません。私らしくなく、人様のことにあれこれ介入・口出ししまくっていて、言うべきかどうかとか、考えるいとまもなかったので‥‥

質問として考えていたことの1つは、擬装工作解除法についてで、わかったようなわからないような感じがあって、どういうふうに質問したらそれが明確になるかを考えていたのですが、自分が避けているものを探して、言語化・明確化して、ただ行動すればいい、という理解でよいのでしょうか。
例えば私が面倒なことを避けたくて人に本音を言わないとしたら、面倒なことを避けずに伝える‥‥シンプルにただそうすればよいのであれば、ごちゃごちゃ考えている自分のほうが面倒くさいな、と思いました。

この講座を通して、学び直させていただき、整理できたこと、明確になったことなど、得たこと等も多かったのですが、肝心なことはやはり自分と向き合い続けることなのだと思いました。そういう覚悟の出来ている皆様とご一緒させていただいたので、ハイペースで、夢のメッセージの明確さ、的確さがわかりやすかったし面白かった、とも思いました。それぞれの方の変化・成長を垣間見させていただいたことも、しっかり受けとめ行動化することによる夢の治癒力、成長促進力を実感させていただきました。

自分自身については、成長の遅さにもどかしい思いをしながらですが。。。。
夫の領域にも少し口出しをするようになり、
来年1月末の催しに向けて、つい最近出逢った4歳の女の子にみえる男の子を見初めてスカウトし、2ヶ月間、数回のお稽古で初舞台に出ていただくことになりました。次の時代の子どもだと思いました。

ついでに私も、誰だかわからない名前でこっそりちょっとした役で出てしまうことになりました。夫は私の"偽名工作出演"にも協力しています。(これまでは裏方に徹するべき立場なのに舞台に出るなんて‥と周囲から見咎められるようなことでした。)

以上、御礼と、講座中にまとまらなかった感想とご報告まで。

どうぞご自愛の上、よき年末年始をお過ごしくださいますよう‥‥。

UM


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(20日の幻想的な富士山)


それに対する講師の返事を講座のみなさんに向けた一斉メールとしました。


オンライン夢療法講座第4期のみなさま

オンライン夢療法講座第4期は終了しましたが、
UMさんに質問メールをいただきました。
それでUMさんにいただいたメールにどのように返事を差し上げたら良いのか、
考えているうちに日が経ってしまいました。
そこでUMさんのメールをみなさんと共有しながら、
ご質問に答えるのが一番かと思いました。

ご質問は下記の通りです。

✢(以下UMさんのメールの文は✢で始めます)質問として考えていたことの1つは、擬装工作解除法についてで、わかったようなわからないような感じがあって、どういうふうに質問したらそれが明確になるかを考えていたのですが、自分が避けているものを探して、言語化・明確化して、ただ行動すればいい、という理解でよいのでしょうか。
例えば私が面倒なことを避けたくて人に本音を言わないとしたら、面倒なことを避けずに伝える‥‥シンプルにただそうすればよいのであれば、ごちゃごちゃ考えている自分のほうが面倒くさいな、と思いました。

最終日にお話しした内容通りで、
この講座では心理学のフロイトとユングとケイシーの良いとこ採りを採用しています。
夢解釈法の多くはフロイト考案の手法です。
UMさんご指摘の擬装工作解除法の2番目「移動」は「避けていること」です。
これはトラウマに直結します。
ここに気づくとフラワーエッセンスのバッチ博士が、
「夢はどれもトラウマ」と言うことがお分かりになると思います。
またトラウマで生じた処世術は身を助ける手法でもあり、
自分のトラウマに気付くのは骨の折れる作業です。

ですから、

✢私が面倒なことを避けたくて人に本音を言わない

ということは、UMさんが身につけた処世術(トラウマによる対処法)です。
「余計なことを言わなければ物議を醸さない」と子供の時に肝に銘じたのでしょう。
この処世術を大事にされ、
出会ったご伴侶はさらにそれを上回る伝統芸能(ヒエラルキー社会)を背負って立つ方でした。

✢としたら、面倒なことを避けずに伝える‥‥シンプルにただそうすればよいのであれば、
「シンプルに」と言う言葉が「初心に戻って。あるがままの真我に委ねて。」と言う意味なら、
ごちゃごちゃ考えている自分のほうが面倒くさいな、

というのではなく、UMさんの心情の波動が上がって、
「モノを言わない」レベルを超えた「真我で対処する」次元に飛躍したことになります。
その兆しが、

✢誰だかわからない名前でこっそりちょっとした役で出てしまうこと

につながり、

✢来年1月末の催しに向けて、つい最近出逢った4歳の女の子にみえる男の子を見初めてスカウトし、2ヶ月間、数回のお稽古で初舞台に出ていただくことになりました。次の時代の子どもだと思いました。

と、大きな判断を下せたのだと思います。
UMさんが舞台に立つことと同時に、
自分の両性具有的子供の存在を内に見いだせたので、
その具現化した存在を表舞台に立たせようとも判断できたのだと思います。

