画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite
天の鳥船庵だより

2021年12月08日

わたしをからかう誕生日の夢



DSC02018.jpeg
(去年の傘寿に頂いた胡蝶蘭が花をつけてくれました)

年明けてすぐの養成講座ケース研究のためのクライアント、
及びオンライン講座受講生募集しています。

天の鳥船庵夢療法家養成講座第19期 ケース研究のためのクライアント募集
http://dream-info.sblo.jp/article/189119780.html

オンライン夢療法講座第3期[2021年1月6日〜6月16日]受講生募集
http://dream-info.sblo.jp/article/189122406.html?fbclid=IwAR2gssbX70_N1oKuqrqJGjvaDoCy1IOWTVuYQK7bOtM1mPZuVAHQaKxF5FU

初夢会も募集中です。
http://dream-info.sblo.jp/article/189152103.html


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

「わたしをからかう誕生日の夢」

今年の誕生日の朝見た夢です。

夢の題:火種を水で消す
夢本体:
【日本家屋の座敷にいる。
壁から火が上がる。
あわてて水をかけて火を消す。
畳から火がでる。
また水をかけて消す。
最初に気づいたのは机の上だったか?
そばに夫がいる感じがする。】

この夢を、
まどろみから醒めながら思い出すのは、
ちょっと辛かったです。
これまで誕生日を毎年欠かすことなく祝ってこられたわけでもなく、
さりとて自慢できるほどの不幸に見舞われた訳でもありません。
とはいえ、ここらでちょっとほっとしたい気分になって、
穏やかな夢でも見られたらいいなと、
微かな望みもあったのに・・・・・
家の中で火の手が上がるとは!
火の手が上がっているとは、
「わたしは怒っている」と知らされているのですから。


DSC02017.jpeg


この人生、
ここに来るまで何かしら「炎」のつく症状に悩まされ続けてきたので、
自分では怒っていることに気づかなくても、
症状が怒りを抱えていることを知らせてくれます。

目覚めは良くなかったけれど、
この夢を思い出してふとあることに気付きました。
これまでも火が燃え上がる夢は何度か見ていましたが、
今回は火の手は上がっても、
それを一つ一つ消しているではありませんか。
「あらこれって、夢の神さまからのお誕生日祝いかもしれない」と思えたのです。
あぁ、これならもう「炎」のつく症状も軽くなるだろう。
悩みも遠のくだろうと気づいたのです。


DSC02044.jpeg


この2、3日前でした。
何気に夫と話をしていて、
「わたしイライラしている」と思ったのです。
へ〜と思いました。
自分がイラついているとはっきり意識できたのです。

そのとき何がそうさせたか思い出せませんが、
長い結婚生活で夫に通じないことは山ほどあります。
それも生きる上でわたしが大切と思うことごとくが彼には通じません。
結婚生活が魂磨きというのはこのことだと重々承知していても、
わたしの考えや拠り所にしている信念信条を逆撫でしてきます。
彼には彼の考えがあり、
彼のペースがあるのだ、
そこを理解しなくてはいけない。
ここは忍耐だ!
よくよく自分に言い聞かせてきたつもりです。
でも、これは表向きで、
実際のわたしの我は、
想いの通じない夫に反発を繰り返してきたようです。
それで「炎」の付く症状に悩まされ、
自分の心の持ち様が忍耐や寛容ではなく、
怒りで対処していると、
その症状が教えてくれたのでした。


DSC02039.jpeg


それが誕生日の2、3日前、静かに、
わたし怒っているなと自分の心模様を眺めていられる自分に気づきました。
ここまでくるのに長い年月を費やしました。

さて、いま白洲正子の「明恵上人」を読み返している最中です。
白州正子の明恵解釈は秀逸です。
目についた部分を本から要約すると、
13にして、『すでに年老いたり』と考えた明恵は、
肉体があるから、煩悩や苦悩も生ずるのだ、
いっそのこと死んでしまった方がいいと、
ある日狼に喰われようと墓場に行って夜を明かしたそうです。
すぐに山犬は現れて傍に捨てられた死骸は喰ったが、
明恵の身体はかぎまわっただけで喰われなかったとのこと。

それで13歳の明恵は狼の餌になるのは諦めたようですが、
16歳の時の夢が、
【狼が二匹現れて、自分を喰いたそうにした。
これこそ望むところと思い、
「此方へ来て存分に食べるが良い」というと、
傍へよって自分の身体を喰べはじめた。
『苦痛タエガタケレドモ、我ガナスベキ所ノ所作ナリト思ヒテ』我慢している内に、全部喰べ終
えた】とみるや、全身汗にまみれて夢が醒めたとのこと。

この夢の話は上人の弟子が書き留めた行状記にあるようで、
そこには、
「上人後ニ語ツテ云ク、
此夢ハ覚時ニ好楽トコロ夢中ニテナシシ試也」とあります。
これをわたし流に言い換えれば、
「日夜自分の望むところを夢で試しにやってみた」ということのようです。
つまり願ったことを夢で実現したということです。

この明恵上人の解釈は、
願望充足の夢と自らを諭し、
述懐しているところはなんとも美事としか言いようがありません。
中世の仏教界には現代に劣らぬ確かな夢への理解があったようです。

白州正子に言わせると、
「フロイドのようなことをいっていますが、
一旦自分が志したことは、
たとえ夢の中ででも、
実現せずには置かなかったのです。」と、
この言葉も美事です。

一般的には願望充足の夢は「安易さ」を表します。
この明恵の夢も願望充足なので、
煩悩をなくすには死ねばいいと、
短絡的に考える安易さに気付いて得た戒めに話は行っているけれど、
夢の中でさえ生きて喰われる痛さを堪えながら、
肉体が狼の胃袋に消えて自分の身体が消滅していくのを、
意識に力を込めて見続けている意志力には感心します。

さて、わたしの火の夢も願望充足の一つですと言いたいところですが、
何故明恵上人の夢とここで並べたかの理由をお話ししましょう。
明恵上人は死しても意識は変わらないということを夢の中で体験しました。
肉体は切り刻まれ形がなくなって、
喰べ尽くされたことを感覚と目で確かめられています。
つまり夢の中で五感は働きます。
更に意識の目は健全で正確に機能していることを知りました。
この意識の目が大切なのだ、究極なのだと、
16歳の修行僧が覚ったかどうかはわかりませんが、
それに近い納得を得られただろうと思います。

