画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite

画家・坂内和則 & 夢療法家・坂内慶子のWebsite
天の鳥船庵だより

2018年01月15日

夢の時間を1年=24時間にして換算する

DSC00459.jpg

以前夢の中の時間を、
現実の時間とどう照らし合わせるかという話をしました。
その時は、
「一生を80年とし、それを24時間に換算する」という
考え方をお話ししました。
例題の夢では、
15分間付き合ってという夢で、
それは「いま僕を妊娠しているから、
その間楽しんで欲しい」という赤ちゃんからの知らせでした。
妊娠期間は10ヶ月。
10ヶ月は約15分に相当します。

今年の初夢の一つの時間が気になりました。
どうやら夜明け前の4時ごろらしいのです。
そこで、1年を24時間に換算してみました。
午前4時は2月に相当します。
夢は現実で行動する時期を示しているので、
「え?行動に移すのは来月ですか?」とその方に伺ったら、
それが妥当だし、
2月に早速手を打ち始めようと思っていたとのこと。
詳しい事情はわかりませんが、
夢主さんがいうのだから本当でしょう。

というより、
夢は極め付きの科学ですから、
この計算の妥当性が証明されたと思ったことでした。

ご参考までに。

初夢ワークショップを東京では1月28日(日)原宿駅10分のところで、
京都では2月12日(月)哲学の道・京都府左京区鹿ケ谷で行います。
自分の夢を自分で紐解くノウハウをお教えします。
お問い合わせください。
なお精神科投薬治療中の方はご遠慮下さい。





posted by バンナイ at 15:56 | 夢のメッセージの取り方

2018年01月04日

季節外れの食材

DSC01254.jpg

我が家の庭に暮れから山椒が芽吹いています。
今日は一番の寒さで緑が冴えませんが、
これまでは暖かでしたから。

DSC01255.jpg

それにしても山椒が芽吹くとは!!!
そこで、吸い口にいただくことにしましたが、
この緑では食指が然程動きません。

ところで夢に季節外れの食材が登場したら、
それは食べないで下さいね。

特に夏野菜はスーパーに売っていても買いません。
夢は旬にうるさいのです。
それなら何故季節外れの食材が夢に登場するかですが、
その食材と同じ栄養と効能が必要なのです。

今一番問題になるのは風邪です。
それに疲れや高血圧。
食材の効能を調べたり、
栄養価を調べたら、
何故風邪を引いたのか、
疲れやすいのか、
血圧が上がったのか、
夢の食材が足りない栄養素を教えてくれるでしょう。

そうやって、
足りない栄養を逆に旬の食材に置き換えて、
食卓に乗せて下さい。
冬の今大まかに言えば、
カリウムとβーカロテンとビタミンCとビタミンEが
浮かび上がるはずです。
そうすると、白菜や小松菜やホウレン草が考えられます。

そうやって夢の情報を役立てて下さいね。



posted by バンナイ at 15:06 | Comment(0) | 夢の活用法

2018年01月02日

あけましておめでとうございます

2018年新年1.jpg

あけましておめでとうございます。
今年は多くの方々が夢に関心を寄せる年になるでしょう。
街を歩いても、
どこか昔に戻ったようなトローンとした空気が漂います。
こんなことは今までにないことでした。
わたしの偽らざる感想です。

2018年新年2.jpg

お手製の門扉松飾りを見てやって下さい。
嘗て手解きを受けたお茶の先生はいつもこうして門扉に、
活花の残りで松飾りをこしらえていました。
我が家は松だけは活花用を流用しましたが、
梅も笹も庭に自生しているものです。
お向かいさんは輪飾りさえ手作りでした!