日本の伝統芸能はその真価を継承していかなくてはいけません。
しかしその継承の形は上のものが下のものに命を下す形だけでは、
如何ともし難く、魂本来のあり方とは違います。
そこを修正していく命をUMさんは担っているので、
UMさん独特の成長の道があり、
いまの天職があるのだと思います。
どうぞご精進ください。

UMさん以外にもこのご質問をされたい方、
そうとは知らなかったけれど、
この質疑応答があって理解を深められる方がおいででしょう。

そこで、一斉メールとしました。
ついでと言っては失礼かもしれませんが、
これを、UMさんの固有名詞を除いて、
わたしのブログに使わせていただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。

坂内慶子


この講師の返答を読まれた同期の方から感想を戴きました。

坂内先生
UM様

ありがとうございました。
今回の講座で、UMさんがこのように気づきを得て勇気を持って行動に移してみる。
まさに魂の後押しで現実を変えようとする一歩前進の行動に、
講座の仲間として拍手したいです。
私たちみんなが夢の(魂の)メッセージを真摯に受け取って、
恐る恐る現実に立ち向かう姿は、
幼い子供が冒険をしてみるようなワクワク感を共有させていただきました。

仲間であることに感謝いたします。

夢って、一人で見て解釈していくのも楽しいですが、
このように仲間で学べるって感動も分かち合えて、
みんなが成長していく様を、自分のことのように味わえることだなって、
ちょっと嬉しい感動を味わっています。

魂のグループ、修行の仲間っていいなあって思いました。

UMさん、シェアしてくださってありがとうございます。
そしてUMさんの言葉少なだけど、出てくる言葉の深さにいつも感動していました。
仲間でいてくださって(大先輩なのに、すみません)感謝いたします。

先生、ありがとうございました。
一人で学ぶことも大事ですが、
このような形で人の成長を我が事のように学べる機会を与えてくださってありがとうございます。

またいつか皆さんとご一緒できたら嬉しいです。

GF


ご本人からもお返事をいただきました。


坂内慶子先生

講座終了後の質問について、このように扱っていただき、
ご丁寧なご回答を頂戴し、ありがとうございます。
もやもやしていたところが、よくわかり、すっきりいたしました。

シンプルに=私は余計な枝葉をつけずに本質を掴んで‥というようなイメージでしたが、夢が伝えてくれるメッセージは、「初心に戻って。あるがままの真我に委ねて」「真我で対処する」というあり方のほうが近いと思いました。ごちゃごちゃ考えているほうが面倒だと思えたことは、私がそちらに移行するためのプロセスだったかと思います。

慶子先生のこのご回答、解説を拝読して、
今年の1月、養成講座の講師見習いとして久しぶりに受講させていただいた際の、初回に描いた夢を思い出しました。
講座開始の前(1月8日)に見た夢で、
アニメーションのような画面の中で、4〜5歳くらいの男の子が「あげるよ」と言って 金色の卵をくれる、という夢でした。(夢の中でものをもらってはいいけないはずなのに、受け取ってしまいました。)
この1年、夢について初心にかえって学ばせていただき、金の卵をいただいたような気持ちです。

質疑応答について、個人名を抜いてブログに書いていただくことについては、異存ございません。天の鳥船庵で学ばせていただいている内容や夢の叡智は、皆さまのもの、と思っておりますので、私の夢やこうした内容は、いつでも、ご自由にお使い下さい。(私も皆さまの夢や慶子先生の通訳・解説から多くのギフトをいただいています。)

共に学ぶ仲間として、あたたかいメッセージを下さいましたGFさん、今期 ご一緒させていただきました皆さま、半年間 支え見まもって下さいましたアシスタントのKさんにも感謝しています。

UM


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(戴いたカード)





posted by バンナイ at 10:52 | 夢のメッセージの取り方

2022年09月07日

予知夢は確かだけれども



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(名前がわかりません)

夢の意味を知りたいと熱い思いを持って人が訪ねてくれます。
それはとてもうれしいことですが、
中には、「わたしの夢からわたしの才能を教えてください」、
「わたしがこれからどうしたら良いのか教えてください」と迫ってきます。

この方達の頭には、
ケイシーの有名な、
「人生で起こることは予め夢で知らされる」という言葉を、
自分流に解釈して仰っているのだなと分かりますが、
これには条件があります。

早い話が、
才能の在り処を夢が教えてくれることはまずありません。
それにどう生きたらいいかについて夢が具体的に指図してくることはまずありません。
これにもいろいろ説明しなくてはいけない条件はありますが、
取り敢えず、ここでは夢は霊性への示唆であり、
夢占いとしては扱っていないことをお知らせしています。
しかし多くの人は、夢は占いの一種だと思っているので、
指図をしてくるのが夢だと思っているようです。
その結果、「わたしは夢に多くを期待しすぎたようです」と離れていきます。


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(主屋の北側に 水引とは違います)


夢はまず、自分が取り組むべき課題から逃げていることを指摘してきます。
何故なら、自分がやるべきことから逃げていると気付いていないからです。
実は何となく気づいていながら見ようとしないと言った方が正しいでしょうか。
ここで自分に向き合う準備のできている方にとっては、
夢のメッセージが価値あるものと分かってきます。
夢は避けていることを指摘してきますが、
行動しろとは言ってきません。
やるやらないは自分で考え自分で行動するように促してきます。
それが自由意志です。
この考える力を削ぐようなことを夢は言ってきません。