だから生きることこそが大切だと覚ったのでしょう。
この夢があるから彼の常に言っていた、
「あるべきようは」という心情になったのだと思います。

つまりわたしが言いたいことは、
夢が霊性のあり方を教示してくるということです。
表面的な願望充足というところに目を向けるのではなく、
意思が意識を生み、
その意識が意志を決定し、
この意志が現象を起こすのだと、
この夢が示唆しているとしたら、
私たちの意思を持った情熱はなんと美しいことでしょう。

わたしの火の夢に戻ると、
この夢で教えられたことは、
自分の怒りに意識的であろうと心掛けるようにということです。
そして今それができるということです。
心に浮かぶ情動に意識的であれば、
そこには意思があり、
意思が感情を教えてくれて意志を向ける方向が分かります。

わたしたちは本来意識だけの存在だと、
この二つの夢が教えてくれているように思います。


DSC02035.jpeg







posted by バンナイ at 17:07 | 夢のメッセージの取り方

2021年09月27日

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」考 その2



DSC01932 (1).jpeg
(坂内和則画)


では、夢主を差し置いてですが、夢本体です。
この話の展開は、
夢の解き方からお話ししないと訳がわからないと思うのです。
夢主さんご了承ください。

夢本体:
【「ぼくらの7日間戦争」という漫画の映画にでてきた廃工場が舞台で、
人がいっぱい(20人位)いて、
その中でわたしが「マドンナたちのララバイ」を勝手に歌う。
(人それぞれ好きなことをしている。)】

夢は背景が大事です。
場所は「ぼくらの7日間戦争」の廃工場。
この物語は中学生が大人の管理教育に反旗を翻す冒険ものですが、
原作は1985年4月に発行された宗田理の書き下ろし小説だそうです。
「60年安保」、「70年安保」に反対する若者の熱は、
形を変えて消えることなく、
今の社会に一石を投じるというのが
この夢の趣旨のように思います。
1980年代は平和運動も学園闘争も影を潜め、
以後今日まではっきりした政治体制への抗議は見ることがありません。
「そこで・・・」というのがこの夢の主旨です。
「そこであなたはどうする?」
「ここまで来た。もちろん自分の思いを歌うよね?」
夢の問いかけは私たちの主体性を問うています。
『勝手に歌う』ということがとても大切です。

これで夢の概略を語ってしまった気分ですが、
お読みくださっている方にはさっぱり訳がわからないでしょうか。

さて、夢の中で主体的に行動するのは、
相当にエネルギーがいるものです。
ましてや歌を思い切り歌うなんて普通はできません。
この夢主だって初めての経験でしょう。
だからこの夢がこの夢主を育てているのだと思います。
そればかりではなく多くの人にこの夢が必要だと思うのです。
誰の反応も気にせず自分が気持ち良いことをする。
この夢の真意が分からなくても
これからの時代を生きるにはぜひとも必要な心構えです。

ではここで「マドンナたちのララバイ」の背景を考えてみましょう。
ここからは私見です。
この夢を私の夢として解釈します。
元々の夢主からすると迷惑かもしれないし、
とんでも無いという内容になるかもしれません。
ということで、あらかじめお断りしておきます。
これからお話しすることはある意味ファンタジーや、
作り話としてお読みください。
けれど夢からメッセージを受け取るための基本は押さえています。
その辺は厳密に作業しているつもりです。

まず夢を思い出したら考え深くその意味を探索する必要があります。
その探索は科学的で無いといけません。
論理に矛盾があってはいけないのです。
最終的に出した結論が、
どの場面から見ても重層的に真理に光が当たっていると
思えなければいけません。
夢のメッセージは擬装工作にまみれその姿を容易に表してはくれません。
そこで隠された意図を見つけるためにこの歌の背景を考えます。
そこでウィキペディアで調べてみました。
作詞は山川啓介。作曲は木森敏之とjohn scottとのことです。
なぜ40年も前の日本の歌謡曲に作曲家がふたりなのでしょう。
そこには複雑な問題がありそうです。

1980年のアメリカ映画「ファイナル・カウントダウン」の
劇中音楽「ミスター&ミセスタイドマン」を作曲したJohn Scottから、
「聖母たちのララバイ」のメロディが
自作と酷似している旨の抗議が届き、
作曲者木森敏之もこれが盗用であったことを認め、
二人の名前を表記することとなったようです。
この歌は1981年9月に開始した
日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の
初代エンディングテーマだったとのことです。

つまり夢そのものの流れからすると
元歌の「ファイナル・カウントダウン」が意味を持つことになります。
そこで映画「ファイナル・カウントダウン」を調べてみました。
ウィキペディアからその粗筋を見てみましょう。

引用始め―1980年、中部太平洋で行われる軍事演習に参加するべくハワイ沖を航行中原子力攻撃空母ニミッツは、突如奇妙な竜巻の襲来を受け、真珠湾へ引き返そうとするが、そのまま呑み込まれてしまう。
しばらくして嵐は収まったものの、「随伴していた駆逐艦が行方不明」「無線にどこからも応答がない」「奇妙な無線通信とラジオ番組の受信」などの異常な事態を認識した艦長は、緊急警戒態勢を発令すると共に、真珠湾への偵察機を発進させる。また、ニミッツに近づく飛行機をレーダーによって発見し、調査のためにF-14トムキャットを発進させる。パイロットが目視したその飛行機は、なんとプロペラ飛行する旧日本軍の零戦であった。
偵察機が持ち帰った真珠湾の写真に整然と写るかつての主力戦艦群、奇妙な無線とラジオ番組、そして零戦の出現。それらの情報から推理を重ねたニミッツの搭乗員たちは、タイムスリップしたことを悟り、今が1941年12月6日、つまり真珠湾攻撃の前日であることを理解して、歴史に介入して日本軍を撃退するか否かを迫られる(日本の作戦を失敗させればタイムパラドックスが起きてしまう)。―引用終わり

これを読んで、元歌が「廃工場」と繋がりがあるのがわかります。
二度の大戦と原子力爆弾に続く平和運動への布石があります。

「マドンナたちのララバイ」は、
映画「ファイナル・カウントダウン」で発表された
「ミスター&ミセスタイドマン」の盗作だということでしたが、
これがこの映画題名そのものの
「ファイナル・カウントダウン」という曲に繋げてくれます。
これは1980年代のハードロックグループ
「ヨーロッパ」の持ち歌ということでした。
その歌詞がこの夢に意味を持たせてくれます。
SNSから重要なところ
https://lmbeat.blog.fc2.com/blog-entry-70.html)を抜粋しました。
歌詞の部分は『 』で区別しました。