2018年新年⑷.jpg

元旦は6時50分の日の出に合わせて海岸に出ました。
例年のご近所さんと一緒に
国道沿いの手すりにもたれかかりながら、
右手にピンクの富士山が穏やかにいてくださる一方で、
左手の三浦半島からは、
空が刻一刻と光が増しているドラマを楽し見ました。

2018年新年3.jpg

帰ってお屠蘇をいただき、
それから戴いた年賀状をありがたく拝見し、
我が家の年賀状作りに取り掛かりました。
毎年、この不手際が止まず、
元旦にいただいた年賀状をうれしく思いながら、
いつもわたし達は元旦が年賀状書きの日です。
それから氏神さまの熊野神社に初詣にうかがいました。
静岡の山奥の神社より更に田舎めいた神社ですが、
地元に根付いた賑やかさがあります。

2018年新年6.jpg

2日の今朝は家の裏山の神様にご挨拶。
こちらのお家で夢の講座を開かせていただいているのは、
偏にこの地の神さまのご加護をいただいているからと感じています。

2018年新年7.jpg

そして、江のスパで温泉に浸かってきました。
湯船から見える富士山は、
昨日の日の出前の女性的な静かなお姿ではなく、
男性的で毅然としながら悠然とされています。

2018年新年5.jpg

それにしても頂上に雪が見えません。
火口は暖かなのでしょうか。
「変化を泰然自若と楽しむように」、
そうお言葉をいただいたように思いました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。



posted by バンナイ at 15:39 | Comment(0) | あれこれ

2017年12月31日

初夢を見る為に

DSC00693.jpg
(写真右側の手ぬぐいには富士と鷹と茄子の絵があります)

今年はどんな年でしたか。

そう自分にも問いかけてみました。
今年がどんな年であったか、
ひとつのまとまりのある答えを出すのは難しいように思います。

これを読まれる方に取っても同じでしょう。

2016年、わたしの初夢はシミのついた服を染抜きする夢でした。
服のシミを取り除くとは、
わたしの態度を改める必要を言われていました。
それも洗濯で済むくらいのシミではなかったのです。

この辺が症状が出るところなのでしょう。
けれど取り返しのきかないほどのことではない。
16年後半から膀胱炎に苦しみ、
17年の後半まで続きました。
伴侶へのこうあってほしいという期待は、
自分の軸を超えてはならない。
魂自体が違うのだから、
相手の道筋に立ち入ってはいけないのです。
その辺の線引きを実生活で学ぶために、
膀胱炎を患うという貴重な時間でした。

去年の今日と今年の今日の、
外側の条件は大して変わらないのに、
心のうちは大いにバランスが取れるようになって、
苦い気持ちは遠のいています。
(心情を文字にする難しさを感じながら、
なるべく読んでくださる方々のお役に立てればと、
願っているのですが、
この辺が体験の大切さと、
文字の限界なのでしょう。)

今年の初夢は「初夢総括」に書いたように、
「新しい 金糸衣装に 足元は
ボロボロ靴に 穴あき靴下」でした。
7月29日に左手首骨折をしたのですが、
医者の診断は骨粗鬆症骨折でした。
「穴あき靴下」を「骨粗鬆症」でくくるのはどうかと思われるでしょうが、
当たらぬとも遠からずとわたしは思っています。
人は歳を取り、
それに伴い体はガタがきます。
それを思えば、この夢には安心材料がたくさんありました。

体はガタがきてるけれど、
手入れをすれば大丈夫。
講座用の衣装はバッチリ決まっているからと。
仕事に支障も出さず、
わたし自身の熱意は更に燃えてきたと感じています。

この流れで来年を見据え、
わたしは今までになく仕事をしたいと願っています。
わたし達夫婦にとって、
それぞれがそれぞれの仕事に専心することで、
お互いの健全なサポートに回れる。
そこに来ることができたと思えたのです。

思えばここに来るまでの長かったこと!
しかし長かったことはわたしにとってあまり重要ではありません。
初夢という風習でわたしは生きている間に、
自分がどう生きているか、
その道筋を年単位で意識的に捉えることができました。
これは財産だと思っています。

これが来年の初夢に向けて夢を見る準備の一つです。
つまり今年が自分にとってどんな年で、
それを踏まえて来年はどうありたいか、
それを実現するにはどんな気構えでいたら良いかを、
あらかじめ考えておく。
そのことが準備になります。