反対に準備のできていない方は、
やたら欠点をあげつらってダメ出しをしてくるのが夢だと
受け取らざるを得ない経験をします。
夢の配慮や夢の奥深い優しさを理解できるようになるには、
ある程度夢との対話を経験する時間が必要です。
それまでは下手に夢に触らない方が穏当かもしれません。


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(ホトトギスです)

今回お話ししたい夢は、
予知夢であり、
現状認識の夢であり、
願望充足の夢であり、
そして異次元通信の夢と分類できるものです。
地球はいまアセンション中です。
わたしたちの夢意識はどこまでその意識を拡大し、
この宇宙の叡智を受け取れるでしょうか。
そんな話になります。


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夢本体:
【散歩をしていると古民家のような古い家に出る。
その縁側には老人夫婦が寛いでいるのが見える。
この人たちは自分たちの祖先だろうか、
それとも自分たち夫婦の未来の姿だろうかと思いながら、
2人の灰色の髪が美しいなと思いホッとしている。】

夢主さんにこの夢を公にする許可をいただいていないので、
わたしの記憶を頼りに書きました。
この夢自体にプライバシーが感じられないといえば嘘になりますが、
それ以上にこの夢が多くの人を励ましてくれる要素があり、
それ以上に、
これは誰の夢とは特定できないほど今の世に普遍的な夢と思います。
それでこの夢をお借りして、
夢の本当をお知らせします。

夢の中で最後にこの夢主はホッとしています。
この夢を見てホッとしたい心境なのだなと夢の専門家は思います。
意地悪い言い方をすれば、
現状はホッとできないのです。
この経済社会でコロナ禍が3年続いています。
ホッとしたいけれどホッとできないのは多くの人の現状です。
その意味でこの夢は現状認識の夢です。
変な言い方ですが、「ホッとしたい」状態が現状だということです。

持って回った言い方ですが、
「ホッとしたい」状態をこの夢で叶えてもいるので、
この夢は願望充足の夢です。
夢主は「わたしたち夫婦の未来の姿だったらいいな」と思いながら、
老夫婦の姿を見ている訳ですから、
その老夫婦に願望を実現させていることになります。
願望充足の夢とは、
日頃こうなったらいいなということを夢の中で実現してしまうことです。
これはつまり、
実現するのは難しいだろうという疑いが夢に現れたことでもあります。
それを夢が受けて、
「自分で実現しなさいね」というメッセージを送ってきています。
あなたが望むなら、
あなた方夫婦が共白髪まで添い遂げることはできます。
夢はそのように夢主を鼓舞しています。
これが予知夢ということです。
予知夢全てがこういう意味になるというわけではありませんが、
あなたが望むなら、これを予知夢にできるということになります。

最後に「異次元通信の夢」という部分をお話ししましょう。
この夢主は老夫婦を先祖の誰かかも知れないと思っています。
先祖かも知れないし、先祖でないかも知れないという話ではなく、
先祖である可能性を考えた方が合理的だし、
真理に近いと思いませんか。

夢は輪廻転生をはっきり言っています。
現生で縁のある人は過去生でも縁があり、
家族は多くグループで転生してきますから、
祖先の誰かが自分の過去生であることも不思議ではありません。
だからこの夢の中の見知らぬ老夫婦が未来の自分たちであると同時に、
過去生の自分たちである可能性があります。
そこでこの夢は自分の過去生と通信をしているとも考えられます。
つまりこれが異次元通信のひとつのあり方です。
これには目的があり、
この老夫婦が夢に現れた目的は、
「過去私たちが生きていたときやり終えなかった課題を、
今あなたたちに託すからやり遂げてほしい」
という願いが込められています。
これは先祖の希望でもあり、
共に努力をしましょうという応援歌でもあります。

地球がアセンション中で次元上昇している感覚は、
この種の夢で確認できるように思います。
この夢は現在にいながら過去と未来を同時に見ることができ、
その現在を穏やかでいることで、
過去と未来を変えられる確信を得ます。
次元上昇は時間の感覚を現在に集中させるはたらきをしています。


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(あまりに楚々としているので咲き初めに気付きませんでした)






posted by バンナイ at 13:48 | 夢のメッセージの取り方

2021年12月08日

わたしをからかう誕生日の夢



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(去年の傘寿に頂いた胡蝶蘭が花をつけてくれました)

年明けてすぐの養成講座ケース研究のためのクライアント、
及びオンライン講座受講生募集しています。

天の鳥船庵夢療法家養成講座第19期 ケース研究のためのクライアント募集
http://dream-info.sblo.jp/article/189119780.html

オンライン夢療法講座第3期[2021年1月6日〜6月16日]受講生募集
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初夢会も募集中です。
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「わたしをからかう誕生日の夢」

今年の誕生日の朝見た夢です。

夢の題:火種を水で消す
夢本体:
【日本家屋の座敷にいる。
壁から火が上がる。
あわてて水をかけて火を消す。
畳から火がでる。
また水をかけて消す。
最初に気づいたのは机の上だったか?
そばに夫がいる感じがする。】