『We're leaving together
But still it's farewell
And maybe we'll come back
To earth, who can tell?
僕らは旅立つ
これでお別れだ
再び地球に戻るか
それは誰にもわからない』

そして更に重要なところは、

『We're heading for Venus
and still we stand tall
'Cause maybe they've seen us
and welcome us all, yea
僕らは金星へ向かう
確固たる信念を持って
金星人たちは
僕らを知っていて
歓迎してくれるだろう』

の部分です。
拙訳が贔屓目かもしれませんが。

『With so many light years to go
and things to be found
(To be found)
I'm sure that we all miss her so
何光年もの道のりを経て
いろいろと気づくのさ
(気づくのさ)
そのとき僕らは
地球を懐かしく思うだろう

It's the final countdown
これがファイナル・カウントダウン』


「ファイナル・カウントダウン」の歌詞を勝手に翻訳してみました。
最後の言葉ファイナル・カウントダウンは繰り返します。
つまりこの歌が言いたいのは、
今が飛び立ちの時だというのです。
今は決意の時です。
ことは終わりに近づいているのです。

この夢の始まりは映画「ぼくらの7日間戦争」の廃工場です。
夢主本人が書いているように、
「廃工場は今の社会そのもの、これまでの社会の在り方そのもの」。

この9月7日の夢が今日の現状と啓示を伝えています。
コロナ禍のこの最中、
ここから出ようとこの歌は言います。
そのための方法をここから読み取って欲しいようです。

ここで何故「金星」なのかを説明すると、
「ヴァリアント・ソーという金星人が、
1957年当時の国防長官であったニール・H・マッケロイと会い、
さらにアイゼンハワー大統領とニクソン副大統領と会談した。(https://tocana.jp/2020/12/post_188415_entry.html)」
というニュースがあります。

更に1950年代初期に
アダムスキーが空飛ぶ円盤に遭遇したという主張が、
マスコミを騒がせました。
彼が会った宇宙人は金星人で、
核実験への懸念をアダムスキーに伝えたということです。

アダムスキーの話もヴァリアント・ソーの話も
当時は眉唾物としか受け取られない風潮でした。

ここに記事の一部をコピペします
https://sunrise-country.blogspot.com/2017/05/blog-post_27.html
「1954年2月20日、カリフォルニアのエドワード空軍基地にてアイゼンハワー大統領はプレアディアン及びアシュターコマンドの代表と会見を行った。
アシュタール・コマンドはすべての核兵器の破棄を条件として先進技術と人類の霊的進化への協力を申し出た。
しかし、アイゼンハワーはネガティブ・ミリタリーによって圧力をかけられ、ポジティブETとの協約を拒否させられた。」

当時はETとの接触は早すぎて、
地球人にはそのための心の準備ができていないということもありますが、
闇の勢力の欲の前に屈したアイゼンハワーであり、
ニクソンであったのかもしれません。

この短い夢の背後には、
戦争の影があり、核の脅威があります。
原子力攻撃空母ニミッツという言葉は当時の日本人にとって、
どれほど神経を尖らす存在だったでしょう。
第二次世界大戦は広島と長崎の核爆撃で終わりました。
これがこの地球の核による戦争の終わりです。
核爆弾は以後使えないのです。
これは有機体にして霊格高い地球の意志だと私は考えています。
だから闇の勢力は核を使えずにウイルス兵器を持ち出して、
第三次世界大戦に打って出ました。

このウイルス作戦は私達庶民にとって、
却って組みし易いのかもしれません。
第二次世界大戦の死者数は8500万人だそうで、
コロナウイルスによる世界中の死者数は、
2021年7月1日現在455万人だそうです。
この計画を立てたものにとっては割りの合わない仕事になっています。
庶民は裏の計画に気付いています。

さて、この夢のお陰で1980年と1941年と2021年が一つになりました。
この時間のつながりと現状をバックに、
最早小さな地球の出来事の中に自分を埋没させるだけではなく、
金星に向かって飛び出そうとしている私たちの心の中には、
コロナにばかり心を奪われたままでいるのではなく、
量子力学的にこの現象を捉え、
自分の思いを大声で歌い上げたいという思いでいっぱいです。

いままでのように現状を動かしている者に戦いを挑んでも変わりません。
視点を上げ、視野を広げましょう。
宇宙にその姿を誇り高く活動している地球という聖霊に対し、
私たちはその優しさに気づくことも気遣うこともありませんでした。
この現状から一旦出ましょう。
金星人たちの提案を受け入れましょう。

ここまで「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の背景を考察してきて、
ここで歌詞に戻りましょう。
いまならこの歌を心置きなく歌える気分ではありませんか。
あなたがマドンナになって、
目の前の男性を全身全霊で受け止めるのではありません。
あなたは、
あなたがこれまで男性原理で出来上がった社会に、
果敢に適応してきた自分の男性性に批判の目を向けるのではなく、
それを抱きしめ、
その自分に優しく、
もう頑張ることはない、
この歌詞の最後にあるように、
『今は 心の痛みをぬぐって
小さな子供の昔に帰って
熱い胸に 甘えて』
と言えるのです。

今はその自分を飛び出し、
宇宙の仲間と協力して、
やがて美しい次元上昇した地球に戻りましょう。

その時は今までの知っている地球では無いかもしれません。
けれど今がその決意の時・飛び立ちの時です。

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」の夢から
わたしが読んだ結論です。

この夢のメッセージの一貫性は見事だと思いました。

メッセージ性がある夢の奥は壮大です。
夢を通してわたしたちは一つに繋がっています。
そのわたしたちひとりひとりが個として壮大なのです。
それを教えてくれる夢でした。
夢の真価がこれで少しでもお分かりいただけるといいのですが。

最後に蛇足です。
この夢主さん。
企業戦士の過去をお持ちです。
企業戦士の過去があるから、
いまの気付きがあります。






posted by バンナイ at 16:07 | 夢のメッセージの取り方

2021年09月20日

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」考 その1


DSC01918.jpeg
(屋根の上に珍しく磯ヒヨドリが!メスがオスにモーションをかけています。
左がメスで、右がオスです。美しい声で大事なことを告げてくれます。)

