[ 天の鳥船庵だより ブログアーカイブ・2015年1月〜2023年2月 ]

プロフィールに戻る

2022年12月12日

桃太郎伝説と4神獣(4)

10日のオープンクラスのテーマは「性は聖なるもの」でした。
11月のオープンクラスは「現在の医療から未来を創る」でした。
毎回オープンクラスはその時の出席者によってテーマが大きく変わります。
それが楽しみであり喜びです。
そして夢が持つピンポイントの指摘を教えてもらうことになります。
2月4日のオープンクラスの申し込みを受け付けています。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

IMG_0260.jpeg
(12月2日の江島神社)


これは続きものです。以前の記事はこちらをご覧ください。
http://dream-art.sblo.jp/category/4560672-1.html


IMG_0261.jpeg
(奥宮)


桃太郎伝説と4神獣(4)

今回から解説に行きます。
福娘童話集「桃太郎」から本文をお借りしました。

(これから下記の様に本文を✿で囲んで話を進ませます)
✿ むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
  おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。 ✿ 

解説:昔話やお伽噺の主人公の親が、
若く元気発剌なことは滅多にありません。
その代表的な例は旧約聖書の創世記に出てくるアブラハムとサラの夫婦です。
アブラハムが100歳でサラが90歳の時に嫡子イサクが生まれました。
アブラハムの享年は175歳ですから現代の寿命とは違っていても老年です。
イサクの誕生は神の啓示が何度もあっての結果でした。
老いたふたりは自分達に子供ができるとは信じていませんでしたが、
啓示通りにイサクは生まれました。
子供の誕生も人生のあらゆる出来事も、
自分の意思ではなく神の思し召しであることを、
身を持って体験していたのでした。
だから後に生贄にイサクを差し出すようにと神の啓示があれば、
それにも従えるほどアブラハムにとって神への信頼は篤いものだったのです。
自分の意思通りに人生を生きるのではなく、
大いなる力とその意志の前に人生を捧げられる強い信念がある人に、
物語の主人公を任せるのが物語の常道です。
このように桃太郎を育てたおじいさんおばあさんもその例外ではありません。
老いているということは、
人生の艱難辛苦を経験しているということと同義語です。
そして我を生きるのではなく思し召しを生きるという姿勢を保てる人が、
主人公の養育にあたります。


IMG_0266.jpeg
(何日か前の天使の梯子)


だから子供を育てる者には叡智が欲しいと物語は諭します。
そこで主人公の親を若くせず年寄りに設定します。
子供を育てるには、
「子供自らの魂が願う生き方を読み取れるだけの忍耐力を持った人物」であって欲しい
という願いがこの物語にはあります。
親が若いと親の我欲が出て親の意向で育てがちです。
親が理想とする人物像や自分が叶えられなかった方向に子供を誘導しがちです。
そこを踏みとどまり、
まずはその子の特性がどういうものか、
何が好きか、
何に興味を持つか、
何をしているとその子の魂が喜ぶか、
どういう時に素直な反応が見られるか、
これらに時間をかけて観察できる余裕と忍耐が欲しいのです。
子供そのものの魂が何を望んでこの地上に生を受けたのか、
それを掬える力量が欲しいということで、
物語は山に柴刈りをするお爺さんと、
川に洗濯をしに行くおばあさんを桃太郎の教育係にしました。

子育ては奉仕です。
育児はボランティアなのです。
この老夫婦は全編を通して桃太郎に意見を言いません。
それも考えてほしいと昔話は老いた夫婦をその役に当たらせたのでしょう。


IMG_0264.jpeg
(昨日の富士山)


繰り返すと、
子育ては、これから成長していく子供の魂の願いを、
掬い出せる者でなくてはいけないのです。
物語はそこをはっきりさせて老成した者を教育者にします。
物語全編でこの親代わりを務めるおじいさんおばあさんは桃太郎に指示を出しません。
育てる側の我欲を傍に置いて、
子供の特性に注意を払える者こそ親の資格があると物語は言っているようです。
そして育てる者の生き方・生きる姿勢も問題にしています。
このおじいさんとおばあさんは自然と調和して生きています。
おばあさんは川へ洗濯に行きます。
このたった1行を説明するには膨大な文章が必要かもしれません。
わたしたちは近代文明依存型の自然に敵対した形をとった生活をしています。
それとは真逆の生活理念を問われています。
生活の全てを支える水が身近にあって、
日用にすぐに役立つ環境が子育てには必要です。
少なくとも水の大切さや扱いに気を配れる心構えが女性の親の側に必要なのです。
それも飽きずに毎日心と体と身の回りの「洗濯」に励むこと。
それができること。
では男性の親に求められる特性はというと、
「柴刈り作業で生計を立てられる者」です。
「柴刈り」の「柴」とは、山林の中の枯れ枝のことを指します。
昔枯れ木倒木をかき集め、それを街に売り歩いて生計を立てた人がいます。
余談ですが、
以前小学校の庭に建っていた二宮金次郎像は、
この枯れ枝を集めて背負っている姿です。
柴刈りをして生計を立てるお爺さんは、
自然を壊さず自然のお零れ(おこぼれ)で生活をするという心構えの表れです。
いまや絵に描いた餅にもなり得ないほどわたしたちとっては遠い理想の生活かもしれません。
わたしたちは都会に密集して建つビルに寝起きし、
自然の磁場とは遠い生活をしています。
人と人が触れ合う距離は近すぎて、
それとは反比例するように人と人の心が触れ合う距離は遠くなりました。 ―つづくー