この夢を、
まどろみから醒めながら思い出すのは、
ちょっと辛かったです。
これまで誕生日を毎年欠かすことなく祝ってこられたわけでもなく、
さりとて自慢できるほどの不幸に見舞われた訳でもありません。
とはいえ、ここらでちょっとほっとしたい気分になって、
穏やかな夢でも見られたらいいなと、
微かな望みもあったのに・・・・・
家の中で火の手が上がるとは!
火の手が上がっているとは、
「わたしは怒っている」と知らされているのですから。


DSC02017.jpeg


この人生、
ここに来るまで何かしら「炎」のつく症状に悩まされ続けてきたので、
自分では怒っていることに気づかなくても、
症状が怒りを抱えていることを知らせてくれます。

目覚めは良くなかったけれど、
この夢を思い出してふとあることに気付きました。
これまでも火が燃え上がる夢は何度か見ていましたが、
今回は火の手は上がっても、
それを一つ一つ消しているではありませんか。
「あらこれって、夢の神さまからのお誕生日祝いかもしれない」と思えたのです。
あぁ、これならもう「炎」のつく症状も軽くなるだろう。
悩みも遠のくだろうと気づいたのです。


DSC02044.jpeg


この2、3日前でした。
何気に夫と話をしていて、
「わたしイライラしている」と思ったのです。
へ〜と思いました。
自分がイラついているとはっきり意識できたのです。

そのとき何がそうさせたか思い出せませんが、
長い結婚生活で夫に通じないことは山ほどあります。
それも生きる上でわたしが大切と思うことごとくが彼には通じません。
結婚生活が魂磨きというのはこのことだと重々承知していても、
わたしの考えや拠り所にしている信念信条を逆撫でしてきます。
彼には彼の考えがあり、
彼のペースがあるのだ、
そこを理解しなくてはいけない。
ここは忍耐だ!
よくよく自分に言い聞かせてきたつもりです。
でも、これは表向きで、
実際のわたしの我は、
想いの通じない夫に反発を繰り返してきたようです。
それで「炎」の付く症状に悩まされ、
自分の心の持ち様が忍耐や寛容ではなく、
怒りで対処していると、
その症状が教えてくれたのでした。


DSC02039.jpeg


それが誕生日の2、3日前、静かに、
わたし怒っているなと自分の心模様を眺めていられる自分に気づきました。
ここまでくるのに長い年月を費やしました。

さて、いま白洲正子の「明恵上人」を読み返している最中です。
白州正子の明恵解釈は秀逸です。
目についた部分を本から要約すると、
13にして、『すでに年老いたり』と考えた明恵は、
肉体があるから、煩悩や苦悩も生ずるのだ、
いっそのこと死んでしまった方がいいと、
ある日狼に喰われようと墓場に行って夜を明かしたそうです。
すぐに山犬は現れて傍に捨てられた死骸は喰ったが、
明恵の身体はかぎまわっただけで喰われなかったとのこと。

それで13歳の明恵は狼の餌になるのは諦めたようですが、
16歳の時の夢が、
【狼が二匹現れて、自分を喰いたそうにした。
これこそ望むところと思い、
「此方へ来て存分に食べるが良い」というと、
傍へよって自分の身体を喰べはじめた。
『苦痛タエガタケレドモ、我ガナスベキ所ノ所作ナリト思ヒテ』我慢している内に、全部喰べ終
えた】とみるや、全身汗にまみれて夢が醒めたとのこと。

この夢の話は上人の弟子が書き留めた行状記にあるようで、
そこには、
「上人後ニ語ツテ云ク、
此夢ハ覚時ニ好楽トコロ夢中ニテナシシ試也」とあります。
これをわたし流に言い換えれば、
「日夜自分の望むところを夢で試しにやってみた」ということのようです。
つまり願ったことを夢で実現したということです。

この明恵上人の解釈は、
願望充足の夢と自らを諭し、
述懐しているところはなんとも美事としか言いようがありません。
中世の仏教界には現代に劣らぬ確かな夢への理解があったようです。

白州正子に言わせると、
「フロイドのようなことをいっていますが、
一旦自分が志したことは、
たとえ夢の中ででも、
実現せずには置かなかったのです。」と、
この言葉も美事です。

一般的には願望充足の夢は「安易さ」を表します。
この明恵の夢も願望充足なので、
煩悩をなくすには死ねばいいと、
短絡的に考える安易さに気付いて得た戒めに話は行っているけれど、
夢の中でさえ生きて喰われる痛さを堪えながら、
肉体が狼の胃袋に消えて自分の身体が消滅していくのを、
意識に力を込めて見続けている意志力には感心します。

さて、わたしの火の夢も願望充足の一つですと言いたいところですが、
何故明恵上人の夢とここで並べたかの理由をお話ししましょう。
明恵上人は死しても意識は変わらないということを夢の中で体験しました。
肉体は切り刻まれ形がなくなって、
喰べ尽くされたことを感覚と目で確かめられています。
つまり夢の中で五感は働きます。
更に意識の目は健全で正確に機能していることを知りました。
この意識の目が大切なのだ、究極なのだと、
16歳の修行僧が覚ったかどうかはわかりませんが、
それに近い納得を得られただろうと思います。