先々週の土曜(11日)のオープンクラスで、
「マドンナたちのララバイ」を夢の中で歌うという話がでました。

この方の夢には節目節目で歌が出てきます。
いままでは歌詞そのものがメッセージだったので分かり易かったです。

今回はマドンナ(聖母)ですからちょっと緊張したようでした。
歌詞の出だしが、

【さあ 眠りなさい
疲れ切った体を投げ出して
青いそのまぶたを
唇でそっと ふさぎましょう】

これは、
女性が、自分の夫または恋人の男性に向けて、
「生き馬の目を抜く社会で頑張るあなた
いまは私の胸の中でゆっくりおやすみなさい」という意味でしょう。

しかし今の女性にとってこの歌詞を、
額面通りに受け取ったら辛いかもしれません。
現在男性も辛いでしょうが、
同じように女性だって辛いのです。
1982年にリリースされた当時の意味と今では大幅に違うはずです。
そしてもう一つどうしても考えなければならないのは、
女性の時代の女性のあり方です。
このマドンナ像がそれを示しているとはとても考えられません。
これでは男性原理のその反対側になってしまいます。
そうなると女性原理の時代が次元上昇に成って行きません。

それにコロナ禍も1年と9ヶ月になりました。
収束の兆しは見えません。
このウイルス騒ぎは諸説あるものの、
男性原理の最たる姿です。
利益を集中させて人減らしを図っています。
この説は今に始まったことではなく、
二度の大戦が起きた本当の理由です。
ここに大義名分は無いというのが私の考えです。

この影で女性は虐げられ、
女性たちは犠牲者としてなす術なかったと逃げるなら、
これが男性原理の反対側の女性原理になってしまいます。
そうではない視点がこの夢にあるというのがこの記事の趣旨です。
どうぞお付き合いください。

DSC01922.jpeg
(写真は9月11日の曼珠沙華です。今は満開を過ぎています。)

夢の専門家が考えると、
この夢主の夢も夢主の夢見を育てているはずです。
夢に取り組むことで夢が本人の人格を育てます。
今までの夢の通りに歌詞そのものを考えるだけでは足りなくなります。
どんな夢も擬装工作は微に入り細を穿つもので、
その核心に迫るには
この歌が夢の中でどのように歌われているか背景を考えないといけません。
夢主を育てようと、
視点を上げるように夢主に迫るわけです。
そこでこの夢について書いた本人の解説をここにコピペしましょう。

[引用開始]
【またまた夢の話】
私の夢(の神様)が全集中で語りかけてくる時、必ず「音楽」を使います。
私の夢(の神様)の十八番であり、私の夢の真骨頂でもあります。
自分で言うのも何ですが。
まさに数日前(9月7日)、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」を熱唱する、という夢を見ました。
ドラマ好きな団塊世代の親を持つ方は、よくよくご存知でありましょう。「火曜サスペンス劇場」の初代エンディングテーマで、日本のトップシンガーとも言える岩崎宏美さんの持ち歌です。
私が見る音楽の夢は、歌の歌詞そのものが夢からのメッセージになっています。
とにかくパワフルな夢なので、内容を忘れることがありません。
この手の夢のシチュエーションの多くは、歌手のご本人が歌っている音声だけが流れてくるか、私がライブ会場で観客として見聞きしているかの、どちらかなのですが、今回は、私自身が歌っています。
歌う夢はこれまでに何度も見ていますが、私自身が歌うことで、メッセージを身体中に叩き込まれているのだなと、改めて気づきました。尚且つ、それが、私の未来への宣言でもある、ということだったりします。
・・・いや、しかし。今回。
目覚めた直後は「あー、気持ちよかった〜。私、歌ってたわ〜。めっちゃうまく歌えたわ〜。『さあ、眠りなさい。疲れ切った身体を〜♪』の『を』の音程気持ちいいわ〜」と快楽の嵐で大満足していたんですけども。
落ち着いて、静かな気持ちになった途端、鳥肌が立ちました。
だって、この歌、スゲー壮大なんですよ!!!
ぜひ、歌ってみてください。特に女性の方。
ていうか、曲のタイトルから既に神!
この歌、子供の頃から知っていたし、歌えるし。
でも、こんなにしっかり歌詞を読んだのは初めてで。
しかも、私が歌っている場所は、映画化された「僕らの七日間戦争」の舞台のような廃工場。
で。
この夢をどう解釈したかというと。
廃工場は今の社会そのもの、これまでの社会の在り方そのものと表現すべきでしょうか。
もう、コロナ前の生活様式や価値観は戻ってこないって事でしょうね。(これはまあ、どこでも言われていることですね。)
そして、この夢を見た私はもちろん、全ての女性が、聖母(マドンナ)として、この歌の歌詞にあるように愛する必要がある。命を差し出せるくらいの器?気概?を持って。家族・友人・知人・隣人を、自然を、生きとし生けるものを、ウィルスさえも、愛する器を持つ。何かの本で「光で抱き参らせる」という表現があったのを思い出して、そういうイメージがピッタリです。
女性が、本来の器の大きさを取り戻して、新しい社会を作っていくのでしょうか。願わくば、私もその一助となりたい。ウキウキワクワク楽しいと感じる方法で。
聖母(マドンナ)たちのララバイの旋律は、元になった曲があるそうです。アメリカのとある映画のために作られました。その映画は、原子力空母関連のもの。そんなバックボーンを持つこの歌、原発や核についても、何か意味を持つのでしょうか。

