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天の鳥船庵だより

2016年12月16日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」19

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思いがけず長々とお付合いいただいた「池にすむ水の精」も、
次回でおしまいです。
物語後半の主役であるお嫁さんは何にもしていないのに、
おばあさんの言うなりだったのにと思われますか。
ここが女性性の本領発揮の部分でしょう。
わたしの思いや考えで動いているのではない、
神さまがそう為さいとおっしゃるから、
それをしたまで。
お嫁さんはこう言うのではないでしょうか。

では、本題に。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」19
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)


19:【 幾巡りかの春が地を割って勢いよく出て来た頃、
男と女は、或る日のこと、
いつもの通り羊の群れを追い立てて外へ出たのですが、
どうかして、向かう前から行きあうことになりました。
男は、遠くに山坂に羊の群れのいるのを見つけて、
そっちの方へ自分の羊を追い立てて行きました。
ふたりは、とある山間で一緒になりましたが、
お互いに分かりませんでした。
それでも、これからはもう今までのように独りぼっちでないことを、
ふたりとも、うれしく思いました。
そのときから、毎日毎日、羊を追い立てるのに、
ふたりは、肩を並べて歩いて行きました。
これといって、格別口をきくこともないのですけれど、
何となく安心したような気持ちになりました。】

前回の終わりで、
「ふたりの胸は、悲しさ恋しさでいっぱいでした。」と、
お互いがお互いを求める気持ちを、
それぞれが自分だけで確認しあうプロセスを過ごしたと、
この物語は言います。
自分の不完全を認めるからこそ相手を求めます。
心にあいた穴を埋めるには、
その穴に合った質を持った、
つまり自分にふさわしい問題を提供してくれる相手が必要です。
それを求めて悲しく恋しい気持ちになります。
結婚したてのふたりではありません。
経済的な困難も克服し、
心の満足を夫ひとりが外に求めて、
その夫を、
現実生活こそが霊性磨きに最も相応しいのだと理解できている妻が、
夫を取り戻したのでもありません。
まだこの段階で妻の結婚生活の目的への理解は不十分です。

彼女は夫こそ自分の片割れだと魂の言うままに動いたのでした。
その後、それぞれが羊飼いを別々になし得なくては、
霊性磨きの結婚生活は続けられないとこの物語は言います。

相手に対する恋心がそもそも自分のどんな動機からはじまっているのか、
その原点に戻れると、
この後続く結婚生活を霊性磨きになし得ます。
時々そのチェックをしませんか。

どんなところが良くてこの人と結婚したのだろうか。
この「良くて」という言葉は軽くて、
ここに相応しくはないかもしれないのだけれど、
現実生活内で考えれば「良くて」は実感を伴います。
誰にも言えないけれど、
ときに「何が良くてこの人と結婚なんぞする気になったのだろうか」、
大抵の人は密かにそう思うものです。
現実味がありますよね。
これが続くと腹帯を締め直す。
丹田に力を入れて、
結婚生活は修業の場なのだと自分に言い聞かせられる訳です。

出会った頭初、
相手に好印象を持ったそこを心の中心に置ければ、
奇しくもそれを求めていま悪戦苦闘している自分に気付きます。
陽性転移した=恋心を持ったそこが目標という訳。

納得がいかない?

わたしですか?
わたしの場合は、
結婚相手に出来上がった人は遠慮しました。
それ相応に社会的地位もあり、
ステータスも持ち合わせている。
そんな人と人生を共にしようとは思えませんでした。
人格的にも経済的にも互いに努力するところが無いのなら、
結婚する意義がないと思ったのです。
これも又わたしの必要を言ったまで。
わたしなりの信念信条を結婚に、人生に盛り込んだつもりです。
ふたりで創造的日々を送りたい。
これがわたしの結婚生活への希望でした。
お陰さまでその線に添った日々を過ごしております(爆笑!)。
創造的であると言うことがいかに難行苦行か、
毎日がその連続です。