そして新年を迎えるにあたって、
どんな年にしたいのか、
明確に自分に言い聞かせましょう。
そしてそれを文字に書き出しましょう。
宇宙は、天は、神さまは具体性のある目標に、
応援をくださいます。
遠慮なく具体的にお願いしましょう。
例えをここで上げるのは本意では有りませんが、
ちょっとした例えを挙げるなら、
お金が幾ら幾ら欲しいと願うのでは無く、
具体的に何に使うお金だからと説明してください。
「これは学費に充当するためです。
わたしは〜〜〜をしたいのです。
そのために必要なのです。」と、願います。

次に、夢は月の満ち欠けにかなり影響を受けます。
夢は心の中魂のことなので新月が初夢にふさわしいのですが、
新年は2日に満月を迎えます。
初夢は2日の朝目が覚めた時覚えている夢をいうので、
新年2日は思い出すのが難しいかもしれません。
1月の新月は17日になります。
そこで2日から25日の上弦の月までをその期間と考え、
ゆっくりと初夢に備えてください。 
この期間のどこで思い出しても、
印象深い夢は初夢とお考えください。

更に初夢は1年の計を問いかけて見る夢ですから、
前夜からご神託をいただくような気持ちで床につきます。
神さまへの信頼が心地よい眠りにつかせてくれるでしょう。
そこでお酒は控えられた方が良いでしょう。 

夢は魂の望むところを教えてくれます。
夢以外にあなたの魂の本当の願いを教えてくれるものはありません。
夢はそれほど大切なものだという価値を夢に置くことで、
翌朝、願った大事な夢を思い出すでしょう。
そして目が覚めたらすぐに書きとめられるように、
ペンとノートは前夜から枕元に用意します。

では、新年があなたの魂が望むところを生きるために、
初夢をしっかり思い出されますよう祈ります。

しかし思い出された夢を、
軽々に吉兆で判断しないようにしてください。
夢に悪夢はありません。
そこのところを初夢ワークショップでひも解いていきたいと、
東京では1月28日(日)、
京都では2月12日(月)を予定しています。
(京都は哲学の道の古民家が会場になります。)
詳細は決まり次第お知らせいたします。
楽しみにお待ちください。

新年になりましたら、
初夢ワークショップの前にワークの内容についておしらせします。

本年も様々な方々の応援を得て、
天の鳥船庵が成り立ってきました。
ありがとうございました。

それではみなさま、良いお年をお迎えください。



posted by バンナイ at 18:17 | Comment(2) | 夢の活用法

2017年12月28日

初夢のシンボル考察

DSC05326.jpg

日本には古来から初夢という風習があります。
ひとは夢という言葉に惹かれます。
新しい年は今までと違って、
夢のように幸せで苦のないものであって欲しい。
そんな願望を込めて初夢に宣託を求めたのでしょうか。

初夢の起源は良く分かりません。
文献を探すと中国伝来のものとあります。
果たしてそうでしょうか。
これからお話しするのは、
結局日本の初夢の起源はわからなかったけれど、
この美しい初夢の風習を後世に伝えるには、
ここで文化の見直しをし、
意義ある形で初夢を伝承したいという願いの話です。
お付き合いください。

中国伝来説に従っても、
インド発祥の仏教が中国経由で神道の我が国に入ってきて、
それに伴って中国の風習と
それまで日本人が持っていた夢に対する思いが、
初夢という風習になったと思えます。
吉兆の事象の最初が「富士」ですから、
中国に初夢という風習の起源があるとしても、
日本の地で育まれた風習に違いありません。
あるいはすでに倭の国には夢への特別な思いがあったように思えます。

聖徳太子(574年2月7日〜622年4月8日)ゆかりの地、
斑鳩に法隆寺の夢殿が建つのも、
仏教を広めた聖徳太子の業績を称えてのことかもしれません。
夢殿と呼ばれる法隆寺東院の中心の堂、上宮王院夢殿は、
「太子が瞑想にふけったときに
黄金でできた人が現れる夢を見たという故事に基づいている」とのことです。
太子は瞑想中に黄金でできた人を見たのでしょうか。
夢で見たのでしょうか。
ここでは夢と瞑想が同レベルで考えられています。