だから生きることこそが大切だと覚ったのでしょう。
この夢があるから彼の常に言っていた、
「あるべきようは」という心情になったのだと思います。

つまりわたしが言いたいことは、
夢が霊性のあり方を教示してくるということです。
表面的な願望充足というところに目を向けるのではなく、
意思が意識を生み、
その意識が意志を決定し、
この意志が現象を起こすのだと、
この夢が示唆しているとしたら、
私たちの意思を持った情熱はなんと美しいことでしょう。

わたしの火の夢に戻ると、
この夢で教えられたことは、
自分の怒りに意識的であろうと心掛けるようにということです。
そして今それができるということです。
心に浮かぶ情動に意識的であれば、
そこには意思があり、
意思が感情を教えてくれて意志を向ける方向が分かります。

わたしたちは本来意識だけの存在だと、
この二つの夢が教えてくれているように思います。


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posted by バンナイ at 17:07 | 夢のメッセージの取り方

2021年09月27日

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」考 その2



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(坂内和則画)


では、夢主を差し置いてですが、夢本体です。
この話の展開は、
夢の解き方からお話ししないと訳がわからないと思うのです。
夢主さんご了承ください。

夢本体:
【「ぼくらの7日間戦争」という漫画の映画にでてきた廃工場が舞台で、
人がいっぱい(20人位)いて、
その中でわたしが「マドンナたちのララバイ」を勝手に歌う。
(人それぞれ好きなことをしている。)】

夢は背景が大事です。
場所は「ぼくらの7日間戦争」の廃工場。
この物語は中学生が大人の管理教育に反旗を翻す冒険ものですが、
原作は1985年4月に発行された宗田理の書き下ろし小説だそうです。
「60年安保」、「70年安保」に反対する若者の熱は、
形を変えて消えることなく、
今の社会に一石を投じるというのが
この夢の趣旨のように思います。
1980年代は平和運動も学園闘争も影を潜め、
以後今日まではっきりした政治体制への抗議は見ることがありません。
「そこで・・・」というのがこの夢の主旨です。
「そこであなたはどうする?」
「ここまで来た。もちろん自分の思いを歌うよね?」
夢の問いかけは私たちの主体性を問うています。
『勝手に歌う』ということがとても大切です。

これで夢の概略を語ってしまった気分ですが、
お読みくださっている方にはさっぱり訳がわからないでしょうか。

さて、夢の中で主体的に行動するのは、
相当にエネルギーがいるものです。
ましてや歌を思い切り歌うなんて普通はできません。
この夢主だって初めての経験でしょう。
だからこの夢がこの夢主を育てているのだと思います。
そればかりではなく多くの人にこの夢が必要だと思うのです。
誰の反応も気にせず自分が気持ち良いことをする。
この夢の真意が分からなくても
これからの時代を生きるにはぜひとも必要な心構えです。

ではここで「マドンナたちのララバイ」の背景を考えてみましょう。
ここからは私見です。
この夢を私の夢として解釈します。
元々の夢主からすると迷惑かもしれないし、
とんでも無いという内容になるかもしれません。
ということで、あらかじめお断りしておきます。
これからお話しすることはある意味ファンタジーや、
作り話としてお読みください。
けれど夢からメッセージを受け取るための基本は押さえています。
その辺は厳密に作業しているつもりです。

まず夢を思い出したら考え深くその意味を探索する必要があります。
その探索は科学的で無いといけません。
論理に矛盾があってはいけないのです。
最終的に出した結論が、
どの場面から見ても重層的に真理に光が当たっていると
思えなければいけません。
夢のメッセージは擬装工作にまみれその姿を容易に表してはくれません。
そこで隠された意図を見つけるためにこの歌の背景を考えます。
そこでウィキペディアで調べてみました。
作詞は山川啓介。作曲は木森敏之とjohn scottとのことです。
なぜ40年も前の日本の歌謡曲に作曲家がふたりなのでしょう。
そこには複雑な問題がありそうです。

1980年のアメリカ映画「ファイナル・カウントダウン」の
劇中音楽「ミスター&ミセスタイドマン」を作曲したJohn Scottから、
「聖母たちのララバイ」のメロディが
自作と酷似している旨の抗議が届き、
作曲者木森敏之もこれが盗用であったことを認め、
二人の名前を表記することとなったようです。
この歌は1981年9月に開始した
日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の
初代エンディングテーマだったとのことです。

つまり夢そのものの流れからすると
元歌の「ファイナル・カウントダウン」が意味を持つことになります。
そこで映画「ファイナル・カウントダウン」を調べてみました。
ウィキペディアからその粗筋を見てみましょう。