更に自己満足雑感。
人にはそれぞれのペースがあって、それぞれに成長する。誰かが簡単にできることが、私には難問だったり、その逆も然り。だから、誰かと比べて優劣をつけることは全く無意味だし、人の感情や気持ちは一般化してはならない。
夢の研究は、それを徹底的に教えてくれました。
幼少期からずっと私の隣で寄り添ってくれる色濃い夢を、2011年から学び研究し、ちょっとした年月が経ちました。研究の始まりは「クマのぬいぐるみに綿を詰める夢」で、母性のボの字も持ち合わせていなかった私が、こんな歌を夢の中で歌うようになったのだと感慨深い(自己満足)。
道中、特に忘れられないのは「長い水の道を、3歳くらいの小さなの女の子が、私に向かって真っ直ぐに、あっぷあっぷしながら泳いでくる夢」。この夢がなかったら、私は娘を腕に抱くことはなかっただろうと思います。出産を決めた夢。と言っても、この夢を見た時点では妊活すらしていなかったのですが。
娘の乳児時期の、なんだかよく分からない焦燥感の中では(いやあれは、産後うつだね)、「80歳の老婆は現役サーファー」と言う夢に大きく救われました。今改めてこの夢を考えるに、これからの時代は本当に80代が現役と呼ばれる時代になるのかもしれない。娘も何かと「120歳まで生きようね」と言ってくるし。
娘が夢の話を語れる年齢になり、娘の夢を聞けば聞くほど「魂を磨く同士」であることを感じ、お母さんだけれど、先に生まれただけのリーダーのような気持ち。でも、私に「愛すること」を教えてくれた娘の存在のお陰で、今はちょっとわかる気がしている。
[引用終わり]

夢というものは誰のものであっても、
その夢が気に入れば自分の夢にして構いません。
この夢を私は相当に気に入っているので、
自分の夢として解釈しようと思っています。
昔北条政子は妹の夢を反物二反で買いましたが・・・・・・・
いまどき夢の本質が分かれば代金は無用と思っています。
それでこの記事を書いています。
どうぞみなさまも同じようにされてください。
共に女性の時代を作って行きましょう。
そういう話をしたいのです。

とはいえ、この話長くなりそうなので次回に続けます。
仕上がりがいつになるか約束できませんが。

DSC01926.jpeg
(これも11日の写真です。
先月いただいたホーリーバジルを長雨のなかさし芽しました。
今はもっと大きく育っています。)



posted by バンナイ at 15:05 | 夢のメッセージの取り方

2020年01月29日

閉経後の女性の創造性を教える夢



DSCN0066.jpg
(坂内和則画)

閉経を迎える女性の夢です。
この閉経を人生の実りに向けて切り開けるかどうか、
ターニングポイントにいるのだろうと思います。

あまりに今年らしい夢なので、
夢主に許可をいただき記事にしています。
今年からはやりたいことをやりましょう。

2020年1月28日早朝のメールです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
12月のクリスマス頃、生理がくる予定が来ず、
年末、
【床の血を白いタオルで拭き取っています。
その血がなぜか自分の生理の血だと分かっています。
白衣の女医さんが3人ほど現れて、
一人が「そろそろ生理が終わるようだ」と言います。】

今年48歳になるし、そういう時期ではあるものの、
夢で言われるなんて驚きました。

で、3週間以上生理がなかったのですが、
本当にこれで終了?もう少しありそうな気がする…と思っていたら、
生理が来た夢を見ました。
【ブルーの高機能っぽいナプキンを使っています。】

そして実際、その2日後に生理が来ました。
この時は驚いたというより、
「やっぱり」という感覚でした。

(夢主注:夢のブルーのナプキンは、
中央が丸く盛り上がっていて
中にブルーのゲル状のものが仕込まれているようで
見たことのないものです。
普段はオーガニックコットンの紙ナプキンを使っています。)

(著者注:【 】の中は夢本体です。)

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

女性にとって初潮が始まってから閉経になるまで、
毎月やってくる身体のケアは、
心のケアとひとつです。

女性が女性としての身体を受け入れることは、
自分の霊性を扱う基本になります。
毎月の手当てをどんな気持ちで迎えられるか、
それが自分の霊性を育てる気概と直結しています。

時に月経の処理はうっとうしいものです。
自分が霊的存在だということを鬱陶しく思ってしまうのと同じです。

それが、「そろそろこの手入れも終わりになるかもしれない」と、
思うようになると、
女性の自分が愛おしく、
女性の身体とともにある自分を、
逆に受け入れやすくもなっていきます。
とはいえ、そこに更年期も入り、
一筋縄では言い表せない感情を抱えながらですから、
女性の身体を受け入れやすいとは言え、
心中複雑です。

それでも、当たり前だった毎月の身体の処理がなくなる前ごろから、
身体そのものに愛着を覚えるようになります。
それが女性の体を受け入れやすくなるという意味です。
これが「ではこれからどう生きていこうか」を考えさせる動機になります。

それが40代の後半です。
この夢主の年齢です。
このとき身体の中で、
クンダリーニが自然発生的に上昇します。
普通は7の7倍の年齢、
つまり49歳の頃に起こります。

注意深くいるとこのクンダリーニの上昇を体験できます。
活力が蘇り、
青春の頃のような渇きが満たされていくような感覚を覚えます。

夢に戻ってそこを見ましょう。

【床の血を白いタオルで拭き取っています】

「床」は生活の基盤を表します。
生活費のことなので、
多くは仕事に直結します。
「白いタオル」とは新規の掃除方法でしょうか。
夢主は「床」を新規のやり方で磨く必要があるのでしょう。
仕事への新たな取り組みを示唆しているようです。
月経血を拭き取っているのです。
「月経血」は第2チャクラの創造性を表します。

ひとには第2チャクラと第5チャクラの創造性があります。
第2チャクラは性による創造性、つまり子供を産むことです。
それを拭き取っているのですから、
第2チャクラの創造性は終わりということのようです。
この終わりの作業をちゃんとすれば、
新しい気分で床の上に立てます。
つまり新しい仕事のアイディアを産む準備が整う訳です。
それで、
【女医さんが「そろそろ生理が終わるようだ」と言います】

女医さんは3人います。
この3人が何を表すかと言えば、
身体と心と霊性(霊性を重んじた生き方)に対する
専門的知識を表していると受け取りました。

医療の専門家の言うことですから、
その通りにとりましょう。
この夢主が「まだだ」と思っているとしても、
遅かれ早かれその時は来ます。
どうしてそんなことを夢が言って来るかを言えば、
「閉経への準備をしなさい」と言う意味です。
月経血は第2チャクラの創造性ですが、
人間にはもうひとつ第5チャクラの創造性があります。

この夢の後、
【ブルーの高機能っぽいナプキンを使う】夢を見ます。

第2チャクラはオレンジ色ですが、
第5チャクラは青色です。

「ブルーのナプキン」はNGでしょう。
けれど「ブルー」が夢に出て来ました。
第5チャクラは喉の内分泌腺のことで、
自己表現を表します。
ですから「(高機能っぽい)ナプキン」を必要としません。