IMG_0270.jpeg
(12月12日の富士山)


posted by 天の鳥船庵 at 17:59 | 桃太郎伝説と4神獣

2022年10月30日

桃太郎伝説と4神獣(3)


11月12日と12月10日のオープンクラスに空席あります。
ご興味のおありの方はご連絡ください。


IMG_0228.jpeg
(1週間ほど前急に寒くなった日。前日まで富士山に冠雪は見られませんでした。)


この話は、大変遅くなりましたが、
「桃太郎伝説と4神獣(2)」http://dream-art.sblo.jp/category/4560672-1.html
の続きです。


では、昔話「桃太郎」の解説をはじめる前に、
何故「桃太郎」なのかを考えましょう。
「太郎」という男性名の前に「桃」が付いているその理由を考えないと、
考察は片手落ちだと気付きました。
そこでまずは「桃」の意味を考えます。

「桃」で日本人が最初に思い浮かべるのは「桃の節句」でしょうか。
「桃の節句」は「ひな祭り」の別名で、
今では女の子が3歳を迎えることができたお祝いです。
陰暦3月3日には桃の花が咲くことから「桃の節句」と名前がつけられました。
「節句」は古代中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦で、
その内の5つを江戸幕府が公的な行事・祝日として定めました。
それが人日(じんじつ)、上巳(じょうし)、端午(たんご)、
七夕(しちせき)、重陽(ちょうよう)の五節句です。
人日は1月7日の七草の節句、
上巳は3月3日の桃の節句、
端午は5月5日の菖蒲の節句、
七夕は7月7日の笹の節句・七夕(たなばた)、
重陽は9月9日の菊の節句となります。

後に、3月3日は女の子のお祝い日となり、
5月5日は男の子のお祝い日になりました。
ここで話題にする「桃太郎」という男の子の名前に、
「桃」が使われているのは何か深い意味があるはずです。
漢字「桃」の「兆」は象形文字で左右二つに離れるさまを表します。
つまり「木」+「兆」で実が2つに割れる木を意味します。
2つに割れることはめでたい兆しとされ、
「桃」の字が作られたようです。
正に桃の木のことで、
「桃太郎」は桃の木の実から生まれた人としての存在を表しています。
また「兆」は「きざし」です。
何かが起こるしるしです。
それは「吉兆」なのだという印です。
この地球の要素で造られた、
命の木、その実から生まれた人間が、
この人生で冒険をする。
その意味が「桃太郎」に込められています。
卑近な表現をすれば、
「人生の目的に沿って冒険をしなさい。
そのための人生なのだから叶えられないはずはない」。


IMG_0235.jpeg
(ススキ全盛)


では、ひな祭りが桃の節句と呼ばれるもう一つの理由を考えましょう。
桃の花の季節だから、「桃の節句」。
また桃には百歳(ももとせ)まで生きられるようにという
不老長寿の願いも込められていました。
しかしそれだけではなく、桃には邪気をはらう力があるといわれています。
鬼退治に行くのが「桃太郎」なのもそのためです。
もともと邪気を払う目的の上巳の節句が
「桃の節句」と呼ばれるようになったのも、自然な流れといえるでしょう。
邪気は鬼なのですから。
中国には長く「三柑の実」が吉兆を表すという考え方があります。
「桃・橘・柘榴」の三つの実が縁起の良いものという考え方です。
橘はみかん類を指すようで、橘に限ったものではないようです。
三柑の実である桃とみかんと柘榴の絵は陶磁器にも古くからあり、
女性の美と健康と多産を叶えるものの象徴として尊ばれてきました。
これは土の養分(土の気)を吸い上げ、
太陽の光(火の気)を浴びて、
雨(水の気)を受け、
木(木の気)が成長し、
その木に実った果実こそが豊かさ(金の気)となった証をいいます。
五行説そのものです。