「夢殿は太子を供養する場であると同時に、
太子が見た夢の器でもある」と法隆寺の説明にあります。
「太子を供養する場」というのは、
もともと聖徳太子一族の住まいであった「斑鳩の宮」が、
7世紀戦乱で消失し、
その跡に聖徳太子のための供養堂として、
八角円堂が建てられた由来をいいます。
「太子が見た夢の器」という表現は、
聖徳太子とその業績を生み出した夢を見た場所への侵し難い思いと、
夢そのものが神威の現れとする理解があったと想像されます。

下って栂尾山高山寺(とがのおさんこうさんじ)の
明恵上人(1173年1月8日〜1232年1月19日)が
夢に真摯に向き合う「夢記」の姿勢は、
仏教の影響とも言えるし、
日本古来の風習に依るもの、
あるいはその合体したものと言えるかもしれません。

日本民族の習いとして、
古来のものと伝来のものをない交ぜにして、
古くて新しい独自の文化を作っていく特徴があります。
12世紀の明恵上人の夢への取り組みは突出しています。
中世の貴族文化は夢に関する記述を多く残していますが、
その解釈になると時代が下るにつれて曖昧になり、
占いの域を出なくなります。
死は明日の我が身という戦国時代が遠のくにつれ、
夢で一年を占うという民族的風習に
その面影を変えていったのではないかと思われます。
何を調べても、
初夢の風習はその起源もはっきりしませんでしたが、
「富士」にはじまる6つの事象の並びは日本的であり現代的です。

現在初夢の吉兆のシンボルで縁起がよいとされるのは、
「一富士二鷹三茄子」となっています。
次に四扇(しおうぎ)、五煙草(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)と続きます。
「一富士二鷹三茄子」のいかにもお目出度いシンボルと、
続く三つにどんな共通点があるのだろうかと考え込んでしまいます。

「扇」はその形から「末広がり」と縁起の良いものとされました。
しかし「煙草」の喫煙習慣は古くありません。
「タバコの伝来」によると、
「室町時代末期から安土桃山時代に
ポルトガルの宣教師たちによって持ち込まれた」とあります。
しかしこれも正確とはいえず、
日本へのたばこの伝来は、
「天文12年(1543年)の種子島への鉄砲伝来時、
慶長10年(1605年)前後の南蛮渡来などと諸説あり、
当時から煙管(キセル)による喫煙が主であり、
江戸時代初期には全国に普及したが、
非常に高価な薬品として普及しており、
喫煙できるのは裕福な武士か商人のみであった」ようです。
「座頭」に至っては、
「江戸期における盲人の階級の一つ。
転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけ」だったようです。
「社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、
幕府は障害者保護政策として
職能組合「座」(一種のギルド)を基に
身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、
障害者の経済的自立を図ろうとした」とのこと。
この制度は明治に入って直ぐ廃止になっています。
「座頭」が呼称として一般的だったのは、
江戸時代と言えるのでしょう。

つまり初夢のお目出度い題材が
「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」となったのは江戸時代と思われます。
一方「一年の計は元旦にあり」ということわざは、
「月令広義・春令・授時」が出典のようで、
中国・明代の官僚が万暦年間(1573年 - 1620年7月)に、
中国の伝統的な年中行事・儀式・しきたりを解説した本ということです。
「タバコ」も「月令広義」も「座頭」も年代が近いというのも、
外来ものに目ざとく反応する日本人気質に合って、
これらが一緒になって、
初夢という風習が生まれたのではないかというのが私の推察です。

結論めいたことを言えば、
一年の計に浮ついた目標を立てるのではなく、
「気を引き締めて一年を生きていきましょう」という気概を込めて、
初夢の題材を選んだ先人先達がいたのではないでしょうか。
そこには魂を生きるという、
はっきりした人生目的を理解した人が、
思いを込めて作ったように思えます。

その目で改めて
「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」を眺めると、
その先達への尊敬の念は止みません。