引用始め―1980年、中部太平洋で行われる軍事演習に参加するべくハワイ沖を航行中原子力攻撃空母ニミッツは、突如奇妙な竜巻の襲来を受け、真珠湾へ引き返そうとするが、そのまま呑み込まれてしまう。
しばらくして嵐は収まったものの、「随伴していた駆逐艦が行方不明」「無線にどこからも応答がない」「奇妙な無線通信とラジオ番組の受信」などの異常な事態を認識した艦長は、緊急警戒態勢を発令すると共に、真珠湾への偵察機を発進させる。また、ニミッツに近づく飛行機をレーダーによって発見し、調査のためにF-14トムキャットを発進させる。パイロットが目視したその飛行機は、なんとプロペラ飛行する旧日本軍の零戦であった。
偵察機が持ち帰った真珠湾の写真に整然と写るかつての主力戦艦群、奇妙な無線とラジオ番組、そして零戦の出現。それらの情報から推理を重ねたニミッツの搭乗員たちは、タイムスリップしたことを悟り、今が1941年12月6日、つまり真珠湾攻撃の前日であることを理解して、歴史に介入して日本軍を撃退するか否かを迫られる(日本の作戦を失敗させればタイムパラドックスが起きてしまう)。―引用終わり

これを読んで、元歌が「廃工場」と繋がりがあるのがわかります。
二度の大戦と原子力爆弾に続く平和運動への布石があります。

「マドンナたちのララバイ」は、
映画「ファイナル・カウントダウン」で発表された
「ミスター&ミセスタイドマン」の盗作だということでしたが、
これがこの映画題名そのものの
「ファイナル・カウントダウン」という曲に繋げてくれます。
これは1980年代のハードロックグループ
「ヨーロッパ」の持ち歌ということでした。
その歌詞がこの夢に意味を持たせてくれます。
SNSから重要なところ
https://lmbeat.blog.fc2.com/blog-entry-70.html)を抜粋しました。
歌詞の部分は『 』で区別しました。

『We're leaving together
But still it's farewell
And maybe we'll come back
To earth, who can tell?
僕らは旅立つ
これでお別れだ
再び地球に戻るか
それは誰にもわからない』

そして更に重要なところは、

『We're heading for Venus
and still we stand tall
'Cause maybe they've seen us
and welcome us all, yea
僕らは金星へ向かう
確固たる信念を持って
金星人たちは
僕らを知っていて
歓迎してくれるだろう』

の部分です。
拙訳が贔屓目かもしれませんが。

『With so many light years to go
and things to be found
(To be found)
I'm sure that we all miss her so
何光年もの道のりを経て
いろいろと気づくのさ
(気づくのさ)
そのとき僕らは
地球を懐かしく思うだろう

It's the final countdown
これがファイナル・カウントダウン』


「ファイナル・カウントダウン」の歌詞を勝手に翻訳してみました。
最後の言葉ファイナル・カウントダウンは繰り返します。
つまりこの歌が言いたいのは、
今が飛び立ちの時だというのです。
今は決意の時です。
ことは終わりに近づいているのです。

この夢の始まりは映画「ぼくらの7日間戦争」の廃工場です。
夢主本人が書いているように、
「廃工場は今の社会そのもの、これまでの社会の在り方そのもの」。

この9月7日の夢が今日の現状と啓示を伝えています。
コロナ禍のこの最中、
ここから出ようとこの歌は言います。
そのための方法をここから読み取って欲しいようです。

ここで何故「金星」なのかを説明すると、
「ヴァリアント・ソーという金星人が、
1957年当時の国防長官であったニール・H・マッケロイと会い、
さらにアイゼンハワー大統領とニクソン副大統領と会談した。(https://tocana.jp/2020/12/post_188415_entry.html)」
というニュースがあります。

更に1950年代初期に
アダムスキーが空飛ぶ円盤に遭遇したという主張が、
マスコミを騒がせました。
彼が会った宇宙人は金星人で、
核実験への懸念をアダムスキーに伝えたということです。

アダムスキーの話もヴァリアント・ソーの話も
当時は眉唾物としか受け取られない風潮でした。

ここに記事の一部をコピペします
https://sunrise-country.blogspot.com/2017/05/blog-post_27.html
「1954年2月20日、カリフォルニアのエドワード空軍基地にてアイゼンハワー大統領はプレアディアン及びアシュターコマンドの代表と会見を行った。
アシュタール・コマンドはすべての核兵器の破棄を条件として先進技術と人類の霊的進化への協力を申し出た。
しかし、アイゼンハワーはネガティブ・ミリタリーによって圧力をかけられ、ポジティブETとの協約を拒否させられた。」

当時はETとの接触は早すぎて、
地球人にはそのための心の準備ができていないということもありますが、
闇の勢力の欲の前に屈したアイゼンハワーであり、
ニクソンであったのかもしれません。

この短い夢の背後には、
戦争の影があり、核の脅威があります。
原子力攻撃空母ニミッツという言葉は当時の日本人にとって、
どれほど神経を尖らす存在だったでしょう。
第二次世界大戦は広島と長崎の核爆撃で終わりました。
これがこの地球の核による戦争の終わりです。
核爆弾は以後使えないのです。
これは有機体にして霊格高い地球の意志だと私は考えています。
だから闇の勢力は核を使えずにウイルス兵器を持ち出して、
第三次世界大戦に打って出ました。

このウイルス作戦は私達庶民にとって、
却って組みし易いのかもしれません。
第二次世界大戦の死者数は8500万人だそうで、
コロナウイルスによる世界中の死者数は、
2021年7月1日現在455万人だそうです。
この計画を立てたものにとっては割りの合わない仕事になっています。
庶民は裏の計画に気付いています。