夢はからかいを交えて、
閉経後の創造性のあり方を考えるようにと誘っています。
という訳で、
この夢主の第5チャクラの創造性は仕事に関することだと想像できます。

クンダリーニの上昇を待って、
第2チャクラで創造性を発揮できると、
それが妊娠になります。
さらに生命エネルギーであるクンダリーニを第5チャクラまで上げて、
創造性を発揮できれば、
それは天職に成し得ます。

それへの示唆としてこの夢があります。

だから女医さんはそれへの準備を促すために、
「そろそろ生理が終わるようだ」と、
わざわざ夢のなかで言ってくれたのです。

わたし自身このクンダリーニの上昇を経て、
夢の仕事をしています。
女性が閉経後に希望を持って自身を世に問うなら、
それまでの人生とは全く違う創造性豊かな道を見つけられます。

夢がそのことをこれほどあっけらかんと伝えて来ていることに驚愕を覚えます。
これこそ夢の真骨頂。
夢は極め付きの勇気づけです。



posted by バンナイ at 19:54 | 夢のメッセージの取り方

2019年10月18日

5「妹を振り回す」


DSC00526.jpg

養成講座で実施するケース研究のためのクライアントを募集しています。
興味のある方は一度個人セッションをお取りください。
次回の通信講座は来年4月から始めます。
受講をご希望の方は前もってオープンクラスか個人セッションにおいでください。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
下記の記事は、翻訳した「ドリームブック」の付録記事を再度解説しているものです。
実際のわたしの夢日記を半年に渡って解読しています。
いまは絶版なのでそれを再度みなさんにお見せしています。
全部で8回あります。今回は5回目です。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

四つ葉イラスト・5花見(さくら)

【夢本体】6月25日
妹を捕まえて、
両腕を取って振り回す。

「どうしてこんなに言っているのに、あなたはわからないの?」

「さんざん言ってきたのに、どうしてわからないの?」

「どうして行動しないの?」と、

わたしは彼女を振り回す。

【夢のメッセージ】
あなたは自分で気付きながら、
行動していません。
ただ行動に移せばよい、
それだけなのに何もしていません。

【雑感】
妹はわたしの育っていない部分を表しています。
だから夢で妹にイライラしているのです。
これは絵に描いてみてよくわかったことですが、
妹の身体が小さくなっています。
わたしのイライラとあせりは、
コントロール可能なところまで小さくなってきました。

【今思うこと】
ドリームブックに書いた「夢のメッセージ」は、
夢特有の受け取り方で、
自分以外の人物を自分の側面として捉えた内容になっています。

つまるところ、この世では魂の修行をしているので、
「妹はわたしの育っていない部分」と言い切って間違いはありません。
けれどこの短くて分かり易い夢を前にして、
様々な思いが去来します。
特に家族との関係は今生の課題の中心点なので、
楽しいことも辛いことも人間関係の失敗も人生の色濃いドラマが渦を巻いています。
人の優しさを知ったのも家族から。
どうにもならないという人との軋轢も家族だったから。

実際家族との確執はかなりの問題を引き起こしました。
夢の中で言っているセリフは現実私が彼女に言って聞かせたことです。

「なんて馬鹿な自分だったろう」と思います。
相手は姉である私の説教など聞きたくもないのに、
こちらは自己満足で偉そうに叱り飛ばしています。
挙句に自己嫌悪に陥ります。

夢はその度合いが緩くなり、
遊べるようになっている。
つまり、それも遊び心でやりなさいというのです。
相手も自分のありように気づいているし、
私も自分の愚かさに気づいている。

これが何を意味するのかは今となってはよくわかります。

それまでに夢で複数の過去生を知りました。
夢で過去生を知らされる時は、
そのやり残しの課題に立ち向かえる準備ができたときに限ります。
また知らされる過去生は自己憐憫とも自己嫌悪とも無縁です。
ましてや自己バッシングとも無縁です。

前進するために、成長するために、
自分を好きになり、自分を愛せるために有効な知識になります。
わたしに取って「言葉」は殊の外、課題のようで、
説明せずに権力を行使したらしい過去生があるようです。
この偉そうな自分の姿を是正するために、
年してからみなさんの前で講義をし、ワークショップをすることになったのでしょう。

多くの人の前で話をする機会は時に心に濁りを作ります。
いつの間にか人より自分が偉くなってしまうのです。

折角市井の目立たないところに生きるわたしが、
そうあってはならないのです。
この夢を見た年の暮れにワークショップをすることになりました。
ワークショップをすれば、言葉で説明しなければなりません。
言葉に気をつけ、人より自分が偉くならないようにという、
ふたつの戒めがこの夢にはあります。

フロイトの夢解読法にSomething strange を探すという方法があります。
これはどの夢にも絶対変なところがあるからです。
だから夢の中の「ちょっと変!」を探すのです。
さしずめこの夢ではわたしより体格の良い妹を振り回すというところです。
実際は彼女を振り回せません。
夢の中だからできたことです。
それが変なのです。
そのできないことができています。
どうやらできるはずのことが自分で勝手にできないと思い込んでいるようです。
肉体的な話ではなく、
精神的に霊性を駆使したらできると夢はいっているようです。
エドガー・ケイシーの言葉にも、
「人はみんなどこか変なところがある」というのがあるそうです。
ケイシーが言うのは、そこが生きる上での課題を示しているという意味でしょう。
そうなると当然心模様を知らせてくれる夢に「変なところ」がある訳です。
つまり自分の「変!」に気づければ、
課題もわかり靄が少し晴れて、楽になれます。

なかなか含蓄のある夢です。
 


posted by バンナイ at 18:34 | 夢のメッセージの取り方

2019年09月08日

母と自分に別々の弁当を買う


9月14日のオープンクラスは空席あります。
ご興味のある方はお問い合わせください。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

この記事は、翻訳した「ドリームブック」の付録記事を再度解説しているものです。
実際の夢日記を半年に渡って解読しています。
いまは絶版なのでそれを再度みなさんにお見せしています。
全部で8回あります。今回は2回目です。