それでは初夢の題材(シンボル)6つを、
霊性を重んじた生き方を表す夢のシンボルとして見てみましょう。

一『富士』
夢の登山は自己探求を表します。
自分を探求すること以上に尊いことはありません。
特に富士山は日本人が自分探しを始める時夢に見ます。
意外に多くの人が富士山を夢に見ています。
霊峰の富士山は、
自分探しと見立てる心意気と、
その決意の大きさを表すように思います。
私も夢を記録するようになった30数年前に、
富士登山を始める夢を見ました。
残念ながら初夢ではありませんでしたが、
これから自分をごまかさず自己探求に乗り出すのだと、
決意した思い出があります。
ですからこの富士山を初夢吉兆の最初のシンボルとして持って来た、
その先達の眼識力に圧倒される思いです。

二『鷹』
夢に現れる鷹は俯瞰した眼識力を持つようにと言われています。
現世に埋没し、
目先のことに捉われ過ぎて、
自分を見失わないようにという忠告です。
つまり、自分を生きるためにはこの世の価値観を脇において、
大所高所から自分自身を見るようにと戒めのシンボルです。

三『茄子』
ナスは野菜です。
食べ物です。
食べ物は貴重です。
夢に登場したナスの例は一つだけ記憶があります。
雪景色の藁囲いの中にナスが実をつけている夢です。
夢主にとっては、
身を置いた環境が厳しいと受け取っている心情が現れている夢です。
この夢主は後年がんを患い、
見事立ち直って20年、元気というツワモノです。
この話は、
「親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない」ということわざを、
思い起こさせます。
これは、ナスの花が結実する割合が高いことを言っていますが、
「親の小言」を脇に置いて、
「茄子は花をつければ実がなる」と考えて見ましょう。
花とは何か。
自分を主役にすることを言います。
封建制の縦社会の中にあって、
「茄子」を、
「人生は自分が主役。
自分の考えで生きなさい。
そうすればたくさんの実をつけることができる。
それには自分の力を出せる時期を見定め、
夏を過ごすように一気にやってごらんなさい」と、言っているようです。
「親の小言」を取り除くことで、
全体の意味が変わって見えるとしても、
自分の人生を自分の考えで生き抜く姿勢は時代を超えた真理です。

四『扇』
ここからいくらか厄介なシンボルが続きます。
「おうぎ」は風を起こして涼を取る道具です。
つまり「自分仕様の風を起こしなさい」と言うことです。
自分の方法でと言う意味と、
自分に当たる風を自分で作ると言う意味です。
「風」が問題なのは無風状態に甘んじること。
自分で自分に風を起こし、
膠着状態を抜け出すように言われています。
追い風にするか、
突風を起こすか、
何によらず変化を起こすことです。
言葉を変えれば、
変化を楽しむようにと促す時のしるしです。
自己探求は自分を掘り下げることですが、
風を起こして行動することと自己探求はセットです。

五『煙草』
タバコは、
これも25年ほど前に見た記憶があります。
老成した農家の主人があぜ道に座ってキセルタバコをふかしている夢です。
筋肉質で細身の体は隙がないのに、
畑仕事を一旦休んで、一服のタバコを楽しんでいます。
これは心を緩める大切さを言われているとすぐ気づきました。
リラックスとは違う、緊張と弛緩を仕事中に行えることを言うのです。
良い仕事は緊張と緩みが自在に交換できて成し得るのでは。
紙巻きたばこの喫煙習慣は奴隷を作りますが、
江戸時代タバコは緊張を緩める薬だったのでしょうか。
主体的でいるには心を一点に集中できることと同じく、
その集中を緩められる心でいる必要があります。
生きる上では大切な心のはたらきです。