なかには霊性を第一義と結婚された方々がおいでです。
毎日を「霊的生活とは相手にどうある必要があるか」を考えている訳です。
考えさせられます。
相手が向けてくる態度に自分がどう反応するか。
自分の霊性の度合いが相手に向ける態度で如実になります。

つまり、結婚相手に自分が必要なことを認めさせたり、
相手を見て自分が相手に取って必要な存在だと確認するのではなく、
自分にとって相手が必要だと気付くまでに、
長い自己探求の時間が必要だというのです。
別々に自己探求をしなくてはいけないとこの物語は言います。
これがこの物語の神髄なのです。
自分にとって相手が必要。
この必要って何でしょう。
実際的に相手の「温もり」でしょうか。
人は人の温もりが必要ということだったらうれしいです。

羊を飼う、羊の世話をするとは、
自分の心の世話全体をいいます。
mind と spirit の世話をする訳です。
互いが自分の心の在り方に責任を持つことの奨励です。
とかく人は、特に夫婦の場合、
相手の在り方に不満を持ち易くなります。
心の中ではじまったちょっとした不満は以後際限なく広がります。
その戒め。

相手の欠点が気になると、
本来自分の心の異性を体現してくれている相手と同じ欠点、
あるいはそれに見合う別バージョンの課題が、
自分にあることを認めがたくなります。
自分の中に相手の要素を見つけるのが苦しく不可能にさえ思えます。
そんなとき、相手の一番嫌なところが、
1パーセントでも自分の中に見つかれば、
それが相手を結婚のパートナーと認める着地点になります。

なんと大変!
なんとみじめ!
これを超えて、相手に見ていた眼を自分を向けていく。
それが「自分の羊」を世話することです。

「ふたりは、とある山間で一緒になりましたが、
お互いに分かりませんでした。」
ここは意味深いところです。
自分の霊性を自分で世話をする大事なことに取り組んでいる人が、
自分以外にいると認めること。
そういう人が世の中にいるのだと認めること。
そういう人の存在を外に認めること。
それができるのは自分の心の世話ができてはじめて、
真の仲間の存在を知ることに繋げられるのでしょう。
その段階を経てはじめて、
格別口をきかなくても説明の要らない安心に到達できます。
この安心があって気付きにつながります。
そこのところは次回に。

                             ーつづくー


posted by バンナイ at 15:57 | Comment(0) | 池にすむ水の精

2016年12月11日

天の鳥船庵夢療法家認定者第2回研究会

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昨日オープンクラスの後に、
認定者の有志が集って研究会を開きました。
議題はもちろんケースの討論をメインにしましたが、
わたしが長年やってみたかった、
アートセラピーの技法を使ったワークをみんなでやりました。
夢と芸術療法は深い共通性があります。

このワークは初心者向きではありません。
ある程度の経験を積んだメンバーが集い、
そのグループが醸すエネルギーがひとつになり、
ワークに専心すると決めた者たちだけに許されるワークです。
そしてここから見えるメッセージは多岐に渡っているので、
それを読み込む伎倆が必要になります。
正に認定者の集まりだからこそできたワークかも知れません。

ワークの詳しいやり方は省きますが、
瞑想状態から見えたものを絵にしていくワークです。
1回のワークで描きあげられる絵は数枚にしかなりません。
自然に終わりのサインが自分のなかからでてきます。
 
この数枚から見える自分へのメッセージは、
自分への縛りと解放の方法が物語になって伝えられます。
その内容はどなたも個性豊かで、
教えられる物語は独特のものです。
来し方行く末を知ることで選択権が行使できるというもの。
あるいはこれまでの人生を振り返ることで、
障害は自分が作っているという指摘と、
縛っている生き方そのものから目をそらさないようにというもの。
このふたつのメッセージは同じようでいて非なるもの。
前者は障害をいい加減に取り除けといっているようであり、
後者はいまは行動のときではなく、
行動に出る前に確認と休息をしっかりというのでしょう。
兎角人はこれでいけなければ、反対の行動に出ればいいと考えますが、
夢(=絵)の忠告はもっと正確です。
変化を起こせるものはどれかを正確に教えてくれます。