四つ葉イラスト・2花

DSC00523.jpg

【夢本体】6月18日
母のために弁当を買う。
ご飯ものがひとつしかないので、それを母に。
わたし自身にはサンドウィッチを買う。

【夢のメッセージ】
お母さんの栄養になる行動を、今のあなただからとれるのです。
実行したらどうですか。

【雑感】
前日母の代わりに買い物をしました。
その買い物は取るに足らないことでしたが、夢はもっと深いレベルで、
母とわたしの力関係の変化を示してくれました。
絵からは、
ふたりでよく芝居を観に行ったときに買ったお弁当が思い出されます。
また母が、この頃のわたしに安心しているらしいと、
逆に夢から母の気持ちを教えてもらいました。
ふたりで芝居を観に行ったときのように、
母はわたしと一緒にいることを楽しんでくれています。

【今思うこと】
母との関係を教えてくれる夢は、
人生の大方がこの関係で学ばれることを思えば万感の思いがあります。

この30年近くも前の夢が、
いまのわたしに突きつけてくるものは、
懐かしい思い出もあり、
手放す必要のある悔恨もあります。

夢は最終的に味わうもの。
夢を味わうと、
時に心が波立ち、
荒波が来ても、
その荒波が凪いでいくのを感じるでしょう。

では夢解きの手法をこの夢を使って解説してみましょう。
まず、夢に取り組むのがはじめての方なら、
キーワードを探し、
そのキーワードの霊的意味を探し並べることを勧めます。

キーワードの霊的意味を横並びにして、
そこから夢の意を探り当てることができたら、
夢が伝えたいおおよそがわかります。

とはいえ、ときに夢が伝えたいことがわからない夢もあります。
そんな時は夢の「変なところ」を探します。
これをフロイトは Something strange と言いました。
日本語では「象徴的表現」と訳されています。
日本語に訳すと皆目意味がわからなくなるので、
「Something strange」のままにして、
夢のストーリーのおかしなところを探します。
それが夢の「サムシングストレンジ」です。

今回の夢のおかしなところは、
別々のお弁当を買うところです。
母とは娘の頃歌舞伎座にも、演舞場にも、明治座にも良く行きました。
多分1960年代観劇は晴れがましく贅沢なことだったと思います。
夢のお弁当は劇場で食べた経木箱を思い出させます。
だから大抵は同じお弁当を食べたのだと思います。

という訳で、
「Something strange=おかしなところ」は「別々のお弁当」となります。
ここに大切なメッセージがあると当たりをつけることができます。

もう一度繰り返すと、
キーワードで夢の意味がわからない時は、
このサムシングストレンジを探して、
メッセージを推察します。
今回の場合は「別々のお弁当」がそれに当たります。
母とわたしでは食べるものが違うので、
人生の課題が違うと分かります。

わたしはサンドウィッチを普段食べません。
この夢を食養生への示唆と取るといくらか分かり難くなってしまいますが、
母とわたしでは人生の課題が違うと承知すると、
わたしがお弁当を買うことと合わせて、すんなりと受け取れます。
「買う」は「決意」を表すので、
ふたりの課題は違うのだとわたしが理解し、
そこから自分の人生に取り組まないといけないことがわかります。

ところで「Something strange」の話をしているのに、
「母」と「お弁当」で「連想」が次々に浮かびました。
これもフロイトの夢分析法にあるのですが、
「夢の擬装工作解除法」の最初に「連想」を働かせることで、
夢を解読していく方法があります。
「お弁当」が「観劇」に繋がるなら、
実家の稼業は芝居関係だったので、
観劇は母のテリトリーです。

経木箱に入っていないサンドウィッチは、
母のテリトリーには属しません。

母と娘という極めて濃い人間関係にあって、
ふたりは別々の課題を学んでいるという夢の示唆は、
わたしの心をかなり軽くしてくれました。



posted by バンナイ at 15:03 | 夢のメッセージの取り方

2019年08月07日

「夢は神さまからの最高のシグナル」が3刷になります

8月10日(土)のオープンクラスに空席あります。
お問い合わせください。

DSC00530.jpg

夢辞典「夢は神さまからの最高のシグナル」(コスモ21)が来月3刷になります。
初版は2015年6月10日。
再販が2018年11月15日なので、
時代の目が夢に向いて来たようです。
外側の意見や情報ではない、
自分の中から湧き出るもの、
自分が信頼できるものに伴奏者になってもらいたいと、
多くの人が思うようになったからでしょう。

通販の書評を見ていたら、
「辞書で夢が分かるとは思えない・・・」と疑念を呈されているのを見て、
「ここに証人がいます」と手をあげたくなりました。
「夢は霊性への助言」というところに立てれば、
単語の意味を霊性から見た意味づけで夢を理解することができます。

わたしが夢に興味を持ったのは、
エドガー・ケイシーのリーディングに、
「自分を知るには夢と祈りと瞑想という道具がある」とあったからです。
祈りと瞑想はともかく、
自分を知るには自分の夢を知ることが何より大切と知らされました。

ケイシーが言う夢は、「霊性への助言」です。
自分の夢が自分の霊性のありようを教えてくれているというのです。
このケイシーが教えてくれる夢の意味に衝撃を受けました。
夢という漠としたものに、最高の意義づけをしてくれました。
いままで誰もそのように解説してくれた書物はありませんでした。
心理学で夢を扱ってもそこまでの信頼を置いているとは思えません。

そこでケイシーの夢に関するリーディングを基に書かれた
エリゼ・セクリスト著「夢予知の秘密」を頼りに自分の夢に取り組みました。
機を同じくベティ・ベサーズというケイシーと同じ考えを持つ瞑想の教師が
「ドリームブック」という本を出版していることを知り、この本を翻訳しました。
この翻訳作業をしているうちに自分の夢が少しずつわかるようになりました。
「ドリームブック」これ自体が夢辞典です。
様々な物や事に霊性から見た意味づけをしている辞書になっています。
拙著「夢は神様からの最高のシグナル」も「ドリームブック」を踏襲したものです。
「ドリームブック」の中に多少意味づけに納得できないところがあったので、
それを書き換えました。
しかし大まかに言えば、
全ての事象をこの世の価値観でなく、
あの世の価値観で捉えることができれば、
夢辞典そのものは必要ありません。
とはいえ夢に信を置いていない現代人は、
霊性を取り戻すためにこの手の夢辞典は必要でしょう。 

話を戻して、
翻訳作業に取り掛かったときは、
夢のしつこいまでの「諦めを知らないコーチ」のような助言に、
ずいぶん助けられ、勇気付けられ、
わずか1年のうちに夢療法家として仕事を始めることができました。