六『座頭』
「座頭」と言う言葉は馴染みがないので、
却ってこの言葉が入っていることで、
初夢全体のシンボルの意味が分かりやすくなるように思います。
座頭を「盲人の按摩、鍼灸、琵琶法師の呼称」と受け取ると、
盲人ならではの仕事を持った人の呼び名だと分かります。
これは盲人が磨く感性を、
同じように磨くことだと言っているように思います。
味覚、聴覚、触覚、嗅覚を磨きなさいというのです。
何故視覚が入っていないかを考えると、
自分の体の声を耳をすまして聴き分けることとなります。
見ることは対象物を観察することになりますが、
それ以外の感覚は全て自分の体からのサインを読み取ることです。
聴覚も耳鳴りや心臓の鼓動や臓器の音を聴きます。
それで自分の体の調子を測れます。
それを「座頭」で表しているのではないかと思います。
按摩も鍼灸も琵琶法師さえ、
自分の体を手入れする大切さと実際的方法を伝えているように思います。
按摩はマッサージ。
鍼灸も気の流れを図ること。
琵琶は音への感性を磨くこと。
雑音からは遠ざかること。
嗅覚は大小便の匂いを嗅ぎ分けること。
体のサインを読み取る大切さを座頭で表しているのです。

初夢6つの吉兆のシンボルは、
一富士・自己探求
二鷹・俯瞰したものの見方をする
三茄子・自分を主体に生きる
四扇・自ら行動を起こす
五煙草・心の緊張を解く能力を磨く
六座頭・体からのサインを読み取り手入れをする

初夢の縁起がよいという風習のシンボルは、
生きる上での心がけの順番というのがわたしの見解です。

おまけですが、
山梨県立図書館ウェブサイトの「レファレンス事例集」によると、
「四葬礼五雪隠(よんそうろうごせっちん)」があるとのこと。
ここまでくると、
日本人の中には夢の本当を理解している
集合的無意識が脈々と流れているように思えて心強く感じました。
「四葬礼」とは葬式のことで、
心の中の死と再生を表す大切なイニシエーションです。
更に親の葬式は親を超える大事な選択を意味しています。
「五雪隠」とはトイレのことで、
心の中の学び終えたことを終わりにできること。
どちらも大切な心の機能や技量を言います。

初夢の縁起が良いシンボルについてまだまだお話はつきませんが、
民間伝承の意味づけについては、
頷けないものが多くここでは触れません。
しかしダジャレの域を出ないとしてもひとつ面白いことに気づきましたので、
そのことをここでお話します。

山を数えるときその個数を「座」で表します。
最初の富士が表す富士山は1座です。
6番目の座頭は「ざとう」とよみますが、
組合の長を表すときは「ざがしら」と読みます。
この民間伝承の初夢の吉兆のシンボルを選んだひとは、
生きる上で何が大切かをよく理解されて、
その上でシンボルを表すものを選んだのではないかと思えたのです。

山は坐禅を組むときのひとの姿です。
坐禅の坐は座る動作をいい、
座は場所を表すそうで、
その違いはあるものの、
奇しくも初夢のシンボルを調べているうちに、
この世にある間、
ひとは自分が思う自分を形にしていくことを教えられたように思います。
初夢は座で始まり座で終えていると思ったので。
それに夢と瞑想とを絡めたちょっとしたお遊びでした。

次回は、初夢を見るときの準備についてお話ししましょう。

初夢ワークショップ開催はまだ告知できませんが、
1月28日都内の予定です。
万障繰り合わせてご出席ください。



posted by バンナイ at 12:45 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年12月15日

夢を振り返る

DSC09855.jpg

夢を紐解く理由は、
自分が何をしているかを知ることです。
自分の魂の願いを生きているか。
自分の本当の目的に向かって生きているか。
その自分の現状を夢で知って、
日々細かな軌道修正に取り組みます。
これが夢と現実を生きることです。
夢の指摘する霊性のあり方で思うところを、
この世に形にしていくというのは、
私たちの生前の約束です。

先日夢療法家認定者研究会を開きました。
この時のテーマが、
「自分のこれまでを夢を通して検証する」でした。
認定者研究会はこの5回目にして、
最もビビッドでこの会の本来の目的に適ったものとなりました。