なかには自分を完成した神と認識することが出発点になるという、
その方ならではの一連の絵もありました。
ここではワークのエッセンスだけを伝えているので、
理解していただくのは難しいかもしれませんが、
完成した神としての自覚がこの世の体験目的を果たせるというのです。
個として完成しているという認識があって、
この世での体験を調和あるものにしてくれるというのです。
つまり諦観がはじめにあって経験すると二元論を超えるというようです。
文字にすると深遠な哲学になりすぎるでしょうか。
要は周りと孤立している自覚が、
みんなと手を繋げるというところに連れて行ってくれると。

このワークは瞑想からはいりますが、
ワークそのものが作業の連続で、
作業しているうちに瞑想状態になる、
瞑想状態を作れるというところがあります。
理屈だけで生きている人。
全て頭で考えたことだけでワークを終えたという人も、
あなたがそう思っているだけで、
絵にしている間に心の次元が理性から離れていると思って下さい。

「自分の人生は自分が創るもの」という、
この真理を腹の芯におけたとき、
このワークは意味を持ちます。

それでわたしですね。
わたしは絵を7枚描きました。
描いている最中は浮かぶイメージを描いているだけで、
一貫性があるとは感じていませんが、
並べてみるとそこに太いメッセージを読み取ることができました。

1赤いバラ・2海・3わたしの全身像・4帆掛け船・5海に突き出た崖・
6十字架が立った墓石・7牛

7枚は7つのチャクラに呼応し、
それぞれのチャクラの機能を借りて、
赤いバラと決意しはじめたこの人生を、
これからは牛として生きていきましょうというメッセージと、
わたしは読みました。

1つ1つのイメージに心揺さぶられる恩寵を感じています。
楽しい楽しいワークでした。


posted by バンナイ at 10:07 | Comment(0) | あれこれ

2016年12月08日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」18

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(画・坂内和則)

結婚生活は何よりの魂磨き。
それにどんぴしゃりの実践ばなしを受講生から聞きました。
これは長い講師生活で最良の部類にはいる体験談でした。

ご本人はとても静かな人で、
誰にでも好かれる口数少ない方ですが、
最初の頃クラスのなかで話しはじめるととめどがない。
口数の少ない方が、
折角話しはじめてくれたのだからと流れに任せていたのですが、
はなしが繰り返しになって、
これでは話す方も聞く方も辛くなりそうになるとストップを掛けていました。
そんな彼女が2年目にして、
少しずつはなしにまとまりが付きはじめたと同時に、
今度は身体の不調をさらりと口にしてくれました。
これは大きな前進のサインです。
思いと症状は表裏一体。
どんな時にその症状になるのと訊いたら、
実際にいま抱えている問題について話してくれました。
彼女の優しい思いやりを身近な人にして差し上げたいのだけれど、
その件に関して夫とは意見を異にしていると言うのです。

クラスのみんなのサポートもあり、
その案件を解決しようと、
意を決して夫に向き合って話しはじめたとき、
彼のなかに自分と同じものを見たと言うのです。
彼のなかのどうにもやりきれない痛みを垣間みたのでしょう。
(これを「痛み」と云って良いものかどうか迷いますが。)
その彼女の一瞬の気付きをキャッチしたのでしょう
夫のそれまでの頑な態度がほぐれたとのこと。
そして彼女の懸案を、
彼女と夫の願いを叶える形で実行に移せたとのこと。

結婚生活を魂磨きにできている人の実際を見せていただいたようで、
こんなはなしをし合える講座であって良かったと思ったことでした。

クラスの同期生のなかには、
この話がその後心の中でリフレーンしている方がいるそうです。
誰もが得たい人生の最高の体験だからでしょう。

さて、ではこの体験談、
「池にすむ水の精」ではもっと先のはなしになると思いますが、
いったいどのへんになるでしょうか。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」18
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)