更に「桃源郷」という言葉も中国にあります。
陶淵明(とうえんめい)の「桃花源記(とうかげんき)」に、
ひとりの漁師が桃林の奥に、
戦禍を逃れた者たちが肩寄あって暮らす村を見つけたというお話です。
ここから、「桃源郷=理想郷」という言葉になったという訳です。

そこで最後に「桃」といえば古事記です。

イザナギが黄泉の国に旅立ったイザナミを慕って会いに行きます。
黄泉の国からいざ帰ろうという段になって、
イザナミに「決して振り返らないように」と頼まれたにもかかわらず、
イザナギは好奇心に駆られてイザナミの朽ちた姿を見てしまい、
怒ったイザナミはイザナギを追いかけます。
その時イザナギは桃をイザナミに投げかけ、
無事逃げおおせたという有名な話があります。
ここから桃という果物の栄養成分が、
肉体細胞を活性化するらしいという話を読んだことがあります。


IMG_0238.jpeg
(同じ日の日没)


「桃太郎」の「桃」をざっとみてきて、
一番考えさせられたことは、
「桃」という漢字の成り立ちでした。
桃太郎物語の絵本をみると、
どれも実が二つに割れて仁王立ちしている桃太郎の勇姿が描かれています。
解字そのものが絵になっています。
これは実を割って出てくるもの。
それが一番ということです。
つまり自分の内側から出てくるもの。
それが一番ということです。

さて、和尚(OSHO)の「秘教の心理学」に「夢の心理学」の章があります。
これは夢に取り掛かるととても魅惑的な説で、
理解するのも難しいのですが、
ここに来てやっと和尚を理解するとっかかりを掴めたように思います。
それで和尚にとっての夢を簡潔に言えば、
「私たちには七つの身体がある。
物質体(フィジカル)、精気体(エーテル)、星気体(アストラル)、
精神体(メンタル)、霊体(スピリチュアル)、宇宙体(コズミック)、
涅槃体(ニルヴァーナ)だ。
それぞれの身体には特定のタイプの夢がある。」と、解説しています。
これに沿って七つのボディの夢の解説が続くわけですが、
その中
で、第六の宇宙体の説明に、
「(ここには)真如がある。
いまやなにも実在しないが実在がある。
ものごとはないが、源がある。
木は存在しないが、種子はある。」とあります。
この和尚の言葉と「桃太郎」がわたしの中では結びついたのです。

わたしたちは神の分霊として存在していますが、
常に神と繋がっている存在証明が夢に存在すると和尚は言うのでしょう。
桃がここまで壮大な話になるとは予想しませんでしたが、
ここに辿り着いてみると不思議なことは何もありません。
一時期「桃太郎」は戦意高揚のプロパガンダに使われました。
敵は外にいたのです。
しかし桃太郎の真の戦いは、
自己を知ることの冒険物語です。
敵は外ではなく内にいます。
そこで使える武器は家来の犬と猿と雉子になります。


IMG_0241.jpeg
(伊豆半島の付け根に日が沈んでいきます。)


という訳で、やっとここで次回から物語の解説に入れます。
尚、和尚の「夢の心理学」についていつかわたしなりの解説をしたいと考えています。
ご期待ください。




posted by 天の鳥船庵 at 16:29 | 桃太郎伝説と4神獣

2022年05月04日

桃太郎伝説と4神獣(2)


5月14日のオープンクラスに空席あります。
ご興味のおありの方はご連絡ください。

IMG_0015.jpeg
(胡蝶蘭が元気に返り咲き中)


「桃太郎伝説と4神獣(1)」から随分時間が経ってしまいました。

この考察は現在のコロナ禍状況を抜けるために、
わたしたちがすでに持っている何をどのように使っていけば、
人間本来の霊性を発達させられるのか、
そこを中心に桃太郎伝説を考えようというものです。

そこで基になるお話し「桃太郎」を、
福娘童話集からお借りすることにしました。
子供の時に聞いた物語の流れによく似ていることが最大の理由です。
そして次回からこの話の流れで解説をしていくつもりです。
出典は下記の通りです。
http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/08/01.htm