また時を同じくして出会った男性と結婚をすることができました。
その内の半年、1991年の後半結婚するまでの夢日記を、
「ドリーム・ブック」の巻末に乗せることができました。
わずか1990年から1991年までの2年間に、
私の人生は大きく変わり、
翻訳本の出版と夢療法家としてのデビューと結婚の三つが、
立て続けに同時進行で叶えられたことになります。

この私の体験が夢辞典でも夢がわかるようになる証拠です。
なんども言いますが、
ここで重要なのは、
夢を霊的言葉と決めて取り組んでいることです。
例えを「逃げる」で挙げれば、
国語の辞書では、
「危険を避けて、相手の力の及ばない所へ去る、また身を隠す。
避けて、不利な情況におちいらないようにする。」ですが、
夢からの意味づけは、
「自分の課題から逃避していること。
逃げてもその課題が追いかけてくるだけ。」となります。
この夢の辛辣さにこちらも受けて立つ気概でいないと、
夢の意味が捉え難くなり、
自己を知る道具として使いこなせなくなります。

夢は「心の糞尿」ではありません。
心理状態そのものを教えてくれるものでもありません。
内在の神、夢の神さまが、
「自分の霊的態度に考え深くなるように示唆を与えてくれるもの」です。

ところで、通販の書評に、
「夢解釈を間違えたらどうする?!」というのもありました。
これもあまり心配しなくても良いとわたしは思っています。
夢は毎晩見るし、
大抵夢を解釈し間違えても、
多くの人は穏便なところで間違えます。
なにせ夢は霊的態度への忠告です。
霊性が発している忠告を習得していなければ、
夢の忠告が変わる訳はないからです。

人はそうそう際立って勇気のいる行動にはでたがらないので、
修正不可能な行動に出ることは考え難いのです。
それほど夢のアドバイスは夢主にとっては、
「勇気のいること」や、
「やりたくないこと」で、
「やれないこと」なのです。

このように夢が提示してくる行動は、
実はとても衝撃的です。
やったこともないことをやれと命令してくるような、
とんでも無いことを提案して来ます。
それで大抵の人は怖気付き足踏みします。
しばらく放っておくとまた同じような結論に行き着く夢を見ます。
そんなことを繰り返し、
重い腰を上げて夢の提案に従って行動に出れば、
なんということなく、スムースとは言えなくても、
あれほど大変大変と思い込んでいたことがいとも簡単に実現していきます。

これが夢を人生に活かす醍醐味です。
清水寺の舞台から飛び降りた覚悟の結果が、
あまりにあっさりうまくいくものだから却って拍子抜けするでしょう。
勇気を出してとった行動の結果が出るまでは、
ハラハラドキドキですが、
長い時間待たされることはありません。
結果が思いの外うまくいくことに味を占めると、
夢の提案を受け入れたらどんなに心豊かな人生になるかを思い知らされます。
自分の能力に限界を設けたのは自分自身なのだと、
正確に自分を反省できます。

時間をかけて夢の忠告を吟味しているとわかることですが、
しつこく夢が同じことを言ってくると、
「自分にはとてもできない。」
「自分には難しすぎる。」
「今の自分は誰より難しい問題に直面させられている。」と、
一瞬自分を悲劇の主人公にしたくなります。

夢辞典を使って夢のことがわかってくると、
逆に勇気が出ない自分に直面させられて、
逃げ場のない状況に立たされていると勘違いします。
本当のところは「やってみればやれます。やってみましょう」と、
優しく言われているだけです。

そしてこの点がとても重要なのですが、
夢が言う問題点や提案の芯には、
人生で取り組む大事な設問が提示されています。
生まれる前に自分が作ったブループリントが、
夢が言う骨子だと分かってきます。

斯くいう私がその体験者です。
そのころわたしは切羽詰まっていました。
夢の言う通りにやってみなければ、
生きた実感もないまま人生が終わってしまう。
気分は戦々恐々でした。
この谷底から出るには、
やっぱり夢の言う通りやってみなければならないと自覚していました。
他人の助言は相手のフィルターによって発せられ、
わたしも気分によって素直になれたりなれなかったりします。
落ち着いて考えてみれば、
夢は闇雲に行動に出なさいと言っているわけではなく、
常に終始一貫したアドバイスを送ってきます。
これこそ夢を信じられる証拠ではないでしょうか。
日を改めて夢のアドバイスが一貫しているかどうかを精査するだけで、
夢のメッセージを間違える訳はないのです。

夢に興味を持つ人は多いですが、
「行動に出なければ何もはじまらない」という助言の前に、
立ち止まる人もまた多いです。
あげくに夢から離れていきます。
行動に出る勇気が出ないのです。
もったいないことです。
自分の課題に理性を働かせることができません。
こうした人は、
夢が言う提案の合理性を理解するまでの大人になりきれないのです。
トラウマに本心を引っかき回され、為す術なく立ち往生します。
多くの人は自分の人生を眺め遣る一人前に成れていないのに、
社会的には自立できているからでしょう。
自分を律する「自律」を得ることはとても難しいようです。
だからこそ夢に取り組む前に、
自分の問題点を洗い出し整理しておく冷静さを持って欲しいと願います。

人生は冒険のためにあり、
自分の責任で生きるために、
この人生を自分で選びました。
なぜ「こんなに苦しい人生なのか?」と言う疑念に、
夢は言います。
「あなたが率先して難しい問題のある人生を選んだだけです」と。
そうなのかと思えれば、
「自分で乗り越えられると生前予想したのだろう」と受け止められます。
ここに立てれば、
夢の提案を受け止められます。
それも夢に信頼されているという喜びを持ってです。

夢に取り組むといろいろなことがわかってきます。
知る必要のある過去生も分かります。
どうしてこの人が親なのかも分かります。
また症状が出る前に問題の衣食住が知らされます。

夢日記は魂の記録簿として自分の成長を振り返ることができ、
これからの自分を作るための資料として使えます。

そんな解説を「ドリーム・ブック」の巻末に乗せることができた夢の実例を、
次回からお見せしたいと思います。
今だから話せる内容もあります。

どうぞ楽しみにお待ちください。



posted by バンナイ at 16:43 | 夢のメッセージの取り方
  • (c) Kazunori Keiko Bannai All Rights Reserved
  • Home