18: 【水が引いて、ふたりの足がまた乾いた地面に着くと、
人間の形に戻りました。
けれども、相手がどこにいるのだか、どちらにも分かりません。
ふたりはまったく知らぬ他人のなかにいて、
その人たちはこのふたりの生まれ故郷を見も知らないのです。
高い山々、山間の深い谷のいくつかが、
ふたりの間にありました。
命を繋ぐ為に、男も女も、止むを得ず羊飼いをしました。
ふたりは長の年月、羊の群れを追い立てて、
野原を歩き森を歩きました。
ふたりの胸は、悲しさ恋しさでいっぱいでした。】

今までの話のプロセスを、
現実の自分の結婚生活に当てはめるには抵抗があったり、
自分とは関わりのない話と思われる方はそのままに受け取って下さい。
そんな夫婦もいるのだと対岸の火事と眺めて下さい。

魂磨きがどれほど強い意志を持って、
直視し挑み続ける必要があるか、
この物語はそこを教えてくれるのですが、
そうであればある程、
読み込むこちらも息切れがしてきます。
自分を叱咤激励しすぎない事も大切。
斜めに構えて、
他人の人生設計図のひとつと眺める遊び心も必要と思います。

物語に戻って、
蛙になったのは、
「池」の、つまり精神世界の、
あるいは自己探求への信念に溺れない「術」を身につけた事を表します。
(「術」という言葉が相応しいかはわかりませんが。)
精神世界を渡り歩くと、
精神世界特有の言葉に精通します。
精通はするけれど、
実践無く次に移ってしまえば、身に付きません。
栄養になりません。
それを溺れると言います。
蛙から人間に戻るとは溺れる可能性があると言うこと。
つまり現実世界に戻ると言うこと。
人間に戻った途端相手が見えません。
何が見えないかと言うと、
精神性を現実に行動するための立ち位置が見えないと言うこと。
(注:なるべく具体的に解説していくつもりですが・・・・)
何を精神の軸に据えているのかさっぱり分からない。
だから相手が見えない。
どれほど講座を受けても講座の体験はファンタジーの世界。
現実生活で実践に移せなければ、
元の木阿弥になりかねません。
でも幸い、池の精の話では元に戻りません。
現実で対応し続けようと踏みとどまったからです。
とは言えまったく知らぬ他人のなかでは信条が違うので、
理解を阻むもろもろがふたりの間に立ちはだかります。

ふたりは現実を霊的に過ごすことで相手を見失います。
結婚相手は自分の魂の片割れを具現化していますが、
それぞれが一個の魂なので個としての自律が不可欠で、
この段階を経る必要があるというのでしょう。

そうすることで、ふたりは別々に「羊飼いをする」と話が展開します。
このお話はドイツ生まれなので、
西洋文化に属するものです。
聖書のお話も多くは羊飼いのお話。
羊が魂を象徴し、
自己探求にともなって鍛錬していくことが「羊飼いをする」となります。
中国の十牛図(じゅうぎゅうず)は、
悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもので、
同じような意味合いになります。

池にすむ水の精の物語は、
結婚生活を魂磨きの道場と合意ができた夫婦とは、
どうあるかという前置きがあります。
つまり、恋愛感情はこの夫婦の場合、
相手の生き方に尊敬できたところからはじまっています。
だから、相手の生きる目標が霊性発達であり、
悟りに向けたものだと言うそこの合意はあるのです。
だからこそ、霊性探検に溺れないという術を身につけて、
つまり蛙の泳ぐ術を身につけた後に人間になっても、
相手が認識できないのです。
もう少し説明しましょう。
目標は同じなのに、
最早物質主義的価値観で生きている訳でもないのに、
現実生活での相手の対処があまりに自分と違ってきます。
これはお互いが魂としての個性ある遍歴を持っているからです。
それぞれの自己探求は別々に、
野原と森を歩くこととなります。

野原は、自然との触れ合いで生きる喜びと平安を見いだすこと。
森は、自分に備わった才を見いだす冒険に乗り出すこと。

それへの精進は互いが別々に行うことだと、
池にすむ水の精は言っています。

                             ーつづくー


posted by バンナイ at 16:07 | Comment(0) | 池にすむ水の精

2016年12月06日

補足「細胞の夢」

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さっきの文章では、
ちょっと言葉足らずだったでしょうか。