まずはお話を読んでいただきましょう。
途中「(講師注:・・・)」を入れました。
最後に山を上から眺めた図をお見せします。
これは東西南北と桃太郎と犬と猿と雉子を重ねた
山登り(=自己探究)の配置図のようなものです。
分かりにくいとは思いますが、
これで桃太郎伝説と自己探究に必要な要素を重ねてみました。
その雰囲気を味わっていただければと思います。
この「桃太郎」には、
女性の成長プロセスの段階1「母への同一化(受動的に娘として従う)」から、
段階2「決別・母殺し(自立への通過儀礼)」に移行を可能にする要素が含まれています。
ここを通って結婚に向けて心の準備ができることになります。
この「桃太郎」という男の子の武勇伝が、
女性・女性性への勇気ある行動を鼓舞していると読むのはとても暗示的です。
男性性原理の社会から脱却するには、
男性性原理の本質を、
愛を持って理解しなければ先に進めません。


IMG_0016.jpeg



福娘童話集「桃太郎」

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
 おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
 おばあさんが川でせんたくをしていると、
ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
「おや、これは良いおみやげになるわ」
 おばあさんは大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。
 そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと桃を切ってみると、
なんと中から元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。
「これはきっと、神さまがくださったにちがいない」
 子どものいなかったおじいさんとおばあさんは、大喜びです。
 桃から生まれた男の子を、
おじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。
 桃太郎はスクスク育って、
やがて強い男の子になりました。

 そしてある日、桃太郎(講師注:思考)が言いました。
「ぼく、鬼ヶ島(おにがしま)へ行って、わるい鬼を退治します」
 おばあさんにきび団子を作ってもらうと、
鬼ヶ島へ出かけました。
 旅の途中で、イヌ(講師注:感情)に出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 イヌはきび団子をもらい、桃太郎のおともになりました。
 そして、こんどはサル(講師注:直感)に出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 そしてこんどは、キジ(講師注:感覚)に出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れた桃太郎は、
ついに鬼ヶ島へやってきました。
 鬼ヶ島では、鬼たちが近くの村からぬすんだ宝物やごちそうをならべて、
酒盛りの真っ最中です。
「みんな、ぬかるなよ。それ、かかれ!」
 イヌは鬼のおしりにかみつき、
サルは鬼のせなかをひっかき、キジはくちばしで鬼の目をつつきました。
 そして桃太郎も、刀をふり回して大あばれです。
 とうとう鬼の親分が、
「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ、助けてくれぇ」
と、手をついてあやまりました。
 桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、元気よく家に帰りました。
 おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
 そして三人は、宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ。

おしまい



下記は講座のレジメです。

❖桃太郎伝説と4神獣(ユングの4機能を参考に)(但:坂内慶子による)
(心の成長に挑むのはこの4つの機能の山を登るが如きこと)

                   北(玄武) 【黒】
                  桃太郎
                   思考

       【白】 西(白虎)   ⇧      東(青龍) 【青】
           猿      ←頂【黄】→  雉子
           直感      ⇩      感覚 

                   南(朱雀) 【赤】
                   犬
                   感情

図は中心が山頂です。
登山道は全方位を螺旋に巡ると仮定しています。
裾から山頂へ向けて登山をはじめます。
これが自己探求です。
歩を進める一歩一歩は気付きがそのエネルギーとなります。


IMG_0012.jpeg


❖語彙の説明
桃太郎物語:おばあさん(知恵ある母性)の作ったきびだんごを持って
鬼(トラウマとカルマ)退治(征服)に向う冒険物語
桃太郎=思考:人間の考える機能のこと
猿=直感:思考からも感情からも離れて次元の違うものをキャッチする能力
犬=感情:生存に必要なこと(安全)が優先 
注目されたい・条件づけされずに可愛がられること
雉子=感覚:動物的感覚の網羅
(この順番の逆、
雉子(感覚)、犬(感情)、猿(直感)、桃太郎(思考)の順は、
子供が成長していくときに使える機能の順番と同じと考えています。
従って自己探究の登山口は多く西の雉子からはじまるのかもしれません。)
補足説明:五行説の「土=中央=黄、木=東=青、金=西=白、火=南=赤、
水=北=黒」と方位(五方)・色(五色)を配置しました。
考察:感情は霊性の理解度(山の高低が理解度の度数)を知らせます。
その人の理解度に因って思考がはたらき、
人生の体験は感情を伴って進歩(気付き)が完了されるからです。
思考と感情のバランスを取る為と互いをチェックする為に直感と感覚があります。
直感は内から外への働き掛け(時空を駆け抜け)
感覚は外界に依る内への働き掛け(過去と未来と現在がひとつ)
(講師注:この桃太郎伝説と4神獣の組み合わせは講師の創作です。)

では次回からこの「桃太郎」をどのように心の発達に役立てていくかの説明に入ります。

                                           ―つづく―


posted by 天の鳥船庵 at 15:03 | 桃太郎伝説と4神獣