夢を活かした仕事につくには、
多かれ少なかれ他人の夢を扱うことになります。
しかしその前に自分がどういう状態で何に挑戦しているのか、
絶えず自分自身をチェックできなければ、
人様の夢に触れる資格はないと私は考えています。
まずは自分。
自分に向ける目を厳しくすることで、
他人に優しい目を向けることができます。

そのために出席者は数年に渡る自分の夢を洗い出し、
現時点でそれがどういう形になっているか、
その挑戦はまだ続いているか、
自分はそれに前向きか、
滞りの原因は何かを発表してくれました。

この厳しい振り返りが、
花となり実となるのは、
厳しい目を自分に向けられる自分への愛、
自分を好きでいられる度合いによるでしょう。

認定者のみなさんはそれができました。

では、
会の目的にかなった体験をされた認定者の体験を、
ここに披露しましょう。
彼女も自分の夢を日々に活かし、
ここにきてその結果を出された方です。

夢は、
「I killed my father」と、
ダライ・ラマの様なお坊さんに報告しているというものです。
現実は実の父から受けた影響を長い時間をかけて整理し、
自己探求を続けた結果、
自分の思う方向にその影響を処理できた後に見た夢です。

この「親殺し」というイニシエーションは、
彼女の宝になり、
これから自信を持って生きる糧となるでしょう。


posted by バンナイ at 10:56 | Comment(0) | 夢の活用法

2017年12月14日

以前の夢と現在の夢で知る心の発達

以前の夢と現在の夢.jpg

以前クローズクラスで勉強された方が、
久しぶりに遠路はるばるオープンクラスに来てくれました。

「参加したいのですが」という申込みをいただいた時から、
その方にうれしいことが起きていると感じたものです。

クローズクラスで勉強していた頃、
彼女は石板に横たわる生贄の自分を夢に見ていました。
犠牲者の夢は他にもあって、
これが今生の大きなテーマだと分かったものです。
今回も変わらず石板に横たわる自分を夢に見ているのですが、
なんとこれがショーだと知っているのです。
彼女は今やショーの主人公です。

この180度の展開は努力の賜物です。
数年前は犠牲者でしたが、
今は人生の主役に躍り出たのです。
この気持ちの変化は一朝一夕でできるものではありません。
クローズクラスでは苦しみもがき、
犠牲者の自分をどうしたら返上できるか、
不確かな答しなかい難問に向き合い、
そのもがきの中でつかんだものこそ、
居場所を移し現実社会で生きるしなやかさだったようです。

この変化の報告だけでもこちらとしてはうれしいことです。
しかし更に彼女はもうひとつ夢の絵を描きたいと言いました。
話したかった、
報告したかったのはこちらの方かもしれません。
描いた絵は、
沖に向かう二艘の小舟にペアーのイルカが何頭も泳ぐ海でした。
一艘の小舟には男性が、
もう一艘には彼女が乗っています。
イルカの大群はその二人の船の航行を見守っているようです。

石板のショーは洞穴の奥で行われ、
恋のはじまりは大海原が舞台です。
洞窟は自己探求も座して自分を知る作業を言います。
ここから推察すると、
時間をかけて自分の心に分け入って、
犠牲者の自分を死なせることに成功したのでしょう。
だから洞窟を出て、
太陽のもと他人の中で自分を生かし、
他人の中に心の異性を見つけることができたのです。

夢の記録簿は霊性を図る成長記録です。
この方の個人的な体験を通し、
以前の夢と現在の夢を比べることで、
確かな心の発達を知ることができました。

そしてこの夢は、
この夢に触れるものを鼓舞し明るい気持ちにさせてくれました。

この時一堂に会したみなさんは、
彼女に祝福の拍手を惜しみませんでした。

余談ですが、
彼女が話してくれたもう一つのお話を披露しましょう。
それは或る時、
「この人素敵!」と思う人に出会ったのだそうです。
程なく夢に彼が現れて、
「僕、君のこと好きじゃない」と言われてやめたそうです。
夢 活かしているなと自分で思うそうです。 



posted by バンナイ at 09:35 | Comment(0) | 夢の活用法
  • (c) Kazunori Keiko Bannai All Rights Reserved
  • Home