細胞に追いかけられるおふたりには、
「身体の声を聞いてね」という夢からのメッセージがあります。
このおふたりはいままでも又いまも、
身体の声を聞く必要がない位元気なのではないかと想像しました。
無理が利くのかもしれません。
夢の配慮は最良の状態を保つようにと背中を押しています。

大病後の弱り切ったわたしには、
「そんなに悲観することはないよ。元気になれるからね」という、
夢からの勇気づけがあります。

どちらも夢からの直接的メッセージは、
「生きた(身体の)細胞を作ることを考えること」。
生きた細胞に絶対必要なのは、
生きた水。
淀みのない澄んだ水。

そんな訳でどちらも同じメッセージに行きつくのでした。
これでお分かりいただけましたか。


posted by バンナイ at 16:58 | Comment(0) | 夢の活用法

細胞の夢

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先日、細胞が追いかけてくる夢について訊ねられました。
夢自体はご本人のではなくお知り合いのだとのこと。
それも揃いも揃って、
親と子がそれぞれに細胞に追いかけられる夢を見るのだとのこと。
ご本人を前にしているのではないし、
いい加減な返答はできず、
さりとて折角訊ねて下さったのだからと、
おふたりが同じような習慣を持っていたり、
飲食の好き嫌いに同じような傾向があるかどうかを確かめるように伝えました。

DNAが関係しているでしょうか。
そんなことを考えていたら、
わたし自身の昔の夢を思い出しました。

夢はこうです。
「空の碧海の青は穏やかであたたかく、
陽の光は優しく、
海辺の入り江に立っている。
波頭が海岸に打ち寄せようというところで、
波はどんどん高く大きく伸びて、
波自体が薄い水の膜を形成し、
その薄い膜が細胞のひとつに見えている。」

子供の時に細胞の説明図を教科書で見た、
そのままが夢に現れたのです。
と、ここでネットで調べてみたら、
記憶にあるような簡単な「細胞の基本的な構造」は見つかりません。
もっと複雑ですが、
要は縦長の四角のなかに5分の1程度の丸い核が中心にあって、
周りにミトコンドリアやリボソームやリソソームなどなどが、
細胞膜のなかにあるという図。

そのときわたしは大病の予後もあって、
膀胱炎を繰り返していたように記憶しています。
かなり自分を深刻に捉えていたように思い、
この夢の穏やかさとどこまでも続きそうな青い空。
その青を細胞膜を通して見ている美しさに魅了されました。
この不調から何としてでも出たい。
この夢が伝える真実を捉え、
実行すれば元気になるはず。
それで、これこそ水を飲めという忠告なのだと受け取りました。
生きた細胞にはきれいな水が必要です。
当たり前をしてこなかったと反省もし、
一日中少しずつ常時水を飲む習慣をつけたのでした。
それもこの夢が際立って暖かだったので、
寒いときは白湯を。
わたしは小柄なので、
1リットルをちょっと超えるくらいですが。

そういえば、夢で「水の飲み過ぎ」と亡父に注意された事業家がいます。
この方に取っては夢のいう水はアルコール。

なんとも夢の擬装工作はフェイントがかかっています。


posted by バンナイ at 10:04 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年12月05日

アスクレピオスは患者の治療法を夢に訊いた

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(画・坂内和則)

子供の頃大病の合間は歌舞伎座に祖母のお供をしていました。
歌舞伎は舞台衣装の美しさに魅了されたものの、
勧善懲悪的演目には退屈を覚え、
未だに何を見たのか思い出すことがありません。

床に臥せっているときは良くひとりで本を読んでいたようで、
いま思い出すのはギリシャローマ神話。
歌舞伎のはなしは興味がないのに、
ギリシャローマ神話には異様に引かれました。
とても人間臭くおどろおどろしい神さまばかりのはなしです。
それが不安定な心を鎮めてくれたのでしょうか。
だからといって物語を克明に覚えるという興味はないのです。