さて、この夢のお陰で1980年と1941年と2021年が一つになりました。
この時間のつながりと現状をバックに、
最早小さな地球の出来事の中に自分を埋没させるだけではなく、
金星に向かって飛び出そうとしている私たちの心の中には、
コロナにばかり心を奪われたままでいるのではなく、
量子力学的にこの現象を捉え、
自分の思いを大声で歌い上げたいという思いでいっぱいです。

いままでのように現状を動かしている者に戦いを挑んでも変わりません。
視点を上げ、視野を広げましょう。
宇宙にその姿を誇り高く活動している地球という聖霊に対し、
私たちはその優しさに気づくことも気遣うこともありませんでした。
この現状から一旦出ましょう。
金星人たちの提案を受け入れましょう。

ここまで「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の背景を考察してきて、
ここで歌詞に戻りましょう。
いまならこの歌を心置きなく歌える気分ではありませんか。
あなたがマドンナになって、
目の前の男性を全身全霊で受け止めるのではありません。
あなたは、
あなたがこれまで男性原理で出来上がった社会に、
果敢に適応してきた自分の男性性に批判の目を向けるのではなく、
それを抱きしめ、
その自分に優しく、
もう頑張ることはない、
この歌詞の最後にあるように、
『今は 心の痛みをぬぐって
小さな子供の昔に帰って
熱い胸に 甘えて』
と言えるのです。

今はその自分を飛び出し、
宇宙の仲間と協力して、
やがて美しい次元上昇した地球に戻りましょう。

その時は今までの知っている地球では無いかもしれません。
けれど今がその決意の時・飛び立ちの時です。

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の夢から
わたしが読んだ結論です。

この夢のメッセージの一貫性は見事だと思いました。

メッセージ性がある夢の奥は壮大です。
夢を通してわたしたちは一つに繋がっています。
そのわたしたちひとりひとりが個として壮大なのです。
それを教えてくれる夢でした。
夢の真価がこれで少しでもお分かりいただけるといいのですが。

最後に蛇足です。
この夢主さん。
企業戦士の過去をお持ちです。
企業戦士の過去があるから、
いまの気付きがあります。






posted by バンナイ at 16:07 | 夢のメッセージの取り方

2021年09月20日

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」考 その1


DSC01918.jpeg
(屋根の上に珍しく磯ヒヨドリが!メスがオスにモーションをかけています。
左がメスで、右がオスです。美しい声で大事なことを告げてくれます。)

先々週の土曜(11日)のオープンクラスで、
「マドンナたちのララバイ」を夢の中で歌うという話がでました。

この方の夢には節目節目で歌が出てきます。
いままでは歌詞そのものがメッセージだったので分かり易かったです。

今回はマドンナ(聖母)ですからちょっと緊張したようでした。
歌詞の出だしが、

【さあ 眠りなさい
疲れ切った体を投げ出して
青いそのまぶたを
唇でそっと ふさぎましょう】

これは、
女性が、自分の夫または恋人の男性に向けて、
「生き馬の目を抜く社会で頑張るあなた
いまは私の胸の中でゆっくりおやすみなさい」という意味でしょう。

しかし今の女性にとってこの歌詞を、
額面通りに受け取ったら辛いかもしれません。
現在男性も辛いでしょうが、
同じように女性だって辛いのです。
1982年にリリースされた当時の意味と今では大幅に違うはずです。
そしてもう一つどうしても考えなければならないのは、
女性の時代の女性のあり方です。
このマドンナ像がそれを示しているとはとても考えられません。
これでは男性原理のその反対側になってしまいます。
そうなると女性原理の時代が次元上昇に成って行きません。

それにコロナ禍も1年と9ヶ月になりました。
収束の兆しは見えません。
このウイルス騒ぎは諸説あるものの、
男性原理の最たる姿です。
利益を集中させて人減らしを図っています。
この説は今に始まったことではなく、
二度の大戦が起きた本当の理由です。
ここに大義名分は無いというのが私の考えです。

この影で女性は虐げられ、
女性たちは犠牲者としてなす術なかったと逃げるなら、
これが男性原理の反対側の女性原理になってしまいます。
そうではない視点がこの夢にあるというのがこの記事の趣旨です。
どうぞお付き合いください。

DSC01922.jpeg
(写真は9月11日の曼珠沙華です。今は満開を過ぎています。)

夢の専門家が考えると、
この夢主の夢も夢主の夢見を育てているはずです。
夢に取り組むことで夢が本人の人格を育てます。
今までの夢の通りに歌詞そのものを考えるだけでは足りなくなります。
どんな夢も擬装工作は微に入り細を穿つもので、
その核心に迫るには
この歌が夢の中でどのように歌われているか背景を考えないといけません。
夢主を育てようと、
視点を上げるように夢主に迫るわけです。
そこでこの夢について書いた本人の解説をここにコピペしましょう。