ギリシャローマ神話で何が心に残ったかと言えば、
アスクレピオスのはなしだけなのです。
アスクレピオスは西洋医学の医神といわれて、
現在救急車の車体にアスクレピオスの杖が紋章として画かれています。
小学4、5年生の自分のお小遣いで買っただろう
神話集にはこうありました。
記憶を辿ってみるだけですが、
「アスクレピオスは、
その昔ギリシャで神殿に助けを求めてやってくる患者と寝て、
その治療法を夢に得ていた」というのです。
そこで得た治療法は医薬は言うに及ばず、
食療法に湯治も観劇演劇も。
音楽の波動療法もあるでしょう。
広義には化粧もファッションさえ治療となっていたと考えられます。
そしていまもギリシャにはその遺跡が残っていると。

後年ユングの高弟C.A.マイヤー先生の著書「夢の治癒力」に、
クライアントが見た夢に、
「彼が作り出した最良のものはエピダウロスである。」と書かれています。
エピダウロスにアスクレピオス神殿があり、
それが最良のものだというのです。
そしてそこがインキュベーションの場所だったという。
このくだりを読んだ時の驚きは、
自分という魂の流れの一端を確信したほどの感激でした。
この本は夢に関する本の中で一番好きなのですが、
秋山さと子先生の解説を読んでやっと意味が汲めるほど難解な本です。

わたし自身は「アバドン」という言葉を夢で聞いて、
父アポロンのヘブライ語読みだと後で知ったのですが、
この時代何らかアスクレピオス神殿に接点があったのかもしれません。
そう思うとアスクレピオスに親しみと尊敬の念が湧いて、
より一層自分の仕事が大事に思えるのです。

夢のワークをリードするようになって、
問題提起をして夢を見るワークをずいぶんやってきました。
クラスの全員がひとつの問題に焦点を当てて夢を見るのです。
この体験は回を重ねるごとに、
わたしの夢見に深みを加えてくれたように思います。
問題提起をする次元と、
夢で解決法を示唆された次元は明らかに別物です。
それでこのワークを個人的にはインキュベーションと読んでいます。
アスクレピオスにそしてマイヤー先生にあやかりたいという思いもあります。
インキュベーションとは卵が孵化するという意味です。
日本語にすると「孵化」ですが、
このワークを「フカ」と呼ぶのはなじまず、
この業自体は「神託を得る」に近いけれど、
神託や託宣では重くなり過ぎているように思います。
日本語で良い案配の言葉が見つからないので、
今のところはインキュベーションを使っています。

旧約聖書にも夢に神の意を訊ねるような記述があり、
法隆寺の夢殿も聖徳太子の夢と関係があるようですが、
実際どのように夢と関わったのかは知る由もありません。
わざわざ「夢殿」と名のついた堂が存在します。
だから聖徳太子は国事を夢に訊ねていたと受け取っても、
良いのではないかと思っているのですが。

それはそうとして、
アスクレピオスほど夢を役立てた者はいません。
(神さまと呼ぶべきなのでしょうが。)
アスクレピオスほどではないにしても、
この時代にあって、
夢の真実を広く知らせたい。
夢は求めれば病の原因から治療法まで、
知りたいことは何でも教えてくれます。
先ずその端緒として、
古来から日本には初夢の風習があります。
来春自分の初夢に取り組んでみませんか。

丁度、光田秀氏と吉元由美夫妻が、
「魂がよろこぶ運を上げる 初夢ドリーム・ヘルパーセレモニー講座」を
1月8日と9日に掛けて開くようです。
https://www.facebook.com/yyLifeArtist/?fref=ts
光田氏の講演は平易で分かり易く、
また吉元由美さんは夢の意を実行に移し、
エネルギッシュに人生を創造されている実践者です。
夢は実践があって完結します。

そのおふたりが実地にリードされる講座は見応え聞き応えがあるでしょう。
どうぞこれを好機と夢に親しまれて下さい。

わたしも14日に初夢ワークショップを開催します。
ご興味のある方はおいで下さい。
http://dream-info.sblo.jp


posted by バンナイ at 06:43 | Comment(0) | 夢の活用法

2016年12月01日

結婚は修行だ!「池にすむ水の精」17

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1月14日(土)代々木で初夢ワークショップを開きます。
自分の初夢をわくわくしながら自分でメッセージを紐解いていく、
そんなワークにしましょう。
一年の計は元旦にありといいますが、
アセンションは確実に一里塚も超えて、
これからはやりたいことをやるしかない。
そして好きを自分の井戸から掬い上げていく。
どれだけ心豊かに生きられるかを目標にしましょう。
案内はこちらです。http://dream-info.sblo.jp

では、長らくお待たせした「池の精」に。

☆.。 .:*✣ ・ °☆.。 .:* ・ °☆.。 .:*✣ ・ °☆.。

グリム童話「池にすむ水の精」17
(注:童話本文を引用したところに【】を付けることにしました)

17: 【こちらはどんどん逃げましたが、
死は目の前に迫っています。
お嫁さんは、それこそ本当の死にもの狂いで、
声を限りにおばあさんの助けをお願いしましたら、
瞬きする間に、女はひきがえるに、
男はただの蛙に化けました。そして、
このときふたりに追いついた水は、
この人たちを殺すことはできませんでしたが、
ふたりを別れ別れに、遠く引き離してしまいました。】

死に物狂いで逃げ切ろうとしても、
最早自分の力だけではどうにもならない。
お嫁さんはまたもやそこに来ます。
絶体絶命と思ったとき。
神さまの助けが必要なとき。
それを叶えるには自分でことをはじめなくてはいけません。
このことは自分で何かができるということではなく、
助けを求める行為を自分自らが発していくということです。
「助けを乞う」これは愛の行為です。
自分への愛がなければ助けを求められません。
トリガーになる行為を自分で起こさないといけない訳です。
声を限りに助けをおばあさんに求めました。
これがこの場合の行為です。
この童話は神さまと言わず、
おばあさんとしています。
祈りは現実的であること。
それが「おばあさん」という表現に込められているようにも思います。

ここからこの童話は夢と同じく更に抽象的で象徴的になります。
この夫婦は池の精から完全に逃れられた訳ではありません。
つまりこの童話の表す「池」というものは、
精神世界であり、
心に関するこの世の思考形態であり、
あるいは精神を扱う団体をも表す言葉として考えられます。
ぶっちゃけ、特定の宗教を信じることも精神世界ですから。
もっと卑近には、そのときそのとき生きる指針と成る信念や信条も入るでしょう。

その池にはまった状態から、
目覚め抜け出ようとする力を発揮するのは、
女性性のはたらきです。
池にはまるのは男性性の心のはたらきです。

この両性が池の怖さを知って切羽詰まった時にこみ上げるもの。
それが助かりたいという感情です。
恐怖から抜けたいとこみ上げる感情にすべてを委ねた時、
池にはまった状態から、
池を泳ぐ術を身につけます。
それを、水際に泳ぐ蛙とここでは表現されています。

話を戻して、
お嫁さんはまずおばあさんに助けを求めました。
これをやり過ごさないで下さいね。
他に助けを求めるというこの行為がなければ助かることは無いのです。
多くの受講生はこれがむずかしいようです。
一番にプライド。
為にならぬ自尊心をそれと気付いて、
助けを求められるところまで行けないのです。
自分の事は自分でできるという自負心があります。
加えて、幸運の神は向こうからやってきてくれる。
困っているわたしの状態を神は知っているのだからと、考えるようです。

さて、蛙は「いばら姫」でも解説したように両生類。
水陸両用に生きる術を備えた特性を持っています。
水の中は感情を泳ぐ術を表します。
そして陸地は生活を営む術も備えていることを表します。

でもふたりは「ひきがえる」と「ただの蛙」に姿を変えます。
お嫁さんは「ひきがえる」。
狩人は「ただの蛙」。
ひきがえるは動作が鈍く毒液を出し、
鳴き声は低く身体は大きい。
ただの蛙は小さく敏捷。
種類が違うので意思伝達に不備が生じます。