[引用開始]
【またまた夢の話】
私の夢(の神様)が全集中で語りかけてくる時、必ず「音楽」を使います。
私の夢(の神様)の十八番であり、私の夢の真骨頂でもあります。
自分で言うのも何ですが。
まさに数日前(9月7日)、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」を熱唱する、という夢を見ました。
ドラマ好きな団塊世代の親を持つ方は、よくよくご存知でありましょう。「火曜サスペンス劇場」の初代エンディングテーマで、日本のトップシンガーとも言える岩崎宏美さんの持ち歌です。
私が見る音楽の夢は、歌の歌詞そのものが夢からのメッセージになっています。
とにかくパワフルな夢なので、内容を忘れることがありません。
この手の夢のシチュエーションの多くは、歌手のご本人が歌っている音声だけが流れてくるか、私がライブ会場で観客として見聞きしているかの、どちらかなのですが、今回は、私自身が歌っています。
歌う夢はこれまでに何度も見ていますが、私自身が歌うことで、メッセージを身体中に叩き込まれているのだなと、改めて気づきました。尚且つ、それが、私の未来への宣言でもある、ということだったりします。
・・・いや、しかし。今回。
目覚めた直後は「あー、気持ちよかった〜。私、歌ってたわ〜。めっちゃうまく歌えたわ〜。『さあ、眠りなさい。疲れ切った身体を〜♪』の『を』の音程気持ちいいわ〜」と快楽の嵐で大満足していたんですけども。
落ち着いて、静かな気持ちになった途端、鳥肌が立ちました。
だって、この歌、スゲー壮大なんですよ!!!
ぜひ、歌ってみてください。特に女性の方。
ていうか、曲のタイトルから既に神!
この歌、子供の頃から知っていたし、歌えるし。
でも、こんなにしっかり歌詞を読んだのは初めてで。
しかも、私が歌っている場所は、映画化された「僕らの七日間戦争」の舞台のような廃工場。
で。
この夢をどう解釈したかというと。
廃工場は今の社会そのもの、これまでの社会の在り方そのものと表現すべきでしょうか。
もう、コロナ前の生活様式や価値観は戻ってこないって事でしょうね。(これはまあ、どこでも言われていることですね。)
そして、この夢を見た私はもちろん、全ての女性が、聖母(マドンナ)として、この歌の歌詞にあるように愛する必要がある。命を差し出せるくらいの器?気概?を持って。家族・友人・知人・隣人を、自然を、生きとし生けるものを、ウィルスさえも、愛する器を持つ。何かの本で「光で抱き参らせる」という表現があったのを思い出して、そういうイメージがピッタリです。
女性が、本来の器の大きさを取り戻して、新しい社会を作っていくのでしょうか。願わくば、私もその一助となりたい。ウキウキワクワク楽しいと感じる方法で。
聖母(マドンナ)たちのララバイの旋律は、元になった曲があるそうです。アメリカのとある映画のために作られました。その映画は、原子力空母関連のもの。そんなバックボーンを持つこの歌、原発や核についても、何か意味を持つのでしょうか。

更に自己満足雑感。
人にはそれぞれのペースがあって、それぞれに成長する。誰かが簡単にできることが、私には難問だったり、その逆も然り。だから、誰かと比べて優劣をつけることは全く無意味だし、人の感情や気持ちは一般化してはならない。
夢の研究は、それを徹底的に教えてくれました。
幼少期からずっと私の隣で寄り添ってくれる色濃い夢を、2011年から学び研究し、ちょっとした年月が経ちました。研究の始まりは「クマのぬいぐるみに綿を詰める夢」で、母性のボの字も持ち合わせていなかった私が、こんな歌を夢の中で歌うようになったのだと感慨深い(自己満足)。
道中、特に忘れられないのは「長い水の道を、3歳くらいの小さなの女の子が、私に向かって真っ直ぐに、あっぷあっぷしながら泳いでくる夢」。この夢がなかったら、私は娘を腕に抱くことはなかっただろうと思います。出産を決めた夢。と言っても、この夢を見た時点では妊活すらしていなかったのですが。
娘の乳児時期の、なんだかよく分からない焦燥感の中では(いやあれは、産後うつだね)、「80歳の老婆は現役サーファー」と言う夢に大きく救われました。今改めてこの夢を考えるに、これからの時代は本当に80代が現役と呼ばれる時代になるのかもしれない。娘も何かと「120歳まで生きようね」と言ってくるし。
娘が夢の話を語れる年齢になり、娘の夢を聞けば聞くほど「魂を磨く同士」であることを感じ、お母さんだけれど、先に生まれただけのリーダーのような気持ち。でも、私に「愛すること」を教えてくれた娘の存在のお陰で、今はちょっとわかる気がしている。
[引用終わり]

夢というものは誰のものであっても、
その夢が気に入れば自分の夢にして構いません。
この夢を私は相当に気に入っているので、
自分の夢として解釈しようと思っています。
昔北条政子は妹の夢を反物二反で買いましたが・・・・・・・
いまどき夢の本質が分かれば代金は無用と思っています。
それでこの記事を書いています。
どうぞみなさまも同じようにされてください。
共に女性の時代を作って行きましょう。
そういう話をしたいのです。

とはいえ、この話長くなりそうなので次回に続けます。
仕上がりがいつになるか約束できませんが。

DSC01926.jpeg
(これも11日の写真です。
先月いただいたホーリーバジルを長雨のなかさし芽しました。
今はもっと大きく育っています。)



posted by バンナイ at 15:05 | 夢のメッセージの取り方
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