さてこれを実際の結婚生活でどんな風に体験するのかを考えてみましょう。
それにはこれまでの経過を再確認しておく必要があります。

これと見初めた相手と人生の幸運を願って結婚したカップルがいました。
ふたりは一致協力して夢中に働き、
生活は豊かになり幸せでした。
しかし時経てものの繁栄が心の豊かさを生まないと気付き、
夫はひとり精神性を磨こうと心の探究に取り組みます。
そこはとても魅力的で、
夢中になり、
我を忘れて、
妻をも忘れてしまいました。
それを嘆いた妻は夫こそわが魂の片割れ。
ふたりの魂の統合を目指すことこそ真の目的と、
夫を魔の池の精から取り戻そうとあらん限りの努力を重ね、
夫を取り戻すことができました。

はてさて、そこで万々歳といかないのが夫婦というもの。
取り戻しては見たものの、
相手をじっと見てみたら、
あら、こんな人だったかしらとお互いが思うのです。
自分の命より大切な片割れのはずが、
あの難局を力を会わせ抜け出たのに、
相手に思いが通じません。
相手が理解できません。
相手にかける言葉も思いつきません。
まるで宇宙人!(この言葉よく聞きます)

ここに来て相手に自分の思いが伝わらない!
この狩人夫婦は二度もこの難局に遭遇します。
そして取った解決策で最初(夫が池にはまること)の方法が、
二度目(ふたりが蛙になること)の難局に役立ちません。

このお話はこう語ります。
結婚生活の真の真をこうして語ってくれています。
現実の私たちの結婚の歴史を考えてみると、
いままではこうしたお嫁さんの気持ちを、
語る場を持ちませんでした。
できている(注:表現がむずかしい!
心の満足を求めていると言い換えても良いかもしれません)
お嫁さんであればある程、
心の内を語ることはできません。
語ってしまえば、
夫の社会的評価が下がります。
まわりは自分を不出来な嫁と思うだけ。
良いことは何もありません。
この差も女性性と男性性の違いであり、
お互いの特性です。
昔の人はこうした童話を語り聞かせることで、
バランスを取っていたのでしょうか。

心の中を探究する大切さや必要性を、
畏怖や魅力で囲い込むのではなく、
心の成長にのみ焦点を当て、
結婚相手と共にいながら、
自分を主体にと生きる決意を固めた途端、
相手と意思疎通ができないと分かるのです。
それがお互い種類の違う蛙となるという流れです。
人間の姿で結婚生活が営まれていたのに、
苦難を乗り越えた途端、
蛙に成り変わるこの象徴をどう取らえたら良いでしょう。
むずかしいところですが、
夫婦で生活を営む段階から次に必要な学びは、
感情を理性で叩きのめさず、
感情をそのまま声と出せる生き物に成る必要があるということでしょう。
身体を自然の中で感じられる実在に落とし込むことを、
蛙に成ると言っていると思うのです。
(この辺の表現は再考の必要があると思っています。)
わたしたちはダーウィンの進化論を学びましたので、
動物は人間の前段階と受け取りがちですが、
地球を霊性高いものと受け取れたら、
そこに住む動物の形態は互いの学びのためにだけあるのかもしれません。
つまり、動物の純真さ。
疑いなく環境や状況を受け入れる質。
人間の師として動物が存在すると考えても良いかもしれません。

良くできたお話だこと?!
これは結婚生活を霊性磨きの修業場と捉えることのできた夫婦の話です。
そのふたりの間で話が通じないのです。
この妙をどう思われます。
独身者には分かりにくい?
既婚の方達はここでふんどしの締め直しが必要になります。
結婚生活を修業場とするかしないか、
その分かれ道に立つことになります。
離婚するしないは関係ありません。
仲が良い悪いも関係ありません。

「お互いが空気のような存在」になったとき、
そこは修業場とは遠くなる可能性が生じます。

修業場はマーシャルアートの道場のようなところ。
ふたりの間に熾烈な戦いがあってしかるべきです。
こうなってはじめて魂の磨くべき点に相手の一撃が加えられる?!

強烈な話になってきました。


                              ーつづくー

posted by バンナイ at 11:02 | Comment(0) | 池にすむ水の精
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